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ここは日出ずる国  作者: 銀河乞食分隊
平原騒乱
32/60

シベリア 報告書

ソビエト人民共和国は、スペイン内戦に介入した時に銀行強盗を失敗していますので、金がありません。

 クラスノヤルスクでの冬眠中、兵隊は暇しているが諜報部は忙しかった。捕虜や地元住民からの聞き取り調査は膨大な資料の波となって情報部を押し流さんとした。その中でも重要な情報が収監されていた政治犯からもたらされた。

 

 ロシア陸軍情報部のガガーリン中尉は、こんな文章を書いて頭を整理しようとしていた。


-----------------------------------

 ソビエト人民共和国の政治形態は、一応民主主義である。投票で選ばれた代議員が国を動かす間接性民主主義の形を取っていた。

 投票できるのが共産党員だけだったとしても。

 民主主義でも限られた人間しか投票できない選挙制度は、どの国でも初期の形態だった。時代が進み、民衆の声と力が大きくなるにつれて支配層はその声や力を無視できなくなり、選挙に投票できる参政権の拡大という形でガス抜きをして政治形態は進化してきた。まあ、一部の国ではガン無視だったわけだが。

 そして、その一部の国にソビエト人民共和国が有った。


 暴力革命によって政権を奪取したレーニン達共産党は、ロシア東部とその支配地域を「ソビエト人民共和国」として建国した。

 革命後、政治活動(破壊工作やサボタージュを含む)により世界に共産主義を広めたかったレーニンであるが、大勢の支持に首班とならざるを得なかった。

 彼は、少数の首脳部で国家を運営を決定し実行部隊に任せるという選択を取った。その方がコンパクトで決定の早い政治が行えると考えた。独裁制に容易に繋がる事は承知していたが、建国後混乱が続くソビエト人民共和国には必要と考えた。

 だが、その少数の首脳部に革命を支えてきた同志達がいる。体制は万全だと思った。問題は、中心人物の中に非常に仲の悪い二人がいる事だった。トロッキーとシュガシビリである。

 加入時にはお互いの事を知らない事もあり、ごく普通の間柄だったが組織の中で重要度が上がると次第に意見の対立が酷くなっていた。

 トロッキーは世界中で革命が成功する事を夢見るが、反面現実を見てセーブする事も出来た。

 シュガシビリはまず国内を固めるべきと主張した。そして、賛成派を集め一大勢力となっていく。

 レーニンは自分の考えに近いトロッキーを推すが、夢見がちな部分があり危ないという事で次代の首班になれるかどうかは分からなかった。

 結局、現実重視であるシュガシビリがレーニン亡き後の首班に選ばれた。


 そこからが、人民にとって悪夢の始まりだったのだろう。レーニンはまだ人民を見ていた。シュガシビリは自己の栄達しか見ていなかった。新時代のツァーリになるのだという。

 強力な指導力は対立勢力の粛清と重なって行く。トロッキーと賛同する者達は徐々に追い詰められていった。トロッキーは身の危険を感じ海外亡命を図るが、オデッサで捕縛され反革命成分として処分された。

 こうなるとシュガシビリの一人舞台だった。

 ヨーロッパ本流に比べて遅れている重工業を整備するべく5カ年計画を建てるが、自らの資金難で中途半端に終わった。自分を批判するものは、反革命成分として処分されるかプグリノ送りになった。プグリノはバレンツ海に有るコルグエフ島にあり、脱出不能な島だった。 (注)  

 

 だが、粛清は有用な人材の枯渇に繋がっていく。次第に彼の周りはへつらう者ばかりになっていく。こうなると歯止めがきかなかった。

 第二次5カ年計画が彼の命令で立案され実行される。だが、実現できる人材が減っている。へつらう者達もさすがに不味いと思ったのか、粛清を甘くする事を進言した。これは彼も聞くしか無かった。実際に実現できなければ彼の指導力不足と批判されるだろう。次に粛清されるのは自分になる。これは避けなければいけなかった。

 処分はよほど酷い規律違反をした物に限られ、プグリノ送りはずいぶん減った。だが、反抗的な者はモスクワから遠ざけ厳しい罰を与えなければならなかった。

 そこで鉱山労働が立案された。通常の鉱山とは違う、懲罰用の鉱山で働かせる。その鉱山はクラスノヤルスクの近くにもあった。

 そこで働かされていた政治犯達は、聞き取り調査によるとほとんど難癖・密告によるえん罪だった。また工業系の技術者や工学系の研究者もいた。

 飢餓輸出に反対した政治犯もいて、実態が亡命者の証言よりも正確に分かった。中央アジアやウクライナなどの農業地帯では100万人単位で餓死者が出たと。そして餓死者が多かった地域は閉鎖され、強制移住の目に遭った。閉鎖された後にはソビエト人民共和国でも農業には厳しい地域の農民が入り、元の地よりも格段に良い環境になった事を共産党に感謝したというのだ。


 これが事実なら、シュガシビリは前代未聞の大量殺人者だが、同時に一部の人民には結果的に感謝されるという存在だ。  

 BFJR軍がその地域に進駐すると、不味いかも知れない。


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 ガガーリン中尉はこの記述を基に資料などとまとめ上げた報告書を提出。他の報告書も概ね同じであり、BFJR連合はソビエト人民共和国の闇を知る。

 そしてBFJR連合は、シュガシビリの恐ろしさを知ると共に、絶対倒さなければいけないと決意するのだった。




 注(後年の記録によるとかなりの人数が流され相当数が凍死したと記録にある。実際は監視する軍人も共産党員も政治将校も左遷された人間で、モスクワから監視の目が届かないのをいい事に、収監された人間と共にのんびりしていたとある。

 また、凍死したという人間の多くがロシアに逃れていた。これは、食糧や燃料の他、衣類・医薬品・嗜好品との引き換えで密かに脱出させていたものである。書類上は凍死後焼却や埋設を反革命成分に行うのは無駄、と言う理由で海洋投棄した事になっていた。だが実際に凍死した人間が多かったのも事実だ) 


史実よりもずっと貧弱なソビエト

米帝様抜きでフルボッコに出来るかな


作者は、報告書とかレポートは苦手です


次回、不定期です

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