シベリア 冬眠
短いです。
一式中戦車は1941年に制式化されたが、宗方機関導入でエンジンの不具合が頻出。宗方機関導入で最終出力が上がるのを見越して九十七式のエンジンを流用。強化を図ったが、小型すぎたのだった。結局、大型化して無理の無い出力を持たせる事となった。
そのため、エンジンルームが大型化し全長が長くなった。同時に重くなり、九十七式以上の行動力を持たせるべく低くされた接地圧が九十七式と同等まで高くなってしまった。一式改またはイチカイと呼ばれた。イチカイの方が呼びやすいので多くの場合イチカイと呼ばれた。またチニカイは人によってはシニカイに近い発音になり縁起が悪いと避ける者もいたようだ。
イチカイの実戦投入はクラスノヤルスク攻防戦だったが、攻防戦になる前に終わってしまった。
実戦データの収集も出来ず来春までは冬眠である。
寒冷地で暖房が効かない鉄の塊に乗せられた兵はたまったものではない。ロシア・シベリアでの行動を考えられている日本戦車には空冷ディーゼルで有っても一応暖房らしき物(エンジンオイルを循環させるようにフィン付きパイプは着いていた)は着いていたが、効いているのか分からないと評判は悪かった。
地べたで凍えて震えている歩兵よりはいいじゃないか、と言う声もあったが五十歩百歩と人は言う。
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一式中戦車改
全長 6.3メートル
全幅 2.7メートル
全高 2.5メートル
重量 29トン
主砲 M1937/T 砲弾65発
機関銃 九十四式車載重機関銃 銃弾1500発
機関 空冷V型12気筒ディーゼル
出力 440馬力(宗方機関有り) 無し340馬力
速度 48km/h(良路)
懸架装置 水平対向コイルスプリング
装甲 車体前面 60ミリ
側面 30~40ミリ
砲塔正面 80ミリ
側面 50ミリ
上面 20ミリ
乗員 5名 車長・操縦員・砲手・装填手・無線手(機関銃手兼任)
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主砲のM1937/Tは、ロシア製。ロシア陸軍のM1902を45口径まで砲身延長をし、さらに駐退機や砲尾・尾栓などを戦車砲に改造した物。制式化が1937年。砲弾は同じだが、薬莢の形状も戦車砲向けに変更されており、もはやM1902とは別物と言って良い。
日本陸軍はロシアから砲弾も含めて全量を輸入している。
九十四式車載重機関銃は、八九式航空機関銃を車載用にした物。車体前面に装備され発射速度は800発/分に固定されている。
装甲板は宗方装甲が導入されており、額面よりは耐弾性は高い。鉄の質自体も以前の日本製(昭和恐慌以前)と比べて質の向上著しく、溶接技術の向上も有り全面溶接構造となっていた。
ペリスコープの開発に失敗しており、銃眼と操縦席前面の操縦員用窓が弱点なのは銃眼があるペリスコープの無い戦車共通だった。
クラスノヤルスクの市民が餓死しないよう後方から、この場合はロシアと日本からひっきりなしにシベリア鉄道で食糧を送ってきた。帰りには捕虜をイルクーツクまで乗せていく。客車では無く貨車だが文句は言わせなかった。一部無蓋貨車も有り、さすがに板を敷くとか帆布で屋根を作るとかし、毛布程度は配布された。
捕虜だが、配給された食事を見て涙している者もいた。聞くとソビエト軍の食糧事情は悪く、更にアジア系兵士への待遇は輪を掛けて悪かったらしい。
満足な食事を出していれば、暴動・脱走は起こらないだろう。とBFJR軍司令部は考えた。
エニセイ川に架かっていた橋は道路・鉄道ともすべて落とされていたので、寒空の中、工兵隊が必死になって応急で架けている。鉄道連隊も後方から呼ばれて参加している。
早く橋が架からないと、舟艇部隊の負荷がきつすぎる。連日、長時間運行だ。事故も多い。
仮設鉄橋が完成し、列車の通過が確認できたのは年を越していた。この頃には捕虜の大部分はイルクーツク北部の捕虜収容所に収容されていた。元々、多くてもせいぜい2万人程度と言う予想をしていた捕虜。建物を建てる資材は大急ぎで準備したが約6万人の捕虜だ。とてもではないが、建築の人手が足りないので、足りない部分は捕虜を使い捕虜に自分の手で作らせた。お前達の宿舎だと言うと、真剣に作業をした。また食事も自分達でほとんどを支度させる。やはり人手が足りない。喰わせていくのも大変だ。
残った4万人だが、クラスノヤルスクの住民は5万人程度だったはずで、4万はおかしいと思ったら、成人男性で軍に召集されなかった者のうち数千人が、ニッケル鉱山や銅鉱山と精錬施設へ強制的に連れ去られ労働させられているという。女性も賄い役としてかなり連れ去られたという。クラスノヤルスの市民が少ないと思ったらそう言う事だった。
現在は解放して、クラスノヤルスクに戻っている。
そして4万人の中には、周辺の住民も混ざっていた。「人間の盾」として使うために周辺住民をかき集めてきたという。
ソビエト政府のやり方にみんな憤る。
BFJR連合はこの事実を世界中に宣伝し、ソビエト人民共和国の悪辣さを訴えた。
クラスノヤルスクが落ちた影響は軍需物資生産にかなりの影響を与えると、BFJR軍司令部では見た。
ソビエト人民共和国内のニッケルと銅は、半分以上がこの地方で採掘精錬されている。
今後、兵器の質・量が低下する事は誰の目にも明らかだった。
それなのにこの程度の防備しかしないと言う事に、ソビエト人民共和国の不気味さを感じていた。
戦争はここで一時休止だ。とても戦争が出来る環境では無い。双方とも自然には勝てない。たまに無理をして偵察機を飛ばすだけだった。
忙しいのは、支援部隊と鉄道部隊だった。
アチンスクへの作戦は3月下旬が始動になりそうだった。
次回、ヨーロッパ。
戦車のヒーターは、強制燃焼ヒーターも考えましたが被弾に弱そうなのでボツ。
ツンドラに穴掘って震えるのと、鋼鉄の中とどっちがいいんでしょうか。
冬季自然休戦で、後方に引き上げとクラスノヤルスクへの駐留で冬を越します。
クラスノヤルスクの人口は、ソビエト人民共和国とロシアの境界線になってしまった影響で少ないです。
更新時期は不明。近いうちとしか




