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ここは日出ずる国  作者: 銀河乞食分隊
平原騒乱
28/60

越境

場面は変わってヨーロッパ

中東欧が舞台となり八十八戦隊の出番も有るのかな

 ポーランドはもはや死に体だった。少ない兵力を優れた作戦能力で運用し、国家の破滅を引き延ばしてきた。

 だが、その戦力も擦り切れワルシャワも占領されてしまった。救いと言えるのかは分からなかったが、英仏がソビエト人民共和国に宣戦布告したことだ。ワルシャワ占領の数日前だった。ポーランド政府はイギリス国内に亡命政権を樹立。徹底抗戦を叫んだ。その時、なけなしの資産を持ち出している。銀行強盗には絶対やらん。そんな思いからだった。

 

 英仏は宣戦布告してもすぐに戦力を展開できなかった。途中にドイツがあるからだ。ドイツはまだ宣戦布告していない。国境を越えられない限り法的に反撃できなかった。これは、前大戦後にベルサイユ条約で決められた事だ。ただ流れ弾一発でもその条項は適用される。英仏は軍備を整えながら、その一発を待っていた。

 英仏は仏印を巡る戦闘でかなりの戦訓を得ていた。その中でも航空機の性能はヨーロッパの都合が仏印では悪く出ていた。一番は航続距離の不足だった。日本機は海を越えて来ても戦闘時間が長い。こちらは海を越えるのがいっぱいで肝心の戦闘時間は短かった。木製機があっという間にダメになったのも。

 今の機体に適用は出来ないが、次の改良型は航続距離(滞空時間)が長くなる。


 ソビエト首脳陣はポーランド占領が割に合わなかったことから、やはりドイツも占領すべきと考え出していた。バルカン半島方面は、チェコスロバキア、モルドバ、ルーマニア、セルビアと侵攻したが、ポーランドと同じで資産を持ち出されてしまった。実入りは少なかった。それにブルガリアやエーゲ海諸国まで手を出す気は無かった。そんな事をすればイタリアやトルコが黙っていないだろう。今だってトルコは黒海東部の国境で兵力を増している。国力からこれ以上多方面で戦線を築く気は無かった。いや、出来なかった。その中、ドレスデンに日本軍が入りドレスデンは攻撃目標から外れた。

 ドイツは美味しそうに見えた。英仏が宣戦を布告しているがポーズだろうとも考えた。日本相手に負けているのだ。名前だけの軍隊でソビエトの敵では無いだろう。

 ソビエトでは日本陸軍の能力はロシアの次くらいに研究されていた。

 その結果は、装備の性能は並み。航空戦力に乏しく、装甲戦力も乏しい。兵員数も少ない。ソビエトが当たれば一蹴できる。そう考えられていた。

 そんな陸軍に負けたのだ。ソビエトの敵ではない。

 海軍や航空機の戦いで勝ったようなものだが、海軍はソビエトにとって苦手分野であり世界2位と3位の国の海軍が局地戦で引き分けたくらいの感覚だった。

 航空機の戦いについても、投入機数が大陸で運用できる数よりも少なく飛行八十八戦隊のように寄せ集めの中古機体で構成された部隊もあったものだから、英仏の航空機が負けたのは性能が劣ったからだと考えた。しかも八十八戦隊の主力はアメリカで性能が悪くいらない子扱いだったP-39である。

 陸軍の投入兵力で上回り、戦車の性能も数も完全に上だ。航空機の数も多い。

 勝てる。そう考えられていた。


 1942年10月23日早朝、ソビエト人民共和国軍がオーデル川を越えた。

 前日の22日夜。ドイツ東部ポーランド国境にあるフランクフルトでドイツ人民統一戦線と言う聞いた事もない政治集団が、突然フランクフルト市庁舎を占拠。

 フランクフルトの独立を叫び、ソビエトに救援を求めた。

 ソビエトは要請に応じてフランクフルトの独立を手助けする。

 名目上はそうだった。

 誰がどう見ても自作自演でしかない。

  

 英仏は黙ってみていたわけではないが、いかんせんドイツ国内でありドイツから救援要請が無ければ越境できなかった。

 同日、午前中に事態を把握したドイツ政府より正式に救援要請が出された。

 このときのソビエト人民共和国軍は10個歩兵師団と1個戦車師団、補給部隊と300機程度の航空部隊だった。 

 それでもフランクフルト周辺のドイツ防衛隊は歩兵2個師団と戦車1個大隊であり、フランクフルト防衛はならず遅滞戦闘をしながらベルリンへの後退をするだけであった。

 その中でロンメル大佐が戦車中隊パイパー大尉と共に殿を務め(二人とも人望がなかったため)させられたが、予想以上の活躍を見せた。ソビエトの侵攻を半日遅らせたとまで言われる。

 このときソビエトは一気にベルリンを目指そうとしたのであったが、この二人のせいで躓いた。以降、目の敵にされる。

 この二人が活躍できたのは、ドイツ防衛隊航空部隊の活躍があった。

 この頃ドイツ防衛隊航空部隊は戦闘機と若干の偵察機という侵攻性の低い装備しか許されていなかった。

 また予算も少なく、多種多様な機種の開発装備など夢で有った。戦闘機は小型軽量で簡単な構造という安価の基本のようなBf109Eだった。エンジンの価格だけが異様に高かったが。

 部隊自体が少人数で練度の高いパイロットが揃っていたため、少数機でソビエト空軍に対抗できた。


『ハイネマン、後ろだ。Yakだ』

「すまん」

 ハイネマン少尉はダイブして逃げるが追ってくる。

 もうダメかと思った時、Yakが落ちていきホッとした。


「助かった、マルセイユ。ありがとう」

『いいさ。まだ敵は居る。高度を上げよう』

「了解」


 ドイツ防衛隊航空部隊は200機近いソビエト戦闘機に100機で立ち向かい、未帰還36機と引き換えに94機撃墜の損害を与えた。うちパイロットの損失は16名であった。

 

 このときドレスデンの飛行八十八戦隊は、日本からの参戦指示がないままジリジリとしていた。

 

「なあシン。日本からは何も言ってこないのか」


「ミッキー、焦るなよ。一番命令を待っているのはドイツ人達だ。キッペン隊長の顔なんか恐ろしいぜ」


「そうだな。確かにそうだ。彼らが一番じれている」


 日本はまだソビエトに宣戦布告をしていなかった。ロシア国内に駐留している関係で日本が宣戦布告すればロシアにソビエトが攻め込む口実になる。ロシアからの撤兵は考えられなかった。ロシアが参戦するのを待つのみである。またはドレスデンの日本軍が攻撃されるかだ。

 ドレスデンは日本軍が居るため、ソビエトの攻撃目標から外れていると言っても良かった。ベルリンへの道から外れているのも良かった。ソビエトの目標はベルリンだった。ドイツ中央銀行とも言う。




フランクフルトとベルリンは80キロしか有りません。

ベルリン防衛なるかですね。

この物語世界ではナチスは居ません。ヒゲの伍長は故郷のオーストリアでそこそこ売れている看板屋です。趣味で絵描き。

ベルサイユ条約も同様にかなり違っています。

Bf109もあの弱点部分が違います。

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― 新着の感想 ―
[一言] フランクフルト が複数あることはドイツに行ったことがある人じゃないとわからんと思うので(oder)くらいはつけたほうがいいと思います
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