仏印作戦 戦車VS重巡洋艦
お久しぶりです。
忘れていない証拠に、短いですが。
更新は日が空きます。
愛宕の放った砲弾は初弾命中などとはほど遠かった。
愛宕から二キロくらい離れていて欲しいと言われたが、二キロでも危なかった。
部隊から五百メートルほどの所へ、肝心の戦車からは一キロ以上離れた着弾だった。
部隊から文句が行くが、愛宕からは「初弾が外れるのは当然」と、素っ気ない返答だった。
次弾は、戦車からまたもや一キロほど離れた。今度は反対側だ。修正しすぎであろう。下手くそなのか?だが、第一線の重巡に乗る連中だ。下手なわけは無いと思いたい。
上空に航空機のエンジン音が聞こえた。愛宕が弾着観測機を飛ばしたらしい。最初から飛ばせよ。と、思う。だが天候が悪く、陸軍航空隊では出撃を控えたほどだ。無理をしているのだろう。
三射目は近かった。今までよりはだが。シャールから三百メートルだった。ようやく自分が何に狙われているのか分かったのだろう。掩体豪から出て移動を始めようとしている。
三射目から一分後、四射目が着弾した。掩体豪から出始めたシャールを撃破するかと思われたが「惜しい、百メートルだ。後百メートル」砲隊鏡や双眼鏡で見ていた連中が騒ぐ。
五射目と思われたが「座礁を避けるため進路変更をする。次は十分後を予定」と、間延びした通信が入った。
おい、その間にもシャールは逃げていくぞ。早くしろと。みんながそう思った時、上空の弾着観測機が降下を始めた。複葉水上機などという旧式機で何をするのだ?
「榊原一曹、行けるな」
「東雲中尉、問題ありません。潜水艦より小さいですが奴は見えています」
操縦士・榊原一曹、偵察員・東雲中尉のペアが搭乗する旧式な複葉水上機、零式水上観測機は全金属製という最新鋭の複葉水上機だった。フェアリー・アルバコアよりも変態サンかも知れない。いや、ダイブブレーキ機能が付いている上に密閉式風防まで付いているアルバコアも変態なのだが。密閉式は正解だろうけれど。両機とも金属製複葉機という軍用複葉機の最後を飾るにふさわしい機体ではあった。
ダイブブレーキなどと言うしゃれた物が付いていない零観は緩降下でシャールへの爆撃進路に入った。
南方の戦車を運用するには不利な地形がシャールの逃避行を妨害する。ただでさえ遅いのにより遅くなっている。歩くのと変わらないだろう速度で移動している。
「五百、四百、三百、二百」
東雲中尉の高度読み上げが聞こえる。
逃げるシャールを追うために、細かく進路変更をして追いかける。
「ヨーイ、テッ」
榊原一曹が投弾した。
投弾した二発の六番通常は放物線を描きシャールに肉薄した。
六番は惜しくも直撃ならず。至近一、遠一と言うところか。
「榊原一曹、至近一だ」
「至近ですか」
「まあ潜水艦なら命中だな。キャタピラーが切れたようだ。戦果としては十分だ。後は愛宕に任せる」
「了解、高度を上げ弾着観測に戻ります。当てたかったですね」
「まあな」
シャールの方は大変だった。十五センチ級の野戦重砲どころでは無い要塞砲とも言える重巡主砲に狙われたのだ。日本軍が複数の要塞砲を移動させていると判断したフランス戦車部隊は随伴歩兵と供に移動を開始した。
移動を開始した所へ、今度は空からの攻撃だった。二発の小型爆弾、それでも十五センチ砲弾と同じだ。命中こそしなかったが、キャタピラーを切られてしまった。戦車兵は絶望的な表情を浮かべている。
そこへ、進路変更をした愛宕の砲弾が降ってきた。五百メートルの位置だったが、今度は移動も出来ない。次は危ない。そう考えた指揮官、ミッテラン大尉は白旗を揚げるよう指示をした。
白旗が揚がったのを見た東雲中尉は、至急で愛宕に通信をした。ここで撃ったら日本海軍の名折れだ。
「白旗だ。南沙、南沙。こちらトンキン一番。白旗が揚がった。砲撃を中止されたし」
「トンキン一番。南沙だ。白旗の確認は取れたか」
「南沙、トンキン一番。白旗が振られている。確認した」
「南沙了解、トンキン一番は別命有るまで上空で待機」
「南沙、トンキン一番了解」
あと十秒もあれば修正完了で撃つところだった愛宕は、敵の降伏が確認されるまで砲弾を詰めたまま待機した。
降伏したフランス部隊は中隊規模で、前進部隊の手には余り前進部隊は捕虜の管理をしなければいけなくなり、前進を中止。後続部隊が追いつくまで、現地で待機となった。
遅れるのはいやだが、捕虜という問題があり致し方なかった。これでも予定よりは進んでいる。作戦進行上は問題なかった。
捕虜は、ハノイまで後送することになった。後送と言うよりは、ハノイのフランス軍部隊と交渉して引き取ってもらうのだが。
日本としてはベトナムを占領する気も無く、駐留フランス軍を殲滅する気も無かった。無力化すれば良かっただけである。現状で海上戦力・航空戦力を無力化することに成功しており、カムランから北の陸上戦力も重装備はほぼ失われた今、無駄な行為をする気は無かった。
後続部隊に捕虜を引き継ぎ前進を開始したが、カムランはすでにもぬけの殻であった。戦力差に防衛を諦めたようである。肝心のカムラン港は軍事施設が破壊されていた他は被害も少なく、現時点で再使用に耐える物と思われた。
ベトナム最大の戦略目標であったカムラン港を無事に手に入れた意味は大きかった。
イギリスとの対決でカムラン有りと無しでは、海軍の余裕度が違ってくる。
カムラン港がほぼ無事で入手できた事により、軍部では無理にサイゴンまで進出する必要は無いのでは?と言う意見も出てきたが、無理からぬ事であった。
最初から結果が見えている戦いなど
サイゴンはどうしましょうかね
いらない気がしますが




