仏印戦線 南下
ごめんなさい。とても短い
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ダナン周辺を確保した日本軍は、陸上から南下を開始した。カムランから三百キロまでは順調だった。抵抗という抵抗はなく、道路に埋められている地雷が一番の敵だったくらいだ。でも地雷にやられた兵も多い。
それがダナンから離れカムランまで三百キロという所で敵に抵抗が始まった。
航空攻撃と少数の兵による一撃離脱戦法だった。これで足が止まった。
少し後退してクアンガイ周辺に陣を張ることにした。
「航空支援はどうなっているか」
仏印派遣軍司令長官百武陸軍中将が隣の参謀長中島少将に尋ねる。
「はい。陸軍二十二戦隊と海軍一一六空が上空援護を、陸軍三十四戦隊が地上支援を行ってくれます」
「むう。地上支援は何機有る」
「三十四戦隊で襲撃機二十四機と軽爆十二機です」
「足りないじゃ無いか。それでは十分な破壊力は無いだろう」
「軽爆が新型だから大丈夫と言っていました」
「ほんとかね」
「おそらくは」
「海軍はどうだ。火力支援は得られるのか。要請はしておいたはずだ」
「重巡が四隻派遣されています。二十センチ砲四十門ですのでかなりの破壊力です」
「とんでもないな。だが範囲はどうだ。海岸から離れることもある」
「海岸から十キロ以内ならと言っておりました」
「カムランまででは大体間に合うのか」
「そうですね。海岸沿いの街道を選んで進めば艦砲の範囲内で行けるはずです」
「後はサイゴンとカムラン周辺の敵機か」
「その件で海軍から話があるそうです」
「何?」
「空母部隊による飛行場攻撃を行いたいがこちらの都合を教えて欲しいと、先程連絡が」
「そうだな。攻撃はこちらに合わせて欲しいものだ。参謀長、作戦を練ってくれ」
「承りました」
フランス本国ではベトナムでのふがいない戦いに怒れる人達がいた。
自信を持って送り出した空軍機が尽くやられてしまったのだ。責任問題にも発展しそうなくらいなのだが、責任を取らせれば次は自分がやる番なのでイマイチ追及の手が甘くなっていた。
半年くらい掛けて開戦前に四百機送って総数五百機まで増えたのに、二週間もしないうちに稼働機二百機程度まで減ってしまったというのだ。中には送ったのはいいが、東南アジアの気候に負けて戦う前に使用不能になった機体まであった。フランスの面目が丸つぶれであった。
イギリスから供与を受けようにも規格が違いすぎて共同運用など出来なかった。イギリスはヤードポンド法でフランスがメートル法だったからだが、ネジからして規格が違い工具の共用も出来ないなど整備の問題が大きすぎた。
イギリスも初期戦力として送った部隊が壊滅していてシンガポールまで後退してしまった。英領マレーと仏印の間にあるタイが中立を宣言し日本もそれを尊重している。タイを使えればシンガポールから空路で戦闘機を仏印まで送ることが出来るのだが、英仏がタイを踏みにじるわけにはいかなかった。
次回 七月十六日くらい
大筋は有るのですが、迷いが出ています




