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ここは日出ずる国  作者: 銀河乞食分隊
南海鳴動
13/60

仏印戦線 海南島航空戦

航空戦開始?

開戦時まで戻ります。

怪しい部隊を追加しました。

 陸軍航空隊は六十四戦隊が戦闘機中心の部隊で海南島防衛を目的としていた。

 六十四戦隊は主力部隊で隼装備だった。海軍の零戦陸軍仕様である。

 他に四十七戦隊と八十八戦隊が展開していた。

 四十七戦隊はかわせみ部隊と呼ばれ試作機の評価をしている。キ44やキ61を持ち込み南方での運用試験をしていた。

 八十八戦隊はカワセミ部隊同様なのだが、もっと訳あり機体を運用している。いろいろな国から取り寄せた と言ってもドイツとアメリカなのだが やはり南方での運用試験をしていた。

 ついでに言うと機体と共にパイロットと地上要員 主に整備士 も傭兵と言う形で雇っている。

 傭兵は第1次大戦前の時ヨーロッパで雇っており、さほど抵抗はなかった。航空に関しては欧米が本場であり学ぶことも多い。

「ドイツ製エンジンは何であんなに面倒くさいのだ」と言う日本人を尻目に平然と「面倒くせえ」と言いながら、完全に整備してしまう。

 四十七戦隊と八十八戦隊は風雲急を告げる東南アジアで実戦テストが出来るかも知れないと、いけない期待をしていた。


 そんな中の空襲警報であった。

 隼の他、キ44とキ61。さらにBf109E3、P-39、MC202、He112改が離陸した。










 木更津の港に陸揚げされた大量のスクラップを見てため息が出た。あの国はこんなものをスクラップというのか。ピカピカじゃ無いか。

 プロペラ・発動機・武装・通信機が無い他は新品同様だ。発動機は金属原料として別便で来ていた。過給器と気化器を外してあって動かない。気化器くらい付けておいて欲しかった。しかし日本ではまともに作ることも出来ない大出力の液冷発動機だ。

 確かに動かないから兵器ではないが、いいのか?しかも、あっちの箱にはプロペラが入っている。別便だから問題ないだと?

 目の前のベルP-39を見て、陸軍航空廠第三課課長久米中佐と陸軍航空本部第二部部長福井中佐の二人はまたため息が出た。



 アメリカは航空機大国だ。第1次大戦で異常に進化した飛行機は広い国土を短時間で移動するには都合の良い乗り物だった。

 アメリカ政府は航空機産業を保護・維持する事に決めた。その中で出来たのが、後年バカ法案と呼ばれる最低機数保証法だった。単発機は500機、双発機は100機、双発機以上は20機が最低でも政府保証として軍予算や民間資金では無く、政府予算で民間や軍に納入されることになった。軍予算は政府予算ではあるが、最低機数保障法は別枠だった。

 もちろん全てでは無い。ゲテモノや役立たずを採用することはないように審査は厳しかった。

 落ちた中にはダグラスDC-4Eも入っていた。これを改設計どころか新設計して優秀な機体として新たなDC-4が生まれた。

 ただ世界初には甘い傾向があったし、当時の技術ではそれが精一杯だろうという機体には甘かった。

 そんな中、ベル社が高空性能重視の単発戦闘機という陸軍の要求に従って開発したのがP-39だった。

 引きこもり傾向に有るアメリカに国境を接しているのは北がカナダ(イギリス連邦)、南がメキシコで双方とも戦力としては比べものにならなかった。イギリス連邦と喧嘩する気は無かったしメキシコはアメリカが殴れば直ぐに倒れてしまうだろう。


 高高度迎撃機を作って如何するのか。

 

 当然議論となった。また同時にロッキードP-38と言う値段はとんでもないが性能もとんでもない機体が完成しようとしていた。 

 500機対100機。コスト的にはいくらP-38が高いと言っても100機の方が安かった。それに性能も上である。陸軍航空隊はP-38を取った。国境線防衛なら現状を鑑みるに500機もの高高度迎撃機を必要とはしていなかった。

 陸軍はP-38を高高度迎撃機として採用し、P-39は試作機でその高高度性能を保証した排気タービンを外して中低空戦闘機になった。これが激しい性能低下を招き陸軍航空隊でもいらない子になってしまう。

 中低空戦闘機ならP-40が有った。運動性能も良好でP-39の生き残る道は無かった。最低機数500機で打ち止めである。



 アメリカに採用されても使われていない機体が沢山在る。

 それはアメリカ駐在の商社員によって日本に知らされた。


 それを聞きつけた日本陸軍は調査に入った。

 陸軍予算は増えてはいるが、何故か師団数増設の後不祥事、増えては師団数増設の後不祥事で、遂に歩兵15個師団、砲兵1個師団で固定となってしまった。これは日露戦争後の暴動鎮圧時と2.26事件の叛徒鎮圧時のことである。両方とも陸軍首脳部が稚拙な対応の果てに多大な死傷者を出してしまったせいだ。他にも大小の事件を起こし陸軍の権威は地に落ちていたと言っていい。

 その代わり、新時代対応として機甲師団と飛行師団の増設は認められた。補給に多大な負荷が掛かることは当然予想され輜重部隊は補給部隊と名前を変え工兵部隊と連合。支援師団と名前を変えた。 

 陸軍の予算は贅沢なことに毎年余っている。使うよりも増える予算の方が多いのだ。もちろん使い切るようなことは出来ない。持ち越している。ずいぶん貯金がある。船の新造・維持で頭が痛い海軍とは段違いである。

 そこで陸軍は独自機種を持つことを考えた。国内航空機会社は生産機数の多い海軍()であって、採用しても生産機数の少ない陸軍()()向けには大抵海軍機の陸軍仕様で答えていた。

 新機種を要求しても海軍機陸軍仕様となるだろう。

 専用機を持ちたいという要求はあった。海軍機は艦隊防空と対艦攻撃に特化していて対地攻撃、特に直協機のような小回りが効く機体は無い。 

 そこへこの情報である。


 対象になったのは製造されても使われていない機体で海軍ではF2A、陸軍ではP-39だった。

 F2Aはアメリカ海軍が世界最初の引込脚艦上戦闘機と言う触れ込みでの採用で性能は平凡だった。これなら海軍の十二試艦戦を使う、と言われた.

 P-39はそこそこ高速ではあるが、それよりも37ミリモーターカノンが目に入った。

 対地攻撃に使えるな。資料によると防弾もしっかりしている。使えるだろう。特異な機体構成には目をつぶろう。

 交渉に入った陸軍だが、アメリカ合衆国からは兵器は輸出出来ないとされた。

 困った陸軍だが、合衆国商務省の役人が「だが、しかし」と言って「スクラップなら輸出出来るのですよ」と言った。

「スクラップですか?」

「はい。色々外して飛べないようにしてあればスクラップです」


 酷い詐欺師がいるようだ。


 ベル社では既に陸軍に納品済みの200機と今ラインで組み立て中の機体からエンジン、武装、無線機、プロペラを外すよう指示を受けた。慌てて陸軍に問い合わせると、日本陸軍が使いたいと言うのでスクラップとして輸出すると言われた。

 では残りの機体はと言うと「最初から付けないで」と言われた。馬鹿にされた気分のベル社だがせっかく作った機体を使いたいという軍隊があった。いらない子で放って置かれるよりは使って欲しいのは世界共通だろう。


 かくして木更津の港に初期100個分が陸揚げされたのである。1941年初頭だった。秋までに450個のスクラップが到着するという。

 無い部品の国産化が始まった。

 計器板のヤードポンド法表示の計器は全て国産メートル法計器に交換。

 武器は結局売って貰えず、諦めた。代わりにかなり値引きしてくれたのであるが。

 モーターカノンは二十ミリFFSを採用した。

 機首機銃は九七式七.七ミリ機銃を2丁とした。

 問題はエンジンの気化器と過給器である。 

 液冷と言えば川崎であるが、陸軍がキ61を試作させている。出すのははばかられた。

 結局、紆余曲折のあげく川崎へと頭を下げた。

 もちろん陸軍が全面的に資金・技術両面で協力するという条件だった。

 当時、陸軍ではドイツ製DB601の国産化を目指し川崎に、同じ頃海軍がJumo211を愛知へと国産化させようとしていた。

 それらに使う燃料噴射ポンプをアリソンに付けようというのであった。

 ドイツの特許などの問題は第1次大戦の戦時賠償を減額する事で決着が付けられていた。それまでも現金では無く技術情報や製品輸入、ライセンス権などで戦時賠償を払わせていた日本だが、これで日本が持つドイツ債権はほぼ無くなった。

 現金で返済するよりよほど高いレートでの返済は技術流出との引き換えで、ドイツにとって痛し痒しであった。

 日本がドイツから手に入れた技術や製品はDB603とJumo213が最後であった。それ以降日本が戦争状態になったため英仏から日本に対する輸出停止要請がドイツに出された。ドイツも了承した。

 

 燃料噴射ポンプは発動機特性が分からないと言うことで時間が掛かる。燃料供給はキャブレターになった。

 過給器は金星の1段2速過給器を暫定的に使用することになった。

 発動機が満足に動くようになった頃には、蝉が鳴いていた。エンジンベンチでは過給した状態で一千馬力以上が出ている。満足な性能だった。

 そして実機に取り付けての試験飛行では、散々だった。速度こそ隼よりも若干速いものの、加速・上昇力・運動性能、全て低いレベルであり、どこかの陸軍が野ざらしにするわけだと思った。

 これは予め予想していたことであり、日本陸軍には秘密兵器があった。


 宗方機関である。船舶や発電所に使う大型のものでは無く、内燃機関や電動機に使用する小型の物が作られていた。


 最初小型化は難しかったが、昭和11頃から小型化が進み昭和13年には戦車に取り付けられ良好な運用成績を出していた。小型化したせいで増幅率二割であったが、その増加率はより大型なエンジンを搭載したのと同じ事だった。

 ただ航空機用となると、その取り付け位置の問題で困難が伴っている。出力軸取り付けである。発動機の前に取り付けなければいけない。

 空冷発動機ではシリンダーの冷却が問題になり、液冷発動機ではただでさえ長いのが更に長くなってしまう。 

 航空機用には諦めていた。

 だがP-39はエンジンが後方で延長軸で回すという特異な構造だ。中間に宗方機関を付けることが出来る。調査した陸軍航空の面々は確信した。


 苦労して宗方機関を取り付けた機体が試験飛行を行った。宗方機関は三割増しまで来ている。エンジンベンチでは1400馬力以上を計測した。いけるという思いは持っていた。

 過給器も1段2速になり全開高度は6200メートルだ。高空性能も期待が持てた。


挿絵(By みてみん)


 公試状態で高度6000メートル水平全速630キロ/時を記録。陸軍を沸かせた。それまではキ44の608キロ/時が陸軍戦闘機最速だった。

 百式司令部偵察機も二型で610キロ/時だった。



 

 陸軍の期待を込めて、海南島の空でP-39が戦いを始めた。




ひょっとしてP-39は強力戦闘機になれるのか。

He112改はJumo211に日本で換装しています。

DB601国産化はDB603に

Jumo211国産化はJumo213に

完成するのでしょうか。


次回本編は 六月二六日くらい 海南島の空は?

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― 新着の感想 ―
[気になる点] なるほど、まだまだ途上の宗方機関を付けるスペース考えたらP39なのね。
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