第92話 一閃の修羅
「大層な御託を並べたものだ。だが──所詮は、弱者の戯言」
クルーデは冷笑を含んだ声で吐き捨てると、無残に首をもがれ、倒れたベルクォの前に立った。
その手にあるのは、巨大なる破壊の象徴、青龍偃月刀。
戦場に立つものすべてを打ち払うその刃が、再び高々と振り上げられる。
「来栖弾九郎も、すぐに送ってやる。お前は先に逝け、クラット……」
鋭い殺気を纏い、青龍偃月刀が唸りを上げて落ちる。
その刃先が向かうのは、ベルクォの心臓部──クラットの命が宿るシリンダー。
──だが。
それは、ついにベルクォに届くことはなかった。
ギィィン……!
金属が軋む音。衝撃が戦場を走る。
刃の進行を止めたのは、漆黒の巨影。
ダンクルス──グァンユが吹き飛ばしたはずの、あのオウガが、片腕で柄を受け止めていた。
「……お前は……」
クルーデの声に、わずかな驚きが滲む。
見開いた目に映るのは、ただの機械ではない。まるで、死地から蘇った鬼神のような気配。
「……あの程度で動かなくなるとはな。オウガとは、存外脆い」
静かに告げる弾九郎の声。
低く冷たい声音は、どこか感情の底に怒りと決意を滲ませていた。
安全装置の作動。
それは搭乗者の命を守る最後の防壁であり、通常ではありえぬ衝撃でなければ発動しない。
クルーデが放った一撃が、まさにそれだった。
──だが、それで終わりではなかった。
ダンクルスが轟音と共に崩れ落ちた瞬間、ライガは我を忘れた。
視界が紅く染まり、叫びと共に前へと突っ込む。怒りと恐怖がないまぜになったその突進には、理性など残っていなかった。
だが──クラットは違った。
敵味方が騒然とする中で、彼は一歩も動かず、静かに戦場を見据えていた。
感情に流されることなく、ただ冷徹に状況を読み取り、わずかな兆しを見逃さなかった。
「まだだ。ダンナは、終わっちゃいねぇ……」
その確信は根拠に乏しかった。だが、クラットには分かっていた。
あの男──来栖弾九郎が、あれほどあっさりと終わるはずがない。
ダンクルスが、あのまま沈黙するなど、あり得ない。
それは信頼などという生ぬるいものではなかった。
確信だった。直感だった。そして、それは戦場で幾度も死線をくぐった者だけが持つ、生きた勘だった。
──ダンクルスは、必ず立ち上がる。
「同じことだ。生き延びたところで、ほんの数分、死が遠のいただけ……」
クルーデは青龍偃月刀を構え直し、睨み据える。
しかし、その言葉に、弾九郎は静かに、しかし確信に満ちた声で返した。
「気付かないのか、クルーデ……貴様は、俺を討つ機会を永遠に失ったのだ。──貴様の言う『雑魚共』のせいでな」
ダンクルスが、鞘から静かに剣を引き抜く。
その刃には、無数の戦いの痕と、守り抜かれてきた者たちの想いが刻まれている。
「舐めるなよ、小僧……!」
クルーデの声音に怒気が混じる。
侮辱された者の、心を焚きつける火だ。
青き龍のごとく、威風堂々と立つグァンユは、再び全力で殺意を燃やす。
だが、弾九郎は一歩も退かず、淡々と言った。
「さあ……始めようぜ。俺も修羅になるからよ──」
その言葉が終わるよりも早く、世界が動いた。
雷光の如き速さ。
重装のオウガとは思えぬ疾駆。
空気を裂き、目にすら映らぬ刃閃。
戦場が静止したようだった。
味方も、敵も、誰一人として次の動きが見えなかった。
次に気づいた時には──。
ダンクルスは、グァンユの背後にいた。
そして、グァンユの巨大な肩部装甲が、鈍く轟音を上げて地に落ちる。
「き、貴様……」
わずかに震える声。
クルーデの視線が刃の軌道を追うことができなかった。
戦慄が、彼の脊髄を走る。
二十年以上。グァンユに敵の刃が届いたことなど、一度もなかった。
その絶対の防衛が、今まさに打ち破られた。
たった一閃で──。
ダンクルスが放ったのは、ただの速さではない。
それは、魂を研ぎ澄まし、守るべきものを背負った者の、決意の剣だった。
そしてクルーデは、その一撃に心が震える。
そして、今まで誰にも感じたことのない感情が芽吹いた。
──この男こそ、自分の渇きを癒す強者だ。
*
マルフレアは硬直する指先を必死に動かし、震える息を胸の奥へと押し込めた。視界の先には、二体の巨神が向かい合っている──来栖弾九郎とクルーデ。
まるで神話の中から抜け出してきたような存在。その激突を、彼女は真正面から見据えていた。
フォーダンの全身に伝わる微かな振動。それは機体の震えか、それとも自分の恐怖か。
初めて目にする、本物の『オウガ対オウガ』の戦い。しかも相手は、大陸でも屈指の猛者ふたり。
膝が震えるのも当然だった。正気を保っていられるだけで奇跡。だが、彼女は立っていた。
冷静を装いながら、理性の灯を必死に燃やし続けていた。なぜなら──信じていたからだ。『奥の手』が、この修羅場に現れることを。
「……もう始まってるのか」
その声は、救いの風のように背後から届いた。
「ヴァロッタさん!!」
マルフレアの声に応えるように、ツイハークロフトが現れる。
「さすが弾九郎殿。クルーデ相手に一歩も退いておらぬとは」
その隣にはザンジェラ。
「メシュードラ将軍!!」
さらに一体、そして──。
「信じられん……グァンユの装甲が落ちている……」
ファルシオンの姿も。
「ツェットさん!!」
ようやく揃った。彼女が信じて待ち続けた切り札──最強の三人。
ヴァロッタ、メシュードラ、ツェット。戦場で最も頼れる強者。
この三人が加われば、いくらクルーデが最強だろうと勝利は間違いない。
彼女はそう計算していた。いや、そう信じるしかなかった。
だが──戦場は、計画通りには動かない。
敵を削り、時間を稼ぐはずだったライガとクラットは早々に倒れ、もはや弾九郎とクルーデの一騎打ちが始まってしまっている。
焦りが、喉元を掴むように迫る。
「は、早く助けに入ってください! このままでは弾九郎様が──」
マルフレアの声に、ヴァロッタはゆるやかに首を横に振った。
「いくら軍師殿の命令でも、それは出来ねぇな」
彼の声は静かだが、断固としていた。
メシュードラも動かない。
「これは、弾九郎殿の戦い。我らが割って入るべきではない」
それは、敬意と誇りのこもった言葉だった。マルフレアはなおも縋るように、最後の一人、ツェットに目を向ける。
だが──彼女もまた、同じだった。
「私は弾九郎を信じている。だから、お前も信じるんだ。マルフレア」
「で、ですが……弾九郎様になにかあれば……!」
その言葉に、ツェットはわずかに眼光を鋭くした。そして、確信に満ちた声で言い切った。
「その時は、クルーデを生かしておかない。どんな手を使ってでも──必ず奴を殺す」
その言葉に、ヴァロッタとメシュードラが、まるで同じ魂を持つかのように深くうなずいた。
事前に示し合わせたわけではない。それでも、三人の覚悟は揃っていた。
それは戦士としての矜持。そして、同じ男を信じる者としての誓い。
──信じる。それが、今自分にできる唯一のことなのだ。
「──っ……!」
マルフレアは唇をきつく噛みしめ、戦場を見つめ直す。
これは来栖弾九郎という男を、最後の一瞬まで信じ抜く戦い。
ならば、今は祈ろう。ただ、彼が勝つと。
信じよう──彼ならば、勝てると。
*
今、ボタニ渓谷に集結したオウガで動ける機体は百十八。
だが、それは音もなく、まるで時が止まったかのように沈黙していた。
クルーデの直属部隊が三十二機。整然と並ぶ精鋭たち。
対するは、グリクトモア軍。下級兵二十八機、中級兵三十四機、上級兵二十機。
加えて、マルフレアのフォーダン、ヴァロッタのツイハークロフト、メシュードラのザンジェラ、ツェットのファルシオン。
三十二対八十六。数字で見ればグリクトモア軍の圧倒的優勢。兵の質も既に逆転した。もはや勝敗は決したと言っていい。
だが──誰一人、動かない。
百十八もの巨体が、沈黙したまま円環を造り、立ち尽くしている。その姿は、まるでリングを囲む石像のようだった。
その視線は、ただ一つの戦いへと注がれている。
クルーデの駆るグァンユ。そして、来栖弾九郎のダンクルス。
二機の戦いは、ただの決闘ではなかった。
この戦場において、勝者がどちらかで──全てが変わる。
容易には口を開けぬ緊張感。命のやり取りではなく、意志と矜持の衝突を前に、誰もがただ見守るしかなかった。
マルフレアは自らの胸に手を当て、脈打つ鼓動を感じながら思った。
この戦いが終わったときこそ、真の勝者が決まる。
数でも、階級でも、勢力でもない。
この渓谷における「勝者」とは、誰よりも強く、誰よりも信念を貫いた者のことなのだ──と。
風が静かに谷を吹き抜けた。その音だけが、沈黙を破る唯一の音だった。
お読みくださり、ありがとうございました。
マルフレアの策では、クラット、ライガ、弾九郎の三人がまずクルーデと対峙し、そこにヴァロッタ、メシュードラ、ツェットの三人を投入して、確実にクルーデを討つ手はずでした。
ところが、クルーデの力はマルフレアの予想をはるかに超えており、その計画は脆くも崩れ去ります。
さらに、後から現れた三人が参戦を拒否するという事態も、彼女の想定にはなかったことでした。
マルフレアはまだ、机上で戦略を描くことはできても、実際に戦う者たちの心までは読み切れていなかったのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




