表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
グリクトモア死闘編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/180

第86話 野性と知性

 森の奥にはまだ見えぬ守備隊のオウガが潜み、ツェットの命令を今か今かと待ち構えている──しかし、バルボたちの視界にそれは映らない。ただ、目の前のファルシオンが冷ややかな笑みを浮かべ、ゆっくりと、あざけるように手招きしている。それはまるで、「来い」と誘う死神の仕草だった。


「テメェら、やっちまえ!」


 バルボの怒号が響いた。だがその声は、怒りというより恐怖に裏打ちされた震えを帯びていた。鋼の刃を握るその手に、無理やり力を込める──疑念はあった。だが、咄嗟の判断ができるほど冷静ではなかった。わかっていたはずの罠に、自ら足を踏み入れてしまったのだ。


 兵士たちの間に、一瞬だけためらいが走る。それは静かな波紋のように広がり、誰もが一歩を踏み出すのをためらった。だが、勢いに任せて前へ出た者たちもいた。苛烈な緊張に押されるように、二十機がファルシオン目がけて突撃を開始する。


 そして、その瞬間──。


「なっ、なんだと!!」


 バルボの叫びが、静寂を裂いた。


 ツェットのファルシオンが立っていたのは、人の手によって意図的に掘り下げられた湿地帯のど真ん中。かつては浅い沼地だったその場所は、今や直径二百メートルに及ぶ人工の魔窟と化していた。黒く淀み、藻と雑草に覆われた水面が、不気味なまでに佇んでいる。その底は見えず、ただ、見る者の胸に「帰れない」という予感だけを深く刻む。


 突撃をかけた傭兵たちは、ほんの十数メートル進んだだけで足を泥に取られ、次々と腰まで沈んでいく。金属の軋む音が、もがき、抗う者たちの無力さを際立たせた。鋼鉄の巨体はその質量ゆえに、いったん沼に囚われればもはや逃れる術はない。生きたまま沈む感覚──それが兵士の精神を削っていく。


 それでも、数機のオウガが執念で前へ進んだ。なぜなら、彼らの目にうっすらと見えたのだ──沈められた一本の橋。コンテナを連結して造られた、わずかに浮かぶ細道。希望と錯覚が入り混じったその存在に気づいた者たちは、わずかな活路を求めて橋の上を駆けた。


 だが、その先にいたのは氷剣のツェット。幅わずか六メートル──逃げ場も回避の余地もない死線の上で、彼女は冷酷に待ち構えていた。その剣が一閃すれば、機体は音もなく橋から叩き落とされ、無情にも黒き沼へと吸い込まれる。


 ツェットには、致命傷を与える必要などなかった。ただ、一撃で均衡を崩せば、それで終わるのだ。


「ちぃっ!」


 結果、沼に自ら沈んだオウガ十四機。ツェットによって橋から落とされた六機。わずか数分の出来事で、バルボは更に二十機のオウガを喪失した。何も得られず、ただ損失だけを積み重ねたこの瞬間、彼の胸には今さらながらの焦燥と、遅すぎた後悔が舌打ちと共に渦を巻いた。


「バカが多くて助かるよ……」


 ツェットは唇の端をわずかに吊り上げ、乾いた声で呟いた。その顔に浮かぶ笑みは、勝者の余裕というにはあまりに冷たく、どこか哀れみすら含んでいるようだった。自分たちは微塵の損害もなく、対する敵のオウガは四十八機が戦闘不能。


 ──奴らはまるで舞台の上で操られる人形のようだ。


 この作戦を組み立てたのは、マルフレア。敵の性格、行動傾向、判断の癖までも徹底的に読み切ったその戦術は、もはや知略ではなく「精密な設計」だった。ツェットは思う。これは戦ではなく、処刑だったのだと。


「て、てめぇ!!」


 その声が、沼の向こうから響いた。バルボの怒号。血走った瞳がツェットをまっすぐに睨みつけているが、そこには怒りよりもむしろ、追い詰められた獣のような焦燥があった。


 気づけば、彼の周囲にはわずか三十二機のオウガしか残されていない。つい先程まで意気揚々と砦を目指した軍勢は、いまや半壊状態。数の上でも、士気の上でも、勝利などとうに潰えている。


 それでも、引き返すわけにはいかなかった。

 あの男──クルーデの前で大口を叩いた以上、今さら成果もなく退くことなどできるはずがない。敗北はすなわち、名誉の剥奪であり、存在の否定だ。だからこそ、せめて。せめて目の前の女だけでも討ち取らねば、自らの「剣の名」が泣く。


「汚ぇマネをしやがって……」


 言い放つバルボに、ツェットは目を細めて応じた。


「汚い? 何の罪もないグリクトモアを蹂躙したお前たちこそ、よほど汚いぞ」

「うるせぇ!! こうなったら俺と勝負しろ! 氷剣のツェット!」

「勝負? お前たちはもう、とっくに負けたのにか?」

「黙れ!! 俺は狼剣のバルボだ!! 妹のように、テメェの腹を割いてやる!!」


 その言葉に、ツェットの全身が一瞬硬直した。

 ティート──妹の死の真相──死因を知る者など、ほとんどいない。知っていたのは、現場を発見した村人と……犯人だけだ。


 ──なぜお前がそれを知っている。


 胸の奥で、氷のような疑念が静かに、しかし確かに広がる。


「……フフ……」


 ツェットは肩を震わせて笑った。いや、笑わずにはいられなかった。理解が、ようやく追いついたのだ。


「なに笑ってんだ! 頭がイカれちまったのか?」

「……いや」


 彼女の脳裏に、あのときマルフレアが静かに語った言葉がよみがえる。

 ──貴女の復讐を終わらせるために、出来る限りのことをします。

 それは、単なる慰めの言葉ではなかった。彼女は全てを知っていたのだ。調査し、検証し、そして「確信」した。ティートを殺した犯人が、まさに今、目の前にいるバルボであることを。


 だからこそ、彼女をここまで導いたのだ。この沼へ、この戦場へ、復讐を終わらせる「舞台」へと。


「……大したもんだよ、マルフレア……だったら──」


 ツェットは一歩、橋を進む。彼女の機体──蒼き巨人ファルシオンが、水面を渡る細道を静かに踏み締める。


「……その期待には応えなきゃ、な」


 そして、立ちはだかるのは灰色の獣ヴァーラン。

 大陸十三剣、氷剣と狼剣。戦歴に刻まれた名と名が、今、泥濘の大地で刃を交えようとしている。


(出てきやがった……この女……ククク)


 バルボの口元が、獣のように歪む。

 彼の思考は、すでに「勝負」ではなく「狩り」に切り替わっていた。氷剣ツェットと名高かろうが、戦場に孤立した一機など恐れるに足りない。背後に控える三十二機のオウガを使い、一気に包囲し、嬲り殺せばそれでいい。正々堂々の一騎打ちなど、最初から考えていない。

 ──これが戦場だ。名誉も仁義も、死んだ者には意味を成さない。


 だが、その浅知恵はツェットに見抜かれていた。彼女の目は冷たく、静かに戦況を見渡していた。

 相手が何を狙っているか──それはもう、手に取るようにわかる。

 勝利のためには手段を選ばぬ傭兵。自らもまた、その世界に身を投じてきた者だ。だからこそ先手を打つ。


「第一軍──出てこい!」


 その号令は、雷鳴のように戦場を貫いた。

 直後、バルボたちの背後。薄暗い森の奥から、三十機のオウガが整然と姿を現す。その動きには一糸乱れぬ統制があり、まるでひとつの生き物のようだった。


 だが、その実情は明白。戦力の内訳は、上級兵わずか四機、下級兵二十、工兵六。上級兵を除けばいずれも本格的な戦闘には不向きな兵ばかり。実力はバルボの軍勢には到底及ばない。だが、演出は十分だった。

 森の静寂を切り裂くように、守備隊は槍の石突きで盾を叩く。その音が、地の底から湧き上がる鼓動のように響き渡った。


「これから私は狼剣のバルボ一と騎打ちをする。それを邪魔しようとする奴がいたら──遠慮はいらん、殺せ」


 その言葉に守備隊の気勢がさらに高まる。武骨な咆哮が重く空気を震わせ、バルボの部下たちは思わず身を竦めた。


「第二軍と第三軍にも伝えろ。勝負の邪魔は絶対にさせるな!」


 ツェットの声に、空気が一瞬凍りつく。

 第二軍。第三軍。──当然、そんなものは存在しない。だが、バルボたちにそれを見抜く手立てはない。

 もしや、まだこの森の奥に六十機の軍勢が潜んでいるのではないか?

 包囲されているのは、自分たちの方ではないか?

 疑念は静かに、だが確実に兵士たちの心に根を張った。彼らの視線が森を泳ぎ、つい先ほどまでの勢いは影を潜める。


 バルボの歯ぎしりが、聞こえてくるようだ。


「ツェット……てめぇ……」


 その声に、ツェットは静かに笑った。敵意も侮蔑も、あるいは怒りすらない。ただ、事実を述べるかのように言葉を返す。


「どうしたバルボ? 一対一では勝つ自信がないのか? だったら、さっさと降伏しな」


 その挑発が、バルボの理性の残滓を完全に焼き払った。


「ぶち殺してやる!!」


 叫んだその瞬間、ヴァーランの両腕が持ち上がり、獣の咆哮のようなブースト音が大地を揺るがす。

 それは理性なき怒りの象徴。

 一方、ツェットのファルシオンは微動だにせず、ただ冷たい蒼の光を瞳に宿していた。


 そして──氷と牙が激突する、大陸十三剣同士の死闘が、幕を開けた。

お読みくださり、ありがとうございました。

オウガ本体にはブースターなどの機能は搭載されていませんが、脚部装甲にそれらの機能を備えたオウガも存在します。

これらは主に機動力を重視する機体に採用されており、推進に必要なエネルギーはオウガ本体から供給されます。

推進剤は大気から生成されるため補給の必要はありませんが、一度に使用できる量には制限があります。

このブースターは、バルボのヴァーランだけでなく、ツェットのファルシオンにも搭載されています。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ