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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
グリクトモア死闘編

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第85話 氷剣の慟哭

 ツェットは、繰り返し同じ夢を見る。週に二、三度、いや、多いときは連日。夜の帳が静かに降りた心の奥底、意識の隙間から、あの夢が忍び寄る。


 夢の中で彼女は、妹を探して彷徨っている。無音の世界に足音だけが響く。風もなく、空は薄墨色に沈み、まるで時間そのものが凍りついたよう。やがて、川縁にたたずむ小さな背中を見つける。遠く、淡く、しかし確かにそこに──。


「ティート……」


 名を呼ぶ。声は震え、風に攫われるように消える。そしてツェットは駆け出す。だが、地面を蹴る足は重く、前に進まぬ身体に苛立ちと焦燥が募る。伸ばした手は届かず、距離はいつまでも縮まらない。妹は振り返らず、まるで影のように揺れながら、ただそこに立っている。


 そして、目覚めたときには必ず、目尻に乾きかけた涙の跡が残っている。


 彼女の胸には、決して癒えない傷がある。妹を殺したのは、大陸十三剣の誰か──それを突き止めるために、ツェットは血の匂いが消えぬ旅を続けている。


 復讐は、彼女の魂を支える唯一の灯火だ。だが、たとえ仇を討ったとしても──ツェットの悔恨が消える日は来ないだろう。夢に現れる妹の姿が、永遠に彼女の心を縛り続けるのだから。


 ツェットはその身を自分のオウガ、ファルシオンに委ね、完全に一体化した。大地の振動が自らの鼓動となり、冷たい金属の冷気が血液の熱と混じり合って四肢を駆け巡る。視界は拡張され、眼前には森林と荒野が広がる。

 しかし、その壮麗な光景の片隅で、昨晩の言葉がさざめくようによみがえる。出発直前、マルフレアが投げかけた言葉──。


「貴女の事情を私は理解しているつもりです。ですが、それでも復讐に生きるというのは止めた方が良いと思いますよ」


 マルフレアの声は、思ったよりも冷静だった。闘志を咎めるのではなく、ただ遠くから手を差し伸べるような響き。


「私にどうしろと? 忘れてしまえば……許してしまえば……一体誰が救われるというのか? ……そんな生き方は出来ない」


 言葉は荒々しくも、どこか哀惜の色を帯びていた。思い出すだけで胸の奥が締め付けられる。あの日の冷たい川縁の記憶、妹の震える声、そのすべてが鮮やかに、痛切に。


「それも分かります。ですから私は、貴女の復讐を終わらせるために、出来る限りのことをします」


 マルフレアの瞳には覚悟が灯っていた。ツェットはほんの一瞬だけ、胸の中の氷が溶けるのを感じた。


「それは頼もしいことだな……仇が誰かもわからないのに……」

「そうですね……ただ、忘れないでください。復讐を果たしたとしても、貴女の心が救われるわけではありませんよ」


 言葉は優しく、それでいて残酷な真実の刃を孕んでいた。ツェットは背を向け、息を吐く。


「それは……覚悟している」


 その声には、痛みと覚悟が同居していた。だが、他に道はない。ツェットの心は静かに燃えている。


「本懐を遂げた後、なるべく早く、違う生きがいが見つかることを祈っています」


 それだけ言い残し、マルフレアは静かに去っていった。その背中を見送る間、ツェットの胸には冷たい疑念が波立つ。なぜ、今この期に及んで──。確かに、自分は復讐に囚われている。妹の仇を討たねば、先へは進めない。だからマルフレアが、復讐の先の「新しい生きがい」を語るのは、どうにも場違いに思えた。


「変な女だ……」


 ファルシオンの心臓のように心を鎧で固めながらも、言葉の刃はじわりと深く刺さる。付き合いが浅いせいか、マルフレアの事はよく知らない。ただ、貴族の令嬢然とした装いとは裏腹に、その頭脳から出てくる策略は冷徹で合理的であった。ヴァロッタから「クルーデと戦う」と聞いたとき、ツェットは「どうかしている」と思った。しかし、弾九郎の武力と彼女の智謀を目の当たりにした今は、疑念ではなく確信へと変わっている。自分達はきっとクルーデを撃ち破るだろう──と。


 そして思考は復讐へと戻る。妹の仇──大陸十三剣の残りは十人。その中からメシュードラ・レーヴェンは既に外された。ヴァロッタの言う通り、あの男は妹の仇ではない。残るは九人。そのうち三人がこの戦場に現れる。ファルシオンの脚部から伝わる振動に乗せて、攻略のシナリオが頭の中で展開していく。


「三人が消えれば、残りは六人だ──ティートの仇に近づける」


 ファルシオンの「目」に、敵の影がひとつ、またひとつと映り込む。ツェットの内側で、失われた妹への思いと、復讐への冷徹な計算が交錯し、青いシナプスのように閃きをもたらす。ファルシオンの意志は驚異的な精度で連携し、次の攻撃プランを鋭く描き出す。


「来たか……」


 胸に宿る決意は、未来への不安も含めて、冷たい鉄よりも硬く、熱い焔よりも激しく燃えていた。


 *


 アデム砦は、アイハルツ山脈の東端に連なるアデム山の裾野に不自然に張り付いている。無数のコンテナが斜面を覆い尽くし、ところどころに鉄柵が張り巡らされている様子は、遠目には重厚な要塞を思わせる。しかし近づけばわかる。その「壁」はただ置かれているだけで、何ひとつ防衛機能など備わっていない。砦の頂に掲げられた戦旗がひるがえり、まるで五十ものオウガが並ぶように、無機質な鎧がずらりと並べられている。だがその鎧は空洞だ。人はおらず、音ひとつせず、まるで亡霊だけが守っているかのようだった。


 麓にはささやかな湿地、その先に広がる深い森。森の切れ目からは荒野が遠く見え、小丘や小さな林が入り交じる地形が続く。ツェット率いるアデム守備隊──上級兵四機、下級兵二十機、工兵六機の計三十機──は、その森を背に一列に並び、黒い影が近づくのを待っていた。


 狙いは単純だ。あえて自らを晒し、敵の矛先を誘導する。敵に攻撃箇所の選択肢を与えない。それこそがマルフレアの練り上げた戦術の第一手だ。


 そして敵の一団、八十一機のオウガが目の前に姿を現した。


「クク……マジかよ……ファルシオンじゃねぇか。いきなりツェットとやれるなんて、ツイてるぜ!」


 バルボ・アルベルは、ツェット・リーンと対峙できる日を、ずっと待ち望んでいた。

 かつて傭兵の合間に手がけた凶行──ライヌリッシュ王国の辺境の村で野盗として暗躍し、無垢な娘たちを次々と陵辱し無慈悲に命を絶った。その中に氷剣のツェットの妹ティートがいたと知ったのは、ずっと後のことである。そして、姉ツェットが妹の仇を必死に追っているという噂を耳にしたとき、バルボの胸には得も言われぬ高揚が走った。復讐に燃える相手を返り討ちにし、深い屈辱を刻みつけて葬る──その歪んだ行為こそが、バルボにとって最上の興奮をもたらす。そして今、その悪夢のような願望が現実のものとなろうとしている。


「さあ、狩りの時間だぜ!」


 バルボの咆哮とともに、傭兵たちが森へ雪崩れ込む。鋭い金属の擦れ合う音、乱れ飛ぶ枝葉──彼らにとって戦いは獲物を追う猟犬のような本能行動であり、戦術の影など微塵もない。


「よし! 始めるぞ!」


 ツェットの声が森に響くと、守備隊のオウガたちが有機的に動き出した。彼女の号令は的確で、部下たちはまるでひとつの意志を共有しているかのように、迷路めいた樹海へと散っていく。


 もし指揮官が傭兵のバルボではなく正規軍の将官であったなら、まず罠の存在を疑っただろう。しかしこの男にとって戦いとは、ただ破壊と殲滅をもたらすのみであり、戦術という概念は皆無だった。


 森は三十メートルを超す針葉樹が天を貫く林で、枝が絡み合って薄暗い迷宮を形づくっている。だがマルフレアの策士としての才覚は、そこを「戦場」ではなく「武器」へと昇華させていた。切り倒された木々は獣道のような小径を生み出し、ところどころに意図的な分岐を生む。追撃本能に駆られた敵たちは、その道を疑うことなく進むしかない。


 その先に待ち受けていたのは──まるで地の底が口を開けたかのような、直径十五メートル、深さ三十メートルにも及ぶ巨大な落とし穴だった。鬱蒼とした森の中、足を一歩踏み出した瞬間、地面が低く唸りを上げる。地鳴りとともに足元が崩れ落ち、侵入者の身体は抵抗も許されぬまま、暗黒の奈落へと吸い込まれていく。


 落下の衝撃が抜ける間もなく、頭上から鈍く重い音が響いた。森林迷彩に巧みに溶け込んでいたコンテナの壁が、どこからともなく現れたオウガによって音もなく倒され、穴の口を密閉する。まるで生きた罠がその獲物を確実に仕留めるかのように。コンテナの中にはぎっしりと岩石が詰められており、それを押しのけて脱出することはオウガの力を持ってしても不可能。落ちた時点で、運命はすでに決まっていた。そこに残されたのは、もはや無力という現実のみ。


 この森に姿を消したオウガの数、二十八機。彼らは一様に、音すら残さぬ静寂の底へと沈んでいった。風に揺れる木々の葉擦れすらも、今は遠く、虚ろに感じられる。まるで森全体が呼吸をひそめ、獲物を待つ捕食者のように沈黙している。


 バルボをはじめとする残存部隊は、その異様な静けさに言いようのない不安を覚えていた。何が起こっているのか、どこで仲間たちは消えたのか──一切が霧の中だった。ただひとつ確かなのは、濃く湿った緑の匂いが、どこまでも冷たく鼻孔を刺激し、じわじわと心を締めつけるということだけだった。


 一方、鬱蒼たる森を辛うじて抜け出したのは五十三機──その視界の先、広がる湿原の中央にたった一機、異様な存在感を放ちながらファルシオンが佇んでいた。雲ひとつない青空の下、その鋼の機体は太陽に照らされたまま静止し、まるで戦場そのものの象徴のように、不気味な沈黙を守っている。

お読みくださり、ありがとうございました。

森の中には、まるで障害物のように無数のコンテナが散らばっており、侵入してきた敵はそれらを乗り越えながら進軍していました。

落とし穴を塞いだコンテナは、他の障害物に紛れていたため、それが罠であったことには気づかれませんでした。

この森はまさに、バルボたちにとって囮と罠が巧みに仕掛けられた、非常に危険な侵攻ルートだったのです。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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