第81話 盃を砕く
重く沈黙した空気が支配する、マルフレアの作戦室。円卓の奥深くに鎮座するのは来栖弾九郎。その眼差しは鋼のごとく冷たく、だが燃えるような決意を宿していた。彼の右手にはメシュードラ・レーヴェン、ヴァロッタ・ボーグ、クラット・ランティス。左手にはツェット・リーン、ライガ・ライコネン、そして軍師、マルフレア・フォーセインが座す。マルフレアを除けばいずれも一騎当千の戦士たち。ここに揃った七人は、明日の運命を左右するグリクトモア軍の首脳陣である。
この部屋に充満するのは、言葉にはできぬ緊張と期待、そしてわずかな恐れ。皆、それを表に出すことはない。だがそれぞれの胸中では、戦の重みが確かに響いていた。静寂の中、弾九郎の低くよく通る声が場を切り裂いた。
「それでは、最終的な配置を確認する──」
グリクトモア軍が有する戦力、それは計百六十六機のオウガ。だが、その数字の背後にあるのは混沌とした実情である。内訳は、グリクトモア正規兵が二十八機、グリシャーロット軍五十二機、傭兵三十六機、魔賤窟の用心棒二十五機、工兵十八機、そしてこの場にいる首脳陣が各一機、計七機。
雑多な出自の兵たちは、まさに烏合の衆に見えた。彼らを一つの軍とするため、戦争準備の最初に行われたのは「選別」だった。単にオウガを操縦できるだけでは戦力とは呼べない。戦場では、生死を分けるのは技術と覚悟。そしてそれは、訓練によって初めて測れる。
工兵の十八機は、元々土木作業用に使われていたもので、戦闘に加わることはない。実際に選別対象となるのは百四十一機。その中から、実戦を想定した厳密な試験によって兵は三階級に分けられた。
──上級兵。三十四機。彼らは一対一、あるいは三対二でもクルーデの熟練傭兵と渡り合える猛者たち。その姿には、自信と不敵さが宿る。
──中級兵。四十二機。数で優位を得なければならないが、それでも戦場において十分に価値を持つ。
──下級兵。六十五機。命令には従うが、彼らを前線に立たせるには不安が残る。だが、背後を支える存在として無視できぬ数でもある。
それが、グリクトモア軍の現実であった。理想とは程遠い布陣。それでも、この七人の将が明日を勝ちに変えなければ、彼らに未来はない。
作戦室の空気は、まるで深海のように重たかった。息を潜めるように座す首脳たちの中で、マルフレア・フォーセインは無言のまま円卓の地図に目を落とす。鋭利な眼差しは、静かに、だが確実に戦の未来を見据えていた。
彼女の掲げた基本戦略──それは敵軍の戦力を分断し、確実に各個撃破するというものだ。真正面からの正義や栄光ではなく、勝利という一点に絞った冷徹な計算。そのために彼女が選んだのは、グリクトモア城の南東十五キロにある山岳地帯への砦の建設だった。
山岳地帯の主峰、アデム山に築かれた砦は、山肌に喰らいつく獣の巣のように存在していた。無数のコンテナが積み上げられ、まるで鉄と鉄とで編まれた鱗のように要塞を覆っている。その周囲を取り巻く森林は、自然が与えた防壁。見た目には粗末だが、戦略上は極めて重要な位置だ。
二拠点に軍を分けたことで、敵であるクルーデ軍は単純な進軍が困難となる。もし彼らがグリクトモア城へ全面的な攻勢をかけたとしても、アデム砦から増援が挟撃すれば、それは死地へ自ら足を踏み入れるようなもの。兵力で優っていたとしても、挟撃の苦しみは避けられない。勝利の天秤は、たやすく傾くだろう。
──それを、クルーデほどの戦士が見抜かぬはずがない。
マルフレアはそう確信していた。敵もまた歴戦の兵、安易な判断などしない。彼らが選ぶであろう最も現実的で効果的な策──それは「同時攻撃」だ。グリクトモア城とアデム砦の双方を一挙に攻めることで、援軍による挟撃の芽を摘む作戦。戦力は分散せざるを得ないが、リスクの芽を潰せるなら、それは十分な価値がある。
いや、それだけでは終わらない。
クルーデであれば、軍勢をさらに三分するはずだ。それぞれの拠点に一軍ずつぶつけ、そして残る主力は、より厄介な──言い換えれば、ダンクルスが現れる拠点へと集中投入する。決して無謀ではない。むしろ慎重でありながら、着実に勝機を狙う手だ。それこそが、歴戦の兵にふさわしい。
マルフレアの指は地図の上をなぞる。視線の奥には緊張と興奮、そしてほんのわずかな不安が宿っていた。これが正解とは限らない。だが、ここまで読み合いを重ねてきた彼女には、確信にも似た予感があった。
──来る。奴らは、そう動く。
そのときこそ、こちらの策が火を噴く。
作戦室の空気が再び張り詰めた。静かに、しかし重く通るマルフレアの声が、冷たい空間に火を灯すように響く。
「最新の情報では、敵軍に大陸十三剣が三名加わっています。一人は──乱剣のデュバル・ボルグ。もう一人は虐剣のテミゲン・コナハン。そして……最後に名を連ねたのが、狼剣のバルボ・アルベル」
その名を聞いた瞬間、円卓の空気がわずかに揺れた。凍てつくような沈黙の中に、静かな闘志が湧く。それぞれが名を知る猛者たち。誰もが、そう簡単には勝てぬ相手であることを理解していた。
「敵のオウガは総数二百四十八機。おそらく十三剣のうち二名が、それぞれ一軍を率いてくるでしょう」
ツェット・リーンが、真っすぐにマルフレアを見据える。その瞳には燃えさかる炎が宿っていた。
「誰が、どこに来るのか。予測はついたのか?」
彼女もまた十三剣の一角。その名に懸けて、誰よりも知りたかったのは、自らが討つべき敵の名だった。
「適正から推測すると……グリクトモア城に来るのは虐剣のテミゲン、アデム砦には狼剣のバルボと見て間違いありません。一軍の規模は、いずれも七十から八十機──」
「ということは……クルーデの手元に残るのは百機前後か」
弾九郎の呟きは、地図に鋭く落とされた視線と共に発せられた。重々しく、しかし確かな手応えを感じさせる声音だった。敵軍を分断し、残された主力に自らの全戦力を叩き込む──その形さえ作れれば、勝機は十分にある。
「今回の戦で、我々にとって最も有利なのは──クルーデさえ討てば、それが『勝ち』であるという点です」
マルフレアの言葉に、全員が黙って深く頷いた。忠義でも信念でもない。金と欲望で繋がった集団に過ぎぬクルーデ軍。主を失えば、砂のように崩れるだろう。
その瞬間、弾九郎は立ち上がり、作戦図の上に小さなコマを一つ、また一つと置き始めた。コマには各将の名が記された小さな旗が掲げられている。
「グリクトモア城の守備には、上級兵六機、下級兵十四機、工兵十二機の計三十二機。主将は──ヴァロッタ・ボーグ」
「おう、任せてくれ。テミゲンは……必ず俺が殺る!」
ヴァロッタが立ち上がり、胸を拳で叩いた音が部屋に響いた。その顔には血気盛んな笑みが浮かんでいる。だがその裏には、命を賭ける覚悟がはっきりと見えた。
「きっとだぞ、ヴァロッタ」
弾九郎の言葉は短くも深く、仲間としての信頼が滲んでいた。
「次。アデム砦には、上級兵四機、下級兵二十機、工兵六機。計三十機。主将はツェット・リーン」
「わかった。バルボは──私が仕留めよう」
静かに立ち上がったツェットの声は鋭く澄んでいた。誰よりも冷静に見えたその眼差しに、内に燃える激情を知る者は少ない。
「ツェット、お前は強い。だが、決して無理はするなよ」
その言葉にツェットは、わずかに目を伏せ、小さく頷いた。感情を表に出さぬ彼女の、その一瞬の沈黙が、覚悟の重さを物語っていた。
「残りの軍は俺が率いる。副将はメシュードラ・レーヴェン」
「ははっ!」
メシュードラは立ち上がり、拳で胸を叩く。その声には誇りと忠義、そして使命感が込められていた。
「左翼にクラット・ランティス、右翼にライガ・ライコネン」
「はっ!!」
二人が同時に立ち上がり、敬礼のように拳を胸に打ち付けた。その一糸乱れぬ動きに、静かな絆が感じられる。
弾九郎がゆっくりと右手を挙げる。
「──皆、杯を持て」
七人の前に置かれた陶器の盃。それに注がれているのは、清水。だがそれは儀式の酒以上に、純粋な「決意」を意味するものだった。
「死力を尽くして敵を撃ち破れ」
その一言が雷のように響き渡り、全員が一斉に盃を掲げる。
「では、各々の武運を祈る!」
一気に干された水。空になった盃が、次々と床に叩きつけられる。陶器の砕ける音が、まるで戦端を開く雷鳴のように、作戦室の四方に響いた。
無言で立ち去る者たちの背に、光は差さない。ただ背中に背負うものがあるからこそ、誰も迷わなかった。
──次にこの七人が再び顔を揃えるのは、すべてが終わった後だ。
それが、勝利の宴になるか、それとも敗北の悔恨か。それを決するのは、今この瞬間から始まる「戦」そのものだった。
お読みくださり、ありがとうございました。
クルーデのもとには二百五十八名の傭兵が集結しましたが、グリシャーロットおよびシエリス村で弾九郎たちによって破壊された十機のオウガは修復が間に合わず、今回の戦いには参加できませんでした。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




