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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
七将集結編

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第80話 嵐の前

 シエリス村の空が夜の帳に包まれる頃、南東の地平から、四機のオウガがコンテナを曳きながら轟音を響かせて到着した。

 ひとつのコンテナには、白衣の医師と看護師たちが乗り込んでいた。傷ついた村人を救うための、移動医療施設である。

 その先頭に立っていたのは、双眸を冷たく光らせる、軍師──マルフレアであった。


「ぜ……全員を、グリクトモアに避難させるのですか……?」


 村長ステフはその提案に、目を見開いた。

 あまりに突然で、あまりに大きな話だった。


「ここに留まっていれば……また奴らが来るかもしれん」


 弾九郎の声は低く、責めるように自分に向いている。

 マルフレアがそれを受け継ぐように、淡々と説明を続けた。


「少し狭くなりますが、コンテナには全員が収容可能です。手荷物は最小限でお願いします。まずは命を、最優先に」

「……ありがたきお言葉……」


 ステフは何度も頭を下げ、生き残った村人たちに避難を呼びかけに走った。

 家を、土地を、家族を──すべてを奪われた者たちにとって、差し伸べられたこの救いの手は、まるで神の導きにも等しかった。


「これで、準備は……整ったな」

「はい。村人全員が揃い次第、すぐに発てます」


 空には、満天の星が散っていた。

 遠くで燃え尽きた家々から、まだほのかに煙が立ちのぼっている。戦場の夜は、静かで冷たい。


 その時だった。マルフレアが唐突に、弾九郎を呼び止めた。


「……弾九郎様。大切なお話がございます」

「……ん? なんだ」


 二人はフォーダンのコンテナへと足を向けた。内部は無人、作戦用の地図をランプの灯が淡く照らしている。


 マルフレアは一度深く息を吸い込み、それから静かに口を開いた。


「ミリアさんから伺いました。弾九郎様が、異変を知るや否や、即座に村へ向かわれたと──」


 その声には怒鳴りなどなかった。だが、確かな怒りと、哀しみと、苛立ちが混ざっていた。

 弾九郎にはすぐに分かった。これは、自分の軽率な行動を責めているのだ。


「……急ぐべきだと思った。それだけなんだ」

「そこにいたのは、虐剣のテミゲンと、十機のオウガ。……もし仮にそこに、クルーデ本人と百機のオウガがいたら、どうされるおつもりでした?」


 弾九郎は答えに詰まった。


「……それは……クルーデを討ち取る……」

「随分と勇ましいお言葉ですね。もし、あなたお一人で全ての敵を相手できるのなら──我々は不要だということでしょうか?」

「ち、違う! そんなことは決して……!」


 言い訳にもならぬ否定を叫んだ。

 弾九郎の顔に明らかな動揺が走る。マルフレアの怒りは、彼の想像を遥かに超えていた。


「お訊ねします、弾九郎様。あなたは前世でも、数多の戦場を駆けてこられたと伺いました。戦が始まる前、なにか異変があった場合──どう対処されていましたか?」

「……それは……物見を出して……様子を探る」

「では、その物見は総大将が務めていましたか?」


 沈黙が落ちる。

 弾九郎は、言葉を失っていた。

 この時初めて、自分が犯した過ちの重さを自覚した。


「……否。務めぬ」


 その言葉は、小さく、深い悔恨に満ちていた。


「弾九郎様。あなたは、グリクトモアの総大将です。あなたの命は、もはやあなただけのものではありません。あなたが倒れれば、我々は──グリクトモアの人々は、誰を頼ればよいのですか?」


 マルフレアの双眸が、鋭く弾九郎を射抜いた。

 だがその奥には、怒りを超えた、深い憂いと想いがあった。


「……申し訳ない。俺が……」


 弾九郎は膝に手を置いたまま、声を絞り出すように頭を垂れた。

 その背に、マルフレアは静かに一言を落とす──。


「死に急いではなりません、弾九郎様。──将とは、最後まで生き抜くことが責務なのです」


 静かに、だが確かに刻み込むように。

 弾九郎は、その言葉を胸に、深く、深く噛み締めた。


「……わかった。もう二度と……こんな真似はせん。二度と、だ」


 マルフレアの叱責が静かに幕を閉じると、夜の帳の中、弾九郎たちはシエリス村を後にした。

 焼け跡に残る煤の匂いと、泣き声の余韻を背に、村を離れる一歩一歩が、弾九郎の胸に重く沈んでいく。

 背負った戒めと、果たすべき誓い──それらを胸に、来栖弾九郎は再び歩みを進めた。


 *


「来栖弾九郎とは……それほどの男か……」


 石造りの重厚な壁に囲まれた砦の会議室。灰色の空から射し込むわずかな光が、戦塵にまみれた長卓に陰影を落としている。クルーデは頭を拳に乗せた姿勢のまま、沈黙のなかで幹部たちの顔を順に見渡していた。会議室にただならぬ緊張が張りつめる中、テミゲンの低く抑えた声が空気を切り裂いた。


「あれは……紛れもなく怪物です。以前、デュバルさんが身を引かれたのは……賢明な判断だったと、今ならよくわかります」


 その一言に、部屋の空気がわずかに揺らいだ。重苦しい沈黙のなか、デュバルは目を閉じ、腕を組んだまま深く頷いた。かつて三十機のオウガを率いながら、たった三機の敵に蹴散らされたその敗北は、屈辱として幹部たちの記憶に刻まれている。だが今、テミゲンの冷静な評価が、その過去にわずかな正当性を与えていた。


「……デュバルの言い分も、あながちフカシじゃなかったってことか」

「そ、そうだぜクルーデさん。あのクラットですら、あいつと少しやり合っただけで……もう、ボコボコにされてたんだ……」


 部屋の隅にいた乱剣のデュバルが、思い出すだけで身震いするように言葉を吐いた。声には恐怖と、そして戸惑いが混ざっていた。


 クルーデはわずかに眉を動かし、拳の上から鋭い眼差しを窓の外へと向けた。荒野の彼方、薄い霞の向こうにある未だ見ぬ敵。その姿を想像しながら、静かに思考を巡らせる。

 大陸十三剣──この二人が口を揃えて「バケモノ」と称するのならば、もはや疑う余地はない。来栖弾九郎とダンクルス、その実力は確かに本物だ。


「おそらく、我々の中で弾九郎を倒せるのは……クルーデ様だけでしょう」


 テミゲンの言葉は平伏でも媚でもない。ただ事実を冷静に並べたに過ぎなかった。しかし、その静かな断定には、戦士としての揺るぎない信頼がにじんでいた。


 それを聞いて、クルーデは──ニヤリと唇を吊り上げた。

 自分は、大陸最強の傭兵。名声も、財も、すべて手に入れてきた。だが、強すぎるがゆえに近年は戦いがただの「作業」と化していた。大陸十三剣と呼ばれる者たちも、蓋を開けてみればただの小粒。グリクトモア殲滅も、ひとつの興趣すら湧かない虐殺に過ぎなかった。

 だが──来栖弾九郎。

 その名を思い浮かべた瞬間、クルーデの胸の奥で何かが蠢いた。乾いた大地に雨が降るように、退屈という名の空洞が、未知の戦慄で満たされていく。


「──いいじゃねえか。ようやく退屈が終わる」


 クルーデの口元が歪む。歓喜でも怒気でもない、狩人が血の匂いに気づいた時のそれだった。


 *


 そして時は流れ、明日──クルーデが予告した「その日」がついに訪れようとしていた。空は鉛のように重く、風さえも音をひそめる午後。マルフレアの作戦室には、静かな緊張が漂っていた。部屋の中心に設置された円卓を囲むように、弾九郎たちはそれぞれの席に着いていた。誰一人として無駄口を叩く者はいない。壁際に立つ地図と作戦図が、明日の激戦を無言で告げていた。


「人々の避難は……もう終わったのか?」


 弾九郎の問いかけは低く、しかしはっきりと響いた。彼の視線はテーブルの一点に注がれたまま。まるでその奥に、見えない戦場を見据えているようだった。


「はい、ほとんど完了しました。残る一便で全員が脱出します」


 応じたのはマルフレアだった。彼女の声には疲労がにじんでいたが、それでも確かな使命感がその言葉に宿っていた。


 グリクトモアの人口──およそ四万二千。マルフレアは三週間という限られた時間の中で、グリクトモア城の西、二十キロ先の山岳地帯に緊急避難所を築き上げた。老人、女性、子供たち。戦えぬ者を優先し、時間をかけて少しずつ、着実に移動させた。その慎重さが功を奏し、今や民間人の犠牲は最小限に抑えられようとしていた。


「……では、ミリアもその便で行くのだな」


 弾九郎がそう言って視線を向けたのは、部屋の片隅で静かに立っていた少女だった。ミリアは一歩前に出て、小さくうなずいた。


「うん。あっちのことは……私に任せて。だから、ダン君も……」


 一瞬、彼女の声が震えた。それでも笑みは崩れない。

 その小さな背中を見送りながら、弾九郎は胸の奥に、抗い難い痛みを覚えていた。

 あの笑顔の裏に、どれほどの緊張があったか──考えるだけで、胸が痛んだ。けなげすぎる、その微笑み。


「……頼むぞ」


 弾九郎の声は、ほんのわずかに柔らかくなった。だがその裏には、彼女を戦場に送り出すのと同じほどの覚悟が潜んでいる。


 ミリアは単なる少女ではない。彼女は、この三週間でグリクトモアの人々の「象徴」となった。

 戦火におびえる避難民のなかで、彼女が見せる明るさ、献身、そして真摯な振る舞いは人々の心をつないだ。

 ──あの子がいる限り、私たちは大丈夫だ。

 そんな信念すら芽生えていた。それはマルフレアが緻密に築いた擬似信仰であり、同時に、ミリア自身の人徳の結果でもある。

 とりわけ、同世代の子供たちにとって、ミリアは「希望」の化身だった。世界が壊れてもなお信じるに足る存在。その瞳を見れば、何かが守られる気がした。


「それでは、ミリアさん。避難所の方は我々の代表として……あなたにお任せします」


 マルフレアの言葉は丁重だったが、そこには深い信頼があった。ミリアは小さく頷き、背筋を伸ばして作戦室を後にした。


 扉が静かに閉まる音が響いたあと、再び沈黙が部屋を支配した。


 まだ日は高い。昼下がりの淡い光が窓から差し込み、机上の地図を照らしている。城塞の中には、すでに多くのオウガが集結していた。彼らは日没と共に、命を賭した一手を打つだろう。


 嵐の前の静けさ。誰もがそれを肌で感じていた。

お読みくださり、ありがとうございました。

マルフレアはミリアから異変の知らせを受けると、ただちに斥候用のオウガを派遣しました。

その後、狼煙による報告で状況を把握し、救援軍の準備を中止して、医療団の手配を急がせました。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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