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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
七将集結編

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第74話 戦火の胎動

 オロロソ家は、大陸の主要都市に支店を構え、長年にわたり銀行業を通じて広大な金融網を築いてきた。重厚な石造りの支店の窓には、季節を問わず陽が差し込み、煌びやかな金貨の流れが絶えることはなかった──かつては、である。


 バート王がグリクトモアと他支店との往来を封鎖してからというもの、状況は一変した。新たな融資の道は閉ざされ、顧客たちは次第に不安を募らせ、やがて他の金融機関へと流出していった。かつて誇った繁忙の空気は今やどこか遠い記憶のように感じられる。支店には返済された現金が虚しく積み上がり、使い道もなく、まるで凍りついた時の中に放り込まれたようだった。


 しかし、オロロソ家の真に恐るべき力は、手元の現金ではなかった。それは、彼らが長年をかけて積み上げてきた莫大な数の債券である。まるで見えざる鎖のように、幾多の国や企業を縛り付けるその債券こそが、財閥としての本質であり、力の源泉だった。


 そしてそれこそが、バート王の狙いであった。オロロソ家が滅びれば、各地の債務者たちは、今ぞとばかりに契約を反故にし、負債を踏み倒すだろう。だが、もしその債券をヤドックラディ王国が受け継いだならば、話は別だ。国家の名のもとに管理される債権には、誰も軽々しく背を向けられない。


 とはいえ、王の権限が及ばぬ他国に軍を送り、債券を強引に回収することは現実的ではなかった。苛立ちを押し殺し、焦燥に歯を食いしばりながら、バート王は策を練る。まるで凍った盤面を睨みつける棋士のように。そうして編み出されたのが──クルーデを使った脅迫という手段であった。


 クルーデがグリクトモアに下した勧告は、まさに威圧そのものだった。「一ヶ月以内に、全土から債券を回収し、すべて差し出せ」と。その声は、法の言葉ではなく、もはや命令であり、警告だった。金融という静かな世界に、暴風のような政治の意志が吹き荒れた瞬間だった。


 クルーデがグリクトモアに与えた「一ヶ月」の猶予。それは単なる通告ではなかった。むしろ、それは彼自身にとっても不可欠な猶予期間であった。見せかけの猶予の裏に隠されたのは、冷徹に計算された準備のための時間──まるで、嵐の前に風を溜めるように。


 クルーデの手足となるのは、ムースのような傭兵ブローカーたちが各地からかき集めた、剣と血の匂いを身にまとった歴戦の傭兵たちである。彼らは、戦場を渡り歩き、報酬のためなら命すら切り売りすることを厭わない男たちだった。一戦ごとに三百ギラ以上──それは並の戦士では到底手の届かない額だが、それでも彼らは黙って剣を握る。金の重みを知り尽くした者たちにしか持てない、眼の奥の冷たい光。その視線を、クルーデは好んだ。


 しかし、いくらクルーデとて全員をすぐには掌握できない。彼の傭兵たちは今も、広大な大陸の各地で血を流し、戦場の中を駆けていた。ある者は山岳の砦を攻め、ある者は荒野の村を守り、またある者は敵味方の区別も曖昧な乱戦に身を投じていた。命を削る者たちを一箇所に集めるには、それ相応の時間が必要なのだ。


 クルーデはそれを理解していた。そして、同時に信じていた。彼らが必ずやってくることを。まるで飼い主の呼び声に応じて舞い戻る狩猟犬のように、鋭利な刃と銭袋を手に、彼らは自分の下に集う。彼の心には不安も焦りもない。あるのは、嵐が来るとわかっていて、その到来をじっと待つ男の沈黙だけだった。


 この「一ヶ月」は、敵に与えた最後の猶予であると同時に、クルーデという男が自らの軍勢を完璧な形に仕上げるための静かなる助走でもあった。


 *


「クルス……ダンクロー……それが奴の名か」


 砦の一室。石造りの厚い壁が静かに外界の音を遮っていた。冷えた空気が満ちるその部屋で、クルーデは重厚な椅子にもたれ、部下の報告に耳を傾けていた。室内は簡素ながら整然としており、机の上には地図と書簡が山のように積まれている。燃えさしの暖炉が、かすかな光と温もりを灯していたが、クルーデの瞳には一切の感情が浮かばなかった。


 報告の内容は、グリシャーロットで乱剣のデュバル率いる一隊を蹴散らした黒いオウガ──ダンクルスの正体である。クルーデの眉がわずかに動く。部下の声は次第に熱を帯び、戦闘の詳細を伝えようとするが、彼はそれを手で制した。興味の焦点は既に、ただの名に集約されていたのだ。


「グリクトモアが……戦うつもりになったとはな」


 呟くようにそう言った時、クルーデの口元がゆっくりと吊り上がる。冷たい笑み。だがそれは喜劇の仮面ではない。むしろ、長い間無風だった湖面に突如として石が投げ込まれ、波紋が広がるような、沈黙を破る予兆だった。


 オロロソ家の債券回収、そしてグリクトモアの殲滅。それがバート王から密かに下された任務の全貌だった。淡々とした事務仕事、血の通わぬ金の計算──そんなものは、クルーデにとっては砂を噛むような退屈でしかなかった。


 だが、金額だけは桁が違った。二十万ギラ。王が用意したこの巨額は、もはや戦争の規模そのものである。国家事業、いや、大陸を揺るがす火種と言ってもいい。クルーデの名声を利用するため、バート王は法外な額を注ぎ込んだのだ。


 クルーデは心中で「確かに、これには動かざるを得ないな」と、ぼやいた。だが、金に動かされて出向くというだけでは、彼の心には火が点かなかった。それでも彼を目覚めさせたのは、グリクトモアが剣を取ったという報せである。


 それは虐殺ではない。反撃の意思を持つ敵が現れたということだ。つまり──戦争になる。


 その予感に、クルーデの血がわずかに沸き立つ。鋼の匂い、叫び声、命の重さと軽さが交錯する混沌。そこが、彼が最も生を実感できる「仕事場」なのだ。金で動く傭兵としての仮面の下には、戦場を愛し、破壊の中に意味を見出す男の素顔があった。


 クルーデは椅子からゆっくりと立ち上がると、窓の外に目をやった。吹き荒れる風が、戦の匂いを運んでくる。眼差しはどこか遠くを見ている。彼は無意識に、腰の剣の柄を軽く叩いた。冷たい金属の感触が、思考に鋭さを与える。

だがその奥では、既に斬り結ぶ未来の幻影が、赤く、熱く、燃え始めていた。


 グリクトモアからの最新の報告書は、分厚い紙に綴られ、クルーデの前に静かに差し出された。報告書を受け取るとき、彼は一瞬、部下の目を見た──その目の奥にわずかな恐れがあるのを確認すると、何も言わずに顎で下がらせた。

 彼は椅子にもたれかかったまま、それを片手で掴み、淡々と読み進めていく。しかし、次第に眉が動き、口元が吊り上がる。長らく冷め切っていた目の奥に、微かな熱が宿りはじめていた。


 内容は驚くべきものだった。グリクトモアはすでに城壁の修繕を終え、さらに大規模な要塞化を進めているという。それだけではない。南東十五キロ、ボタニ川流域の山岳地帯、アデム山の中腹に、新たな砦の建設が進んでいる。前線を意識した明確な防衛線の形成。そして極めつけは、グリシャーロットとの軍事同盟──その守備隊長、ライガ・ライコネンが自らグリクトモアへ赴いたという報せ。


 敵は──本気だ。


 報告を読み終えたクルーデは、低く、息を吐くように笑った。これこそが望んでいた展開だった。単なる抵抗ではない。明確な戦意を持つ敵。しかも、その準備は速く、組織的で、想定以上に大胆だ。これを前にして、彼の戦士としての本能が騒がぬはずがない。


「敵が優れていればいるほど……破る悦びは深くなる」


 呟きながら立ち上がり、窓際へ歩み寄る。曇天の空が重く垂れ込め、戦を予感させるような風が砦の中庭を吹き抜けていた。


 敵のオウガは百機──数ではこちらが圧倒的に優位だ。しかし、来栖弾九郎という男の元には、ヴァロッタやメシュードラがいる。ならば、容易には崩れまい。だがそれがいい。無様な消耗戦では意味がない。洗練された防御を、真正面から叩き潰す。そういう戦が、何より楽しい。


 その時、報告の続きが口にされた。


「それで……敵側に、一人、強力な助っ人が付いたって話です」


 クルーデは一瞬だけ肩越しに視線を向けた。「強力?」と短く問い返す。


「ツェット・リーン。氷剣のツェットです」


 その名を聞いた瞬間、クルーデの表情が変わった。瞳が見開かれ、椅子が不自然な音を立てて後方へ滑った。彼は一気に立ち上がり、声を荒げずに訊き返す。


「……それは本当か? ブラフじゃないのか? あの女が、こんな場所に顔を出すはずが……」

「いえ、間違いありません。奴のオウガ『ファルシオン』が動いているのを、こちらの斥候がはっきり目撃しました。メセル・ヴェニーの戦のとき、あなたが目を付けていた、あのツェットです」


 一瞬、クルーデは沈黙する。だがその顔には戸惑いも恐れもなかった。代わりに、深く、残酷な笑みがゆっくりと浮かぶ。


「そうか……あの冷血女が……これは、いよいよ愉快になってきたな」


 そのときだった。部屋の扉が乱暴に開け放たれ、ひときわ粗野な声が飛び込んできた。


「ツェットだって!? そいつはぜひ俺にやらせてくれよ!」


 入ってきたのは、血に飢えた狼のような風貌の男。その目は既に戦場を見据えていた。部屋の空気が、一瞬で鋼のように張り詰める。

お読みくださり、ありがとうございました。

バート王がクルーデのために用意した資金は二十万ギラにのぼり、これは現在の貨幣価値に換算するとおよそ二百億円に相当します。

さらに、今回の作戦には追加で十万ギラ以上が投入されており、合計で三十万ギラもの巨額が動いています。

この資金はすべて、王がグリクトモアから徴収した財産を原資としており、ヤドックラディの国庫からは一切費用が出ていません。

三十万ギラという金額は常識では考えられない規模ですが、バート王が奪取した資産総額は一億ギラを超えるとも言われており、王にとっては痛くもかゆくもない出費です。

なお、本命とされる債券の総額は、少なく見積もっても十億ギラを下らないと予想されています。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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