第73話 光剣と若獅子
ライガの叫びに、マルフレアは満面の笑みを浮かべた。
その微笑みは、冷たく澄んだ湖面のように静かでありながら、確かな勝利の光を湛えている。
──この瞬間を待っていた。
ここで自分達の武威を存分に示すことができれば、グリシャーロットとの盟約は揺るぎないものとなる。
そして、その役目を果たすに最もふさわしい男が、今この場にいる。
「グリシャーロットの武の象徴、ライガ・ライコネン様の申されること、誠にごもっとも。その雷名、既に大陸中に轟き、誰もが崇敬の念を抱いております」
思いがけない激賞に、ライガはわずかに頬を赤らめた。
その顔には、まだ若者らしい青さが残る。だが、そこには確かな誇りもあった。
武の道に生きる者として、鍛錬を怠った日は一日たりともない。
事実、グリシャーロットにおいて彼の剣に抗える者は、もはや誰一人として存在しなかった。
──だが、それは本物の「最強」ではない。
ライガは知っている。この広大な大陸には、自分以上の猛者たちが蠢き、牙を研ぎ、血を滾らせていることを。
自分はまだ、狭き井戸の中にすぎない。もっと高みへ、もっと深く──心のどこかで、そう焦がれていた。
そんな自分の存在を、目の前の美しき特使──マルフレアは確かに認め、尊重してくれた。
それがたとえ半ばお世辞だったとしても、ライガの胸にはじんわりと温かなものが広がっていた。
「ですが──」
マルフレアの声色が、ほんのわずかに引き締まる。
「お望みの来栖弾九郎は、この場にはおりません。しかし──我らが誇る武は、必ずや皆様のお眼鏡に適うでしょう」
その言葉に合わせ、マルフレアは手を差し伸べるように一歩引いた。
そして、すっと前へ進み出た影があった。
メシュードラ・レーヴェン。
純白のマントに包まれたその若者は、鋭く研ぎ澄まされた刃のような気配を纏っていた。
静かながらも、肌を刺すような緊張感が、空気をひりつかせる。
メシュードラは膝を折り、深々と頭を垂れた。
「不詳ながら、私──メシュードラ・レーヴェンが、我が主に代わりましてお相手を務めさせていただきます」
その声音は低く、しかし確かな自信と誇りを宿していた。
広間に漂う空気が、ぴんと張りつめる。
今、この場にいる全ての者が、本能で感じ取っていた。
──これから始まるのは、ただの試し合いではない。
剣と剣、魂と魂の真剣勝負なのだと。
*
ライコネン家に設けられた練兵場。
ここは、オウガ同士が実戦さながらの鍛錬を行うための場所だ。
踏み固められた大地は、長年の激闘を物語るかのように乾ききり、雑草一本すら根を張れない。
まるで、戦いこそがこの地を浄化してきたかのように。
そこに、今──二機のオウガが向かい合っていた。
一方は、白磁のように滑らかな装甲をまとい、黄金の縁取りがまばゆい光を放つ、芸術品とも見紛う機体──ザンジェラ。
その立ち姿には、一分の隙もない。
まるで磨き上げられた一振りの刃、そのものだった。
対するは、燦然たる黄色に彩られ、獅子のような堂々たる兜と、鉄壁の鎧を纏った巨躯──ガオウ。
ただそこに在るだけで、見る者の胸を圧する圧倒的な存在感。
牙を剥く獣の如く、今にも地を蹴り裂き、獲物に飛びかかりそうな猛々しさを漂わせている。
練兵場の入口に設けられた観戦台では、議員たちが固唾を呑み、身を乗り出してその刻を待っていた。
重い沈黙があたりを支配する。誰もが、この一戦が持つ意味を理解していたのだ。
「大陸十三剣と戦えるとは、光栄の極みだ。で、決着はどう付ける?」
ガオウに乗ったライガは笑った。
心の奥底で燃え上がるものを抑えきれず、思わず口元がほころぶ。
血が滾る。胸が高鳴る。
──ようやく、自分を試せる相手に巡り合えた。
ライガの問いに、ザンジェラに乗るメシュードラは、静かに、しかし確固たる意志を込めて応じた。
「どちらかが負けを認めたら──それで終わり。いかがかな?」
その声は澄みきっていた。雑念も、恐れも、一片も感じられない。
対話でありながら、既に刃を交えるが如き緊張が二人の間を満たしていく。
「だったら──俺は負けねえな」
ライガは言葉と共に、腰の両側に差した刀を抜き放った。
細く、薄く、流麗な反りを持つ──まるで日本刀を思わせる二振りの剣。
長さも重さも揃ったその刃は、まさしく雌雄剣。互いを補い合い、一対の存在として完成されている。
「双刀使いか……」
メシュードラが低く呟く。
ただの感想ではない。彼の瞳には、わずかな警戒の色が浮かんでいた。
二刀を操る者は珍しくはない。
だが、真に使いこなす者は一握りだ。
双刀は一撃の重みを失う代償に、速度と手数を極限まで高める。
弱点を補い、長所を伸ばす。達人ともなれば、相手に反撃の隙すら与えぬまま、戦いを終わらせるだろう。
──この男、只者ではない。
ロングソードを握りしめながら、メシュードラの中にわずかな興奮が沸き上がる。
胸の奥、どこか凍りついていた部分が、熱を帯びていくのを感じていた。
そして、誰よりもそれを待ち望んでいたのは、他ならぬメシュードラ自身だった。
「いくぞッ!」
ライガの怒声が練兵場に響き渡る。
ガオウが爆ぜるように地を蹴り上げ、両手に構えた双刀を牙のように突き出しながら、雷霆の如き勢いでザンジェラに襲いかかった。
対するメシュードラは、瞬時に盾を放った。
銀色の盾が唸りを上げ、飛来する双刀を弾き飛ばす。
だが彼は盾を拾い上げることなく、ロングソードを両手で掴み直す。
──真っ向勝負。
観戦台に陣取る議員たちの目が、ひときわ鋭さを帯びた。
メシュードラの意図は明白だった。防御に徹し、隙を突く戦いではない。
剣と剣、力と力。互いの武を、真正面からぶつけ合う。
この一戦が、ただの腕試しなどではないことを、誰もが理解した。
「いいのかい? 盾を拾わなくても」
挑発気味に問うライガに、メシュードラは微笑だけを返す。
「お気遣いなく──」
瞬間、ザンジェラが地を蹴った。
巨大なロングソードが、空を裂くような唸りを上げて横一文字に振り抜かれる。
その一撃を、ガオウは紙一重でかわした──かに見えたが、すぐさま切り返し、別方向から振るわれる二撃目。
重量剣とは思えぬ速度。
ライガは必死に身を翻し、二刀を交差させて受け止めようとするが、一刀では受けきれず、衝撃に体勢を崩した。
(これが……大陸十三剣……!)
心臓が握りつぶされるような感覚。
恐怖にも似た昂揚感が、全身を駆け巡る。
これまで味わったことのない、圧倒的な武の奔流。それがメシュードラだった。
ガオウは後方へ跳び退き、ようやく間合いを取った。
ライガの額から、想像上の汗が滴り落ちる。
オウガの中にいても、己の身体は臨戦の熱に曝され、沸き立つような衝動に震えていた。
「さすが……『光剣』の名は伊達じゃねえ……」
プライドは砕けた。だが、魂は燃え上がっていた。
──こんな相手と、戦いたかった。
これほどの剣士と、己を賭してぶつかり合えることの歓喜に、ライガの胸は打ち震えた。
「どりゃああぁぁ!!」
雄叫びとともに、ガオウが地を這うような低姿勢で突進する。
狙いは、ザンジェラの下半身──この剣の暴風を支える盤石の土台だ。
そこを断てば、勝機は生まれる。
だが、メシュードラは即座に対応した。
ロングソードを地に突き立て、柄を支点にして逆立ちする。
ライガの双刀が剣を叩くも、ザンジェラの全体重を受け止めたロングソードは微動だにしない。
──だが、諦めるか!
ライガはなおも刃を振るい、不安定なメシュードラを崩そうとする。
しかし、彼は静かに言葉を漏らした。
「狙いは悪くない……」
ふわり、と。
ザンジェラはその巨体に似合わぬ軽やかさで、ロングソードを持ったままバク転した。
完璧な着地──その瞬間を狙い、ライガが猛然と斬りかかる!
今度は、なりふり構わぬ怒涛の連撃。
ガオウの両刀が閃光となって襲いかかり、ザンジェラは防御一辺倒に追い込まれる。
重厚なロングソードで受け止めるメシュードラも、次第に押され始め──ザンジェラの装甲に傷が走った。
(──いける!)
ライガの心に勝機の兆しが灯る。
全身全霊を込め、渾身の一撃を叩き込もうとした、そのときだった。
メシュードラが、唐突にロングソードを手放した。
「今だッ!!」
叫び、振り下ろすライガ。
だが、その瞬間、ザンジェラの左脚が薙ぎ払うように炸裂した。
──ドゴォォン!!
ガオウの巨体が、爆発したように横へ吹き飛ばされた。
地を抉り、煙と土埃を撒き散らしながら転がる。
轟音と共に叩き込まれた蹴撃は、オウガの緩衝機構すら貫いた。
内部の衝撃吸収装置が悲鳴を上げ、なおも伝わってきた爆発的な衝撃が、ライガの意識を一瞬で暗闇に沈めた。
──時間が、止まった。
次に目を開いたとき、そこにあったのは鋭く煌めくロングソードの切っ先。
まるで時間差で届いた現実に、ライガの胸に重く冷たいものが落ちた。
勝敗は、既に決していた。
「……俺の……負けだ……」
しぼり出すような声が、震えながらも確かに空気を震わせた。
その瞬間、観戦台を埋める議員たちが一斉に立ち上がった。
惜しみない拍手が、場を満たす。
それはただの敗者に贈られるものではない──死力を尽くし、誇り高く敗れた者に対する、最大限の敬意だった。
ザンジェラのハッチが開き、メシュードラが静かに姿を現した。
彼はガオウの肩に乗るとハッチを開かせ、ライガに手を差し伸べた。
「其方は強い。──ザンジェラにここまで傷を負わせた者など、そうはおらぬ。グリシャーロットの名誉は、十分に守られた」
その声には、偽りのない賛辞が込められていた。
ライガは震える手でその手をしっかりと掴んだ。
温もりと重みが、敗北を乗り越えるための力となった。
「……ありがとう。俺は、俺自身の未熟さを知ることができた……」
拳を握りしめる。
この敗北は屈辱ではない──未来への糧だ。
メシュードラはわずかに微笑み、静かに告げた。
「我が主に会うといい。きっと、多くのことを学べるはずだ」
「来栖……弾九郎……」
ライガは呆然と呟いた。
この男より強い者が存在するなど、にわかには信じがたい。
しかし、心の奥底では──理解していた。
あの剣気の遥か向こうに、さらに高みがあることを。
「……信じられないな……アンタより強い奴がいるなんて……」
そう呟きながらも、ライガはメシュードラに支えられ、重い一歩を踏み出した。
二人は肩を並べ、観戦台へと向かう。
視線の先には父、ライオスがいた。
立ち尽くすその姿に、ライガは真っ直ぐ言葉を叩きつけた。
「親父殿──ご覧の通り、俺は負けた。だが、確信した。グリクトモアの武は本物だ。だから、共に戦おう! 俺は、弾九郎様の下で、もっと、もっと強くなってみせる!」
言葉のひとつひとつに、ライガの魂が宿っていた。
ライオスは一瞬、沈黙した。
やがて、静かに立ち上がり──胸を張った。
「それでこそ、我が息子! グリシャーロットを背負い、来栖弾九郎殿と共に、敵を打ち破るのだ!」
雷鳴のような声が、場を震わせる。
その宣言に、議員たちは再び立ち上がり、惜しみない拍手を送る。
そこにあったのは、勝者敗者の隔たりを超えた、ひとつの誇りだった。
──こうして、グリクトモア=グリシャーロットの軍事同盟は、ここに成立した。
お読みくださり、ありがとうございました。
マルフレアはライガの過去を事前に調べ上げ、剣歴と師匠の名をまとめてメシュードラに提示しました。
メシュードラはそれをちらりと見ただけで、「問題ありません」と即答します。
その言葉を受け、マルフレアは安心してライガとの対決を委ねました。
彼女はライガの性格を見抜いており、すべてがこの展開になるよう周到に準備していたのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




