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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
七将集結編

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第71話 波濤の議場

 グリシャーロット漁業組合の本部棟、その最上階に設けられた会議室。

 大きな窓からは、春の光が静かに差し込み、床に柔らかな影を落としている。しかし、その穏やかな光とは裏腹に、室内に漂う空気は重苦しかった。並み居る議員たちの顔には、困惑と憂慮が交錯し、硬い沈黙が支配している。


 ここに集う者たちは組合員によって選ばれた評議員であり、グリシャーロット自治国の命運を預かる立場にある。

 議員席の中央、ひときわ目立つ位置に座するのは、漁業組合の議長にしてライコネン家当主、ライオス・ライコネン。

 白髪を交えた髪をきちんと撫でつけ、精悍な顔立ちを崩すことなく、静かに議員たちの様子を見守っていた。その眼差しは深い海のように澄んでおり、何事も軽々しく言葉にしない覚悟を湛えている。


 ライオスは代々続く家訓に従い、自ら主導して議会を動かすことを慎んでいた。議員たちに徹底的に議論を尽くさせ、合意に至ったときのみ、それを認める。ただ、どうしても意見が割れ、結論が出ないときだけ、自らの裁定を下す──それが彼の矜持だった。


「グリクトモアからの使者、だと……」

「今さら何の話があるというんだ……」

「まだ、何かを期待しているのか……」


 小声で交わされる議員たちの囁きは、室内にひび割れたような緊張を走らせた。

 ここ数ヶ月、グリクトモアから寄せられた救援要請は数知れない。

 軍事支援、物資支援、難民受け入れ、人道的援助──次々と寄せられる声に対し、グリシャーロットは、冷たくも毅然とした態度で応じ続けた。


 断るしかなかったのだ。

 宗主国ヤドックラディ王国の現王、バート・ゴーレイによる圧力。

 グリシャーロットがグリクトモアに与するなら、ただちに自治権を剥奪し、敵対勢力と見なすと、脅迫めいた最後通牒が突きつけられていた。


 本来ならば、グリシャーロットはグリクトモアに恩義がある。

 街の基盤を築くため、グリクトモアは莫大な資金と技術を惜しみなく投じてくれたのだ。その恩を思えば、真っ先に手を差し伸べるべきだった。しかし、現実は理想を許さなかった。

 己の国を、己の民を守るため、涙を呑んで拒絶を繰り返すしかなかった。


 胸の奥底では、誰もが自らを責めていた。

 裏切り者の烙印を押されても仕方がない。だが、弱小国家である自分たちに、クルーデとの戦火を耐え抜く力はない。現実と誇りの狭間で、彼らは声を殺して呻き続けてきた。


 それなのに、またグリクトモアから使者が来たという。

 救いを求める声か、それとも──最後の恨み言か。


 議員たちの表情に、重苦しい影が差す。

 この国は、彼らは、何もしてやれない。だが、それでも──対話を拒むわけにはいかなかった。

 誠意だけでも示さねばならない。たとえ、それが慰めにもならないと分かっていても。


 会議室に満ちる、痛ましいほどの沈黙。その中で、ライオスは静かに立ち上がった。

 彼の瞳には、誰にも見せることのない深い悲しみと、国を守る者としての決意が、影のように宿っていた。


「特使様が入られます」


 衛兵が重厚な声で告げると、厳かに議場の扉が開かれた。

 春の陽光を背に受け、二人の使者が静かに足を踏み入れる。


 一人は、漆黒の髪をゆるやかに波打たせ、瑠璃色に輝く豪奢なドレスを纏った女性。

 その佇まいは、まるで失われた王家の血筋を今に伝えるかのような威厳と気品に満ちている。

 もう一人は、銀の髪を持ち、鍛え抜かれた体に隙なく正装をまとった男。彼の動作には一分の無駄もなく、ただそこに立つだけで、由緒ある貴族の矜持を語っていた。


 華美すぎる一行に、議員たちはざわめきを呑み込んだ。

 思わず背筋を正しながら、彼らは目を細める。──こんな人物たちが、はたしてグリクトモアにいただろうか?

 過去に訪れた特使たちは、皆、野ざらしの野花のように素朴で、疲弊と絶望を身にまとっていた。

 だが、この二人にはそれがない。煌めく存在感に満ち、圧倒的な「違和感」をまとっている。


「このたびは、こうして面会の機会を賜り、誠に感謝申し上げます」


 特使の女=マルフレアは会議室の中央に進み出て、静かに、しかし明瞭に頭を下げた。

 その声は鈴のように澄み渡り、沈んでいた議場の空気をわずかに震わせた。


「特使殿。我がグリシャーロットは、グリクトモアとは血を分けた間柄。話をしたいと望まれるならば、何度でも場を設けましょう。……しかし、これまでも申し上げたとおり、我々には、貴国に手を差し伸べる術はありません。その点、どうかご理解ください」


 ライオス・ライコネン議長が、深い苦悩を押し隠しながら、堂々たる声で応じる。

 彼の言葉の一つ一つには、重い覚悟と、断腸の思いが滲んでいた。

 その背後に控える息子、ライガ・ライコネンは、父の背中ににじむ痛みを察し、己の拳を強く握りしめた。


「──私どもが本日こちらへ参ったのは、何かをお願いするためではございません」


 マルフレアは微笑み、告げる。


「グリシャーロットを、救うために参りました」


 一瞬、会議室全体が呼吸を止めた。

 次いで、抑えきれぬざわめきが起こる。

 議員たちは互いに顔を見合わせ、困惑と不信を隠せない。

 あの絶望の国、首に縄をかけられたようなグリクトモアが、救うだなどと──正気の沙汰とは思えなかった。


「皆様が驚かれるのも無理はありません」


 マルフレアは一歩進み出ながら、静かに続ける。


「ですが、情勢は常に移り変わるもの。かつての栄華も、いまや風前の灯火。皆様の繁栄も、例外ではありません」

「──それは、グリクトモアの話だろう!」


 一人の議員が声を上げた。怒りにも似た、怯えを帯びた声だった。


 しかし、マルフレアは微かに唇を歪め、まるで見透かすように言葉を返した。


「確かに、グリクトモアは滅びの淵にあります。──クルーデなる者の率いる傭兵団により、三週間後、全面攻撃が行われると通告を受けました」

「……三週間、だと……?」

「そんなに、切迫していたのか……」

「噂話程度だと思っていた……!」


 議場に衝撃が走る。

 グリクトモアの滅亡が時間の問題であることは皆、知識として理解していた。

 だが、それが「あと三週間」という現実を突きつけられた途端、どよめきと恐怖が奔った。


「そして──」


 マルフレアは一拍置き、議場の全員を見渡す。


「グリクトモアの領主、テルヌ・オロロソは、大義のため、民の未来のために、戦う決断を下しました」


 議場が揺れた。

 耳を疑う思いだった。

 クルーデ──あの伝説の傭兵に、勝ち目もない戦いを挑むなど、狂気の沙汰。

 グリクトモアに戦力など残されていない。まともな兵も、武器も、もうほとんどないはずなのに。


 だが、たった一人だけ──ライガ・ライコネンだけが、胸を高鳴らせていた。

 悪に立ち向かう正義。理不尽に屈せず、尊厳を賭けて剣を取る者たち。

 それは、彼が幼い頃から憧れ続けた「武人」の生き様そのものだった。


 ──俺も行きたい。

 ──たとえ一人であっても、グリクトモアのために剣を振るいたい。


 熱い衝動が、若き心を灼き尽くさんばかりに渦巻いた。

 だが、同時に冷たい理性が、それを押し留める。

 自分は、父の背中を支え、将来グリシャーロットを率いる者だ。

 感情のままに剣を取ることは、許されない。


 ライガは、父の背後に立ったまま、苦しみの中で唇を噛み締めた。


「……皆様が疑問に思われることも、ごもっともです」


 マルフレアは語り続ける。その声は力強く、議場をしっかりと支配していた。


「ですが、情勢は変わりました。なんと、グリクトモアに──奇跡がもたらされたのです」


 重く張り詰めた空気の中、誰もがその言葉の続きを待った。

 沈黙が、痛いほどに場を支配する。


 控えていた銀髪の従者、メシュードラは、マルフレアを見つめながら心の内で舌を巻いた。

 ──やはり、この女は只者ではない。

 揺るぎない自信、戦略家としての冷徹さ、そして何より、運命を切り拓く力強さ。

 彼は静かに確信していた。この場に立つにふさわしい「力」を、彼女は持っている、と。


「ひと月ほど前、アヴ・ドベック王国とナハーブン王国との間で戦闘があったことは皆様ご存じかと思います」


 議場に重苦しい静寂が流れる。古びた大理石の床に、議員たちのわずかな身じろぎが微かな音を立てた。天井の高窓から差し込む陽光が、舞う埃を金色に照らし、沈鬱な空気をより一層濃くする。


 この世界では、時折新聞が発行される。不定期とはいえ、紙面を通じて各国の動乱を知ることは可能だった。ここに居並ぶ老練の議員たちも、マルフレアの口にした両国の戦争については、それなりの知識を持っていた。だが、続く言葉に、彼らの胸の内には一抹のざわめきが生まれる。


「大陸最大と謳われるマーガ三兄弟率いる傭兵団を雇い、ナハーブンが圧倒的な勝利を収める──誰もが、そう信じて疑いませんでした。しかし──」


 空気がわずかに震えた。皆が思い出す、あの予想だにしなかった結末を。


「忽然と現れた漆黒のオウガによって、マーガ三兄弟は屠られ、ナハーブンは大敗を喫したのです」


 その瞬間、議場の空気は氷のように張り詰めた。

 メシュードラは、静かに目を伏せる。瞼の裏に浮かぶのは、あの日の光景。黒く、凶暴に、そして奇跡のように大地を駆けた存在。彼の剣の一閃を思い出すだけで、胸の奥が熱く疼く。


「その漆黒のオウガの主こそ来栖弾九郎。目覚めたばかりの異界人にして、最強の武人」


 議場にどよめきが広がった。

 木造の壁が振動するかのようなざわめき。来栖弾九郎──その名は、いくつかの記憶にうっすらと残っていた。しかし、彼が「異界人」であるという事実は、誰一人知らなかった。


「そして来栖弾九郎はつい先日、とある縁でグリクトモアに現れ──この国の惨状を知ったのです」


 驚愕と緊張が混じりあう。

 無防備に口を開けた議員たちの顔が、次の言葉を待つ。


「全てを諦め、滅亡を受け入れようとしていたテルヌ・オロロソを、弾九郎は叱咤しました。そして、クルーデは自分が討つと宣言したのです。──これが、今、グリクトモアに起こった奇跡です」

お読みくださり、ありがとうございました。

グリシャーロットの評議会は、漁業組合から七名、飲食業・物流業・商社など町の暮らしに関わる業種で構成される町会組合から三名の議員が選出されて構成されます。

ただし、評議長の座だけは例外で、ライコネン家による世襲制が取られており、選挙は行われません。

これは、グリシャーロットの土地および漁業権の大半がライコネン家の所有にあることによるものです。

もっとも、代々の当主は議会を私物化することを厳しく戒められ、中立的な立場を守るよう厳しく教育されています。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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