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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
七将集結編

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第67話 氷剣の奥義

 テントの前、乾いた土を太陽が真上から照りつける。影は地面にほとんど溶けてしまい、照り返しの光が砂塵の粒を煌めかせていた。正午。すべての動きが一度静止するような、重くて鈍い時間。だが、今この場所だけは例外だった。


 空気が、張り詰めている。

 対峙するのは、一人の女と一人の少年。年齢も体格も釣り合わぬ二人の間には、しかし確かな火花が散っていた。木刀を構える彼らの周囲には、いつの間にか人だかりが出来ていた。昼休みに入った作業員たちだろう。彼らは弁当に手も付けず、ただ息を潜め、戦いの幕開けを待っている。


「私は手加減出来ない性格なんだ。それでもいいのか?」


 ツェットの声は静かで、しかし凍てつくように鋭かった。これは警告ではない、宣言だ。

 その言葉に、弾九郎は一歩も退かず、まるで時間すら止めるような静けさで言葉を返す。


「殺す気で来い。でなければ勝負にならんぞ」


 木刀を握る手には一切の迷いがなかった。

 ツェットは小さく舌打ちを漏らし、わずかに腰を落として構える。その姿は、今にも獲物に飛びかかる獣のようだった。


 ──女性という理由だけで、何度軽んじられてきただろう。

 その度に、彼女は血と汗で証明してきた。

 力でしか通じ合えない連中には、同じやり方で返すのが一番手っ取り早い。

 そして今、目の前に立つのは子供。自分の胸元あたりまでの背丈しかない、少年。

 だが、その瞳に映るものだけは、歴戦の兵と同じだった。


 気づけば、観衆の中にもざわめきが走っていた。何も言わないが、皆その緊張を肌で感じ取っている。


「ヴァロッタさん、いいんですかこんなことさせて……」


 マルフレアが、そっとヴァロッタの裾を引いた。声は小さいが、その目には戸惑いがにじんでいた。

 自分の常識では測れない何かが、ここで起きようとしている。

 これから共に戦おうという仲間同士が、いきなり木刀で命を賭けるような真似をするなんて、信じられなかった。


「いいんだよ、軍師殿。俺達はああいうやり方でしか分かり合えない人種なんだ」


 ヴァロッタの言葉はどこか誇らしげな響きを含んでいた。


「では、ヴァロッタさんも弾九郎様と戦われたのですか?」

「俺? 俺の場合はパンチ一発で失神したからな。勝負になんなかったよ」


 ヴァロッタは朗らかに笑った。自分が一方的にやられた話なのに、どこか楽しそうだ。そこには弾九郎への深い敬意が滲んでいる。

 それを聞いて、マルフレアは引きつった顔を浮かべた。

 異星人──それが彼らを形容する一番しっくりくる言葉だった。

 常識も秩序も通じない。だが、奇妙なことに、そうした者たちがこの戦場では「信頼されるべき者たち」であるらしい。


 そして今、その信頼の本質が、目の前で示されようとしていた。


「どうした? 遠慮は要らんぞ」


 弾九郎の言葉を合図に、戦いは始まった。乾いた空気に、乾いた衝突音が連続する。

 木刀が打ち合うたび、まるで空間そのものが震えるような音が鳴った。


 ツェットの動きは猛禽そのもの。

 その一撃一撃に、一切の躊躇はない。むしろ獲物を仕留める確信に満ちていた。

 連撃、蹴撃、肘打ち、膝蹴り、拳の打ち込み、背面への回り込み。

 その全てが訓練されたものではなく、戦場で自然に磨かれた殺すための動き。

 木刀はもはや形式に過ぎず、あらゆる肢体が武器と化している。


 一方の弾九郎は、ほとんどの攻撃を受け流し、時に紙一重で身を捌いていた。

 目は冷静だった。相手の隙、呼吸、軌道、筋肉の動き……すべてを観察している。

 だが、完璧な防御とはいえ、反撃の糸口は掴めない。

 あまりに手数が多く、密度が高い。まともに防げば身体がもたない。


(これが……戦場で鍛えられた剣か……!)


 風が渦を巻いた。

 砂煙が円を描き、視界が閉ざされる。ツェットの一撃が、真横から叩きつけられた。

 弾九郎がそれを受け止めた瞬間、足元が沈んだ。衝撃で地面が裂け、埃が舞う。


 観衆からどよめきが起きた。


 ツェットが間合いを取り、荒い呼吸を整える。額には汗が滴り、背中はうっすらと湯気を立てていた。

 だがその眼光は一点を射抜いている。弾九郎の、ただ一つの隙を。


「すげぇ……。やる奴だとは思ってたが、ここまでとはな……」


 ヴァロッタは思わず息を漏らした。

 圧倒的な力で戦場をねじ伏せてきた弾九郎。その彼が、いま押されている。しかも完膚なきまでに。

 そんな姿を目にするのは初めてだった。


 だが、それでも──いや、だからこそ、ヴァロッタは確信していた。

 このまま弾九郎が負けるはずがない。

 まだ「奥」を見せていないのだ。あの男には、まだ底がある。


 そして、それはツェットも同じように感じ取っていた。

 眼前の少年、その奥にひそむ本物の気配を。


(何だ……この子供……いや、違う。これは、戦士だ……)


 まるで滝に向かって剣を振るっているようだった。激しい水流に刃が届かず、ただ空を斬っているような、そんな感覚。

 ツェットの目にはそう映っていた。


 初撃、二撃、三撃──。最初の数合こそ彼女には余裕があった。子供相手に本気を出すのは大人気ないと、どこかで手加減していた。だが、その余裕はすぐに崩れた。


(……まるで吸い込まれる)


 打ち込むたび、彼の気配が沈んでいく。怒りも、焦りも、歓喜すらない。ただ静かに、深く、まるで湖の底のように沈んでいる。


 何かがおかしい。何かが違う。


 そう思ったときには、もう引き返せなかった。ツェットの全身全霊を込めた連撃が始まっていた。木刀だけではない。拳、膝、踵──戦場で磨いたあらゆる殺傷手段を駆使し、間断なく叩き込む。


 だが。


(手応えが……ない!?)


 滝の流れに石を投げ込んでも、水面が一瞬揺れるだけ。そう、まさにそれだ。どれだけの力で叩き込んでも、そこには反応がない。揺らがず、崩れず、ただ立っている。あまりにも無風。無音。無抵抗。

 恐ろしさすら感じた。


「くはぁっ……! はぁ……はぁ、はぁ……っ」


 ついに攻撃は止まり、ツェットは大きく間合いを取った。荒い呼吸のまま、低く、重心を落とす。まるで獲物に襲いかかる寸前の獣のように。

 それは彼女の戦いの本能が導いた、自然体の防御姿勢だった。


「凄まじい……おい、ヴァロッタ! こいつ、何者だ?」


 弾九郎の口から漏れた声には、汗と驚きが滲んでいた。

 その音色は今まで聞いたことがない。あの男が、動揺している──それだけで、周囲にいる者たちも息を呑む。


「そいつはな、大陸十三剣の一人……氷剣のツェットだ。十三剣のうち、すでに二人を討ってる女さ」


 楽しそうに口元を吊り上げながら、ヴァロッタが答える。その目は、完全に「勝負の観客」のそれだった。


「……そうか。メシュードラと同じ、十三剣……しかも……中でも格上……いや、もしかすると、最強かもしれんな……」


 弾九郎はじっとツェットを見つめる。その瞳の奥で、何かが静かに燃えていた。


 女でありながら、ここまで身体を、技を、魂を鍛え上げた者。

 そこに至るまで、何千、何万の研鑽を積んだのか──その過程を想像し、言葉にできぬ敬意が胸の奥に宿る。


「ツェット! 息は整ったか?」


 弾九郎の声が、明瞭に響いた。

 それは挑発ではなかった。真に敬意を込めた呼びかけだった。


「は、はぁ? かかってこないのは、待っていたって言うのか?」

「もはや俺の技量はわかったはずだ。しかし、決着は付けんと気がすまんだろう。次の一撃で決めてやる。貴様の奥義でかかってこい!」


 その言葉に、ツェットの奥底に眠っていた「何か」が目を覚ました。

 頭が真っ白になり、体が自然に動く。

 理性ではなく、本能の命令。


 かつて彼女は、自分に傭兵の生き方を教えた師に、「恐怖すら武器に変えろ」と叩き込まれた。

 追い詰められた末に発動したこの技は、常に「勝つため」ではなく「負けないため」に使われてきた。

 だからこそ、無意識に封じていた。


 だが、あの少年の眼差しが、それを引きずり出した。

 全てを見抜かれている──そう思った瞬間、自らの奥にあった恐怖と、敗北の記憶が奔流のように噴き出した。


「後悔……するなよ……!」


 絶零・無式──。


 地面を削るような踏み込み。

 弾九郎の左肩に叩き込まれる鋭い一撃──その瞬間、世界が一度止まったように感じられた。


 が、倒れたのはツェットの方だった。


 観衆が息を呑んだ。

 誰も、何が起きたのかわからなかった。


 ツェットの目が大きく見開かれたまま、身体が硬直する。

 その鳩尾には、深く抉るように弾九郎の木刀が突き立てられていた。

 あまりにも鋭く、そして速い。

 まるで「未来の動き」を読んでいたかのような正確さだった。


「ヴァロッタ! ツェットを運んでやれ。ちょっとやりすぎた」


 弾九郎は木刀を手放し、そのまま地面に座り込んだ。息を深く吐き、ようやく緊張を解いたのだ。


「アイヨッ! それにしても、いいモン見せてもらったぜ。お前が攻撃食らったの初めてじゃねえか?」

「俺は神でも仏でもない。ただの人間だ。それぐらいツェットの一撃は速かった。手加減する間もないくらいにな」


 それは最大限の賛辞だった。

 どれほどの修羅場を潜ってきたのか。どれほどの絶望をくぐってきたのか。

 ツェット・リーン。名に恥じぬ強者。そして、弾九郎が本気にならざるを得なかった女。


 マルフレアは、その光景を目の当たりにしていた。

 言葉が出ない。手は震えている。

 でも、その胸の奥底には、確かな火が灯っていた。


(この人たちは──本当に、戦場に生きている……)


 理屈では納得できない。だが、目の前で交わされた一撃に、確かに「信頼」というものの形が見えた気がした。

 それは数字でも言葉でも測れない、剥き出しの魂の応酬──自分の知っていた「信頼」とは、まるで別のものだった。

お読みくださり、ありがとうございました。

ツェットと彼女のオウガ、ファルシオンの装備は、左腕に装着する小型の円盾と、軽量のショートソードのみ。

戦闘時には全身を縦横無尽に使い、相手の体勢を崩して仕留めるスタイルを得意としています。

ただ、オウガとは違い、今回のように自分より小柄な弾九郎を相手にするのは、やや戦いづらかったのかもしれません。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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