第66話 戦う女たち
弾九郎がグリクトモアに帰還したのは三日後、まだ朝の光が淡く街並みに差し込む頃だった。春先とはいえ、空気には微かな冷たさが残っており、その肌触りが彼の緊張を際立たせる。
目に映った光景に、思わず足を止めた。
城塞都市の姿が、明らかに変わっていた。
かつて金融業と為替取引の拠点として賑わっていたグリクトモアは、今や戦場へと姿を変えつつある。石畳の通りには土煙が舞い、鉄と油の匂いが鼻を突く。重機のようなオウガたちが唸りを上げ、瓦礫を運び、コンテナを積み上げていた。まるでこの街が、生き物のように戦いの準備をしているかのようだった。
「お帰りなさいませ、弾九郎様」
マルフレアの声が背後からかかった。振り返ると、彼女の瞳は冷静で、それでいて燃えるような意志を宿していた。
「マリー、これはお前の指示か?」
「はい。敵の最終目標がこの街の破壊ですから、戦闘用に改造を施します」
彼女の言葉は静かだったが、その奥に確固たる覚悟を感じさせた。弾九郎はふと、自分がその場に立っている意味を再確認するように深く息を吸い込んだ。冷たい朝の空気が、肺に染み込んでくる。
街に残された八機のオウガに加え、近隣から招集した土木用のオウガが六機。合計十四機が、マルフレアの指揮のもと、まるで統率された軍隊のように城壁の修復作業にあたっていた。巨大な鋼鉄の腕が砕けた石を掴み、積み直していく光景は、機械的でありながらどこか人間の営みすら感じさせた。
「城壁の破れ目……あれを塞いでいるのは、コンテナか?」
「そうです。グリクトモアは長年商業を行っていて、中にはコンテナの貸し出しなんかもしていました。なので街には無数の空きコンテナがあるのです」
朝日を受けて鈍く光るコンテナの群れは、整然と積み上げられており、どこか重厚な意志のようなものを感じさせた。それはまるで、「この街はまだ終わっていない」と主張しているようだった。
「コンテナの中には土砂と瓦礫を充填しているので、簡単には動かせませんよ」
それらは六メートル四方の巨大な鋼鉄の塊であり、バーラエナ製の優れた耐久性を持つ。オウガでさえ簡単には破壊できない。連結機構によってコの字型に積まれた構造は、即席とは思えないほど堅牢だった。
この街は、必死に生き延びようとしている。
「これだけ守りを固めるということは、やはり籠城戦か……」
弾九郎の口から漏れたつぶやきには、わずかに諦念の色が混じっていた。兵力の差は歴然だ。正面から戦えば、敗北は避けられない。だからこそ、城を背景に戦う他はない。だが、籠城とは本来、援軍が来ることを前提にした戦術だ。その望みがない以上、果たしてそれが勝機になりうるのか。
「いいえ。籠城はあくまでも見せかけです」
マルフレアの声が静かに割り込んだ。彼女は風に揺れる髪を指先で押さえながら、真っ直ぐに弾九郎を見つめていた。その瞳の奥にある確信に、彼は内心で圧倒される。
「寡兵が大軍を打ち破った例は過去にさかのぼればいくらでもあります。その大半は奇襲による攻撃ですが、戦い方は他にもあるんです」
「他の戦い……どんな?」
「敵の戦力を分散して各個撃破。これなら寡兵でも大軍に対抗できます」
合理的で、しかも現実的な案だった。だが、それを実現するには高度な戦術眼と緻密な指揮が必要になる。
「では、どう戦いを進めていくのだ?」
「それは──」
マルフレアは、地図と記録を取り出し、今ある情報をもとに構築した作戦を語り始めた。
彼女の言葉はまるで針で刺すように的確で、曖昧なところが一つもない。聞きながら、弾九郎は己の無力さを思い知ると同時に、彼女の存在の大きさを再認識した。自分には将としての才はない。だが、だからこそ、彼女のような知恵ある者と共にあることで、戦いに望みを持てるのだ。
「……やはり、マリーを味方に引き入れて正解だったな」
「ありがたいお言葉ですが、これはまだ作戦として完成していません。本番はこれからです」
「ああ。確かにな」
弾九郎は遠く、まだ建設途中の即席防壁を見やった。コンテナの上には薄く朝霧がかかり、その向こうに昇る陽光が都市のシルエットを金色に染めていた。
この街はまだ終わっていない。
自分たちはまだ、戦える。
その思いが、彼の胸に熱く灯るのを感じていた。
*
陽は真上にはまだ昇りきっていなかったが、城門付近の地面にはすでに短い影が伸び、日差しはじりじりと肌を焦がし始めていた。淡く澄んだ空には、薄くたなびく白雲が幾筋か漂い、静かな時間が流れているようにも思えた。だが、その穏やかな空気とは裏腹に、テントの中はこれから始まる戦の緊張感に包まれていた。
城門近くに設置された作戦室兼作業指揮所のテントでは、弾九郎とマルフレアが地図を前にして、市民の避難経路を指でなぞりながら話し合っていた。窓のないテントの中はやや蒸し暑く、濃密な汗と油の匂いが布地に染みついている。
突然、布の入口がばさりと跳ね上がる。その瞬間、薄暗い室内に昼前の光が一筋差し込み、弾九郎とマルフレアの目を軽く眩ませた。
「よお! ずいぶん賑やかにしてるな。城壁はほとんど治ったじゃねえか」
豪快な声と共に現れたのは、赤茶けた皮鎧を着込んだ男──ヴァロッタだった。太陽を浴びて火照った肌に、いつも通りの不敵な笑み。だがその背中には、数日分の疲労と土埃がしっかりとまとわりついている。
「なんだヴァロッタ。ようやく戻ったのか」
「おう。仕事はキッチリしてきたぜ……っと、このお嬢さんはどなただよ弾九郎」
マルフレアが静かに立ち上がり、優雅に一礼した。彼女の立ち振る舞いは、まるで戦場の中に咲いた一輪の花のように、場の空気を柔らかく変える。
「初めまして。私はマルフレア・フォーセイン。来栖弾九郎様の旗下に加わり、今回の戦いを指揮します」
「へ? フォーセイン……ってことは、ベネディクトの関係者?」
「はい。ベネディクトは私の祖父です」
「へぇー、そりゃ驚いたな。にしてもこんなお嬢さんが指揮とはねぇ……」
ヴァロッタの視線には、正直な戸惑いが滲んでいた。マルフレアの容姿はただの美しさではなく、どこか現実離れした神秘性を帯びている。だが、それがかえって現場の泥臭い戦いにそぐわぬ印象を与えてしまっているのも事実だった。
「俺はベネディクト殿に会った。そして、直々にマリーを推薦されたんだ。今回の戦いでは彼女に軍配を預ける。だからお前も指示通り戦うんだぞ」
弾九郎の言葉には揺るぎのない信頼があった。マルフレアの目がわずかに潤んだようにも見えたが、それを悟らせぬように唇を引き締め、ただ一礼する。
「そりゃいいけどよ……ちょいと条件を付けさせて欲しいんだが……」
「なんでしょう? 要望はなるべく汲みたいと思います」
「いや、条件ってのは俺じゃなくて……」
ヴァロッタは言いかけてから、テントの外に半身を乗り出し、思い切り声を張り上げた。
「おい、こっちに来いよ! お前のこと紹介するからさ!」
外の喧騒が一瞬だけ静まり、やがてテントの幕が再び揺れた。入ってきたのは、一人の女戦士だった。陽に透ける青い髪と美しい瞳、そして厳つい革製の防具に身を包んだその姿は、まるで猛禽のような鋭さを持っていた。視線は常に動き、神経が全身に張り詰めているのが一目でわかる。
「いいのか、ヴァロッタ?」
「おう。──弾九郎、コイツが俺の戦果。めちゃくちゃつえーぞ!」
ヴァロッタの口元が得意げに吊り上がる。
「見ただけでわかる。まるで猛獣だ。お前よくこんなタマ連れてこられたな」
「そりゃまあ、俺の人徳って奴よ。へへ」
冗談めかして笑う彼の背後で、ツェットは眉をひそめ、戸惑いと警戒が入り混じった視線を弾九郎に向けていた。
「コイツの名前はツェット。ツェット・リーンって言うんだ。でよ、条件ってのは──」
その言葉を遮るように、ツェットが声を上げた。声には怒気が混じり、場の空気を一変させる。
「おいヴァロッタ。お前の言っていた大将ってのはこの子供のことか?」
「あ? そうだよ。俺らの大将の来栖弾九郎サマだ」
「ふざっっけるな! クルーデとやるって言うからどんな奴かと思ったら、これじゃ勝負になんねえだろ!」
怒りに満ちたツェットの言葉に、マルフレアはたじろいだ。世間慣れしていない彼女にとって、この唐突な剣幕にどんな顔をしていいのかわからない。だが、弾九郎は動じなかった。彼の眼には炎が宿っていた。
「ツェットと言ったな。お前の言いたいことは十分わかる。だが、お前のような人種には言葉よりコイツの方がわかりやすいだろう」
そう言うと、彼は無造作に手を伸ばし、壁に立てかけてあった木刀を引き抜いて、ツェットに投げ渡した。木刀が空を切る音が、ピンと緊張を張り詰める。
「表に出ろ。俺が命を預けるに相応しい男か、見定めたらいい」
ツェットは木刀を片手に受け取り、その重さを確かめるように軽く振った。目に宿るのは侮蔑ではない。試す者の目だった。
そして弾九郎は、そんな目を見返していた。
街を守る者として、命を預かる者として。
──これが、自分の戦いだと、強く自覚して。
お読みくださり、ありがとうございました。
コンテナに瓦礫や土砂を満載すれば、その重量は最大で三百六十トンにも達します。
これらを連結して築いた壁は、たとえオウガといえども破壊することはできません。
それほどの重みに耐えられるよう、コンテナは極めて頑丈に設計されているのです。
マルフレアは、この重量を精密に調整することで、多様な用途に活かそうと考えています。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




