第63話 狂気のクルーデ
クルーデは傭兵の家に産まれた。剣の音と血の匂いが、乳のぬくもりよりも先に彼の世界にあった。父親は大傭兵団を率い、幾度も戦場を渡り歩いては名を挙げた猛将。鉄と炎に焼かれたその背に、誰もが畏怖を抱いている。五十を過ぎ、老いを感じ始めた頃、ある王国でその功績が認められ、爵位を与えられた。鉄を振るった果てに、血ではなく金と権威が返ってきたのだ。そして、その屋敷の奥に生まれたのがクルーデである。
赤子の頃から、彼の眼は静かに燃えていた。生まれつき太い骨と筋肉を持ち、幼少期にはすでに他の子供たちを見下ろしていた。力ではなく、眼差しの質が違った。無垢というより空虚。まるで魂がどこか遠くに置き去りにされてきたかのような、冷たい黒曜石のような瞳だった。
腕力の強さは早くから頭角を現し、周囲の子供たちは彼を避けるようになった。しかし、本当に人々を震え上がらせたのは、その残虐さであった。ある日、ささいな口論から始まった子供同士の小競り合いは、突如として地獄に変わった。怒りでも恐怖でもない、ただ機械のような無感情のまま、クルーデは相手の顔を地面に叩きつけ、血が噴き出したその瞬間に歓喜の笑みを浮かべた。まだ十にも満たない年齢で、彼はケンカ相手の眼球を指で抉ったという。悲鳴と血が飛び散る中、クルーデはその手を赤く染めながら、呟くように笑った。
「動きが止まると、つまらないな」
街の人々はその日を境に、彼を「子供」ではなく「怪物」として見始めた。どれほど父が猛将であり、貴族であっても、息子の凶行を覆い隠すには限界があった。しかし、その力と血への渇望が、まさに戦場では輝く資質と化す。
十一歳でオウガを与えられたその日、クルーデはすでに一人の戦士だった。戦場の土は熱を持ち、死者の血は鉄の匂いを立てる。多くの兵が恐怖と緊張の中で剣を構えるその場所で、クルーデだけが心を解放されていた。彼にとって戦場とは、「他人が正気を失う空間」ではなく、「ようやく自分が正気でいられる場所」だった。敵の断末魔、骨の砕ける音、内臓が地に垂れる感触──それらすべてが、彼の中の空虚を満たしてくれる。
次第に、味方すら彼を畏れ、指示を出すこともできず、ただ黙って後ろをついて行くしかなくなった。クルーデの背中は、まるで巨大な災厄の影を引きずっているようだった。
四十年の間、彼は幾多の戦争に身を投じ、ただの一度も敗北を知らなかった。その名はハマル・リス大陸にとどまらず、周辺の大陸にも轟いた。「暴虐のクルーデ」「大過のクルーデ」──その名は畏怖と伝説の象徴となった。
常に戦場にただ一人で現れ、破壊と殺戮を繰り返す。まるで神が人間の姿を借りて憤怒を撒き散らしているかのようだった。そして今、そんな男が、自らの傭兵団を組織したという報が広まる。
凶暴で協調性皆無の男が、なぜ他者を束ねようとしているのか。その裏に何者かの意志が蠢いていることは明白だった。だが、たとえそれが誰であろうと、クルーデという「神輿」の名は、あまりにも重く、あまりにも強力だった。
噂が風となり、風が雷鳴を呼ぶ。クルーデの名の下に、血を求める傭兵たちが次々と集い始める。誰もが心のどこかで理解していた。これはただの傭兵団ではない。これは、伝説が自らの手で次の幕を開こうとしている、戦乱の前触れなのだと。
*
「無様だな、デュバル。三十機がたった三機にやられるなんてよ」
砕けた岩を踏みしめるように、クルーデの声が重く、冷たく響いた。その声には怒りも嘲笑もなかった。ただ、静かに落ちる斧のように、重々しく、逃れようのない圧があった。
膝をついたデュバルの肩が震えている。山岳の冷気のせいではない。焦土のように焼けついた羞恥と恐怖が、彼の背筋を凍えさせていた。
「め、面目ない……あんたの顔に泥を塗るつもりはなかったんだ……」
風が細く唸る。ここはヤドックラディ王国南東の山岳地帯。灰色の岩肌が広がり、空は曇天に閉ざされていた。太陽すら、この地では怯えて顔を隠す。クルーデが拠点とするこの砦は、要害にして隠れ家。ダレウモアとシュカリラの国境を跨ぎ、戦略的にも極めて重要な地。だが、その石壁の内側で、もっとも恐れられているのは外敵ではなく、クルーデその人だった。
王バート・ゴーレイが密かにクルーデを招聘した目的は明白だった。国内の自治国グリクトモアの殲滅。そして、次に狙うはグリシャーロット。さらに遠く、アイハルツ統一王国という夢。バートは炎のような野心を秘めた男だったが、その炎に火を点けるために選んだ導火線こそ、クルーデという名の怪物だった。
「大陸十三剣の名が泣いてるぞ。なあ、乱剣のデュバル」
その声に込められた皮肉が、まるで冷たい刃のように肌を裂いた。デュバルは地面に目を落とし、唇を噛んだ。誇り高き「乱剣」の異名も、今はただのあざけりでしかない。
「ま、待ってくれクルーデさん……三機の中に、十三剣がいたんだ。光剣の、メシュードラが……」
「ほぉ……」
クルーデの目が細められる。その瞳には、わずかに光が宿った。まるで狩人が獲物の気配を察知したかのような、鋭い興味。
針金のように硬いあごひげを一撫でしながら、彼は思考を巡らせた。十三剣の一人が動いたという事実。それは、ただの敗戦ではなく、世界の局面が音もなく変わり始めているという予兆だった。
「それに……錆色のオウガ。あれは、ツイハークロフトだ」
「なんだ、鉄鎖団のヴァロッタもつるんでいたのか」
ヴァロッタ。その名がクルーデの脳裏をかすめた瞬間、心のどこかで微かに血が沸いた。西方の新鋭傭兵。まだ若く、未熟。しかし──伸びてくる。間違いなく、あの男は十三剣に届く。届くからこそ、今のうちに潰しておくべきか。それとも、成長を見守り、より価値ある敵として熟させるか。
「それにもう一機……真っ黒なオウガ……あれは、きっと、マーガをやった奴だ」
「なんだと!?」
その言葉に、クルーデの全身が一瞬で張りつめた。彼の背後にいた数名の傭兵たちが、思わず身を引く。巨獣のような存在が、わずかに動いただけで、大気が軋んだ。
アヴ・ドベックとナハーブンの戦い──あのバラン高原の一件。三機の猛将、マーガ三兄弟を一撃で葬った「黒いオウガ」。その噂は、熱病のように傭兵の間を駆け巡っていた。その機体と乗り手は、今や「不明」にして「最凶」の存在として、名も知れぬ神話となっていた。
「デュバル。オマエはそいつと剣を合わせたか?」
「いや……俺はメシュードラ相手で手一杯だった。黒いのとやり合ったのはクラットだ」
「……で、クラットはやられたってことか」
「本当に一撃だった。奴の自慢の長刀が、まるで枝のように弾き飛ばされてよ……相手にならねぇ」
クルーデの眉がわずかに動く。その名を聞いた瞬間、脳裏に浮かぶのは、クラットの軽薄な笑いと、だらしない生活態度。そして、いざ戦えば獣のような動きと、鋭い剣筋。クルーデの配下でも三本の指に入る実力者が、恐怖から離反した。
(俺に背を向けるよりも、そいつと戦うほうが恐ろしい……そう判断したってわけか)
怒りがないわけではなかった。だが、それよりも勝ったのは──興味。欲望に近いもの。未知の力、未知の強さ。それが戦場での歓喜に直結することを、クルーデの体は知っている。
「面白くなってきたな……」
低く呟いたその声に、周囲の空気が震えた。砦の冷気すら、一瞬だけひるんだように感じられた。
「おい、オマエら! 黒いオウガの正体を洗え!」
その怒声は雷鳴のごとく砦に轟いた。いや、雷などという生ぬるいものではない。地の底から這い上がってくる何か──獣の咆哮、怒れる神の啼き声。配下の傭兵たちは瞬時に反応し、その場に膝をついた。敬意ではない。服従でもない。ただ、本能が命じたのだ。生き延びたければ、頭を垂れろ、と。
「一月後のグリクトモア殲滅に、奴が噛みついてくるかも知れん……今のうちに叩き潰してやる」
声には、苛立ちと狂気の狭間にある異質な昂揚が混じっていた。血を、戦いを、そして敵の存在を求める獣の欲望。それが、クルーデという男の中にある「最も純粋な衝動」だった。
山岳の砦に吹き込む風が、唸るように壁を擦り抜ける。灰色の空の下、砦の石造りの中庭は、一瞬時が止まったかのような静寂に包まれた。クルーデは高台のような石段に立ち、見下ろすように配下たちを睨め回す。その目は獲物を探す鷹のように鋭く、冷酷だ。だが、ただの支配者の目ではない。そこに宿っているのは、狩人としての純粋な興味。戦場を愛し、死闘に飢える男の目だった。
お読みくださり、ありがとうございました。
クルーデはこれまで、一匹狼のように戦場を渡り歩き、驚異的な戦果を挙げてきました。
そのため報酬はうなぎ登りとなり、一戦ごとに一万ギラを超えるようになりました。
しかしその結果、傭兵としての依頼は激減し、クルーデは鬱屈した日々を過ごしていました。
そんなときに舞い込んできたのが、今回の仕事です。
ヤドックラディは報酬として二十万ギラを提示し、傭兵団の編成をクルーデに依頼してきたのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




