第58話 不屈の刃
弾九郎の力強い宣言が、まだ静まり返った広間に余韻を残していた。だが、すぐにそれが波紋を広げることはなかった。グリクトモアの議員たちは、まるで突然の嵐に巻き込まれたかのように、戸惑いを隠せず、互いの顔を見合わせるばかりだった。勇気ある言葉をどう受け止めてよいか分からず、沈黙の中に飲み込まれていく。
そんな空気の中、領主テルヌ・オロロソは、静かに目を閉じ、そしてゆっくりと首を横に振る。その仕草には、重い悲しみと諦めが滲んでいた。
「弾九郎様……そのお志だけ、ありがたく頂戴いたします。どうか……どうか、私どものことは、そのままお見捨てください」
彼女の声は、驚くほど穏やかだった。だが、その静けさの裏に秘められた思いは、あまりにも重い。二百機のオウガ、伝説の傭兵クルーデ、大陸十三剣の強者たち──それらすべてが、グリクトモアを滅ぼすために迫っている。そんな相手に立ち向かおうなど、正気の沙汰ではない。
弾九郎の申し出が義侠から来たものであることは誰の目にも明らかだった。だが、それでも彼女はそれを受け入れるわけにはいかなかった。命を捨てるだけの戦いに巻き込むことなど、彼女の良心が許さない。
「テルヌ殿は先程、帰ってきた娘たちをグリクトモアの未来、希望だとおっしゃった。それは、どうなる?」
弾九郎の問いに、テルヌはひとつ呼吸を整え、答える。
「あの娘たち……いえ、この国に住む子供たちは、必ず匿います。バート王が欲しているのは……あくまで『グリクトモアが滅びた』という結果だけ。ならば、その後で……生き残った子供たちが生きていく道は、きっと残されているはず……」
それは戦略というより、神にすがるような祈りだった。生存者を許すほど、敵が寛容である保証などどこにもない。それでも、テルヌは信じたかった。絶望の果てに、一筋の希望を。すべてを犠牲にしてでも、子供たちの未来だけは守り抜きたいと。
弾九郎は、その言葉を聞き、深く、低く息を吐いた。しばし沈黙の後、彼は静かに、しかし鋭い口調で言い放つ。
「家族を失い、家を失い、生きる場所を失った子供たちに……一体どんな未来があるというのだ。……大人が子供に見せるべきは、死に様じゃない。生き抜く姿だ」
その言葉と同時に、彼は腰の剣を抜き、天に向かって高く突き上げた。剣先が天井の光を弾き、広間に冷たい輝きを散らす。
「降伏すれば、待っているのは無残な死──それが分かっていながら、なぜ膝を折る?」
そして鋭い切先を議員たちに向ける。
「たとえ死が逃れられぬものだとしても──戦って死ね! 子供たちには、生きるために戦う姿を見せてから死ね!」
その叫びには、過去に積み上げられた無数の悔恨が込められていた。弾九郎は知っている。戦わずに殺される者たちの眼差しを、黙って蹂躙されていく街を、そして、何もできずに眺めるしかなかった己の不甲斐なさを。
この世界に転生した今こそ、それを贖う時だ。天がもう一度命を与えたのは、同じ後悔を繰り返さないためだと、彼は信じていた。
「戦うのは弾九郎だけじゃねえぜ!」
沈黙を破ったのは、陽気で無骨な声だった。
「俺はヴァロッタ・ボーグ。この辺じゃあ、ちょいと知られた傭兵さ。俺も最後まで戦う」
続いて一歩前に出たのは、マントを翻す麗しき剣士。
「私はメシュードラ・レーヴェン。大陸十三剣の一人。我らは昨日、グリシャーロットでクルーデの配下三十機と戦い、これを打ち破った。弾九郎殿と共に戦うならば、二百機のオウガなぞ恐るるに足らず」
二人の宣言に、議員たちはざわめく。グリクトモアの空気が、確実に変わり始めた。雷鳴のように響く名声。伝説の剣士。そして彼らが付き従うのは、来栖弾九郎。昨夜、三十機のオウガを打ち破り、無傷でやって来た三人。
──彼らと共に戦うのならば、あるいは。
万に一つ、勝利の光が見えるのではないか──そんな希望が、議員たちの瞳に灯っていくのがわかった。
「だが、肝心のグリクトモアに戦う意思がなければ、勝つことはできん」
弾九郎は一歩前に出て、テルヌを見据える。
「いかがする、テルヌ殿。戦って死ぬか、黙って殺されるか。今すぐ、ここでご決断を」
広間の空気がぴんと張り詰める。テルヌは静かに目を閉じ、深く思考の底に沈んでいく。そして、やがて瞼を開けると、毅然とした顔で弾九郎を見つめ返した。
「…………わかりました。子供たちのために……グリクトモアは、戦いましょう。弾九郎殿と共にクルーデを打ち破り、自らの手で未来を切り拓くのです」
その決意の言葉は、すでに議員たちの胸を打っていた。誰ともなく立ち上がり、「我も戦う」「私もだ」と声を上げていく。
この瞬間、グリクトモアは戦うことを選んだ。か細い希望の炎を頼りに、絶望の淵に立ち向かう。その決意が、広間を、都市を、そして歴史を変えようとしていた。
*
日中の光が石畳に降り注いでいた。昼前の清々しい空気の中、グリクトモアの通りは、かすかな暖かさを帯びながらも、戦いへの緊張感が漂っている。広間での決起以来、民と兵士たちは各々の職務へと動き出し、街は一見、穏やかな日常を取り戻したかに見えた。しかし、その裏には迫り来る敵勢力への不安が静かに渦巻いていた。
広場を歩む弾九郎とヴァロッタ、そしてメシュードラ。堅実な足取りで石畳を進む彼らの顔には、決意と不安が交錯していた。そんな中、ヴァロッタがふと口を開いた。
「それで弾九郎。どうやって戦う? まさか魔賤窟の時と同じでただ突っ込むってワケじゃねえよな」
彼の問いは、昼間の煌びやかな光に映える中で、鋭くもあり、ユーモアを交えつつも本気そのものだった。魔賤窟での無謀な突入とは違い、今回は迫り来る二百機のオウガと大陸十三剣、そして伝説的傭兵クルーデが相手。正面からの力押しだけで戦局を覆すことは到底できないのは、誰の目にも明らかだった。
弾九郎は歩みを止め、しばし遠くの青空を見上げた。太陽の光は、硬い決意をさらに際立たせるかのように、まっすぐに降り注いでいる。彼は、目に映る光の輝きを頼りに、静かに口を開いた。
「まずは軍師を探す。それと、共に戦う手練れだ。俺には一人、心当たりがある」
その声は、昼間の明るさに映えるが、どこか深みのある重みがあった。ヴァロッタは肩をすくめ、にやりと笑うと応じる。
「なら、俺も一人あたってみるぜ。手ぇ貸してくれるかは分からねえが、口説く価値はある」
少し後ろを歩いていたメシュードラが、足を止めて空を見上げ、思案深げに眉を寄せた。そして、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始める。
「軍師と言えば……グリクトモアには一人、かつて名を馳せた方がおられたはずです」
その言葉に弾九郎の目が輝いた。軍師探しはもっとも難航すると予想していただけに、その情報はまさに福音だった。
「かつてギルカラン王国の軍師として、数々の戦に勝利を収め、大陸の半分を切り取った人物……」
ちょうどその時、ヴァロッタが驚嘆するように叫んだ。
「それって、ベネディクト・フォーセインか!?」
その反応が意外だったのか、弾九郎は思わず本音を漏らした。
「ヴァロッタが知っているとは、それほどの軍師なのか?」
「知ってるどころか、この大陸のオウガ乗りで、フォーセインの名を知らねえ奴はいねえっての! 弾九郎以外はな!」
ヴァロッタは両手を広げて言った。
「でもよ、メシュードラ。あの人ってもう三十年以上前に引退したんじゃねえのか? まだ生きてるのかよ?」
「確かに、ご存命ならば九十を超えている……だが、ご健在ならば、まだその知略は残っているはず。探してみる価値はある」
「めちゃくちゃジジイじゃねえか。そんなんじゃ、実戦に出られねえだろ」
だが、弾九郎は首を横に振ると、確固たる口調で答える。
「俺たちに必要なのは、戦う手足だけじゃない。どう戦うかの道を示す頭脳だ。仮に剣を振るえなくとも、その知恵があれば、戦の流れを作ることはできる」
そう語る弾九郎の目には、もはや迷いはなかった。過去の敗北と悔恨、そして新たに与えられた命。そのすべてが彼を突き動かし、勝利という一点へと導いていた。
風が吹き抜け、旗がばさりと音を立てた。決戦の日は近い。だが、今はまだ準備のとき。生きるため、守るため、彼らはそれぞれの「鍵」を探しに歩き出す。
お読みくださり、ありがとうございました。
弾九郎は前世で、ある村の用心棒をしていた時期がありました。
あるとき、その村が野盗に襲われ、弾九郎は必死に戦います。
しかし、多勢に無勢という状況はどうにもならず、なんとか敵を撃退することはできたものの、多くの犠牲を出してしまいました。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




