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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
グリシャーロット編

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第51話 白昼の救出劇

 ヴァロッタとメシュードラが通りで騒ぎを起こすと、喧騒の火種に引き寄せられるように、人々がざわつき始めた。露店の商人が手を止め、客が足を止める。誰もが暇つぶしの好奇心と、少しの恐怖心を抱えて野次馬と化す。


 岩山の窪地、騒ぎから少し離れた場所。牢の入口付近にいた数人の通行人さえも、様子を見に行ったのか姿を消した。まるで音に釣られた魚の群れのように、人の流れが一方向に偏る。


 今だ──弾九郎は静かに動いた。


 道端の影から歩み出ると、まるでその場に初めからいたかのような自然さで、牢の階段を降りていく。半地下に埋められた牢は、湿気を孕んだ冷気をまとっていた。土のにおいに混じる、鉄と汗と苔の臭い。そこに足を踏み入れただけで、息苦しい圧迫感が襲ってくる。


 牢前には三人の牢番。ひとりは退屈そうに椅子に座ってうたた寝寸前。残る二人は奥の粗末なテーブルでカードを手に口論している。


 その中の一人が、こちらに気づいた。


「なんだテメエは?」


 不意に現れた弾九郎に、牢前に座る男が眉をひそめて立ち上がった。だが、弾九郎は落ち着いた目をしていた。まるで相手の言葉など最初から聞くつもりもないかのように、まっすぐに視線を牢へ向ける。


「お前はここの牢番だな。牢の鍵は持っているのか?」

「はぁ? ここはテメエみてえなガキが来る所じゃねえぞ!」


 男の目に警戒の色が浮かぶ。だが、それは怒りというより──困惑。あまりにも堂々とした態度、年若く見えるその顔立ちにそぐわない威圧感。その静けさは、まるで深い湖の底のようだった。


「そんなにいきり立つな。俺は牢にいる女を迎えに来ただけだ」


 弾九郎の目が牢の奥を射抜く。鉄格子の向こう、岩肌をそのまま壁にした狭い牢には、十数人の若い女性たちが身を寄せ合っていた。皆、顔に怯えと諦めが交錯した表情を浮かべている。


 弾九郎の目的はラエナの救出だが、他の女性達を見捨てることも出来ない。黙って見過ごすには、あまりに醜悪な現実がそこにあった。


「迎え? そんな指示は聞いていないけどな」

「俺の指示だ。ここにいる女を全員連れて行くぞ」

「は? な──」


 その瞬間だった。


 門番の言葉が終わるよりも早く、弾九郎の拳が鳩尾に突き刺さる。音もなく、まるで影のように動いた。次の瞬間、門番の身体は折れるように崩れ落ち、床に倒れ伏した。


 気配の異常に気づき、奥の二人が慌てて立ち上がる。だが、遅い。


 弾九郎の体は稲妻のように駆け、まるで空間を跳ねるようにして距離を詰めると、無駄なく、迷いなく、一撃で動きを封じた。打撃と蹴撃、それぞれの攻撃は、力というより精度によって命中する。痛覚が届く前に意識が途絶える、完璧な制圧。


 静寂が戻った。


 三人の門番は床に転がり、意識を失ったまま動かない。弾九郎の呼吸は整ったまま乱れがない。


 牢の奥、少女たちが静かに震えている。


 弾九郎は牢番の腰から無造作に鍵を奪い取った。その仕草にためらいはなく、錠前をひねる指先も冷静そのものだった。金属音が乾いた音を立てて響き、厚い鉄の扉が軋んで開く。


 扉の向こうは、まるで陽の光が決して届かぬ別世界──半地下の牢獄。換気など一切考慮されていない空間には、腐敗と排泄物の臭気がこもり、重たく淀んだ空気が肌にまとわりつく。人が生きるにはあまりに酷な空間だった。足を踏み入れた瞬間、鼻をつく悪臭に眉をひそめながらも、弾九郎は一歩一歩確かめるように歩を進める。


「この中に、ラエナという娘はいるか?」


 低く、しかし凛とした声が牢内に響く。沈黙の中、しばしの間を置いて、壁際に体を預けるように座っていた少女が、おずおずと手を上げた。顔には恐怖と不信が交錯し、細い指先が微かに震えていた。


「私が……ラエナです……」


 か細く、けれど確かなその声に弾九郎は頷いた。


「ラエラとラエルに頼まれた。二人のところに帰ろう」


 ラエナの目が大きく見開かれる。泥にまみれた頬に、一瞬だけ光が差し込んだようだった。


「う……そ……あの子達が……生きて……?」


 安堵と混乱が入り混じった感情が、表情に滲み出る。牢の闇の中に差し込んだその一言は、彼女にとっては夢か幻のように思えたに違いない。


「全員逃がしてやる。この中で歩けそうな者はいるか?」


 弾九郎の目は鋭く牢内を見渡す。その問いかけに、手を挙げたのはラエナを含め五人。無言で横たわる者たちの身体は痩せ細り、もはや自力で動けそうにはない。十一人──命の灯が今にも消えかけている者たちだ。


 胸の内に小さく、重い焦燥が走る。全員を抱えて逃げるのは無理だ。しかし見捨てるなど、選択肢にはなかった。


「少し待っていろ。動ける者は、一人でも良い。動けない者を牢の外へ出してやれ」


 そう言い残すと、弾九郎は踵を返し、陽の下へ出た。まばゆい光に目を細めつつ、視線を巡らせる。ここは市場の外れ。荷馬車が数台、荷積みの途中で停まっている。その中から、頑丈そうな二頭立ての馬車を見つけると、御者に近づいた。


「おい、この馬車を借りたいんだが、いいか?」

「は? なんだこのガキ──」


 御者が胡乱な目を向けたその瞬間、弾九郎は懐から黄金のコインを取り出して見せた。


「金なら払う。グリシャーロットのヤードまで。一ギラでどうだ?」


 御者の目の色が一変する。日中の陽光を受けて煌めく金貨に、現実味を失ったように口を開けた。


「ええっ! そんなにいいんですか坊ちゃん! ヤードまででいいならいくらでもお運びしまさぁ!」


 一ギラ──荷馬車のチャーター代としては夢のような額だった。御者は慌てて馬車を整え、荷台を開ける。


「お前はここで待っていろ」


 弾九郎は踵を返し、ふたたび牢へと戻る。


「立てる者は支え合え。動けない者は俺が運ぶ」


 弾九郎は一人、また一人と、肩を貸し、背を貸しながら女たちを地上へと運び出す。

 十六人もの人間を連れ出すのは大仕事だ。だが手を止めることなく、ただ黙々と──荷台が命で満たされるまでつづける。


「坊ちゃん、こいつらって躾け中の女達ですよね、こんなことしていいんですか?」

「心配するな。この女達は伝染病にかかったから、ヤードで待機している業者に渡すんだ」


 作り話だった。だが、御者の顔色は見る間に青ざめ、馬の手綱を握る手が震えた。


「げっ! 大丈夫なんですか?」

「この仕事が終わったら、服を燃やして風呂に入るんだな。そのための一ギラだ」


 弾九郎の嘘は、あまりに自然だった。相手が真実を疑う隙すら与えない。十分もしないうちに、牢にいた女たちは全員荷台へと運び込まれた。


 荷車の影に、冷たい汗が額を伝う弾九郎の横顔があった。今はただ、ひとりでも多くを救い出す──その一点だけを見据えていた。


 *


 午後の陽射しが容赦なく地面を照りつける中、市場の通りを一台の荷馬車が埃を巻き上げながら進む。人々の喧騒と荷車の軋む音が入り混じるなか、後ろから、鋭い目をした二つの影が姿を現した。


「おい、あの馬車に乗ってるのって……弾九郎じゃねえか?」


 ヴァロッタが走りながら目を細めた。汗が額を伝い、息は荒いが、その声には驚きよりも感嘆が混じっている。


「そのようだな。もう救出を終えられたようだ」


 横を並走するメシュードラが冷静に応じる。その目は荷馬車の荷台を注視しながら、周囲の通行人の視線や警備の動きも気にしていた。彼の表情は硬いままだが、その瞳の奥には安堵が滲んでいる。


 彼らは馬車に一気に追いついた。御者の隣に座る弾九郎は、二人に気づき顔を向ける。陽に照らされたその頬には汗が滲み、いつになく険しい表情を浮かべていた。


「弾九郎、上手いこといったな」


 ヴァロッタが声をかけると、弾九郎は短く頷いた。


「お前もご苦労だった。少々予定外のことがあってな」


 言葉を選ぶように、一瞬視線を伏せる。その瞬間に過ったのは、牢に横たわる者たちの弱々しい顔と、ラエナの震える声だった。今も彼女たちは、荷台の中で息を潜めている。


「詳しい話はあとだ。二人はこのまま宿に戻れ。そしてミリア達を連れてヤードまで来るんだ。グリシャーロットから引き揚げるぞ」


 弾九郎の声には、明確な決意がこもっている。いくつもの命を背負ったその目に、躊躇はなかった。


「わかった!」


 ヴァロッタはすぐさま応じる。彼の動きは軽く、まるで次の戦いに向かう兵士のようだ。


「承知しました」


 メシュードラもまた、冷静に頷いた。


 日差しが照りつける道を、三人はそれぞれの目的地へ急いだ。

お読みくださり、ありがとうございました。

この世界にはワクチンが存在せず、伝染病が発生すれば隔離が原則です。

その点では、弾九郎が生きた戦国時代と大きな違いはありません。

だからこそ、彼がとっさに口にした嘘も御者に通用しました。

弾九郎自身、かつて伝染病で命を落とした過去があるため、その恐ろしさを誰よりもよく知っていたのです。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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