第50話 風来の用心棒
ヴァロッタとメシュードラの周囲を、用心棒たちが無言で取り囲む。まるで獲物を追い詰めた狩人のように、じわりじわりと距離を詰めながら、斧、剣、槍の切っ先が二人に向けられていた。冷たい鉄が日の光を鈍く反射し、まるで死の予告のように煌めいている。息を呑むような静寂の中、街の喧騒は遥か遠くの出来事に感じられた。
この街では、火種一つで地獄の業火が吹き上がる。用心棒たちは戦いを楽しみに来たのではない。彼らの目的は治安の維持。その遂行のために、目には鋭く乾いた光を宿している。トラブルを未然に潰し、火薬庫に火が回る前に排除する。それが連中の仕事なのだ。
「なんだなんだぁ、コイツら殺す気マンマンじゃねぇか……」
ヴァロッタは口の端を歪めて笑ったが、その声にはわずかな緊張が滲んでいた。指先に力が入る。額にはうっすらと汗がにじむ。だが、視線だけは鋭く前を捉えていた。
「その方が好都合だ」
「なんでだよ?」
「殺す気なら──殺される覚悟もしているはずだ」
メシュードラの声は、底のない静けさを孕んでいた。まるで深海のような冷たさ。彼の眼差しは一人一人の用心棒を見据えながらも、どこか遠くを見ているようでもあった。何人殺すことになるのか、それとも自分がここで倒れるのか。そんな思考すら、すでに越えている。
「だったら──手加減せずに済む」
その言葉と共に、彼は愛剣をすらりと抜いた。刃が空気を裂く音は、まるで幕が上がる合図のようだった。周囲の殺意が一気に膨れ上がり、息苦しいほどの圧力となって二人にのしかかる。
だがメシュードラは微動だにしない。剣を構えるその姿は、戦士というよりは、死の舞踏へと誘う使者のようだった。
「テメェらやっちまえ!」
怒号が響き、次の瞬間、地面を蹴った数十の足音が響いた。怒涛のように襲いかかる用心棒たち。鉄の鎧が鳴り、刃が唸りを上げる。
だが、それはあまりにも脆く、無謀な突撃だった。
最初に動いたのはメシュードラ。彼の身体が風のようにしなやかに揺れたかと思うと、次の瞬間には一人の用心棒の首が、風船がはじけるように宙を舞っていた。斬撃の軌跡すら見えない。ただ、結果だけが残された。
ヴァロッタも遅れを取らない。手槍を軽やかに回し、飛び込んできた敵の喉元に鋭く突き刺す。刃が抜けるよりも早く、振り向きざまに背後の敵の膝を砕き、倒れたところに横一文字の一撃。血しぶきが扇のように舞い、紅い軌跡を描いた。
「どけッ!」
「くそ、止めろッ、アイツらおかしい……!」
叫びと怒号が交錯する中、メシュードラはまるで舞踏家のようだった。足運びは滑らかで、剣の一振りごとに一人、また一人と命が消えていく。刃は血に染まり、彼自身の顔にも返り血が飛ぶ。だが、その双眸には一切の感情がなかった。怒りも、喜びも、哀しみも。
そこにあるのは、ただ「必要な処理」への静かな集中だけだった。
一方のヴァロッタは、真逆に近かった。野性的な叫びと共に敵陣に突っ込み、槍を回して敵を吹き飛ばし、ぶつかってくる敵をその体ごと押し倒して地面に叩きつける。獣じみた攻撃は荒々しく、だが恐ろしく的確。全ての一撃が急所を貫き、反撃の隙を一切与えなかった。
「ひ、一人で四人抜きやがった!」
「こっちの奴も腕が見えねぇ、なんなんだコイツらッ!」
鮮血が地面に滲み、死体の山が築かれていく。肉が裂け、骨が砕け、断末魔が空を染める。だが、その光景の中心に立つ二人は、まるでこの混沌に溶け込むかのように、冷静だった。
二十人目が崩れ落ちたとき、ついに敵陣に明確な「恐れ」が走った。
誰かが小さく後退し、それに釣られて次々と後ろへ引きずられるように後ずさる。残された用心棒たちは、剣を構えてはいるが、その腕は小刻みに震えていた。
「……動きが止まったな」
ヴァロッタが唾を吐き捨て、血に濡れた槍をくるりと回す。その先端が、震える男の喉をなぞるように揺れた。
「足が止まったのは、死ぬ覚悟が揺らいだからか?」
それでもメシュードラは構えを解かない。が、その呼吸はまったく乱れていなかった。血に濡れたその姿は、まるで地獄から歩いてきた死神のようであり、そこに「人間らしさ」というものは微塵もなかった。
「さあ、続きをしよう──」
その低く澄んだ声が、空気を凍らせる。
──だが、誰も動かない。包囲は保たれている。だが、縮まらない。まるで、前に出るという選択肢そのものが、彼らから消え去ってしまったかのように。
その瞬間、街の一角に響いたのは、風の音でも剣戟でもない、異質な足音だった。
「あれあれ、派手にやられちゃったな~」
不意に響いたその声に、全員が振り返る。黒いマントを翻しながら、ひときわ異質な男が現れた。
次なる脅威の登場を告げるように、風がざわりと二人の髪を揺らした──。
「せ、先生! クラット先生! コイツらです! コイツらが暴れて……!」
血の臭いと焦げた鉄の匂いが風に混ざり、緊張で硬直した空気をさらに重くした。そんな場に、悠然と歩み出た男──クラットは、まるで他人事のように口笛を吹きながら、ヴァロッタとメシュードラの前に立った。
黒衣の中に潜む体は痩せ気味で、やや猫背。年の頃は三十にも満たないか。だが、腰に帯びた異様に長い柄の長剣──それだけが、この男がただ者ではないことを示していた。柄は両手どころか肩にまで届きそうな長さで、振るうというより「操る」武器だ。剣からは見えない刃の意志のようなものが立ち上っている。
クラットは長い糸目で二人を見る。とくに目を見開くわけでもなく、眉一つ動かさない。だが、その眼差しには静かな分析と、抑えた興味があった。
「そりゃまあ、ギャラ分は働くけどさ、あんなバケモノ二人が相手じゃ足が出るなぁ……」
呆れたような口調。だが、次の瞬間には剣が抜かれていた。軽く引いた腕の中に、その異様な長剣はすっぽりと収まり、不自然なほど自然に構えられている。
「次の相手はテメェか? 少しは楽しませてくれよ」
ヴァロッタが言い放ち、返答も待たずに踏み込む。槍が獣の牙のごとく迫る。しかしクラットはその殺意を、紙一重で躱した。まるで風が通り抜けるような滑らかな動き──。
「おっかねぇ~」
と笑うや否や、メシュードラが続けて斬りかかる。鋭く、容赦のない一撃。だがクラットは柄で受け止め、そのまま押し返す。金属の音が高く響いた。
初撃を受け止められた瞬間、ヴァロッタもメシュードラも内心で静かに舌を巻いた。余裕ある態度は虚勢ではなかった。だが、どんな達人であろうと──この二人を相手にずっと躱し続けることはできない。たった一人の例外を除いて。
「こんな場末の用心棒をやらせておくには惜しい腕だ。何故こんなことをしている」
メシュードラの問いに、クラットは片手で頭をかきながら笑った。
「博打で大負けしてね。命まで賭けるつもりなかったんだけどな~」
「残念ながら賭場に乗ってるのは互いの命だ。さあ、続けようか」
「ちょ、ちょい待ち! 二対一ってのはさすがにキツイ、最初はあっちの錆色の兄ちゃんだけにしてくれねぇか?」
その言葉に、ヴァロッタの眉がピクリと動く。
「テメェ、メシュードラより俺の方がチョロいと思ったな!」
怒気を孕んだ声が爆ぜたが、クラットの方が一手早かった。ぐっと踏み込んで、刀を振り下ろす。ガン、と金属の激突音。槍と刀がぶつかり合い、火花を散らした。
距離が一気に詰まる。互いの鼻先が触れそうなほどに。そこまで近づいたクラットが、まるで内緒話をするような声で囁いた。
「違う違う、あっちの兄ちゃんよりアンタの方が話が通じやすそうだからさ。あんな見るからに石頭じゃ、交渉も出来ないだろ?」
「確かにな。だけどよ、今さら何の話をしようってんだ?」
「アンタ達別に、ここにケンカしに来たわけじゃないよな。囲みを解かせるからさ、とっとと消えてくんねえか?」
「テメェはそれでいいのか? 一応仕事だろ?」
「命あっての物種。所詮俺じゃあアンタらのどっちにも勝てねえよ。そんなケンカで死ぬのはまっぴら御免さ」
その言葉に、ヴァロッタはわずかに目を細めた。
「わかった。じゃあ、囲みが解けたらアイツ連れてズラかるぜ」
「交渉成立だな」
二人は息を合わせたように押し合い、弾けるように離れる。その様子は戦士というより、舞台の役者のようだった。
「おい、オマエら囲みを解け! これ以上続けたら死人の山が出来るぞ!」
クラットの怒鳴りが空気を切り裂き、用心棒たちは蜘蛛の子を散らすように動いた。彼らにとって、その声はまさに「赦し」。心の奥に巣食っていた死への恐怖が、ようやく逃げ場を見つけた瞬間だった。
「貴様ら、覚悟しろ!」
クラットはわざとらしく怒鳴り、到底届かない距離から剣を振り下ろす。──芝居がかったその動作を合図に、ヴァロッタはメシュードラの腕を引いた。
「おい、もう十分だ。今のうちにズラかるぞ!」
メシュードラも剣を納める。血の匂いが未だ肌にまとわりつく中、彼の瞳だけが静かだった。
「わかった。弾九郎殿と合流しよう」
二人は音もなく駆け出す。その背に刃を向ける者は、誰一人いなかった。追うべきか否か──判断の余地すら、クラットが先に潰していた。
風が吹き抜け、死の気配を拭い去る。残されたのは、沈黙と血に濡れた地面、そして──一人、その場に立ち尽くすクラットの姿だった。
お読みくださり、ありがとうございました。
クラットは放浪癖があり、一ヶ所に留まることを好まない人物ですが、その腕前は一流です。
魔賤窟の組合は、そんな彼を用心棒として引き留めようと接待を重ねました。
しかし、クラットは誰の言いなりにもなりません。
そこで組合は、博打で負債を負わせることで、彼を無理やり縛り付けることにしたのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




