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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
グリシャーロット編

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第49話 乱闘の烽火

 傾きかけた陽が、橙に染まった雲の隙間から地表を斜めに照らしていた。長く伸びる影が、道端の枯れ木とともに地面に揺れ、まるで蠢く亡霊のようだった。

 魔賤窟への道を、三人の男たちが静かに進んで行く。


 その静寂を破ったのは、気の抜けたようなヴァロッタの声だった。


「そんで弾九郎の大将。魔賤窟に行って女の子を助けるってのは、実にやりがいのある素敵な仕事だがよ、なんか作戦とかあんのかい?」


 その口ぶりは軽いが、彼の目はちらりと周囲を警戒している。軽口の裏にあるのは、不安を打ち消そうとする本能的な直感だった。


 弾九郎は、先頭を歩きながら肩をすくめた。彼の歩調は乱れず、まるで散歩でもしているかのように悠然としている。


「作戦? そんなもの必要か? 門番をぶちのめしてラエナを連れ出す。それで終いだ」


 その言葉に、ヴァロッタは目を剥き、思わずメシュードラの方を振り向いた。


「どうするメシュードラ。俺達の大将はなんも考えてないぞ」


 メシュードラはふわりと微笑みながら、しかしその目には鋭い知性の光を宿していた。


「うーん、弾九郎殿。それだけでは少々大雑把すぎるかと。ヴァロッタならばよい策を持ってるかも知れません」

「えっ、俺に振るの?」


 思わぬパスにヴァロッタはたじろぐ。軽口を叩いたのは場の空気を和らげるためだったが、実際に策を問われれば、頭の中は真っ白になる。


「何か考えがあっての発言じゃなかったのか? それとも策は浮かばんか?」


 弾九郎の淡々とした言葉に、ヴァロッタの眉が跳ね上がる。


「なんだと! だったらテメェも考えやがれ!」


 メシュードラはそんな二人を見て、ひとつ小さく咳払いをした。


「そうですな……やはりここは陽動がよいかと」


 その提案に、弾九郎が立ち止まった。振り返ることなく、一拍置いてぽつりと繰り返す。


「陽動?」

「魔賤窟の中で騒ぎを起こし、そのスキに牢を破るのです。これならば目的の達成はたやすいかと」

「そうか……ならその手で行くか。で、誰が騒ぎを起こす?」

「それは私とヴァロッタで引き受けましょう。弾九郎殿はそのスキにラエナ殿を連れ出すのです」


 弾九郎は、ほんの少しだけ唇の端を吊り上げた。それは、彼なりの信頼の証だった。


「わかった。それじゃ作戦会議は以上だな」


 そして、再び三人は歩き出す。


 実に雑な作戦だった。だが、彼らの目には迷いも恐れもなかった。チンピラ相手のケンカなら、これで十分。そう言わんばかりの足取りで、彼らはついに──魔賤窟の入口へと辿り着いた。


 黒く口を開ける入口の奥からは、瘴気とも錯覚しそうな淀んだ空気が流れ出していた。


 *


 魔賤窟は、グリシャーロットの北東、岩山が取り囲む無骨な盆地にぽっかりと口を開けていた。乾いた風が岩肌を擦り、砂塵を巻き上げて視界を霞ませる。午後の陽光は傾きはじめ、赤みを帯びた光が岩壁を染めていたが、その光はどこか鈍く、まるでこの地の穢れを払えずにいるようだった。


 ここに辿り着くには、ただ一ヶ所──岩の裂け目のような狭い隘路を通るしかない。天然の迷宮とも言えるその地形ゆえに、昔から盗賊や無頼者たちの巣として利用されてきた。グリシャーロットが独立した後、一応は表向き「自由市場」として認可されたものの、実態は変わらず。市民も自治政府も、ここが悪の吹きだまりであることを知っていた。


 空間そのものは狭い。わずか二千五百平方メートルほどの土地に、屋台や露店が乱立している。濁った笑い声と甲高い売り声が交錯し、鼻をつく香辛料のにおいと酒の臭気が鼻腔を刺激する。活気と猥雑さが入り混じる空間は、まるで地上のどこかにぽっかり空いた奈落の入り口だった。


 周囲の岩山の壁面には無数の半洞窟が掘られており、そこはすべて娼館だ。露骨な衣装をまとった女たちが、通行人に絡むように声をかけてくる。生気のない目で、それでも笑顔を作るその姿に、ヴァロッタはひそかに眉をひそめた。


「さて、牢はどこかな?」


 弾九郎が周囲をざっと見渡しながら呟く。客引きの女たちを巧みにかわし、群衆の流れに紛れて進んでいくと、やがて岩山の裂け目──その一段下がった場所に、重々しい鉄格子の建物が姿を見せた。


「あそこか……ラエラの言う通り確かにわかりやすい」


 岩の影に隠れるように造られたその牢は、まるでこの地の罪そのものを封じ込めるために存在しているようだった。重苦しい空気が、そこだけ濃密に淀んでいる。微かに、女たちの嘆きの声が風に紛れて耳に届く。泣き声とも、祈りともつかぬその響きが、胸の奥に鈍く刺さった。


 弾九郎はしばらく目を細め、牢を見据えた。何かを計算しているというよりも、ただ状況をその肌で感じ取っているような、野生的な静けさがあった。


「それじゃあ俺はこの辺りで騒ぎを待とう。なるべく派手に頼むぞ」


 言いながら、彼は足を止め、背後の岩壁に身体を預けた。口元には余裕の笑みを浮かべているが、その目は一切の油断を許していない。


「おう、任しとけってんだ!」


 ヴァロッタは軽く胸を叩いてみせたが、その仕草にどこか強がりの色が混じる。彼なりに張り詰めた緊張を吹き飛ばそうとしているのだ。メシュードラは一言も発さず、すでに視線は標的を定めていた。冷静で、淡々としていながら、その歩みに一点の迷いもない。


 二人は牢から二百メートルほど離れた娼館へと向かっていく。どこか浮かれた歓声と、耳障りな笑い声の中を縫うようにして。


 弾九郎は、遠ざかっていく二人の背中をしばらく見送っていたが、やがて小さくつぶやく。


「あいつら、本当に大丈夫か……?」


 その声には、かすかに心配と──それ以上に信頼が滲んでいた。


 *


 雑踏の喧騒が渦巻く魔賤窟の一角。砂塵にまみれた石畳を踏みしめ、ヴァロッタは軽い足取りで歩み寄った。岩の壁面に食い込むように建てられた娼館の前で、手馴れた笑みを浮かべ、入り口に佇むポン引きに声をかける。


「おう、オッサン! この辺りじゃここがイチバンだって聞いてきたんだけどよ、本当かい?」


 声をかけられたポン引きの男は、擦り切れたチョッキの裾を撫でながら、腰を低くして擦り寄る。目の奥には下心と計算が宿っていた。


「そりゃもうダンナ! お目が高い! ウチの店は魔賤窟じゃ一、二を争う店って評判なんでサァ。女の子も粒ぞろい! 今の時間なら選り取りみどりだよぉ」


 ヴァロッタはにやりと笑い、親指で隣のメシュードラを指し示した。


「そりゃあいいね。実はよ、今日はコイツのために店を探してたんだ」


 ポン引きはメシュードラを見るや、露骨に顔をほころばせた。艶めかしく舌なめずりさえしながら、媚びるように言葉を継ぐ。


「おっ、こっちのダンナはずいぶんと洒落ててイケメンだぁ。ダンナだったらこんなとこ来なくてもオンナなんて選び放題でしょうに」

「いやぁ~、コイツがいいのは見てくれだけで、中身はてんでつまらねえの。だからオンナと話しても五分と持たねえんだ」

「ええっ、するともしかしてダンナは……」

「おうよ。今日はコイツの筆下ろしに来たんだよ~」


 メシュードラは沈黙を守っていたが、その額には青筋が浮かび、こめかみがピクリと動いていた。怒りを抑えるその表情は、まるで仮面のように静かで、逆に不気味な迫力を放っている。


「それじゃ、とびっきりのオンナをご紹介しなくちゃ!」


 ポン引きは足音も軽く、店の奥へ駆け込む。間もなくして連れ出されたのは、けばけばしい化粧と艶やかな衣装をまとった三人の娼婦たちだった。甘ったるい香水の匂いが一帯に漂い、空気がさらに濃密になる。


「どうです! これだけの美女はそんじょそこらじゃお目にかかれませんぜ!」

「あらいい男」

「ねぇ、私と遊びましょうよ」

「お兄さんだったらタダでもいいわぁ」


 女達はしなだれかかるようにメシュードラに言い寄るが、彼の無表情な顔には、一片の興味も浮かばない。ただ、その目だけが冷たく、そして静かに女達を見つめていた。


「……魔賤窟一の店と聞いてきたんだが、どうやら違ったようだ。この程度の女が出てくるようでは話にならん」


 まるで刃のように鋭い声だった。女たちの笑顔が一瞬で引きつり、次いで怒りが爆発する。


「なんだいアンタ! 何様のつもりだい!」

「舐めんじゃないよ! アタシらはこの辺りじゃ稼ぎはイチバンなんだよ!」

「ちょっと顔がいいからって、スかしてんじゃないよ!」


 ポン引きが慌てて割って入る。冷や汗を浮かべ、手をひらひらさせながら取り繕おうとする。


「ダ、ダンナぁ~、お目が高いのはわかりますがねぇ、これ以上の女ってなると~」


 しかし、その言葉は最後まで届かなかった。


「貴様、舐めてるのか!」


 メシュードラの足が一閃。鍛え抜かれた脚がポン引きの腹を容赦なく蹴り抜く。空気が一瞬止まり、男の身体が弧を描いて宙を舞う。次の瞬間、後方の扉が木っ端微塵に吹き飛んだ。


「きゃーー!!」


 女たちの悲鳴が辺りに響き渡る。それは引き金となり、瞬く間に周囲から用心棒たちが集まりはじめた。粗野な武器を手にした男たちが、ざわめきと共にヴァロッタとメシュードラを取り囲む。


「お前、顔に似合わず乱暴なのな」


 ヴァロッタが肩をすくめる。だがその目はすでに、数歩先の戦いを見据えていた。


「貴様の暴言は聞くに堪えんからな。どうせこうするつもりだったんだろ」


 メシュードラは冷静に言い捨てる。その声音には怒りよりも、静かな決意のようなものが宿っていた。


「まーいいんだけどさ」


 ヴァロッタが手槍の柄に手をかけつつ、半ば呆れたように笑った。


「あと一つ言っておく」

「なんだよ」

「俺は童貞じゃないぞ」

「……あ、そこ気にしてたの?」


 戦の火蓋が切られる直前だというのに、二人の間には妙な静けさが漂っていた。

お読みくださり、ありがとうございました。

魔賤窟は、まるで裏社会の縮図のような場所ですが、住民たちは自治組合を結成し、最低限の秩序を保とうとしています。

凶悪な犯罪者が集まりやすい土地柄だけに、用心棒たちも一筋縄ではいかない荒くれ者ばかりです。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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