表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
グリシャーロット編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/180

第48話 魔賤窟へ

「助けてくださいって……どうしたの?」


 ミリアの声には、まだ戸惑いの色が残っていた。けれどその瞳は、今やしっかりと姉弟に向けられている。迷子の子供たちにかけるそれではなく、傷つきながらも懸命に何かを訴える者に向ける、まっすぐなまなざしだ。


「詳しい話は出来るか?」


 弾九郎の言葉は静かだが、揺るぎがない。声の底に、深い重みと覚悟が滲んでいた。それを受け止めるように、姉のラエラはためらいがちに口を開いた。


「わたしたち……お隣のグリクトモアから来たんです……」


 話すうち、ラエラの肩は少しずつ震えはじめた。けれど、途中で止まることはなかった。言葉にすることで、何かが救われるとでも思うかのように。


「お父さんとお母さんは……悪い人たちに殺されちゃって……わたしたち三人は隠れていたんです。でも……ラエナ姉ちゃんだけ見つかって……」


 言葉が途切れ、ラエラは歯を食いしばった。目を伏せたまま、それでも話を続ける。


「悪い人たちは、ラエナ姉ちゃんを……グリシャーロットの『ませんくつ』に連れていくって……」


 魔賤窟──その名を聞いた瞬間、弾九郎の目がわずかに細められた。先程チンピラ達が口にした場所。奴らはそこでミリアを売り飛ばすと吠えていた。それだけでもう、十分いかがわしい場所であることは察しがついた。実際、魔賤窟は表向きは娼館街。だが裏では、薬物、盗品の密売、拉致と売買、ありとあらゆる非道が通貨のように飛び交う地獄の市場だ。


「それで……ラエナ姉ちゃんを助けたくて、あいつらのコンテナに隠れて……」


 ラエルがぽつりと続けた。声はか細く、けれどその小さな拳には悔しさがこもっていた。


 弾九郎は静かに頷きながら聞いていたが、顔には次第に険しさが浮かぶ。眉間には深く皺が寄り、目は伏せられたまま、それでも確かに怒りを帯びていく。


「……姉上を助けることは出来なかったんだな」

「はい……ラエナ姉ちゃんたちは牢屋に閉じこめられていて……」


 ラエラの声はか細く震え、まるで自分の無力さを責めているかのようだった。

 捕えられた者を奴隷として扱う際に、よく使われる手口がある──牢に閉じこめ、水だけを与え、飢餓と恐怖で心を折る。

 飢えた人間は、いずれ自ら服従を選ぶ。

 ラエナが捕えられてから、すでに三日が経過しているという。おそらく、あと十日もすれば、口にする言葉も感情も削がれ、ただ命令に従うだけの「商品」に変えられてしまうだろう。


「牢の場所は……魔賤窟に行けばすぐわかるのか?」

「はい……場所はすぐにわかります……崖に掘られた牢屋で、外からも見えるから……」

「そうか……」


 弾九郎は、しばらく黙った。短い沈黙。その間に、何かを確かめるように自分の中で思考が巡っていた。


「……ところで、なんで俺に声をかけたんだ?」


 その問いに、ラエラは目を伏せたまま答える。


「……さっきお兄ちゃんが……悪い人たちをやっつけてるのを見て……それで……」

「おねがいですっ、ラエナ姉ちゃんを助けてください!」


 ラエルが叫んだ。幼い身体を前のめりにし、小さな両手を弾九郎に差し出す。泥にまみれた手のひらには、つやを失った硬貨、丸い小石、片腕の取れたオウガの人形──どれも、子供にとっての「宝物」。大切なものを全部差し出すほど、彼の思いは切実だった。


「お願いです……お金は八十ギルしかないけど、足りない分は、私とラエルが働いて返します……だから……」


 涙をこらえていたラエラの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。頬を伝い、テーブルの上に落ちる。光を浴びたその滴は、まるでガラス玉のようにきらめいていた。


 やがて、弾九郎は無言でラエルの掌に手を伸ばし、丸い小石を一つ、摘み上げた。


「……これは丸くて、いい石だな」


 彼はそう言って、小さく笑った。


「報酬としてこれをもらおう」


 椅子を引く音が静かに響く。弾九郎は立ち上がり、胸元を軽く叩いた。戦士の仕草──決意の証だ。


「この来栖弾九郎が、しかと引き受けた。二人とも──姉上の帰りを、大人しく待っていろ」


 その言葉に、ラエルとラエラの顔が上がった。まるで暗闇の中に一筋の光が射し込んだように、二人の表情がぱっと明るくなる。その笑顔は、痛々しいほどに純粋だった。辛い記憶の積み重ねの中で、ようやく得た「希望」という名の灯だった。


「あとは報酬に釣りを出さねばいかんな。ミリア、この二人を宿に連れて行き、風呂に入れ、飯をたらふく食わせるんだ。それと服も買おう。俺が戻るまで、ラエラとラエルを守ってやって欲しい」

「……わかった。この子たちのことは任せて。でも……ダン君、まさか『魔賤窟』に一人で?」

「いや、その手の場所に詳しそうな奴を連れて行く」


 そう言って、弾九郎は背を向けた。その足取りは、迷いなく、まっすぐに──闇の中へと向かっていた。陽光に照らされたベランダの明るさが、まるで幻想だったかのように、彼の影はすっと地面に伸びていった。


 *


「おい、ヴァロッタ。もう飲んでるのか?」

「いいや、まだエール一杯だけだ。こんなの、飲んだうちに入んねぇよ」


 酒場の片隅にある丸太のテーブル。そこに片肘をついたヴァロッタは、ヒビの入ったジョッキを軽く掲げて笑った。がらんとした昼の店内には、酔客の喧騒もなく、埃っぽい静けさが漂っている。

 彼はここ数日、こうして暇を持て余し、この店で昼間から飲んでいる。まるで、誰かを待っているかのように──。


「せっかくいい気分になったところ悪いんだが、『魔賤窟』に行きたいんだ。場所を知っているか?」

「はぁ!? そんなとこ行ってどうすんだよ。……嬢ちゃんにバレたら、マジで殺されちまうぞ」


 一気に顔をしかめるヴァロッタ。だが、その口調には恐れだけでなく、わずかに興味もにじんでいた。


「大丈夫だ。ミリアも知っている。それに、遊びに行くわけじゃない」

「は? じゃあ何しに……」


 その時、不意に開かれた扉が、乾いた軋み音を響かせた。

 入り口に立っていたのは、長身の男──メシュードラだった。黒い外套には風の砂がうっすらと積もり、彼が急ぎ足でここまで来たことを物語っている。


「捕らわれた少女を救いに行くと聞きました。さすが弾九郎殿、義に厚い」

「……なんだ、よくここがわかったな、メシュードラ」


 弾九郎が肩をすくめて言うと、メシュードラはわずかに微笑んだ。


「宿でミリアさんに伺いました。弾九郎殿なら、きっとヴァロッタを連れていくだろうと。──ただ、彼ひとりでは心許ないと思われたのでしょう。私に、同行を頼まれたのです」

「なんだとテメェ!」


 ヴァロッタが立ち上がり、椅子が床を引きずるような音を立てる。

 だが、弾九郎の低い声がすぐに空気を押しつぶした。


「やめろ、ヴァロッタ。仲間割れしている場合か」


 その一言に、ヴァロッタはしぶしぶ座り直した。

 冗談のような言い合いも、いざという時には無意味になる──弾九郎の拳が飛んでくる前に、彼はよく知っている。痛みも、恐ろしさも。


「……まあいい。では行くぞ」


 空気が一変した。

 それは遊びや気まぐれではない。人の尊厳が踏みにじられる場所へ、今まさに踏み込もうとしているのだ。

 三人の視線が交差し、どれもが黙して語る決意を宿していた。


 こうして彼らは、この旅が始まって以来、初めての本格的な戦いへと、静かに足を踏み出した。

お読みくださり、ありがとうございました。

姉弟はグリクトモア城都市の城壁内で暮らしていましたが、ある日、複数のオウガによって城壁が破られ、街は襲撃を受けました。

家を荒らす野盗から妹と弟を守るため、ラエナは自ら囮となり、捕らわれる道を選んだのです。

次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ