第47話 姉弟の願い
弾九郎が街に出るときは、いつもミリアがくっついてくる。見た目こそ少年少女のような二人だが、ミリアは彼の「保護者」のつもりなのだ。異世界から来たばかりの弾九郎は、まだこの世界の風習にも危険にも不慣れ。何かあれば自分が守らなければ──そんな思いが彼女を突き動かしていた。
メシュードラがムースと遭遇していた頃、二人は裏通りの露店を冷やかしながら歩いていた。路地に入れば、空気ががらりと変わる。路面は凸凹して埃っぽく、どこか焦げたような臭いが鼻をつく。表通りの賑わいは遠く、ここには物陰に潜む視線と、肌にまとわりつくような不穏さが漂っていた。
人通りもまばらな道で、彼らは突然、五人の男たちに取り囲まれた。薄汚れたコート、鋭く光る目、唇の端に貼りついた嘲笑──その一人が、舌なめずりするような声で言った。
「よう、お二人さん。見ねぇ顔だな。よかったら、この辺の案内でもしてやろうか?」
言葉は丁寧だが、その眼差しは露骨な敵意と欲望に満ちていた。
「せっかくの申し出だがお断りする。別に道に迷っているわけではないからな」
弾九郎は冷静だった。まるで、壁の落書きでも見るかのような無関心な顔で、チンピラたちを見ている。眉一つ動かさないその態度が、かえって挑発となったのだろう。チンピラの一人が、声を低くして唸った。
「なら、通行料をもらおうか。持ち金を全部置いていけや!」
「ちょっと! 何バカなこと言ってんのよ! ここはみんなの道路でしょ? お役人でもないくせに通行料って、笑わせないで!」
ミリアの語気は鋭く、怒りを隠さずにぶつけた。その瞬間、空気が一変する。
「このアマ……! テメェをさらって魔賤窟に売り飛ばすぞ!」
男が手を振り上げるが、その腕は途中で止まる。──いや、止められた。弾九郎が素早くその手首を掴んでいた。動作は静かで、無駄がなかった。
「……テメェ!」
「タカリをするなら、相手を選ぶんだな。でないと、余計な怪我をするぞ」
淡々とした口調の中に、冷たい怒気が滲む。チンピラたちは一瞬たじろいだが、すぐに本性を剥き出しにして飛びかかってきた。
「ミリアしゃがめ!」
弾九郎の短い指示に、ミリアは本能的に身を屈める。次の瞬間、風が裂けるような音と共に、チンピラたちの体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。まるで人形のように、五人中四人が一瞬で戦闘不能になる。
残った一人は、いまだ弾九郎に腕を掴まれたまま、膝をついていた。苦悶に歪む顔、額には脂汗が浮かび、唇は震えていた。
「まだ通行料が欲しいか?」
その一言に、男は首を激しく横に振った。
「い、いや、もういい……! 離してくれ……!」
弾九郎が手を放すと、男はその場にへたり込み、真っ青な顔で腕を擦った。掴まれていた部分は、まるで鉄で挟まれたかのように手形の形に腫れ上がっていた。
「行こう、ミリア」
「う、うん……」
弾九郎は振り返りもせず歩き出す。ミリアは後ろを気にしながらついていった。転がる男たちは、まだ一人も立ち上がれていない。
だが──。
そのとき、誰も気づかなかった。石畳に落ちた二つの影。小さく、静かに、彼らの背後をつけてくる存在に。
*
裏通りの陰鬱な空気を抜けると、急に視界が開ける。石畳が陽光に照らされ、淡い金色を帯びた広場の先に、小さなカフェのベランダが見えた。花の咲き誇る鉢植えが欄干に並び、テーブルクロスは風にそよいでいる。
弾九郎とミリアは、そのベランダの片隅に腰を下ろす。木の椅子は心地よく軋み、目を細めた弾九郎がポツリと呟いた。
「……昼間に飯を食うってのは、どうも馴染めんな」
弾九郎はサンドに視線を落としながら、ぼそりと呟いた。
戦国の世に生きていた彼に、昼食などという習慣はなかった。今では香ばしい魚の味に惹かれはするが──やはり、体も心もまだ異世界の「当たり前」には染まりきっていなかった。
「なに言ってるの、ダン君。ゴハンはちゃんと食べないと。元気が出ないでしょ?」
ミリアの声は明るく、生命力に満ちている。彼女は名物のフライフィッシュサンドにかぶりつき、頬をふくらませながらも、どこか嬉しそうだ。
油で揚げた魚──弾九郎はそんなものを食べたことはもちろん、見たことも聞いたことも無かったが、今ではその香ばしさとサクサクした食感の虜になっている。ただ、真っ昼間にこれを胃に入れるというのは、やはり落ち着かなかった。理屈が反発しているのだ。
とはいえ、若い身体は正直だ。十五歳の胃袋は、思考とは関係なく、腹の虫を鳴らしていた。
──そのときだった。
「…………あ、あの……」
かすかな声が、風に乗って届く。振り向くと、ベランダの柵の向こうに、二人の子供が立っていた。十歳くらいの女の子と、七歳ほどの男の子。ボロボロの服はところどころほつれ、素肌のように見える腕や脚には擦り傷が点在している。髪は乾ききっていて、目の下には濃いクマが浮かんでいた。
まるで、街の陰に押し込められた存在──光の届かないところから、勇気を振り絞って這い出てきたような二人。
「どうしたの? お腹すいたの?」
ミリアが優しく声をかけ、まだ手を付けていないサンドを差し出す。男の子はためらいもせずそれを両手で受け取り、むさぼるように食べ始めた。目を見開き、涙を堪えながら噛みしめるその様子は、飢えというよりも、生きることそのものへの渇望のようだった。
「ダメだよ、ラエル! 迷惑でしょ!」
二人はどうやら姉弟で、姉らしい女の子が慌てて弟を叱ってる。言葉こそ強いが、その声には責めるよりも恥じ入る色が濃い。礼儀を重んじるように、彼女は小さく身を縮めた。
弾九郎は、黙ってもう一つのサンドを差し出した。自分の分として用意されたものだが、なぜか食べたいという気持ちはすでに霧散していた。
「……よかったら、きみも食べてくれると助かる。俺はもう腹がいっぱいなんだ」
「え……そ、そんな……」
女の子は戸惑う。けれどその目は、サンドに釘付けだった。ミリアが小さく頷き、背中を押すように言った。
「いいのよ。このお兄ちゃんはお腹いっぱいだって」
「……い、いただきます」
姉弟は、並んでフライフィッシュサンドにかぶりついた。その姿は、痛々しくもあったが、どこか心を打つ温もりがあった。人が「食べる」という行為に、これほど必死になれることが、ただ切なかった。
「まだ食べるか? 欲しいものがあれば遠慮するな」
弾九郎の申し出に、姉はぶんぶんと首を振った。
「い、いえ、もう大丈夫です……」
その横で、ラエルが弾九郎の袖をぎゅっと掴んだ。そして、おずおずと姉の顔を見上げる。
「ラエラ姉ちゃん、このお兄ちゃんにお願いしようよ……」
ラエルの小さな手が、姉の服の裾を引いた。ラエラは、ぎこちない沈黙の中で口を開けずにいたが──。
突然、ラエルが地面にひれ伏し、大きな声で叫んだ。
「お願いします! ラエナ姉ちゃんを助けてください!」
その言葉に、ミリアは手にしていたカップを止め、弾九郎はゆっくりと視線を落とした。
──昼下がりの穏やかな光景に、突如として差し込まれた切実な祈り。
二人の心が、確かに揺れた。
お読みくださり、ありがとうございました。
表通りの店は組合を組織し、自警団も備えています。
そのため、街のチンピラたちもそう簡単には手を出せません。
地域によってはヤクザが治安を仕切っていることもあり、チンピラたちは主に裏通りで威張り散らしているのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




