第45話 不穏な贈り物
弾九郎一行は、いつまでグリシャーロットに滞在するかをまだ決めていない。街と魚介を十分堪能して、次の目的地を決めるまで、とりあえずはここで羽を伸ばすことにしたのだ。
港町特有の潮の香りが漂う空気の中、彼らはオウガと荷を積んだコンテナを街の入口にある専用ヤードに預け、活動拠点を港沿いの旅館に移していた。
旅館の窓からは、朝日に染まる水面がきらめき、漁船の往来が小さな波音とともに聞こえてくる。活気に満ちた市場の喧騒も、どこか遠くの世界のことのように感じられる。
仲間たちの行動は基本的に自由であり、誰かと食事を共にすることもあれば、一日まるごと姿を見せぬ者もいた。それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
メシュードラはその日の朝、ひとりでグリシャーロットの中心部──賑やかな繁華街へと向かっていた。
石畳の通りには、朝市の名残で賑わう屋台が立ち並び、香ばしいパンの匂いや焼き魚の煙が空に立ちのぼっている。喧騒の中にも、どこかゆったりとした港町の気配があった。彼はその喧騒を突っ切るように歩きながら、ふと目に留まった小さな雑貨屋へ足を止める。
看板には、紅茶のティーポットをかたどった飾り彫り。趣のある木造の引き戸を押すと、チリン、と小さな鈴の音が鳴った。
店内は、木の温もりに満ちた柔らかな空間だった。天井から吊されたランプが淡い光を落とし、棚には異国の香辛料や手作りの石鹸、色とりどりの陶器が並んでいる。
そんな中で、彼の視線は自然とある一角に引き寄せられた。ガラスの瓶に詰められた紅茶の茶葉が、陽の光を浴びてほのかに輝いていた。
「紅茶が一瓶五百ギルとは、以外と値の張るものなのだな……」
メシュードラは、瓶に入った茶葉を手に取ってつぶやいた。その声には、軽い驚きと、どこか楽しげな響きが混じっていた。
彼にとって紅茶は、昼食後に嗜むもので、茶葉を買うことはおろか、自分で入れたことすらない。
「お客さん、お目が高いね。そいつはガントから仕入れた一級品だから、それぐらいはするんだよ」
カウンター越しに店主が笑みを浮かべる。商売人らしい口ぶりだが、その目は相手の身なりを値踏みするように光っていた。
「そうか、何しろ紅茶を買うのは初めてだからな。ガントの品か……」
旅人とはいえ、メシュードラの身なりは粗末ではなかった。質の良い布地のコートに、手入れの行き届いたブーツ。腰に下げた剣の鞘には、渦巻くような彫金細工が施されている。──世間知らずの坊ちゃん、と見られても仕方のない風体だった。
通貨ギルはギラの一万分の一。一ギルはおよそ十円の価値を持つ。つまり五百ギルは五千円に相当する。紅茶の値段としてはべらぼうに高い。明らかにぼったくり価格だが、それでもこの男なら出すだろうと店主は睨んでいた。
「親父さんよ、それはいくら何でもふっかけすぎだ。そんな茶葉、せいぜい百ギルってとこだろ?」
店内に響いた声は、軽薄な調子ながらも妙に通る声だった。
メシュードラが顔をしかめて振り返ると、入口に立っていたのは、細身のシルエットに派手な出で立ちの男。
艶のある黒のシルクハットにステッキ、片眼鏡をかけたその姿は、いかにも「洒落者」を気取ってはいたが、どこか胡散臭さがにじんでいる。
男の目元には笑みのようなものが浮かんでいたが、それは親しみよりも、侮りの色が濃かった。
「ちっ、商売の邪魔するなら出てってくれ」
舌打ち混じりに吐き捨てる店主の前に、男は紅茶の瓶を軽やかに置くと、懐から取り出した百ギル硬貨をカウンターに転がした。
カラン、と乾いた音が木の天板に響く。どこか挑発めいた手つきだった。
「お久しぶりですな、メシュードラ様。再会の印に、この茶葉を進呈いたします」
にやけた顔のまま、男は瓶を両手で差し出してくる。丁寧な所作ではあったが、どこか芝居がかっていた。
だがその「親切心」は、メシュードラの表情をこわばらせるには十分すぎるものだった。
「貴様に紅茶をもらういわれなどない」
声は低く、鋭い。
メシュードラは瓶を一瞥しただけで拒絶し、店の棚から別の茶葉の瓶を無言で取ると、カウンターに百ギル硬貨を五枚、音を立てて置いた。
「おい、店主。一瓶もらって行くぞ」
その言葉に、店主は軽く頷いただけで、余計な言葉は挟まなかった。
メシュードラの背中には、男に対する明確な拒絶の意思が滲んでいた。
店を出ると、冷たい潮風が頬を撫でた。だが、それより冷ややかなのは後ろから追ってくる足音だった。
「お待ちください、メシュードラ様!」
声が近づいてくる。振り返らずとも、誰が来ているかはわかっていた。
「私に何の用だ、ムース。貴様と話すことなど何もないぞ」
名を呼ばれた男──ムースは、表情を崩さず、飄々とした足取りのままメシュードラの横に並んだ。
だが、その笑顔の奥には、何層にも重なった思惑と打算が渦巻いているのを、メシュードラはよく知っている。
ムース。傭兵のブローカー。戦を商いに変える男。
どこかの王が火を欲しがれば、油を撒いて回るのがこの男の仕事だった。戦争の口火を切るのは王の命令かもしれないが、実際に火をつけて回るのはムースのような存在だ。
王に近づき、耳元で囁き、好戦的な将軍と手を組み、傭兵を集める。数を揃え、噂を流し、民意すら操作する。
アヴ・ドベックで、メシュードラは何度かムースと顔を合わせたが、そのたびに感じたのは、肌にまとわりつくような不快感だった。
冷たい水でも浴びたかのような、鳥肌が立つような悪寒。それは、ムースという人間の「中身」を本能的に察していたからかもしれない。
今もなお、その気配は変わらなかった。
この男の言葉は、贈り物も、微笑みも、すべてが毒を包んだ飴だと知っている。
だからこそ、紅茶一瓶で情を買おうとするその態度に、メシュードラはあからさまな敵意を示した。
──己の手で、どれだけの血を流させてきたのか。それを知っていながら、まだ笑っていられるのか。
そんな問いが、メシュードラの心の奥底に冷たく渦巻いていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
この世界における主な税金は人頭税、通行税、固定資産税などで、消費税のような高度な徴収システムを要する税は存在しません。
税負担率はおおむね四割から六割で、現金または生産物によって納められます。
いずれも用意できない十歳以上の者には、代わりに賦役が課されます。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




