第33話 断頭の音
王の震えが止まらない。玉座に腰掛けたまま、腰が抜けて動けない。
目の前に立つ異界人──来栖弾九郎。
彼の強さは、雑草を刈るが如く、自分の首を取ろうとしている。
「──あー、やっぱ止めた」
怯えきった王の前で、弾九郎がふっと肩をすくめるように言った。
「グンダ王よ。ここで無駄な血は流したくない。褒美は別の物に変えて良いか?」
弾九郎の声は変わらず冷静で、淡々としていた。しかし、その言葉を聞いても王の震えは止まらなかった。
彼は理解してしまったのだ。
──この男にとって、人の命など、交渉の道具の一つに過ぎないのだと。
「む、無論じゃ! 儂の命以外の物だったら何でもくれてやる!」
グンダ王の顔は蒼白だった。額には玉のような汗が浮かび、しきりに唇を舐めている。彼の目は玉座の両側に立つ衛兵を泳ぎ、頼れる者を探していた。しかし、誰一人として王を助けようと動く者はいない。
弾九郎は一歩、前へ。
「それでは、そこにいるメシュードラ・レーヴェンをもらおうか」
「はあ?」
メシュードラは驚きのあまり、弾九郎とグンダ王を交互に見た。
彼はアヴ・ドベッグ騎士団の団長であり、名門レーヴェン家の当主だ。それが今、露店の品物のように扱われている。
「よ、よかろう! メシュードラは其方にくれてやる! だから、一刻も早くこの場を立ち去れ!」
言い放った瞬間、メシュードラは深いため息をついた。
王の性格を考えれば、こうなることは予想できた。だが、それにしても──あまりにも潔く、自らの忠臣を差し出した。忠誠を誓った相手のこの冷酷さに、彼は何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
「まあまあ、そう焦らずに」
弾九郎は不敵に微笑む。
「褒美の件はこれで片づいた。だが、グンダ王にはもう一つ用があるのだ」
「な、なんじゃとぉ……」
王の喉が鳴る。
ヴァロッタは腕を組み、ニヤリと笑った。
(出た出た。こいつがこのまま下がるワケねえとは思ってたが……「別の用」とはねぇ……そっちの方がよっぽどおっかないぜ)
弾九郎は無茶苦茶なことをする男だ。しかし、決して筋を違えることはない。だからこそ厄介なのだ。
「俺はこの街に、大恩ある方がいた」
弾九郎の声が静かに響く。
「トルグラス殿という。そのお方が先日、王の兵になぶり殺しにされた」
「な、なんだ……と……」
グンダ王の喉が乾き、ゴクリと唾を飲み込む音が響いた。
「聞くところによると、トルグラス殿はミラードなる者から宝剣の手入れを頼まれていた。それだけの理由で殺されたのだと」
「な……ミラードの奴は儂に反旗を翻したのだ! それは当然受けるべき罰じゃ!」
「トルグラス殿は何も知らなかった。なのに、たった一人の孫娘を残して逝かれた。その無念は察するに余りある。そして、残された孫娘も不憫でならん」
「そ、それで儂を殺すのか!?」
グンダ王は椅子の肘掛けを握り締めた。
「たかが下賤の者が死んだぐらいで……」
次の瞬間──。
バキィッ!!!
空気が砕けるような轟音が響いた。
弾九郎の拳が、王の玉座の肘掛けを粉砕したのだ。
「たかが……だと?」
低く、凍りつくような声が響く。
「民がいてこその王だろうが。過ちがあれば詫びるのが筋というもの」
「わ、詫びる! いくらでも詫びる! だから、だから命だけは!」
グンダ王は椅子の上でのたうち回る。顔は汗でぐしゃぐしゃになり、涙すら浮かべていた。
弾九郎は一歩引き、間合いを取る。
「では、あの世に行き、トルグラス殿に詫びてこい。その後で帰ってくるのはオマエの自由だ」
「ひ、ひぃいいいい!!!」
無茶苦茶な理屈に王の悲鳴が執務室中に響き渡る。あの世に行って詫びたら帰って来ていいなど、正気の沙汰では無い。
「メ、メシュードラ! この者をなんとかせい! 儂を助けよ!!」
「はっ、然れど王よ!」
メシュードラは静かに片膝をつき、淡々と言い放った。
「私は先程、王の命により、この者の所有物となりました。──残念ながら、王をお助けすることは出来かねます」
グンダ王の顔からみるみる血の気が引く。
衛兵や側近たちは、壁際に下がり、ただ震えながら成り行きを見守ることしかできなかった。
ただ一人──ヴァロッタだけは、抑えきれずに笑い出した。
(こういう筋書きとは思わなかったぜ……王を生かすとは思ってなかったが、メシュードラを助けるためだったとはな……)
彼は最高の特等席で、今まさに物語のクライマックスを目撃しようとしていた。
そして、弾九郎は静かに目を伏せる。
「では、お覚悟召されよ」
「ま、まっ──」
チンッ。
銀閃が走った。
金属が擦れる、澄んだ音が響く。
次の瞬間──。
グンダ王の首が、ふわりと宙を舞い、床へと転がる。
玉座には、もはや胴体だけが取り残されていた。
転がった首の目は大きく見開かれ、口はパクパクと何かを訴えている。しかし、それを理解する者はもういない。
数秒後──。
その運動は止まり、静寂が執務室を包み込んだ。
「お、王が……王が……!」
血の気の引いた顔で、執事が今さらながらに駆け寄る。
膝をつき、震える手で床に転がるグンダ王の首を抱きかかえた。
その手は小刻みに震え、顔は恐怖と絶望に満ちている。
王の血が床に広がっていく。
その赤はあまりにも鮮烈で、誰もが視線を逸らせなかった。
「王は……王は自裁されたのだ! よいか、皆の者!」
鋭い声が空気を引き裂いた。
メシュードラが堂々と前に進み、威厳たっぷりに吼える。
「此度の戦、勝利したとは言え、我が軍は甚大なる犠牲を払うこととなった。すべては、王の独断によって始まった戦である。そのうえ、ミラード男爵に無実の罪を着せ、誅殺するという非道まで行ったのだ。王はその決断を深く悔い、心に重き痛みを抱かれた。そしてついには、自ら命を絶つことで、その責を背負われたのだ──。……そうだな!」
側近たちは息を飲んだ。
咄嗟に作られたその言葉を、メシュードラは恫喝するように押しつける。
誰もが理解していた。
ここで王が暗殺されたと喧伝すれば、自分たちの責任が問われる。
王の死を防ごうとすらしなかった自分たちは、どうなる?
あまつさえ犯人を取り押さえもしない。いや、それをできる者がいるのか?
──否。
目の前にいる異界の剣士を捕縛出来る者など、一人もいない。
ならば、このシナリオが最も妥当で魅力的だった。
王が自ら命を絶ったのだと、そういうことにすれは全て丸く収まる。
沈黙の中、誰からともなく頷きが広がった。
「……では、俺の用は済んだ」
弾九郎はそう言い放ち、振り返ると王の間を後にした。
お読みくださり、ありがとうございました。
メシュードラは生まれつきの才能を、グンダ王に疎まれ、十三歳の頃から大陸各地の戦争へと援軍として送り出されていました。
王は、あわよくば戦死することを望んでいたのです。
しかしその思惑に反して、メシュードラは戦場の中で才能を開花させ、「大陸十三剣」の一人として称えられるまでになりました。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




