第32話 求める褒美
王の間は静寂に包まれていた。
金と瑠璃色を基調とした豪奢な執務室。壁には歴代の王の肖像画が並び、窓辺には濃紺の天幕が垂れ下がる。天井には重厚なシャンデリアが煌めき、香のほのかな薫りが室内に満ちていた。だが、この場にいる者たちは皆、まるで凍りついたように呼吸を潜めている。
「其方が来栖弾九郎か?」
グンダ王の声が響く。低く、威厳に満ちた声だった。王の目が鋭く細められる。目の前に跪く男を見据えるその瞳は、狩人が獲物を値踏みするような色を帯びていた。
「はっ。お目にかかれて光栄です。グンダ王」
弾九郎は静かに答えた。頭を垂れるその仕草には隙がない。まるで剥き身の刃を鞘に収めたまま、いつでも斬りかかれるように構えているかのようだった。
執務室には王の他、忠実な執事が一人、鋼のような眼差しの衛兵が二人、緊張に硬直した給仕役が二人。その場の空気は、弾九郎の存在がもたらす異質な何かによって、異様に張り詰めていた。
「来栖弾九郎という名は聞いたこともないが、其方はどこから参った」
王は鋭い視線のまま尋ねる。
「はっ。アウラダ・コーラリウムなる者の話だと、私は地球から参った異界人とのことで、この世界に寄る辺はございませぬ」
「なんと!」
王が驚愕に目を見開いた。執務室にいた者たちも、息を呑む。
「其方は異界人であったか! コーラリウム家のご当主が探しておられたと言うのは其方のことじゃな。なるほど、だからこそ超人的な強さを備えておったのか!」
グンダ王は饒舌になった。通常の彼ならば、謁見でここまで言葉を尽くすことは稀である。陰鬱で冷徹な王が、まるで子供のように興奮している。──それほどまでに、弾九郎の力に心を奪われたのだ。
「寄る辺が無いと言うことは不安であろう。どうだ、我が元に来ないか?」
王の目が鋭く光る。
「其方なら如何様な爵位でも与え、厚く遇するぞ。我が軍を率いて大いに手柄を上げてみるのはどうじゃ?」
王の言葉には確かな熱があった。王としてではなく、一人の野心家として、強者を手元に引き入れたいと渇望しているのが手に取るようにわかる。
だが──。
弾九郎は、まるで他人事のように聞き流していた。
まるでこの場が自分にとって無関係であるかのように、瞳の奥には何の感情も浮かばない。勧誘の熱意と、彼の無関心さとの間に横たわる溝は、深く、冷たかった。
「王のお話。誠にありがたいことと存じます。なれど、その前に此度の褒美を賜りたくお願い申し上げます」
その言葉に、執務室の空気が張り詰める。
メシュードラをはじめとする家臣たちは、顔色を変えた。王の厚意ある誘いを無視し、褒美を求めるとは──無礼にも程がある。冷や汗が背筋を伝う。衛兵たちも表情を硬くし、手元の槍に力を込めた。
だが、たった一人。
ヴァロッタ・ボーグだけが、腕で顔を隠しながら肩を震わせていた。笑いを堪えているのだろう。如何なる権威にも動じぬ弾九郎の姿が、彼にはあまりにも痛快だったのだ。
「おお、もちろんじゃ!」
意外なことに、王は不機嫌になるどころか、さらに上機嫌になった。頬をほころばせ、椅子の肘掛けを軽く叩く。
「マーガ三兄弟を討ち取ったのだからな。如何なる褒美でも使わすぞ! 欲しいものはなんじゃ? 遠慮せずに申してみよ」
王は楽しげに言った。爵位を求めるならば臣下に、金銭や宝物を求めるならば取引相手として。どちらにせよ、弾九郎を逃すことはない──そう確信していた。
だが──。
弾九郎が求めたものは、王の予想をはるかに超えていた。
「それでは王よ。此度の褒美として──王の首を賜りたい」
静寂が、場を切り裂くように落ちた。
「は?」
グンダ王の顔が引きつる。冗談だと信じたい。しかし、目の前の異界人は微動だにせず、無機質な瞳をただ王へと向けている。
室内の空気が、一瞬にして氷点下にまで冷え込んだ。
メシュードラもヴァロッタも、目を見開き、弾九郎を凝視する。側近たちの間には、愕然とした表情が広がった。開いた口がふさがらない。どんな褒美でも構わぬとは言ったが──まさか王の命を要求するとは。
「聞き間違いであったか?」
王の声は震えていた。喉が張り付いたように乾き、舌が回らない。
「其方は今、儂の首を寄越せと言ったのか?」
「聞き間違いではない。確かに首を賜りたいと申し上げた」
弾九郎の声音は静かだった。ひとひらの情動すら帯びていない。それがかえって、彼の言葉が冗談ではないことを明白にする。
「そ、そんなことをしたら死んでしまうではないか!!」
王の声が裏返る。
「首を切っても生きている者など見たことは無いからな。おそらくそうなるだろう」
にわかに王の額から汗が滲んだ。その瞬間、悟ったのだ。
──こいつは本気だ。
目の前の異界人は、自分に何の躊躇もなく殺意を向けている。目も、仕草も、微動だにしない。呼吸の乱れすらない。
この男は、単なる強者ではない。──狂気の中で、常に平然としている。
「メ、メシュードラ!」
声を振り絞る。
「痴れ者ぞ! この者を切り捨てい!」
「ははっ!」
メシュードラが一歩前へ進み出る。剣の柄に手をかけ、弾九郎と王の間に立った。
が──。
「ですが王よ、先に一言お詫び申し上げます」
「な、なんじゃ!」
「私は過日、この者と立ち会い、苦も無く破れております」
静かな言葉が王の鼓膜を打つ。
「今は王のために死力を尽くす所存! ですが──私ではおそらく、王のご寿命を数十秒延ばすのが関の山かと存じます」
「な、なんだと!」
王の背中に冷たいものが走る。
メシュードラは忠義に篤い男である。それが、ここまで明確に死を宣告したのだ。
「おい、おいヴァロッタ!」
狼狽しながら隣の男に声を張り上げる。
「貴様も加勢せよ! 一万、いや十万ギラでも遣わすぞ!」
しかし、ヴァロッタはただ肩をすくめるだけだった。
「百万もらったってお断りだね」
王が絶望に染まる中、ヴァロッタは呆れたように鼻を鳴らした。
「金がいくらあっても命は買えないからな」
二人の猛者が、戦う前に白旗を揚げた。
そして、弾九郎は静かに立っている。ただ王を見つめるだけで、誰も彼に刃を向けようとすらしない。
その事実が、王の恐怖を決定的なものにした。
お読みくださり、ありがとうございました。
アヴ・ドベック王国はアイハルツ地方でも小国にすぎませんが、グンダ王は隣国を次々と従え、この地を統一しようと目論んでいました。
その野望のため、弾九郎の力は喉から手が出るほど欲しかったのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




