第31話 勝者の帰還
戦場に静寂が訪れる。
空気は張り詰め、風さえも動きを止めたかのようだった。
かつて大陸最強と謳われたマーガ傭兵団。その象徴たる三兄弟が、
突如として現れた黒いオウガによって、一瞬のうちに屠られたのだ。
誰もが息を呑んだ。敵も味方も、理解が追いつかず、ただ硬直する。
生ける伝説とも称された三兄弟が、まるで塵のように消えた光景。
誰がこの事態を予測できただろうか?
だが、その静寂を最初に破ったのは、マーガ傭兵団の団員達だった。
「に、逃げろぉ!!」
誰かの叫びが、決壊の合図となった。
恐怖は伝染する。
誰かが逃げれば、周囲もまた逃げる。
瞬く間に、戦場は蜘蛛の子を散らすような混乱に包まれた。
マーガ三兄弟は無敵だった。
彼らについて行けば、生き残れた。
だが、その三兄弟が「敵の一撃」によって屠られたのだ。
それを目の当たりにした今、戦う理由など無い。
忠誠ではなく利害で動く彼らにとって、利益の源泉たる三兄弟が死んだ以上、ここに留まる価値など微塵もなかった。
「ま、待て! 勝手に戦列を離れるな!」
ナハーブン軍総大将、ガティ将軍の怒声が響く。
だが、その声に耳を貸す者はいない。
逃走は傭兵団だけにとどまらなかった。
混乱は波及し、正規軍の兵士たちすら次々と戦場を離脱していく。
こうなれば、並の指揮官ではどうすることもできない。
つい先程まで、五百機ものオウガを揃え、アヴ・ドベッグ軍を殲滅しようとしていたナハーブン軍は、たった一機のオウガによって潰走するに至った。
気づけば、戦場にはアヴ・ドベッグ軍のオウガが四十二機のみ取り残されていた。
うち傭兵は十五機、正規軍は二十七機。
いくら敵を撃退したとは言え、総勢百三十九機で出陣した軍勢の結果として見れば、アヴ・ドベッグ軍は壊滅したに等しい。
*
「えーっと、一つ聞きたいんだけどよ、マーガ三兄弟をやった証ってのは何を持ってきゃいいんだ? 首か? 耳か?」
戦場に漂う激闘の匂いを気にも留めず、弾九郎は気楽な調子で問いかけた。
彼の周囲には、無残に破壊されたオウガの残骸が転がっている。
地面は抉れ、機体の燃えカスが黒い煙を立ち上らせていた。
先ほどまで猛威を振るっていたはずのマーガ三兄弟のオウガも、今では鉄屑同然だ。
そんな惨状の中で、弾九郎は肩の力を抜き、どこか呑気な態度を崩さない。
その声に、ヴァロッタは思わず苦笑しながら答えた。
「そりゃ、正規軍の大将に認定してもらえば十分だよ。──おい、メシュードラ! 今の見てたよなお前!」
名を呼ばれたメシュードラは、呆然とした表情のまま、はっと我に返る。
先ほどまでの光景があまりにも劇的すぎて、思考がついていかなかったのだろう。
「あ、ああ、確かにこの目で見た」
まだ若干の混乱が残る声でそう答えると、ヴァロッタは満足げに頷いた。
「ってことだ。手柄はお前のモンだぜ、弾九郎」
だが、弾九郎はそれを聞いても特に感慨深げな様子もない。
むしろ、何か引っかかるような表情を浮かべ、考え込むように呟いた。
「そうか。申し訳ないが一つ頼む。メシュー…………あ!」
突如として、弾九郎の表情が驚きに染まる。
何かが頭の中で繋がったらしい。
「どうした弾九郎? メシュードラと知り合いか? ──おい、メシュードラ、何か知っているか?」
ヴァロッタと周囲の者が不思議そうに彼を見つめる中、メシュードラは少し目を伏せ、静かに答えた。
「いや、彼に先日、路地裏で稽古を付けてもらった。それだけの仲だ」
その言葉には、余計な説明を加えようとしない固い意思があった。
それ以上の詮索を許さぬような、短くも冷静な口調。
弾九郎も、その空気を察したのか、それ以上は何も言わなかった。
メシュードラはすぐに視線を戦場に向け、負傷者の救助と撤収準備の指揮を開始する。
彼の背には、これまでの戦いと、これからの責務が重くのしかかっているように見えた。
*
アヴ・ドベッグ軍勝利の報がもたらされると、キルダホの街は歓喜に沸き立った。
まるで長い闇夜を抜けたかのように、人々は街頭に飛び出し、歓声を上げる。
大通りには色とりどりの旗が掲げられ、窓からは花びらが舞い落ちる。
酒場では酒が惜しげもなく振る舞われ、楽士たちは陽気な旋律を奏でていた。
その中心にいるのは、三人の英雄──。
大陸十三剣の一人、メシュードラ・レーヴェン。
鉄鎖団団長、ヴァロッタ・ボーグ。
そして、漆黒のオウガ・ダンクルスを駆る男、来栖弾九郎。
彼らは戦場において奇跡を起こし、アヴ・ドベッグを救った。
今、街は彼らを称え、全ての喝采を捧げていた。
「どうも、こういうのは苦手だな」
弾九郎は周囲の熱狂に、どこか居心地悪そうに肩をすくめる。
酒に酔い、興奮した人々が彼らの名を連呼し、近くまで駆け寄ってくる。
誇らしげに手を振る者もいれば、涙を流して感謝を叫ぶ者もいた。
「違いねぇ。こんなに喜ばれちゃ、ケツがむず痒くって仕方ねえぜ」
ヴァロッタも苦笑しながら、ちらりと弾九郎を見る。
戦場では鬼神の如き猛威を振るう男も、こうした騒がしさにはからきし弱い。
それはヴァロッタ自身も同じだった。
「二人ともそう言うな。勝者には称賛を受ける義務があるのだ」
メシュードラが淡々と言い放つ。
彼の表情はいつも通り冷静だが、その瞳にはわずかに安堵の色が見えた。
三人は歓声の中、王宮へと向かう馬車に乗り込む。
人々の喝采が遠ざかるにつれ、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。
王宮では、グンダ王が今か今かと彼らの到着を待ちわびていた。
彼にとって、これほどの吉報はない。
ナハーブン軍の数的優位を前に、王は敗北を覚悟し、長期の籠城戦を見据えていた。
しかし、その必要はなくなった。
敵は潰走し、アヴ・ドベッグは勝利を掴んだのだ。
勝利の報を聞いた王は、居並ぶ臣下の前で小躍りするほど喜んだという。
彼の胸には新たな野心が燃え上がっていた。
──長年の宿敵、ナハーブン王・グーハ・リースに一矢報いた。
ならば次は、彼の首を刎ね、領土を奪う番だ。
祝祭に沸く街とは対照的に、王宮の奥では、新たな戦の火種が静かに燻っていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
オウガの適性は遺伝子によって決まるため、親子や兄弟が適性を持つことは、決して珍しいことではありません。
そのため、マーガ三兄弟も全員がオウガを操ることができたのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




