第29話 漆黒の降臨
「お頭、どうも様子が変ですぜ」
太陽はすでに高く昇り、バラン高原西部の森林地帯を照らしていた。木々の間に差し込む陽光が、長く鋭い影を刻んでいる。微かな風が針葉樹を揺らし、森のざわめきを掻き消すかのように、遠くで金属がぶつかり合う音が響いた。
「変? メシュードラがしくじったってのか?」
ヴァロッタの目が険しく細められる。
「いや、本隊がぶつかって下がったのは間違いねえんですが、どうも逃げ切れてねえみてえで……」
ボラーの報告を聞いた途端、ヴァロッタの全身に緊張が走る。
「野郎共! 今すぐ出るぞ!」
指示が飛ぶや否や、周囲のオウガたちが即座に動き出した。森の中とはいえ、彼らの巨体が踏みしめるたびに地面が震え、落ち葉が舞う。ここは三十メートル級の針葉樹が連なる密林。十八メートルの巨体を持つオウガにとって、決して身を隠しやすい場所ではない。しかしヴァロッタはこの数日間、周囲の地形を入念に把握し、戦況次第で即座に展開できるよう樹木を間引きして準備を整えていた。
「お頭! どうします?」
「ボラー! テメエはコイツら連れて、敵のケツにひっつけ! 奴らを引きずり回すんだ!」
「お頭は!」
「メシュードラを助けに行く!」
ヴァロッタは全機をボラーに託し、自らは単騎で戦場へと駆けた。ここでアヴ・ドベッグ軍が壊滅し、メシュードラが討ち死にすれば、籠城戦どころではなくなる。今、最優先すべきは包囲を突破し、一機でも多くのオウガをキルダホへ帰還させることだ。
陽光を浴びて、ツイハークロフトが火花を散らす。ヴァロッタの駆る機体が、怒涛の勢いで森林を抜け、敵陣へと突入する。
──轟音。
斬撃が閃く。敵機の装甲が裂け、爆炎が弾ける。奇襲を受けたナハーブン軍は一瞬の混乱を見せ、その隙に包囲の一角が崩れ始めた。ヴァロッタはその機を逃さず、怒涛の勢いで敵機を薙ぎ払う。
一機、また一機。
彼の槍が振るわれるたび、敵のオウガが地面に沈んでいく。戦場を渡り歩いた猛者の動きは、無駄がなく的確だった。
そして──。
戦火の向こう、必死に奮戦するメシュードラの姿が見えた。
「メシュードラの大将! ずいぶん派手にやられたな!」
戦場の喧騒に紛れることなく、ヴァロッタの声が響いた。煙と鉄の匂いが立ちこめる中、彼の機体ツイハークロフトが戦場を切り裂くように駆ける。
「ヴァロッタ! 貴様か!」
メシュードラのオウガは傷つきながらも、未だ戦意を失ってはいなかった。だが、包囲され続ければ、時間の問題だ。
「撤退だ! さっさとこの場からズラかるぞ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、敵の後方で凄まじい衝撃音が響いた。爆炎が上がり、黒煙が渦を巻く。
「奴らのケツをボラーにつつかせてる。この機を逃すな!」
ヴァロッタの鋭い嗅覚が、この一瞬にすべてを懸けるべきだと告げていた。戦場を渡り歩いた回数では、メシュードラは彼に敵わない。この男の勘に賭けるしかない。
「ライヘル! 残兵をまとめろ! 一気に包囲を抜けるぞ!」
だが、まさにその命令が届いた瞬間だった。
爆炎。
味方のオウガが凄まじい衝撃を受け、空中で四散した。機体の断片が飛び散り、内部骨格がむき出しになったまま、残骸が地面に叩きつけられる。
「逃げられると思ったのか?」
不敵な声が響いた。
「兄貴! あそこにいるのがメシュードラですぜ! 間違いない!」
「ヴァロッタの野郎もいるじゃねぇか! 丁度いい、まとめて血祭りに上げてやる!」
それは、紫に染まった三機のオウガ。
他の機体とは明らかに違う威圧感を放っている。形状は似ているが、それぞれ微妙に異なり、各機が殺気を漂わせていた。空気そのものが歪むような、戦闘狂の気配。
「ちっ、マーガの奴らが出てきやがった」
ヴァロッタが舌打ちする。その名を聞いたメシュードラの表情がわずかに歪む。
マーガ三兄弟──。
かつてヴァロッタは傭兵同士、共に戦ったことがある。顔見知りではあるが、それは決して友好関係などではなかった。むしろ、いずれ殺し合う運命にあると、お互いが確信していた相手。
そして今、それが現実となる。
ヴァロッタは奥歯を噛みしめ、深く息を吐いた。
「……上等だ。まとめて叩き潰してやるよ」
ヴァロッタは息を整える間もなく、ツイハークロフトを一気に前に踏み込ませた。低く、素早く。まるで地を這う影のように疾駆し、獲物を狩る猛禽の如くマーガ三兄弟へと襲いかかる。
しかし──。
「チッ!」
ヴァロッタの槍は、空を斬った。
三機が絶妙なタイミングで散開し、ヴァロッタの攻撃を紙一重で回避する。そして、刹那。
紫の閃光が奔る。
三機が同時に反撃を繰り出してきたのだ。
「くそっ……!」
ヴァロッタは反射的に三本の剣を弾く。凄まじい衝撃が全身を貫く。機体の関節部が悲鳴を上げる。しかし、なんとか三機の一斉攻撃を受け流し、大きく後方へ跳躍した。
三位一体。マーガ三兄弟が誇る、息の合った連撃。
彼らと戦うということは、常に三つの刃が同時に襲いかかるということ。それを凌ぎながら、なおかつ反撃を狙うなど、尋常な技量では不可能に近い。戦場を渡り歩いてきたヴァロッタでさえ、今の攻撃を捌くのがやっとだった。
「……相変わらず厄介な奴らだ」
ヴァロッタは舌打ちしながら、構え直す。
だが、今度はメシュードラが動いた。
「ヴァロッタ、後ろに下がれ!」
メシュードラのザンジェラが疾駆し、ロングソードを閃かせる。
轟音。
狙いすました一撃が三兄弟の中央へと振り下ろされる。しかし──。
金属音が響いた。
三機の動きは、攻撃だけではなく防御においても鉄壁だった。左右の機体が瞬時に中央へフォローを入れ、メシュードラの渾身の一撃を二機で完璧に受け止めたのだ。
「……クソッ!」
メシュードラが歯噛みする。その瞬間──。
「次ぁ俺の番だぜ!」
ヴァロッタが鋭く叫ぶと同時に、彼のツイハークロフトが高速で滑り込む。メシュードラの攻撃を防いだことで生じたわずかな隙。その刹那を見逃すような男ではない。
「喰らえッ!!」
ヴァロッタの槍が風を裂き、唸りを上げて突き出された。
だが──。
「畜生……!」
その鋭い一撃すら、マーガ三兄弟には届かなかった。
三機がまるでひとつの意志を持つかのように動き、絶妙な連携で槍を逸らす。刃と刃が激しく弾き合い、火花が散る。金属のきしむ音が戦場に響いた。
「な……なかなかやるな……」
メシュードラが息を荒げながら、それでもなお戦意を失わないまま睨みつける。
「頭数だけは大陸一の傭兵団を率いているからな……まあ、最強ってワケじゃねえが……」
ヴァロッタもまた、諦めるつもりはなかった。しかし、状況は決して楽観視できるものではない。
肉体的な疲労こそない。だが、精神的な重圧が二人の判断を鈍らせ始めていた。
──このままでは全滅する。
ヴァロッタとメシュードラの周囲に固まったアヴ・ドベッグ軍は、すでに二十機ほどしか残っていない。
一方、マーガ三兄弟の率いる傭兵団はなお健在で、包囲は着実に狭まっていた。
徐々に押し込まれ、逃げ場がなくなっていく。
終幕が近づいている。
その時──。
轟音。
突如、戦場の空気が変わった。
ヴァロッタの視界の端で、敵陣の後方が崩れ始めたのだ。
「なんだ? 何が起こったライヘル!」
「私にはわかりませんよ団長! もう、何が何だか!?」
ライヘルが必死に戦況を確認する。
やがて、彼らは包囲を崩した者の正体を目の当たりにした。
敵の背後、キルダホ方面から突如として現れたのは──。
黄金に縁取られた漆黒の鎧。
そして、胸に深紅の紋章を掲げた一機のオウガ。
圧倒的な存在感。
まるで、戦場の空気そのものが支配されたかのような威圧感が広がる。
「……あれは……?」
ヴァロッタが僅かに目を細める。
誰だ? 何者だ?
敵か、味方か。
しかし、それを判断するよりも前に──。
その漆黒の機体が、戦場を飲み込むように突き進んだ。
お読みくださり、ありがとうございました。
オウガ同士の会話は、すべて音声で行われています。
内蔵されたスピーカーとマイクを通じて、遅延も違和感もなく、まるで普通に声を交わすかのように話すことができるのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




