第27話 ダンクルスの鼓動
アウラダに連れられ、弾九郎が足を踏み入れたのは、バーラエナの後部に広がる巨大な空間だった。金属の壁が冷たく光り、空気には鉄と油の匂いが微かに漂う。まるで巨大なタンクの内部にいるかのようなその場所には、威圧感すら覚えるほどの巨大な扉がそびえていた。
アウラダが手を掲げると、扉は鈍い音を響かせながらゆっくりと開いていく。重厚な金属の摩擦音が耳を打ち、隙間から徐々に姿を現したのは、巨大な人型の影──オウガだった。
「これは……」
弾九郎は思わず息を呑む。
「これが我々からの餞です。どうぞお使いください」
「お使いと言っても……いったい……」
目の前の存在を前に、弾九郎の戸惑いは隠せなかった。およそ十八メートルの巨躯。こんなものが人の手で造られたなど、にわかには信じがたい。しかも、それは単なる機械ではなく、まるで生き物のように有機的な姿をしていた。
鎧兜を纏わぬ素体のその姿は、異様なほど人間に近い。単純な装甲板の寄せ集めではなく、しなやかな骨格を持ち、筋肉のような鋼鉄の束が体を形作っている。その上には滑らかな金属の皮膜が施され、まるで肌のような質感を帯びていた。その佇まいは、金剛力士像を思わせる威厳と力強さを兼ね備えている。
「このオウガは我がバーラエナの最深部に数千年もの間保管され、貴方様が目覚めるのを待っていました」
アウラダの言葉に、弾九郎の心がざわめいた。
「待っていた……だと? なぜそんなことがわかる。このオウガが俺を待っていたなどと……」
数千年もの時を超えて、自分を待ち続けていた機械──その意味を理解するには、あまりに現実離れしていた。
「これは我がコーラリウム家が持つ最強のオウガ。名前はダンクルス。これでご理解いただけましたか?」
ダンクルス──その名を聞いた瞬間、弾九郎の背筋に冷たいものが走る。もしその名が数千年前から語り継がれていたのなら、それは確かに「待っていた」ことになる。だが、それが事実ならば、自分が生きていた時代は一体どれほど遠い過去なのか。
自分の出自すら揺らぐような感覚に囚われながら、弾九郎は静かに息を呑む。そんな彼の腕を取り、アウラダはダンクルスの背後へと導いた。
「しかしアウラダ……こんな巨大なものを、一体どうやって動かすというのだ? 俺にはまるで見当がつかん」
ダンクルスの圧倒的な存在感に気圧されながら、弾九郎は率直な疑問を口にする。人が操縦するにはあまりにも大きすぎる。それに、操縦席らしきものすら見当たらない。
アウラダは静かに微笑み、ゆっくりと告げた。
「オウガは『操る』ものではなく、『成る』ものなのです。言葉で説明するよりも、実際に体験していただいた方が早いでしょう。どうぞ、こちらへ」
ダンクルスの背中が微かに軋む音を立てた。次の瞬間、左の肩甲骨部分が静かに割れ、隠されていた内部機構が露わになる。そこから伸びてきたのは一本の筒。しなやかにせり出したそれは、さほど太くはないものの、人が一人収まるにはちょうどいいサイズだった。金属表面は鈍く光り、まるで生き物の一部が手招くように見える。
「この筒にお入り戴き、頭上にある蓋に触れてください」
アウラダの静かな声が響く。
弾九郎は半ば呆然としながらも、言われるがままに筒の中へ足を踏み入れた。ひんやりとした感触が背筋を包み込み、内部は思ったよりも滑らかで、妙に心地よい。まるで自分を受け入れるかのように、筒は違和感なく彼の体を包み込んだ。
言われた通り、頭上にある蓋へと手を伸ばす。その瞬間──。
ゴウン、と低い駆動音が鳴り響いた。
「うおっ──!」
筒がゆっくりと沈み込んでいく。重力が反転するような錯覚に襲われ、弾九郎の視界が闇に包まれた。全身が吸い込まれていくような感覚と共に、肩甲骨の穴が閉じる音が遠ざかっていく──。
次の瞬間、目の前が一気に開けた。
「な……なんだこれは!?」
驚愕と混乱が入り混じった叫びが漏れる。だが、その声すらも異質だった。
視界が変わっている。まるで世界が広がったかのように、すべてのものが小さく見える。視線を落とすと、見慣れたはずの自分の手が──否、それは先ほどまで見上げていたダンクルスの巨大な掌だった。
腹も、脚も、腕も──すべてがダンクルスのもの。
いや、違う。
自分自身が、ダンクルスになっている。
先ほどまでの「操る」という概念は跡形もなく消え去り、まるで自分の体そのもののように、ダンクルスの巨体を感じる。手を開けば、鉄の指がしなやかに動く。足を踏み出せば、地面を確かに踏みしめる感触が伝わってくる。
そして、それだけではなかった。
皮膚に触れる空気の流れ、周囲の温度、足元の床の微かなざらつき──すべてが鮮明に感じ取れる。人間の肉体では到底持ち得ない、圧倒的な感覚拡張。それはまさしく、自分が「巨人になった」ということを意味していた。
「いかがですか弾九郎様?」
アウラダの声が響く。まるで遠くから聞こえてくるように、けれどはっきりとした声だ。
「そのダンクルスと、武器、防具をすべてお渡しします。それをどのように使われるかは、弾九郎様の自由です──どうぞ、思うがままに生きてください」
弾九郎は拳を握りしめる。金属同士が軋む音が心地よく響いた。
これはただの武器ではない。
ダンクルスは、自分そのものなのだ。
*
バーラエナが低くうなりを上げながら遠ざかっていく。その巨躯がゆっくりと消えていくのを見届けながら、弾九郎は静かに息を吐いた。
彼は今、この場にダンクルスと共に残された。
朝日に照らされた漆黒の鎧兜は、黄金の縁取りを纏い、威厳と力強さを誇示するかのように輝いている。胸に刻まれた深紅の紋章は、まるで炎そのもの。夜風が吹き抜けるたびに、その煌めきは生き物のように揺らめき、まるで自身の心臓の鼓動を映し出しているかのようだった。
「思うがままに生きよと言われてもな……」
ぼそりと呟く。
あまりにも突拍子もない話だった。自分が巨人になり、圧倒的な力を手にするなど、目覚めたばかりの頃には夢にも思わなかった。だが、いざこうしてダンクルスをその身にまとい、広大な夜の世界に立った今、それが厳然たる現実であることを肌で感じる。
運命というものがあるのなら、それは今、この手にある。
視線を巡らせると、城の北へと続く地面には、無数の巨大な足跡が刻まれていた。整然と並ぶそれは、まるで戦場へと誘う道標のようだ。あのオウガたちは、きっと今頃戦場に向かっているのだろう。鉄と血の臭いが立ち込める、死と殺戮の場へ。
見上げるとどこまでも澄み切った青空。流れる雲たちは、戦いに赴く者たちの行く末に興味すら持たないように思えた。
弾九郎は静かに、そして確かに決意する。
「とりあえず……マーガ三兄弟とやらの首でも取りに行くか……」
その言葉とともに、ダンクルスの足が一歩、地を踏みしめる。
その衝撃は大地に響き、風を切る。
漆黒の巨人は、無数の足跡をなぞるように戦場への第一歩を刻んだ。
お読みくださり、ありがとうございました。
今回はダンクルスとの一体化──いわば「オウガと成る」体験を描きました。
作中でも触れた通り、操縦ではなく、あくまで融合するというのがオウガの動かし方です。
ちなみに、あの筒に入ることで搭乗者は心臓の位置に格納され、意識は完全にオウガへとジャックされます。
その間、本来の肉体は丸まった状態で緩衝システムによって保護され、脳以外の機能は深い休眠状態へ。
生理現象や食欲・睡眠欲も一時的に遮断されます。
ただし、脳には限界があるため、無限に動き続けることはできません。
戦いの合間に「休息」が必要なのです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




