第24話 蒼銀のアウラダ
グラム屋敷の応接室には、重厚な調度品が整然と並び、暖炉の炎が静かに揺らめいている。壁に掛けられた絵画や金の装飾が、赤みがかった灯りの中で微かに輝いていた。
ロッソ・グラムが椅子に腰かけ、執事のロレイナが起立して使者を待つ場に、弾九郎とミリアも同席していた。普段ならあり得ないこの場の組み合わせが、今夜の異質な空気を際立たせている。
静寂を破ったのは、柔らかな衣擦れの音。扉の向こうから現れた使者を見た瞬間、室内の空気が凍りついた。
ガントからの使者──彼女の姿は、まるで現実離れした絵画のようだった。
雪よりも白い肌。蒼みがかった銀色の髪は、さらさらと床に届くほど長く、歩くたびに淡い光を散らしている。まるで星のかけらを編み込んだようなその髪に、誰もが目を奪われた。眉もまつげも同じ色をしており、それが彼女自身のものであることを強く物語っている。
弾九郎は思わず息を呑んだ。人間離れした美しさ。まるで、古い伝承に語られる天女のようだ。
ロッソとロレイナもまた、言葉を失った。執事のロレイナでさえ、その端正な顔に驚愕の色を浮かべている。
女性は静かに微笑み、澄んだ声で名乗った。
「初めまして、私はアウラダ・コーラリウムと申します」
その瞬間、ロッソとロレイナははっと息を飲み、ほとんど条件反射のように膝をついた。
この名を知る者ならば、その意味を理解している。彼女は今、キルダホに停泊しているバーラエナの船長であり、ガント十二支族の一家・コーラリウム家の当主。
庶民どころか、貴族でさえ容易に拝謁できない存在が、今この場に立っている。
弾九郎とミリアは圧倒されながらも、ただ彼女を見つめるしかなかった。ロッソの額にはうっすらと汗が滲んでいる。
まるで神が現れたかのような、畏怖に満ちた沈黙が応接室を支配していた。
「そんなに畏まらないでください。私はお忍びでこちらへ参ったのです」
柔らかく微笑みながら、アウラダは静かに言った。その声は鈴の音のように澄んでおり、空間に心地よい余韻を残した。
「……は……そ、そうおっしゃられましても……」
ロッソは額に滲んだ汗をハンカチで拭いながら、辿々しく答えた。普段の傲岸不遜な態度は見る影もなく、明らかに動揺している。その姿に、弾九郎は密かに舌を巻いた。王さえも暗殺しようと考えるこの男が、目の前に立つ二十歳そこそこの女性にここまでへりくだるとは──。
アウラダは心底困ったように眉を寄せ、静かに息を吐く。
「実はこちらのご当主であるロッソ・グラム様にお願いがあって参りました。どうか、椅子にお座りになってお話を聞いていただけますか?」
彼女の言葉には命令ではなく、あくまで穏やかなお願いの響きがあった。だが、ロッソにとってはそれだけで十分だった。
「は、はい。どのようなご用件で?」
ロッソは恐る恐る椅子に腰を下ろす。肩に力が入っており、神経をすり減らしているのが手に取るように分かる。
アウラダは静かに姿勢を正し、目を伏せてから言葉を紡いだ。
「実は数日前、この近くの森にあったコクーンで、異界人様がお目覚めになりました」
その言葉に、室内の空気が変わった。
ミリアは驚愕したように目を丸くし、無意識のうちに弾九郎へと視線を向ける。まるで答えを求めるように。彼女は本当に無垢で、嘘をつくことができない。だからこそ、その反応が何よりも雄弁だった。
アウラダは続ける。
「本来であれば、私がお迎えに上がるはずでした。しかし、予定していた期日よりも幾日か早くお目覚めになられたようで、私どもの使者が訪れた時にコクーンは既に空でした」
ロッソは何かを考えながら唸るが、まだ要領を得ない。彼の視線は、今もどこか困惑を孕んでいる。
「異界人様がどちらへ行かれたのか、手を尽くして探しました。そして、こちらのお屋敷に匿われているとの情報を入手したのです。どうか、私を異界人様にお引き合わせください」
ロッソの目が大きく見開かれる。
「異界人様がウチに!? 」
驚愕の表情を浮かべ、すぐに視線を弾九郎へ向ける。その顔には疑念と確信が入り混じっていた。
今のところ、この屋敷に心当たりのある人物は──弾九郎しかいない。
アウラダの蒼銀の瞳が、弾九郎を射抜くように見つめる。
その場にいる全員が、彼女の次の言葉を待ち構えていた。
「もしや異界人様は、既にこの部屋に居られるのでは?」
凛とした声が、静まり返った応接室に響く。
弾九郎は無言のまま、アウラダを見返した。
この問いに「はい」と即答するのは、簡単すぎる。だが、もし彼女が敵なら?
不用意な発言が、自分やミリアの身を危険に晒す可能性もある。
一瞬の沈黙が、まるで刃のように空気を切り裂いた。
ロッソの喉が、ごくりと鳴る。
ロレイナでさえ、仮面の奥で微かに眉をひそめた。
弾九郎は、ゆっくりと口を開く。
「……アウラダと言ったな。貴様の探している異界人とやらが、余所の世界から来た者を指すのなら──それは、俺のことだ」
短く、しかしはっきりと告げる。
「……何か俺に用でもあるのか?」
火のはぜる音すら、遠のいたように感じられた。
ロッソが息を呑み、青ざめた顔で弾九郎を見やる。
「ばっ、ダンクロ……! 言葉遣い……!」
小声で咎めるが、その声はかすれていた。
ロレイナがそっと彼の腕を取り、小さく首を振る。
弾九郎に、この世界の礼儀や格式は通用しない──その事実を、ロレイナは誰よりも理解していた。
アウラダは驚くどころか、むしろ微笑を浮かべた。彼女の蒼銀の髪が、微かに揺れる。
「貴方様が……ああ、やはりそうでしたか」
感慨深げに目を細め、弾九郎を改めて見つめる。
「お若いのに、随分と落ち着かれた佇まい。異界人様は人生を一度重ねられているからか、少々のことでは狼狽えたりしないと聞いております」
弾九郎は肩をすくめて笑った。
「まあ、確かに。こんな見てくれでも、中身は四十四歳だからな」
ロッソが絶句し、仮面に下でロレイナの眉が微かに動いた。ミリアさえも、ぽかんと口を開けている。しかし、よくよく考えれば、弾九郎の落ち着き払った物言いや、妙に達観した態度には納得できる部分も多かった。
アウラダは静かに頷いた。
「我がコーラリウム家は、ハマル・リス大陸西方で目覚められる異界人様のご助力をするのが家憲。異界人様、どうか我らのバーラエナにお越しください」
アウラダの声は、優雅な旋律のように響いた。
「貴方様も、色々とお知りになりたいことがあるでしょう。我らが知りうることも、バーラエナでは全てお伝えすることができます。どうか、私と共に──バーラエナへ」
その姿は、神託を告げる巫女のようだった。
弾九郎は目を閉じ、一瞬考える。
これは罠かもしれない。しかし、この世界ではまったくの根無し草である自分を罠にかける意味などあるだろうか? 弾九郎は一瞬だけ逡巡したが、欲求には勝てなかった。なぜ自分がこんな場所にいるのか──その答えを知る機会が、今ここにある。ここで断る理由などない。
「俺はミリアを守らねばならぬのだが、一緒に連れて行ってもいいか?」
しかし、アウラダは申し訳なさそうに首を振る。
「申し訳ありません。バーラエナにお連れできるのは異界人様だけです」
弾九郎の眉がわずかに動く。
「ですが、ご安心ください。こちらに私の紋章と従者を一人置いて行きます。それがあれば、たとえ何者であろうと、ミリア様を害することはできません」
アウラダの蒼い瞳が、真摯な光を宿して弾九郎を見つめた。
「どうか、私を信じていただけませんか?」
弾九郎は視線をロッソとロレイナに向ける。二人とも黙ったまま頷いた。それは、静かながらも確固たる信頼の証だった。
彼らがそう言うのなら──問題はない。
弾九郎は息を吐き、ミリアの前にしゃがみ込んだ。
「それでは仕方ないな。……ミリア、お前はここで待っていてくれるか?」
ミリアは寂しげに唇を噛み、少しだけ俯いた。しかし、すぐに顔を上げ、無理にでも笑顔を作る。
「うん。ダン君、気をつけてね」
「ああ」
弾九郎は立ち上がると、ロッソとロレイナに向き直る。
「──親分、ロレイナ。ミリアのことをくれぐれも頼む」
ロッソはどんと胸を叩いた。
「もちろんだ! 嬢ちゃんには誰も近づかせねえよ!」
ロレイナも静かに微笑み、深く頭を下げる。
「私が全霊を持ってお守りいたします。どうかご安心ください」
弾九郎は二人の言葉を聞き、ようやく小さく笑った。
「そうか、二人がそう言ってくれるなら安心だ。──ではアウラダ。行こうか」
アウラダが優雅に頷くと、従者が扉を開いた。
*
弾九郎とアウラダが去った後の応接室には、張り詰めていた緊張が溶けるような沈黙が広がった。
ロッソとロレイナは、まるで息をするのも忘れていたかのように、ようやく深いため息をつく。
ロッソとロレイナは、深くため息をついた。
「……ダンクロが異界人だったとは……。こりゃ、どエラいことだ……」
ロレイナは腕を組み、思案顔で呟く。
「私もこれほど驚いたのは初めてです。しかし、あの超人的な強さは異界での人生があったからこそと思えば、納得できますね」
ミリアは、扉の向こうをじっと見つめたまま、小さな声で呟いた。
「ダン君、大丈夫かな……」
ロッソはふっと笑い、力強く言う。
「アイツに限って、その心配はいらんと思うぞ、嬢ちゃん」
ロレイナも同意するように微笑み、優しく言葉を添えた。
「確かに。ご主人様のおっしゃる通りですよ、ミリアさん」
応接室の静寂の中、暖炉の火が静かに揺れていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
異界人を迎え、この世界の実情を伝えるのは、ガントにとって重要な使命の一つです。
しかし今回は、アウラダの予想よりも早く、弾九郎が目覚めてしまったことで、想定外の展開となりました。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




