第23話 兆しの使者
「──と、言うのが事件の実情のようです」
仄暗いランプの灯りが、静かに揺れる。ここはグラム一家の一室。重厚な歴史を重ねた木製のテーブルを囲み、ロレイナの報告に耳を傾ける者たちの表情は、皆、一様に険しかった。
テーブルの中央には、ほとんど空になったワインボトル。微かに残る赤の液体が、僅かな光を反射して血のように鈍く輝いている。
ロッソ・グラム。グラム一家の親分は胡乱な目つきで報告を聞きながら、手元のグラスを弄ぶ。隣には弾九郎、そして蒼白な顔で拳を握り締めるミリアがいた。
「それじゃ、王様に濡れ衣を着せられたミラード男爵って奴のとばっちりで、トルグラス殿は殺されたってことか」
弾九郎の声は低く、いつになく抑えた響きを帯びていた。
「簡単にまとめると、そうですね」
ロレイナは淡々と答えたが、仮面の下の表情には微かな怒りが滲んでいる。
「ひどい……お爺さまは、まったく悪くないじゃない……なのに……」
ミリアの声は震えていた。爪が食い込むほど強く握りしめた拳が、小さな体に溢れる感情を必死に抑え込もうとしていることを物語っている。
「お嬢ちゃん、気持ちはわかるがな……グンダって王様は王子の頃からそういう男だったよ。貴族も庶民も、アイツに酷い目に遭わされたって話を数えたら、一晩じゃ足りねえ。王位に就いた時もな、よくあんなのが王になれたもんだと、皆驚いたくらいさ」
ロッソの声は低く、そして乾いていた。まるで、今さら絶望することでもないとでも言うように。
この国に生きる者なら誰もが知っている現実。たとえ王がどれほど理不尽な仕打ちをしても、庶民は黙って耐えるしかない。それがこの国の現実だった。
「──その……グンダという王、生かしておくとロクなことにならんな……」
静かな、しかし確かな殺意を滲ませた弾九郎の呟きに、部屋の温度が一気に下がったような錯覚を覚えた。
ロッソとロレイナが、思わず弾九郎を見る。
彼が本気になれば、この国の王とて安全ではない。彼が決意さえすれば──。
「なんだ、親分。その顔は?」
「……いや、まさか本気にしてないよな?」
ロッソの声には、珍しく警戒の色が滲んでいる。
「グンダ王の首を取ってくれって言ってなかったか? それでトルグラス殿の仇が討てるなら一石二鳥だろう」
「だからあれは……あれは冗談だよ。真に受けちまったのか?」
「さてな」
弾九郎は肩をすくめながら、ちらりとミリアを見た。その視線には、決して冗談ではない冷ややかな光が宿っている。
「──ところで、ミリアはどうしたい?」
不意に向けられた問いに、ミリアは弾かれたように顔を上げた。
「仇を討ったところでトルグラス殿は帰ってこない。しかし、無念のまま魂を彷徨わせるのも忍びない。俺としてはぜひ、グンダ王の首をはねてやりたいところだが……一番大切なのは、お前の気持ちだ」
最強の男が、まだ十五ほどの少女の言葉に耳を傾け、その意思を尊重しようとしている。その姿に、ロレイナはふと微笑ましさを覚える。だが、それと同時に、微かな羨望も感じていた。
「私は……お爺ちゃんの無念を晴らしてあげたい……でも……それで、ダン君や他の人たちが傷つくのは、見たくない……だから……悔しいけど……本当に悔しいけど……」
ぽろぽろと、大粒の涙が零れ落ちる。
ミリアの心の奥底にあるのは、計り知れない喪失感と、押し殺したはずの憎悪だった。理不尽に大切な人を奪われた者にしかわからない、胸を引き裂くような痛み。そして、それを晴らすために手を汚したとして、果たしてそれが報われるのかという苦悩。
本当はすぐにでもグンダ王に仕返ししてやりたい。祖父が受けた痛みを、そのまま奴に返してやりたい。でも、そのために大切な人たちが傷つくのは、もっと耐えられない。
ミリアは今、その二つの感情の間で揺れ、抗い、戦っていた。
「……わかった。もう、それ以上言わなくていい」
弾九郎がふっと息を吐く。
「俺も、さすがに王宮に討ち入りなんて馬鹿な真似はできんよ。……向こうから会いたいって言ってくれば別だけどな」
弾九郎はグラスの底に残った水をゆっくりと揺らしながら、冗談めかした口調で呟いた。しかし、その目は笑っていなかった。
「そんな都合のいいことは……」
ロッソが苦笑しながら言いかけたその時、ロレイナがふと何かを思いついたように目を細めた。
「戦で手柄でも立てれば別でしょうけど」
静かながらも、確信めいた響きがあった。
「戦? そう言えば、じきに戦が始まると聞いているが……」
弾九郎が眉をひそめると、ロレイナは微かに口元を歪めて続けた。
「敵は相当の軍勢らしいですよ。なにしろ、マーガ三兄弟という高名な傭兵団が加わったそうですから」
「マーガ三兄弟? 鉄鎖団よりも有名なのか?」
弾九郎が興味深げに身を乗り出す。
「そりゃもう、知名度も実績も段違いです。戦場に現れたら最後、生きて帰るのは不可能とまで言われているほど。王様はマーガ三兄弟を討ち取った者にはどんな褒美でも出すって奮起を促していますけど、現実は厳しいでしょうね」
「そうか……そいつらを討てば王から褒美が貰えるのか……」
弾九郎は低く呟いた。瞳の奥で、戦火の幻影がちらつく。
もし戦場で目覚ましい戦果を挙げ、あの冷酷な王に「会いたい」と思わせることができたなら──。
だが、その妄想に水を差すように、ロッソが苦い顔で言った。
「おいおい、ダンクロ。相手はオウガだぞ。生身じゃ相手にならんよ」
その言葉に、弾九郎はハッとしたように我に返った。
「……すまん、すっかり忘れていた。相手がオウガでは手も足も出せんな」
苦笑しながら頭をかく弾九郎の姿を見て、先ほどまで沈んでいたミリアが、思わず吹き出した。
「やだ、ダン君。そんなことずっと気付かなかったの?」
「面目ない……」
ミリアはふっと表情を和らげ、くすっと笑った。
「ダン君はさ、もう十分だよ。私のこと、何度も助けてくれたじゃない。それだけで、もう……」
本当は自分が一番辛いはずなのに、それを押し隠して弾九郎のことを気遣っている。その優しさに胸が締めつけられた。
(どうすれば、この娘が心からの笑顔を取り戻せる?)
弾九郎は必死に考えながら、深く息を吐く。
「……悪かった、ミリア。俺は、少し焦りすぎていたみたいだ」
そう言って笑ってみせると、ミリアもつられるように微笑んだ。張り詰めていた空気がほどけ、静かに温かい時間が流れ始める。
──その時。
ノックの音が響く。
「親分、ガントから来たって女が、親分に会いたがっていますが、どうしましょう?」
扉の向こうから、子分の一人の声が届いた。
お読みくださり、ありがとうございました。
グラム一家の情報網は王宮にまで深く食い込んでおり、その力によって今回の事件の真相もいち早く掴むことができました。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




