第22話 弱者の兵法
キルダホ城外北面。冷たい夜風が戦場の大地を這い、焚き火の炎が頼りなく揺らめいている。張り詰めた空気の中、馬の嘶きと兵の話し声が微かに響く。軍靴が泥を踏みしめる音が、重苦しい戦の足音のように感じられた。
キルダホ城外北面では、アヴ・ドベッグ軍の兵たちが次々と布陣を整えていた。だが、全体の動きはどこか鈍く、士気の低さが随所に滲んでいる。寒さのせいだけではない。兵たちはこの戦がただの戦いではないことを理解していた。勝機の見えない戦場ほど、心を蝕むものはない。
「ライヘル、兵は出そろったか?」
メシュードラ・レーヴェンは焦燥を押し殺しながら、副官のライヘルに問うた。
「……確認しました。騎士団は百四機、出陣可能です」
短く告げられた数に、メシュードラの眉がわずかに動く。
「十四機はどうした?」
「急病で参戦できないと報告が……。この期に及んで、困ったものです」
ライヘルの声にも苛立ちが滲んでいる。軍の士気の低さは騎士団にも伝染しつつあった。メシュードラは歯を食いしばり、目の前の作戦地図に視線を落とす。
「仕方あるまい……残る者には城の防御を固めさせろ。それと、混成軍の状況は?」
そのとき、厚い革張りのテントの幕が乱暴に開かれた。
「おい、メシュードラ! お前んとこの王様はひでぇな。こんな戦に付き合わされちゃ、傭兵共も逃げ出すぜ」
ヴァロッタ・ボーグが足を踏み鳴らしながら現れた。その声には愚痴以上のものが含まれている。怒り、呆れ、そして戦場でしか生きられぬ者特有の冷笑。
「混成軍は貴様に任せたはずだ。現在の状況は?」
メシュードラが問いただすと、ヴァロッタは大げさに肩をすくめ、吐き捨てるように言った。
「マーガ三兄弟の話を聞いて、三十八機もずらかりやがった。今残ってるのはたったの三十五だ。これじゃ戦になんねえよ」
メシュードラは拳を握りしめた。目の前の地図に並ぶ駒が、まるで虚像のように思えてくる。百九十一機だったアヴ・ドベッグ軍は、戦闘を迎える前に百三十九機まで減少していた。約半分だった敵との戦力差は今や三分の一以下──まともに戦えば、勝機など欠片もない。
「お前は逃げないのか? ヴァロッタ・ボーグ」
ふと、漏れた問い。
「は? 何でだよ?」
ヴァロッタは鼻で笑い、腕を組む。
「せっかく分け前が増えたのに、逃げだすバカがいるか」
「……分け前?」
「お前、この一戦で全部終わるって本気で思ってんのか?」
ヴァロッタの声には、どこか余裕すら感じられた。
「平地で負けたって、まだ城がある。敵が無傷で城を落とせると思うか? 違うだろ?」
「う……うむ……」
メシュードラは思わず頷いた。ヴァロッタは粗野な傭兵団長にすぎない。しかし、その目には戦の本質が見えていた。この戦いで敗れたとしても、キルダホ城に籠もれば相当な期間粘ることができる。
そうなれば、隣国のトレフロイグ王国やダレウモア王国が介入せざるを得なくなるだろう。休戦が成立すれば、グンダ王は「侵略者から国を守った英雄」として名を残すことができる。そして──。
(ヴァロッタの褒賞も、相当な額になるというわけか……)
傭兵団長の計算高さを思い、メシュードラは苦笑を漏らした。
戦場の風がまた、テントを揺らす。戦の幕は、すでに上がっているのだ。
「……だが、それもこの一戦を生き延びてからの話だ。ヴァロッタ、お前ならどう戦う?」
メシュードラは問いかけた。追い詰められた立場だからこそ、今は知恵を集めるべきだ。
ヴァロッタは作戦地図をじっと見つめると、指を滑らせた。
「ライヘル、敵とぶつかるとしたらどこだと思う?」
ライヘルは眉をひそめ、しばらく考えたのち、一点を指差した。
「……このバラン高原あたりかと」
「いい読みだ。俺もそこだと睨んでいた」
ヴァロッタはニヤリと笑い、作戦地図の一角にコマを置いた。
「この高原のふもとに森があるだろう? 俺たちはここに潜む」
次いで、バラン高原の位置に別の駒を置く。
「あんたらはここで敵とぶつかって、そんでさっさと尻尾を巻くんだ。奴らは勝ち戦だと思って、ケツに食いついてくる。そこを──」
ヴァロッタの指が森のコマを弾いた。
「俺たちが脇から突っ込む。そんで敵の将軍、サーグでもガティでも、どっちか一人は確実に討つ。そして即離脱だ」
メシュードラは息をのんだ。敵を追い打ちに誘い込み、伸びきった陣形の脇腹を突く。それで敵の指揮官を討ち取った後は即座に撤収し、敵を混乱させる──合理的な戦法だ。そして、それを実行できる冷静さと胆力をこの男は持っている。
「そのために騎士団から二十機を貸せ。五十五もいれば、形にはなる。あとはお前ら次第だ」
メシュードラはしばらく沈黙し、作戦地図を見つめた。そして、決意を込めて頷いた。
「よし、その手で行く。ライヘル、ヴァロッタに貸す二十機を早急に選べ」
「はっ! 承知しました!」
「以上だ! 任せたぞヴァロッタ!」
ヴァロッタは片手を軽く上げ、不敵に笑った。
「へいへい。あんた、ちゃんと予定通り逃げろよ? 変に粘られたら予定が狂うからな」
「わかっている。心配するな」
テントの外では、兵たちが夜明けの冷気を背に出陣の準備を進めている。
士気は低い。大義も無い。
だが──戦は始まる。
お読みくださり、ありがとうございました。
ヴァロッタは、アヴ・ドベッグ軍が寡兵であることを知った時点で、この奇襲作戦を温めており、戦場候補となる地形の調査を入念に行っていました。
戦場に生きる者としての直感と計算──その両方を備えた男です。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




