第17話 闇夜の決着
「王兵の腕? 何の話だ?」
弾九郎はあくまでとぼけようとした。だが、その声色には微かに緊張が滲んでいた。誤魔化すつもりで言葉を発したが、メシュードラの鋭い眼光がそれを許さない。
その場の空気が張り詰めた。
次の瞬間、鋭い風切り音が弾九郎の耳元を駆け抜ける。メシュードラの剣が、音速を超えたかのような速度で振り下ろされたのだ。しかし、それは虚しく宙を切り裂くだけだった。
「とぼけても無駄だ。今の一撃ではっきりした。私の剣をやすやすと躱す者が、只者であるはずがない」
メシュードラの瞳には確信が宿っていた。ただの一般人ならば、今の一閃を目で追うことすらできなかったはずだ。
弾九郎は静かに息を吐いた。もはや誤魔化せぬと悟る。彼は一歩後ろに下がり、そっとミリアの肩に手を置いた。その手は温かかったが、どこか決意のようなものが込められていた。
「済まない、ミリア。穏便に済ませたかったが、そうはいかないらしい」
ミリアの目が揺れる。不安と恐れが入り混じった色を帯び、唇が小さく震えた。
「なるべく俺達から離れて、隙があったら一人で逃げてくれ」
「やだよダン君! 私も戦う!」
ミリアは思わず弾九郎の腕を掴む。その指先には強い力がこもっていた。しかし、弾九郎は優しく微笑み、そっとその手をほどく。
「アイツをやっつけたらすぐに追いつくから。心配はいらないよ」
彼の声には、一点の迷いもなかった。
メシュードラが一歩前に踏み出した。彼は無造作に外套を脱ぎ捨てる。
「我が名はアヴ・ドベッグ騎士団長メシュードラ・レーヴェン! いざ、尋常に立ち会え!」
堂々たる名乗り。その声が大地を震わせるような気がした。ミリアは思わず息を呑む。
「ダメだよダン君! あの人、王国で一番強い人だよ! 勝てっこないよ!」
涙声に近い叫びだった。だが、弾九郎は静かに目を細めると、ゆっくりと腰の刀に手をかけた。
「大丈夫さ。アイツより、俺の方が強い」
スッ、と微かな音を立て、弾九郎の刀が鞘から抜かれる。刃が月光を映し、淡く銀色に染まる。そのまま彼は刀を構えた。
霞の構え──刃を天に向け、相手の動きを捕らえながら、自在に受け流す防御の型。熟練の剣士でも、そう簡単には崩せぬとされる。
しかし、メシュードラは微塵も躊躇わなかった。まるで雷が地を駆けるかのように、一歩、また一歩と距離を詰める。そして、鋼の意志を宿した瞳を弾九郎に向けた。
次の瞬間、戦いが始まった。
金属がぶつかり合う甲高い音が、路地裏の空気を震わせる。
メシュードラの剣が閃けば、弾九郎の刃がそれを受け、逆に弾九郎の一撃が放たれれば、メシュードラがそれを捌く。剣と剣が交錯するたび、火花が散り、地を蹴るたびに土埃が舞った。
二人の戦いは、まさに刹那の攻防だった。
メシュードラは強者であった。王国随一の剣士と称されるだけの技量があり、無駄のない動きと鋭い眼力を備えている。彼の剣は、決して軽いものではなく、一撃一撃が相手を仕留める確信を持って振るわれていた。
だが──。
徐々に違和感が生まれ始めていた。
なぜか、弾九郎は攻めきろうとしない。手数を増やせば崩せるはずなのに、まるで様子を見ているかのような動き。しかし、それが余裕からくるものだとは思いたくなかった。
(何かがおかしい……)
そう思った瞬間だった。
弾九郎の刃がひときわ鋭く閃く。防ごうとしたメシュードラの剣が、その刃を受け止め──。
バギィィン!
乾いた音とともに、メシュードラの剣が根本から砕け散った。
「──っ!」
思わずメシュードラの手が止まる。目の前で、無残に折れた愛剣の残骸が地に落ちた。
その瞬間、すべてを理解した。
(こいつは……最初から、俺を倒す気などなかった……!)
弾九郎が狙っていたのは、メシュードラの戦力の要である剣。互角に見えた戦いは、実際には弾九郎の掌の上だったのだ。彼は攻め急ぐことなく、剣を的確に受け流し、少しずつ剣の負荷を増やしていた。そして、最適な一撃を放ち、見事に折ったのだ。
メシュードラは、己の愚かさを悟る。
(俺は……まるで子供のように、戦えていると思い込んでいた……!)
悔しさが胸を突く。しかし、それ以上に、圧倒的な差を見せつけられたという事実が、彼の誇りを粉々に砕いた。
弾九郎は、静かに刀を下ろし、涼やかに言った。
「終わりだ。まだ戦うか?」
その目には、挑発でも嘲りでもない。ただ、冷徹なまでの現実だけが宿っていた。
メシュードラは拳を握り締め、歯を噛みしめた──だが、答えは一つだった。
静寂が訪れた。
メシュードラの手から柄だけとなった剣が滑り落ち、砂埃を巻き上げながら地に転がる。彼は膝をつき、拳を地面に叩きつけた。悔しさとも、怒りともつかぬ感情が、胸の内を駆け巡る。
「……私の負けだ……殺せ……」
敗者としての覚悟を決め、顔を上げる。
だが、弾九郎は小さく息をつき、あっけらかんと肩をすくめた。
「やだよ。なんでそんなことまで面倒見ないといけねえんだ?」
その軽い言葉に、メシュードラは面食らった。
「しかし……」
戦場において敗者は死ぬ。それが常識であり、騎士として生きてきた彼にとって、当然の帰結のはずだった。
弾九郎は、そんな彼の迷いを見透かしたように、刀を軽く振るい、鞘へと納める。
「お前は強いよ。純粋な剣士として戦えば、勝敗はわからなかった。だが、お前は敗れた。なぜだと思う?」
メシュードラは、拳を握り締める。
「な……なぜ……」
弾九郎は、まっすぐに彼を見下ろした。その眼差しには、勝者の驕りもなければ、敗者への哀れみもない。ただ、真実だけを突きつける鋭さがあった。
「頭の中に邪念がありすぎる。お前は剣を振るいながら、あれこれ考えてただろ? 誇りだの、責務だの、俺の正体だの、余計なことばっかりな」
メシュードラは、ハッと息を呑む。
「俺は違う。貴様の剣を折る。それだけを考えた」
突きつけられたのは、あまりにも単純な理。剣士として生きてきたメシュードラにとって、それは決定的な敗北だった。
弾九郎は、すっと背を向ける。
「頭空っぽにして、純一の剣士になったら俺の所にこい。その時は本気で相手してやるよ」
その言葉が、胸に深く突き刺さる。
メシュードラは、何も言えなかった。地面に腰まで落とし、空を見上げる。
ここまで完膚なきまでに敗れたことなど、未だかつてない。
彼は敗北を屈辱と捉えていた。しかし、今の敗北は違う。
それは、迷いを根こそぎ断ち切られた、ある種痛快な味がした。
心の奥底に渦巻いていた雑念が、一振りの剣によって断ち切られたような感覚。今まで、自分は何のために剣を振るっていたのか。その問いに、初めて真正面から向き合えた気がした。
メシュードラは、ゆっくりと立ち上がった。
──だが、すでにそこに弾九郎達の姿はない。
遠く、風が吹き抜ける。
少年と少女の気配は消え去り、ただ、折れた剣だけが足下に転がっていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
今回、弾九郎がメシュードラを討たなかったのは、これ以上、王政側に無用な憎しみを生ませたくなかったから。
そして、何よりミリアをこれ以上苦しめたくなかったからです。
弾九郎の真意と強さ、そしてメシュードラの葛藤と敗北。
その余韻を感じ取っていただけたなら幸いです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




