第15話 騎士団長の憂鬱
「ずいぶんとお疲れの様ですね、団長」
メシュードラが騎士団長室へ戻ると、待ち受けていた副官のライヘルが静かに声をかけた。その視線は冷静ながらも、細やかな気遣いが滲んでいる。
メシュードラは、部屋の中央に置かれた重厚な椅子にどさりと身を沈めた。王との面会で得た失望感が身体にのしかかる。彼は、目元を押さえながら小さく息を吐いた。
「うむ……色々あってな……」
言葉は曖昧だったが、ライヘルには察しがついた。戦場を駆け抜け、策を巡らせ、血に濡れた決断を下す日々。その重圧を、この若き団長が一人で抱えていることを。
「団長ともなれば何かとおありでしょうが、私にお任せいただけることでしたら何なりとお申し付け下さい」
ライヘルの声音は落ち着いていたが、その目は揺るぎない忠誠心をたたえていた。
メシュードラは彼をじっと見つめた後、小さく頷いた。
「ああ、わかった。──それよりも、現在の軍容を報告してくれ」
ライヘルは一歩前に進み、手元の報告書を繰った。
「はい。アヴ・ドベッグ騎士団で参戦できる騎士は百十八機、傭兵団や浪人による混成軍は七十三機。合計で百九十一機になりました」
「混成軍の中でめぼしい者はいたか?」
メシュードラは興味なさげに尋ねたが、その内心は慎重だった。異なる背景を持つ兵たちを一つにまとめるのは容易ではない。組織の足を引っ張る無能が紛れ込んでいる可能性もある。
ライヘルは少し考え込んだ後、言葉を選ぶように答えた。
「そうですね……実戦経験の差がありすぎて……組織的に運用するのは困難かと思われます。アテに出来そうなのは鉄鎖団くらいで……」
「鉄鎖団? ああ、あの男か」
メシュードラの脳裏に、先日模擬戦を行ったヴァロッタ・ボーグの顔が浮かんだ。荒々しく、無礼で、下品な男。しかし、その腕前は確かだった。戦場においては無頼漢であろうと、実力こそがすべてだ。
窓の外に目をやると、夕暮れの陽が沈みかけていた。赤い光が室内を染め、影を長く引いている。メシュードラは己の掌を見つめた。この手で、どれほどの命を操ることになるのか──そして、どれほどの命を失うことになるのか。
「他は玉石混淆という感じで……これなら無理に組織化するより、バラバラに戦わせた方がいいかも知れませんね」
ライヘルの声が、思考の海から引き戻す。
「ならば混成軍の指揮は鉄鎖団のヴァロッタ・ボーグにまかせよう。問題は我が騎士団だな」
アヴ・ドベッグ騎士団は名門の名を持つが、所属する百五十二の騎士の多くは、実戦経験が乏しい。十代の頃から武者修行として各地を転戦し、大陸十三剣の称号まで与えられたメシュードラにとっては、頼りないことこの上ない。
今回の戦で初陣を迎える若者も多く、彼らの中には貴族の子弟も少なくない。メシュードラもその一人で、彼は騎士でありながらレーヴェン伯爵家の当主でもある。
ミラード男爵誅殺──貴族社会において一つの秩序を崩したこの事件に、動揺している者もいるだろう。戦場で刃を振るう覚悟を持たぬ騎士など、ただの飾りにすぎない。
メシュードラは、目を閉じた。
(数は拮抗しうる。だが、練度が圧倒的に足りない。その上、士気まで落ちているのでは……。このような状況で、本当に戦に勝てるのか……?)
その問いが、心の奥底で鈍く響く。
戦場において、敗北は死を意味する。命を懸ける価値がある戦いかどうか──メシュードラには、その答えを出す時間すらなかった。
「ガントのバーラエナは明日の到着だったな」
「はい。今回はコーラリウム家のバーラエナだそうです」
窓の外は群青に沈み、遠くの地平に陽炎のような光が揺らめいていた。風が砂を巻き上げ、街の外れに広がるガントロードを撫でる。その道の先に、明日、あの巨影が現れるのだ。
ガント──それはこの世の商業を牛耳る、全世界規模の組織だ。彼らは王たちと取引を交わし、富と物資を流通させる血脈だ。しかし、どの国とも距離を置き、中立の立場を維持している。そしてどんな国であろうとガントには逆らえない。
その象徴がバーラエナ。
世界を巡るこの陸船は、伝説に語られる怪物のごとき巨体を誇る。高さ六十メートル、幅百メートル、そして数百メートルにも及ぶ船体。それは船というよりも移動する都市。その存在感は山の如く、影を落とせばまるで日蝕のように大地を覆う。静かに進むその姿は、まるで古の神獣が悠然と歩むかのようだった。
──だが、誰もその正体を知らない。
誰が作ったのか。なぜ動くのか。ガントの者たちすら知らない。彼らはただ乗り、ただ使うだけ。メンテナンスすら不要であり、仮に損傷しても自己修復する。まるで生き物のように。
その航路は既に世界に刻まれていた。
ガントロード──バーラエナが往来するための専用道路は、大陸を貫く血管のごとく張り巡らされ、そこを流れる商品と情報が、世界の鼓動を生み出していた。
各国の王はガントを恐れこそすれ、敵対することは決してない。いや、できないのだ。
その理由が、ガントが供給する最大の商品──。
王鎧。
鋼鉄の巨人兵器。
人智を超えた技術で作られたそれは、バーラエナと同様に修理も製造も不可能。ただ、使うことだけが許された道具。そして何より──ガントはあらゆるオウガのキルスイッチを握っている。
もしガントと事を構えれば、オウガはただの鉄屑と化し、さらにバーラエナに搭載されたオウガが、何の抵抗も受けることなく反乱者を蹂躙する。
かつて、愚かにもガントに牙を剥いた国があったという。
結果は語るまでもない。
たった三日でその国は歴史から消えた。
それ以来、数千年もの間、ガントに刃を向ける者はいない。
彼らは穀物を買い、鉱物資源を買い、そしてオウガという兵器をばら撒く。
まるで、世界を戦火の中に留めることが目的であるかのように。
──そして、明日、そのバーラエナがやってくる。
メシュードラの懸念も、良質なオウガと新しい武器が手に入れば少しは解消されるだろう。
だが、同時に、また一つ、争いの火種がまかれることになる。
風が吹き抜ける。
夜は深まり、空には雲が流れていた。
メシュードラは窓の外を見つめながら、明日を思った。
お読みくださり、ありがとうございました。
副官ライヘルはメシュードラより二歳年上ですが、彼を深く尊敬し、変わらぬ忠誠を捧げています。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




