第14話 猜疑の玉座
アヴ・ドベッグの王宮、キルダホ城。
その壮麗な外観とは裏腹に、城内には陰鬱な空気が淀んでいた。
中でも、王の間と呼ばれる執務室は、威厳よりも猜疑心に満ちている。
調度品は豪奢でありながら無秩序に配置され、まるで持ち主の心の乱れをそのまま映し出しているかのようだった。
壁に掛けられた数々の絵画の視線が、室内の誰もを見張っているように錯覚させる。
窓から差し込む光は、厚手の緞帳に遮られ、ほの暗い。
金装飾に覆われた椅子に腰掛ける男こそが、アヴ・ドベッグの王──グンダ・ガダールである。
彼の指は肘掛けを不規則に叩き続け、時折、膝元の衣を爪でかりかりと擦る。
その挙動には落ち着きがなく、猜疑心に囚われた者特有の不安定さが滲んでいた。
彼の視線の先には、跪く一人の男──。
メシュードラ・レーヴェン。
アヴ・ドベッグ騎士団長。
銀髪をなびかせる王国最強の剣士。
その名は王国内外に轟き、アヴ・ドベッグの英雄として称えられていた。
整った容貌と澄んだ青の瞳は、まるで彫像のような美しさを誇る。
だが、その鍛え抜かれた体躯と鋭い眼光は、単なる美しさだけの存在ではないことを示していた。
彼こそが「アイハルツに並ぶ者なし」と称される最強の剣士なのだ。
メシュードラは静かに顔を上げた。
その瞬間、王と騎士の視線が交差する。
「──話とはなんだ? 儂は忙しい身だ。貴様だからこそ時間を割いてやっているのだぞ」
グンダ王の声は意図的に低く、重々しく響いた。
しかし、その声音には威厳を保とうとする焦燥が滲んでいる。
「はっ。貴重なお時間を賜り、誠にありがとうございます。話とはミラード男爵の件でございます」
メシュードラが一歩進み、恭しく頭を下げる。
その瞬間、王の顔が険しく歪んだ。
「……チッ」
小さな舌打ち。
王は昨日、ミラード男爵を謀反の罪で断罪し、屋敷を急襲して男爵を自裁に追い込んだ。
ミラード男爵は謹厳実直な人柄で、貴族たちの間での人望も厚かった。
貴族としての身分こそ低いが、彼を慕う者は多い。
そして、目の前のメシュードラもまた、その一人だった。
グンダ王は、メシュードラが何を言いに来たのか、察しは付いていた。
──だが、実際に目の前で諫言されるのは不快でたまらない。
彼は膝の上で爪を立てると、苛立ちを抑えるように深く息を吐いた。
ナハーブン王国との決戦を控えたこの状況で、メシュードラの忠誠を失うわけにはいかない。
「その話なら、儂の宣布を聞いているだろう」
「はい。ですが、私にはにわかに信じられぬのです。あの男爵殿が王の暗殺を企てるなど……」
メシュードラは静かに言葉を継ぐ。
「ミラードは、儂が長年所望していた宝剣を献上すると申し出たのだ。これで此度の戦を思い止まってくれとな」
王の唇が薄く歪んだ。
「それは……戦ともなればアヴ・ドベッグの民も、兵も無傷では済みません。男爵殿もよくよくお考えの上で御決意なさったことかと存じます」
「だがな──奴は宝剣を研ぎに出していたのだ」
メシュードラの眉が微かに動いた。
「……は?」
「儀典用の剣だぞ? 普段は刃を落としている。それを研ぎに出した。なぜだと思う?」
「……」
「献上の際に儂を刺す算段だったのだ。これこそが謀反の証拠だ! 貴様もそう思うだろう?」
メシュードラの拳が、無意識のうちに握り締められた。
──バカげている。
儀典用の宝剣を献上する以上、サビや汚れを落とし、最良の状態にするのは当然のことではないか。
それを謀反の証拠と強弁するなど、あまりにも理不尽だ。
「しかし……」
なおも言葉を続けようととしたが、メシュードラは歯を食いしばった。
この場で正論を述べても、王に恥をかかせ、猜疑心を煽るだけだ。
「ミラードは戦を恐れるグーハ・リースに、儂の命を売ろうとしたのだ!」
グンダ王の叫び声が響く。
「奴の妻はグーハ・リースの姻戚。それこそが動かぬ証拠だ!」
──これでは、いくら大軍を揃えたところで勝利はおぼつかない。
アヴ・ドベッグとナハーブンは長年、友好関係を築き、多くの貴族たちが婚姻関係を結んできた。
ナハーブン国王・グーハ・リースの縁者に連なる者も少なくない。
もし、この理屈で誅殺されるなら、動揺する貴族たちの抑えはきかなくなるだろう。
王の執務室を出た瞬間、メシュードラは無意識に奥歯を噛み締めた。歯ぎしりの音が耳に響くほどだった。
──やはり、このお方は王としての資質に欠けている。
口惜しさに、握り締めた拳から血が滲んでいた。
お読みくださり、ありがとうございました。
グンダ王が抱える執拗な敵意──その根底には、同年代のグーハ王と常に比較され続けた幼少期の影があります。
その劣等感はやがて、歪んだ猜疑心と被害妄想へと育ち、今や国家そのものを揺るがす危うさを孕むに至りました。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




