第12話 血に染まる黄昏
ミリアのキルダホツアーが一通り終わり、空が赤く染まり始めた頃、二人はトルグラスが待つ家の近くまで戻ってきた。だが、家の前には異様な人だかりができている。
ただならぬ空気に、弾九郎の胸に嫌な予感が過った。ミリアもまた、足を速めながら群衆を見つめている。
「すいませ~ん。ちょっと通してもらえますか?」
ミリアが人垣を掻き分けようとした瞬間、目の前に飛び込んできた光景に彼女は息を呑んだ。
「お、お爺ちゃん!?」
家の前の路上には、全身を鎧で固めた王兵が五人。その中央には、うつ伏せのまま動かぬトルグラスの姿があった。鮮血が路上に広がり、まるで地面そのものが赤黒く染まっているよう。
ミリアの呼びかけに答える声はない。いや、それどころか、王兵たちは既に絶命した老人の身体に何度も槍を突き立て、まるで獲物の息の根を完全に止めるかのように執拗な暴力を加えていた。
「い、いや……いやあぁああああーーーー!!」
絶叫とともに、ミリアは駆け出した。恐怖も、理性も吹き飛び、ただ祖父を助けなければという一心で彼の元へ向かう。だが、その手が届く前に、弾九郎が彼女の腕をつかんだ。
「やめて! やめてぇ! お爺ちゃんが、お爺ちゃんが……!」
彼女の悲痛な叫びは、無情にも王兵たちの耳には届かない。代わりに、一人の王兵が群衆へ向かって高らかに宣言した。
「こいつはグンダ王暗殺を企てたミラードの協力者だ! この宝剣こそがその証! 王の暗殺を企てる大罪人は即刻処刑せよとの王命だ! 家族も同罪! 隠し立てした者も同罪だ!」
その瞬間、ミリアの顔から血の気が引いた。信じられないものを見るように目を見開き、震える声で言葉を紡ぐ。
「そんな……嘘……お爺ちゃんが、そんなこと……!」
彼女の涙も、王兵たちの非情な決定を覆すことはなかった。男は冷酷に手を伸ばし、ミリアを捕えようとする。
しかし、次の瞬間──。
鈍く響く斬撃音。血しぶきが宙を舞う。
王兵の二の腕が肘のあたりから断ち切られ、手の先が地面を跳ねた。切断された男は、一拍遅れて絶叫を上げる。
「ミリア! 逃げるぞ!」
トルグラスの遺体を見た瞬間、弾九郎の頭に血が上った。何が起こったのか、なぜ彼がこんな無惨な姿になっているのか──そんなことを考えるよりも先に、こみ上げる怒りが身体を突き動かしそうになる。
だが、相手は政府側の人間だ。王兵に手を出せば、事態は確実に悪化する。弾九郎はそのことを本能的に悟った。今は戦う時ではない。まずはミリアを安全な場所へ連れ出すことが最優先だ。
そう、冷静に判断したはずだった。しかし、怒りは理性を押しとどめ、衝動的に身体を動かしてしまった。
逃走する足を止めることなく、弾九郎は唇を噛んだ。やらずに済むなら、それに越したことはなかった。殺してはいないが、これで追撃は免れないだろう。
弾九郎の頭の中には後悔が渦巻いていた。もっと穏便にやる方法はあったのではないか。だが、あの状況で、自分にそれができただろうか?
しかし、それを考えている暇はない。
弾九郎はミリアを強引に抱きかかえ、夕暮れの道を一気に駆け出す。
背後から王兵たち慣らす鋭い笛の音が響き渡る。
「謀反人の協力者が逃走! 黒髪の男と赤髪の女! 年齢は共に十五歳前後! 見つけ次第捕らえるか処刑せよ!」
街中に響き渡る怒号。背後では、追手の足音が迫る。弾九郎の頭は混乱していたが、今は何よりもミリアを守らなければならない。
(まずい……このままでは確実に追い詰められる。だが、どこに逃げれば……!?)
土地勘もなく、頼れる者もいない。しかし、迷っている暇はない。走りながら必死に思考を巡らせ、弾九郎はある場所へ向かうことを決断した。
*
弾九郎は肩で息をしながら、巨大な鉄扉の前に立っていた。背後では追っ手の王兵たちの足音が響き、猶予はほとんど残されていない。
──ここしかない。
迷いを振り切るように、彼は門を叩いた。数秒後、のぞき窓が開き、中から厳つい男の目が覗く。
「何の用だ?」
「ロレイナに伝えてくれ。弾九郎が来た。と」
男は怪訝そうに睨んだが、すぐに中へ引っ込む。やがて軋むような音を立てて扉が開かれた。弾九郎はミリアを抱きかかえたまま、中へ駆け込む。
迎えたのは、昨夜会ったばかりの女──ロレイナだった。
「これはこれは弾九郎様。あなたとはいつかまたお会いできるのではと思っておりましたが、まさか翌日だとは思いもしませんでした」
ロレイナはどこか愉快そうに微笑んでいる。しかし、その視線は鋭く、弾九郎の衣服にこびりついた返り血を見逃してはいなかった。
弾九郎は短く息を吐き、躊躇なく頭を下げた。
「すまんなロレイナ。こんなことを頼めた義理ではないが、助けてくれ」
自らの状況を思えば、頼るべきはヴァロッタかとも考えた。だが、鉄鎖団は王に招聘されてキルダホへ来ている。下手に関われば、彼らの立場を危うくするかもしれない。
ならば、グラム一家──キルダホの裏社会を牛耳る、ヤクザ者たち。彼らを頼るのはあまりに危険な賭けだった。長年この街を縄張りにしている以上、王政府と癒着している可能性は高い。ましてや、身を寄せることで獲物と見なされ、あっさり売り渡されることもあり得る。
だが、弾九郎は彼らの「矜持」に賭けた。
ヤクザにはヤクザの流儀がある。義を重んじる者もいれば、利に走る者もいる。しかし、昨夜会ったロレイナは少なくとも信念を持った人間に見えた。ならばロレイナが仕える親分、ロッソ・グラムもそうではないか──と。
もし、彼らが王の犬に成り下がっていなければ──いや、仮にそうだったとしても、自分の利用価値さえ示せば、見捨てはしないはずだ。
弾九郎はロレイナの双眸をまっすぐに見つめた。
──さて、どう出る?
お読みくださり、ありがとうございました。
裁判所という制度は一応存在していますが、庶民が正当な裁きを受けられる機会はほとんどなく、実際には王兵の判断ひとつで処罰が下される──それが、この国の現実です。
そんな理不尽な世界で、弾九郎とミリアがどんな選択をしていくのか。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




