第11話 ガルの丘にて
眼下にはキルダホの街が広がっている。人が多く住む街にしては高低差が激しく、入り組んだ路地に二~三階建ての建物が密集していた。そのどれもが木と石とレンガで作られ、重厚な歴史を刻んでいる。弾九郎の記憶にある街並みとはずいぶん様相が違い、別の世界に来たのだという実感が改めて胸に迫る。
「ここがね、ガルの丘。街の中では二番目に高い丘なの。ここからなら街が一目で見渡せるんだ」
ミリアが誇らしげに言う。確かに、ここからの眺めは壮観だった。
「うん。確かに見事な眺めだな。ミリア、あの小高い場所に立つ建物はなんだ?」
「ああ、あれはね、王様のお城。ふもとには貴族様のお屋敷がいっぱいあってね、私たちみたいな庶民は特別な許可が無いと入ることができないの」
王と貴族が支配する街。それは、弾九郎が生きていた世界とそう変わらない。形こそ違えど、人が作る社会の構造は同じなのだな、と彼は思った。
「この街は石壁で囲まれているが、あれは王様が作ったのか?」
「そう。でも作ったって言っても、何百年も前からある壁で、王様は壊れたところを直すぐらいしかしてないんだけど」
丘の上から眺める壁は遠目に見ても壮大で、人の手によって築かれたとは信じがたい規模だった。
「しかし、あのような壁をどう作ったのだろう? 十五丈……いや、もっとあるか」
十五丈はおよそ四十五メートル。弾九郎は日本語話者で使用単位も尺貫法であるが、この世界に転生した時点で現地語と基礎用語は入っているため、誰とでも何の支障も無く会話ができる。従って弾九郎が十五丈と言ったときも、言葉では四十五メートルに変換されているため、ミリアにはそのまま通じる。
「あの壁はね、大体五十メートルくらいあるの。作ったときのことは知らないけど、補修するときはオウガを使っているから、多分壁を作ったのもオウガだよ」
「オウガ?」
「ああ、オウガってのはね、鉄でできた巨人で、ものすっごく大きいの……あっ、ホラホラ、あそこ見て! あれがオウガ!」
ミリアが指さした先、王城のふもとの大通りを、一体の巨大な存在がゆっくりと歩いていた。
それは白磁のように滑らかな体を持ち、黄金に縁取られた鎧を纏い、獅子の紋章が描かれた巨大な盾を構えていた。並みの人間など、ひと踏みで押し潰されてしまいそうなほどの威容。
「なんと……あのように巨大な人が……ミリア、この世にはあんな巨人が生きているのか?」
驚きのあまり惚けた顔をした弾九郎を見て、ミリアはプッと噴きだした。
「ダン君、オウガは生き物じゃないよ。機械なの。あの中に人が乗って動かしているんだ」
「機械……?」
弾九郎には、その言葉がひどく馴染みのないものに感じられた。
彼の時代、西洋から渡来した時計のような複雑な機構を持つ「機械」もあるにはあったが、それを目にできるのはごく一部の限られた者だけ。まして、人が乗り込んで動かす「機械」など、想像すらしたことがない。
弾九郎の目には、目の前で歩くオウガが、ただの異形ではなく、まるで不可思議な魔術のように映った。
「オウガはね、壁や建物を直したり、大きな荷物を運んだり、畑を耕したりして、すっごく便利なの。でもね……一番使われるのが」
ミリアの声がふっと弱くなり、視線を落とした。何か辛い記憶に触れたのだろうか。
「戦か?」
弾九郎の問いに、ミリアは静かに頷いた。
「そう。戦争が始まると、オウガを操る人たちがたくさん集まって……ずっと戦ってるの……それで……」
言葉の端がかすれる。
「何かあったのか?」
弾九郎がそっと尋ねると、ミリアは少し迷うように唇を噛んだ後、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私の家は、昔はここからずっと北の村にあったの。お父さんはお爺ちゃんの一番弟子で、若いころは住み込みで修業していたんだ。そこで、お爺ちゃんの娘のお母さんと出会って……結婚して……」
「北の村は、お父上の故郷だったのだな」
「うん。私もそこで生まれて、家族みんなで幸せに暮らしていたの。でも……十年前に起こった戦争で、村ごと無くなっちゃった」
「なんと……」
弾九郎は息をのむ。
「お父さんとお母さんは……私の目の前で、オウガに踏み潰されて……」
それ以上は言葉にならなかった。
ミリアの目には、大粒の涙が今にもこぼれそうに溜まっている。どれほどの恐怖と悲しみを幼い身で背負ったのか。その苦しみは、今も彼女の中で癒えることなく残り続けているのだろう。
「すまん。気軽に聞くことではなかった」
弾九郎が申し訳なさそうに目を伏せると、ミリアはふるふると首を振った。
「いいの。……その後、お爺ちゃんが心配して助けに来てくれたの。それからは、ずっと幸せだから」
そう言ってミリアは小さく微笑んだが、その笑顔の奥には、消えることのない哀しみが滲んでいた。
「そんなことよりさ、ダン君の話を聞かせてよ。向こうではどんな暮らしをしてたとか、これからここで何をするとか」
ミリアは興味津々といった様子で身を乗り出してきた。その瞳は、幼いながらも輝くような好奇心に満ちている。
弾九郎は腕を組み、しばし考え込んだ。
前世……自分の過去など、こんな無垢な少女に話すようなものではない。戦乱の中を生き抜くため、剣を振るい、血を浴び、時には己の信念すら捨てた日々。そんな話をしたところで、ミリアを困惑させるだけだろう。
ならば、これからのことを語った方が何倍も良い。
だが、問題はそこだった。
(……この世界で、俺はどう生きる?)
目の前に広がるキルダホの街。人々が行き交い、家々からは料理の匂いが漂い、遠くでは商人の声が響く。この新たな世界で、何を為すべきか……弾九郎自身、未だ明確な答えを持っていなかった。
「昔の俺か……」
ぽつりと呟き、遠くを見つめる。
「ミリアに話せるようなことは何もない。つまらない人生だったさ」
自嘲気味に笑い、続ける。
「それよりも、これからだ。昔はろくな生き方をしていなかったが……ここで人生のやり直しが出来るなら、何か人の役に立つことをしたいな。畑を耕したり、なにか物を作ったり……」
「じゃあさ、ダン君、お爺ちゃんの弟子になりなよ!」
ミリアがぱっと顔を輝かせ、弾九郎の手を取る。
「ね、お爺ちゃんは街一番の鍛冶師だから、そのお爺ちゃんに習えば、ダン君もきっと街一番の鍛冶師になれるよ!」
はしゃぎながら語るミリア。その笑顔は、ただの思いつきというよりも、本気で弾九郎にそばにいてほしいという願いのようにも思えた。
(鍛冶師か……)
弾九郎はふと、街へ出る前の出来事を思い出した。
トルグラスが彼に一本の剣を授けたのだ。
それは細身ながら、見事な刃を持つ剣。一見すれば日本刀にも似た姿をしていた。トルグラスによれば、昔、このような剣を打つ依頼を受けたことがあり、試作した中でも最も出来が良かったものを手元に残していたのだという。
弾九郎は、提示された数本の剣の中から、それを選んだ。
剣だけではない。鍋、釜、包丁──人々の生活を支える道具を生み出す鍛冶師という仕事。
戦いに明け暮れる人生ではなく、人の役に立ち、誰かの暮らしを支える生き方。
(案外、悪くないかもしれんな)
そう思った瞬間、弾九郎の胸の奥に、一筋の道が開けたような気がした。
お読みくださり、ありがとうございました。
今回登場したトルグラスの打った剣は、日本刀をモデルにしています。
この世界にも、少数ながら日本刀に似た武器が存在しており、今後も物語の中で触れていく予定です。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




