第10話 紅い髪の案内人
夜が明けきらぬ薄明のなか、弾九郎はトルグラスの家へたどり着いた。早朝の冷え込みが肌を刺し、息を吐けば白く曇る。レンガ造りの質素な家の前に立ち、ひとつ息を整えてからドアをノックする。
「おお! ダンクロー! 生きとったか!」
勢いよく扉が開き、トルグラスの朗らかな声が響いた。
強面の顔がぱっと綻び、満面の笑みを浮かべている。普段は頑固親父のような雰囲気だが、今の彼は孫を甘やかす祖父そのものだった。
──とはいえ、迫力があるのは変わらない。
弾九郎は苦笑し、思わず半歩退いた。あの調子では、全力で抱きしめられかねない。
「心配をかけたが、もう大丈夫だ」
「そうか~! それは良かった、本当にありがとう、ダンクロー!」
大柄な身体を揺すりながら、トルグラスは何度も頷く。その眼には、心からの安堵が滲んでいた。
弾九郎が孫を救ったことに対する感謝は、もはや過剰なほどだった。それほど彼にとって、ミリアの存在はかけがえのないものなのだろう。
「お爺ちゃん! ダン君が帰ってきたの!?」
軽やかな足音が奥から駆けてくると、次の瞬間、弾九郎の胸に柔らかな衝撃が走った。
「ダン君……?」
少女の華奢な腕が、しがみつくように弾九郎の背中に回されている。顔を上げると、涙で潤んだ瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。
ミリアは、しゃくり上げながら言葉を紡ぐ。
「心配したんだよぉ! あんな怖そうな人達のところに行くなんて! 鉄鎖団って、ものすごい乱暴者の集まりで、今度の戦争に呼ばれたって町の人が言ってたの!」
ぎゅっと腕の力が強くなる。昨夜はほとんど眠れなかったのか、目は赤く腫れていた。
「まあ、鉄鎖団の頭にも会ったが、思ったほど悪い奴じゃなかったよ。物分かりもいいしな」
「そうなの? それなら良かったけど……とにかく中に入って!」
ミリアはぐいっと弾九郎の手を引いた。彼が返事をする間もなく、そのまま家の中へ引っ張り込まれる。
「ご馳走ってわけにはいかないけど、昨日はミラード男爵様から前金をいただいたから、ちょっと奮発しちゃった!」
ミリアはぱっと笑顔を咲かせる。戸口から漂う香ばしい匂いが、弾九郎の空腹を刺激した。
穏やかな朝の光が差し込み、ひとときの安らぎが訪れる。
弾九郎は改めてミリアを見やった。
紅い髪が揺れ、ポニーテールの先が軽やかに跳ねる。陽の光を受けてきらめくその色は、まるで燃えるような情熱を秘めた炎のようだった。碧い瞳は透き通る湖を思わせるが、今は安堵の色を濃く映している。
鼻の上には細かいそばかすが散らばり、年相応のあどけなさが残る。それでも、輪郭の整った顔立ちを見るに、数年もすれば誰もが振り返るような美人になるのだろう。
化粧気はなく、服装もどこかボーイッシュな印象を受ける。しかし、そんな外見とは裏腹に、彼女の心はとても優しく、温かかった。
その優しさが、弾九郎の無事を心から喜び、今こうして全身で安心を表している。
そして、ミリアが弾九郎をまっすぐ見つめる。碧い瞳がわずかに揺れた。
「ダン君は別の世界から来た『異界人』かも知れないって、お爺ちゃんが言ってたけど、本当?」
彼女の声には、不思議そうな興味と少しの不安が入り混じっていた。
「ああ、俺にはよくわからんが、どうやらそうらしい。ここは俺の知っている世間とはずいぶん様子が違う」
弾九郎の言葉に、ミリアは納得したように頷くと、ぱっと笑顔を浮かべた。
「そっか、じゃあ私が案内してあげる。この街のことも、みんなのことも、私の知ってること全部教えてあげる」
そう言って彼女は勢いよく立ち上がり、その場でくるりと一回転した。
長いポニーテールがふわりと舞い、窓から差し込む朝の光を受けて煌めく。
笑顔を浮かべた彼女は、まるでこの世界そのものを抱え込んでいるように見えた。
弾九郎はその無邪気な仕草に苦笑しつつも、どこか温かな気持ちになる。
「ダンクロー。今日はこの街のことを色々見て回るといい。ミリアの案内ではおぼつかんかも知れんが、遊びに行くつもりでな」
トルグラスが愉快そうに笑いながら言う。
「ひっどーい、お爺ちゃん! 私だってこの街に十年も住んでるんですからね。ダン君をちゃんとエスコートできるもん!」
ミリアは頬をぷくっと膨らませて抗議したが、すぐにけらけらと笑った。
その屈託のない笑顔が妙に楽しげで、弾九郎もつられるように口元を綻ばせる。
「……じゃあ、よろしく頼む、ミリア殿」
「ねえ、その『ミリア殿』ってやめてよ! 私はミリアなんだから、ちゃんと『ミリア』って呼んで!」
弾九郎を「ダン君」と呼ぶくせに、自分のことは呼び捨てにしろとは、なんとも勝手な話だ。しかし、これが彼女なりの距離感の作り方なのだろう。そう考えると、妙に納得できた。
「わかった、ミリア。俺にいろいろ教えてくれ」
そう言うと、ミリアは満面の笑みを浮かべ、迷いなく弾九郎の手を引いた。
紅い髪が跳ね、朝の光を受けたそばかすのある頬がほんのり赤く染まる。
弾九郎は改めて、この世界を知る旅が、今まさに始まったのだと感じた。
お読みくださり、ありがとうございました。
ミリアは、同世代の男子がほとんどいない環境で育ちました。この世界では、庶民が学校へ通うことはほとんどありません。読み書きや計算といった基礎は、トルグラスが彼女に手ずから教えたものです。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。




