54.中の人
チャラそうな男と、意識高そうなキャリアウーマンに挟まれ、かれこれ10分。
待ち合わせの時間まで、あと5分を切っていた。
まーちゃんはもう、このまま来ないだろう。
ゲームでは、待ち合わせギリギリになることなんてなかったのだから。
氷の溶けた薄いカフェオレを一気に飲み干し、ため息をつく。
期待しないなんて誓っておいて、やっぱり期待している自分に、バカバカしくなった。
これでよかった、想定通り。
そんな言い訳じみた考えも、虚しくため息と共に霧散してゆく。
席を立とうとした瞬間、隣の男と腕がぶつかる。
声にならないほど小さな「スミマセン」という言葉と、動いたかもわからない会釈で誤魔化そうとすれば、彼の書いていた手帳の文字が目に入った。
『トンさんですか? 私がマコです』
その瞬間、時間が止まる。
正確には、止まったのは俺の思考だ。
何度見たって相手は男で、しかもチャラそうな茶髪と服装。
顔もイケメンと言って差し支えないレベル。
明らかにゲームなんかより、合コンとかの方が慣れてる雰囲気。
いや、これは俺の偏見かもしれないけどさ!
ただ、書かれた文字は何度見ても変わることはない。
これが、あの、まーちゃんの中身……?
「え……? は? マジで?」
あっけにとられた俺の言葉に、男は静かにうなづいた。
騙したつもりが騙された、なんてな……。
騙したつもりもないけどさ。
戸惑いながらも、椅子に座り直す。
えーっと……。どうすればいいんだ?
会ったらどうしようと考えていたのに、会った後を考えていなかった。
そう! とりあえずアレだ! 自己紹介、的な?
「えっと、俺が……。トントンです……」
恥ずかしい! もうちょっとマシな名前にしておけばよかった!
そう思ったって、今さらもう遅い。
それに、それ以外の名前、つまり本名で自己紹介したって通じないだろうし……。
そんなぐるぐると目を回しそうな俺に、手帳には新たな文字が刻まれていく。
『挨拶が遅くなってごめんなさい。
何度か声をかけようとは思ったんですが……』
「あの……、なんで筆談なんですか?」
途中に言葉を挟んだせいで、彼の手は止まった。
そして、少し離してまたペンが走り出す。
『汚い言葉を発してしまうので……。
文字なら、考えてから書けるんです』
「あぁ……、それで……」
走る文字は速いのに、俺に読みやすいようにと、整ったものだった。
そして、しばらくペンが止まる。
あっ、ここは俺がリードしないといけないよな?
それは相手が「まーちゃんの中の人」だからではない。喋れないからだ。
「えっと、それじゃ……。店、出ましょうか」
再び小さくうなづく。
少し恥ずかしそうな表情のイケメンと目が合う。
文字ばかり見ていたせいで、ほとんど顔を見ていなかった。
やっぱり、改めて見ると……。俺とは住む世界が違うと思う。
コイツは、俺とは違う。
誰もが仲良くなりたがり、誰もが放っておかないだろう。
俺のように、ゲームに逃げるしかなかった人間とは違うんだ。
そんなドロりとした感情が、腹の中で渦を巻く。
けどよかった。このあと行くのは映画館。
何も喋らなくてもいい。相手の顔を見て、自己嫌悪に陥らなくていい。
ただ静かに、流れる映像を二時間程度見ていれば済むのだ。
終われば別れ、またいつもの日々が戻ってくる。
たった数時間、今日という時間を無為に過ごすだけ、それだけでいい。
相手の機嫌を損ねないよう、ただ静かに立ち回るだけ。
それだけで、俺のゲームライフは続けられる。
嫉妬も負い目もない、ゲームの世界。そこへ再び戻ることができるのだ。
会話もなく歩き続ける俺の腕が引っ張られた。
相手は当然、まーちゃんの中身だ。
「なに?」
指差す先は、映画館にはつきものの売店。
大きなポップコーンと、二つのドリンクが付いたセットメニューを指さしていた。
「ポップコーン食べたいの?」
コクコクとうなづく。
どうやらこの先は、無心でポップコーンを食べる時間になりそうだ。




