天使降臨
こんばんは。
敗残兵のユークリットです。
心が安息の地を求めて彷徨っています。
食堂は、夕食の時間が始まったばかりで、まだ空席だらけ。
ホルスたんも4人掛けの食卓を1人で占拠しているくらいだ。
俺は、ベスとアンと食事をする事を諦めて、彼女がいる食卓へ移動する。
ホルスたんの夕食はすでに届いていて食事を始めていた。
「ホルスたん。相席よろしいですか」
「よろしくないのさ」
「席は空いているのですから御一緒させてください」
「あたいの卓じゃなくても幾らでも空いているのさ」
「私と一緒に食べようと誘ってくれたではないですか」
「そんな昔の事は忘れたのさ」
ホルスたんは、行儀悪く口に食べ物を入れたまま、俺をきつい眼差しで睨み付けて話す。
本人に自覚は無いが、ホルスたんはかなり美人だ。
黙っていればクール系の美人。
彼女は鏡でしっかりじっくり今の顔を一度見るべきだと思う。
俺が何を言いたいかと言えば『美人が怒ると迫力ありすぎます』って事だ。
そのうえクール系だとタクシーの深夜料金なみに割り増しで迫力が増す。
「そんないじわるしないでくださいよ」
「あっちが駄目だからこっちってなんなのさ。あたいの角がむずむずしてくるよ」
「分かりました。また今度御一緒させてください」
「…………」
ホルスたんから返事は無かった。
彼女は機嫌が悪い顔をしているだけで威圧感が凄くて怖い。
俺をぶちのめすだけの筋肉も装備しているしな。
アスリートフォームとはいえ【胸の大きさ以外鍛え抜かれたバレリーナ】と言う筋肉の塊。
それとこのままでは本気で『後ろから背中を角で刺される』なんて事になりかねない。
赤いマントでもなびかせれば鼻息を荒くして俺の背中へ突っ込んできそうだ。
今夜はホルスたんとの夕食も諦めて1人カウンターの一番端の席へと向かおう。
ベスとアンが俺と共に暮らし始めるまでは【俺の指定席】だったのだから。
異世界へ来たばかりの元の席へ戻っただけさ。
俺がこの席へ座っていた頃はまだこの異世界をサプライズ企画と思っていたのだよな。
サプライズ企画だと思っていた頃の映像は走馬灯のように脳内へ再生される。
俺は心休まる瞬間をくれる少女の存在を思い出した。
こんな事になるのなら銭湯に行けば良かった。
ゆっくりと湯舟に浸かった後、2階へ上がって茶汲み娘さんに癒してもらうべきだった。
待てよ?
アルフィアさんと楽しいひと時を過ごしたのだから今回の行動は正解だったのか。
どのみち今からでは急いでも銭湯は間に合わない。
陽が落ちた所で銭湯の営業が終わる。
すでに陽は山の影へ隠れながらも空が明るい時間。
俺の好きな言葉で言えば【逢魔が時】だ。
魔と逢える時間。
異世界に来てから、特に今日から俺は【魔】なんてものに逢いたいと思わなくなったが。
無駄な事を考えるのはやめて大人しくカウンター席へ向かおう。
カウンター席は基本的にシーリンさん目当ての客で占拠されている。
斡旋屋の看板娘って奴だ。
娘と言うには年を取り過ぎているけど。
奥から3つ目くらいまでの席は、彼女へあまり近づけない為、人気がない。
俺はカウンターの端の端。
それこそ厨房の入口の傍へと陣取る。
ここは井戸にも近く、ヒトの往来も多い為、もっとも人気が無い席と言える。
俺はこの席が割と好きだけど。
まだ客が居なくて忙しくないシーリンさんが俺の注文を取りにやってきた。
ここからならば直接ベルガーさんへ注文できるのだがせっかくだ。
彼女を通して賄いを頼もう。
「シーリンさん。賄いを1つお願いします」
「はい。【お一人飯】を一つですね」
「……よろしくお願いします……」
シーリンさん。
私は【賄い】を【お一人飯】と言い直した事へ悪意を感じますが笑顔に免じて赦します。
私をイジる時は本当に良い笑顔をしますね。
とても楽しそうな素敵な笑顔に惚れてしまいそうです。
あなた以外の女性からいただいた笑顔だったのならば。
あえてこの名を使おう。
すぐに【お一人飯】は用意された。
今朝河岸の市でドカチーニさんが仕入れた魚がメインディッシュだ。
仕入れの交渉で輸送費の事も話していた気がする。
俺が仕入れる時は相手に輸送してもらえるだろうか?
予想だが自分で運ぶ事になりそうで、荷車を引く自分の姿は、容易に想像できた。
1人で大八車を引く姿は寂しい絵だ。
たとえ荷物が重くなろうとベスとアンを荷台に乗せて3人で行くのなら悪くないな。
家族が一緒にいる時間も増える事だし一石二鳥だ。
俺が未来予想図を描きながら食事を取っていると、ネモがアルフィアさんの食事を取りに厨房へ入っていく。
2人分の食事を運ぶ奴と目が合った時。
明らかに奴から優越感のこもったドヤ顔を決められた。
奴の態度は腹立たしいが気にしては負けだ。
ベルガーさんの美味しい食事。
楽しんで食べなければバチが当たる。
特に今日は魚の仕入れを直接見ている。
いつもと変わらない魚料理はいつもより美味しく感じた。
ゆっくり味わいながら食べていると隣へヒトが座る気配を感じる。
この辺りは人気の少ない席。
いよいよ食堂も込み始めたと思ったがカウンター席はまだまだ空いていた。
そして隣に座ったヒトは形容しがたいほど美しい女性だった。
天使降臨。
その天使が俺へ話し掛けて来る。
「あなたがユークリットですか。黒の月の人間にしてはしっかりとした体を持っていますね」
「すみません。はじめてお会いしたと思うのですが、どちら様ですか」
「あなたを守護すべきかは迷いますが」
俺の質問に答えは帰って来ない。
彼女の口から、残念なヒトが使う定型文のような、言葉が出てきた。
会話は一方通行だ。
それとも俺に名前を知られたくないだけなのか?
この異世界の住人は自分の名前を名乗る事が少ない。
そう結論付けて自らの心を平静に保とう。
2人の間に会話はなく時間だけが過ぎていく。
こんな美人と現代日本でも異世界でも逢った事はない。
俺の脳内嫁達でさえ霞む美しさ。
美少女と呼べる最後の瞬間。
もしくは大人の階段を最初の一歩だけ踏み出そうとしている若さが溢れた美人。
まさに子供と大人の狭間という名の奇跡の一時。
ベスが高校3年生となる頃はこんな感じに成長するのではないだろうか?
自ら輝くように見える絹糸のように腰まで流れる金髪。
透き通るような白い肌。
少し吊り上がった大きな目には髪の毛と同じ色をした金の瞳。
その瞳は某国民的ロボットアニメの【革新者】の瞳と同じで虹色に輝いている。
40周年おめでとうございます。
本当のところ、ベスが成長したら隣の女性のように、美しくなるのだろうか?
どれだけ考えてもベスには不可能だな。
ベスの顔立ちと髪と肌は、隣の彼女と比べても、見劣りしない。
残念な事にベスの見た目は10歳くらいの少女だけど実年齢が14歳だ。
今後の伸びしろは少ない。
大人へなるまでにベスの子供体型が解消されると思えない。
等身数を含めたスタイルの良さでは全く勝負にならないだろう。
だが良かったなベス。
お前も隣の彼女へ劣らない部分が確実にあるぞ。
胸の大きさだけは甲乙つけがたい。
若い分だけお前の勝ち目がわずかに残っているぞ。
「あなたは初対面の女性のどこを見ているのですか。そんなところまで情報通りですね」
「いえ。素晴らしいお召し物だと思いまして」
「失礼しました。事前に受け取った情報がありましたので偏見の目で見てしまいました」
「いえいえ。気にしないでください。私としては『事前の情報』という言葉が気になります」
「わたくしとしても全てを鵜呑みにする訳にはいかない情報です。お話できません」
会話が一応成立した。
内容は好ましくないが。
彼女が身に着けている服は俺達と同じ貫頭衣だがシーリンさんが着る貫頭衣の部類に入る。
白銀に輝く貫頭衣はもう別カテゴリーの服だ。
どう見ても庶民の服である貫頭衣には見えない。
同時に俺がこの異世界でお知り合いとなる女性で【超弩級】を見かける事も少ない。
ここで言う【超弩級】とは【超ドカチーニ級】の事だ。
トップとアンダーの差がドカチーニさん以上の女性が少なすぎる。
上から『ホルスたん』『銭湯一家の女性陣』『アルフィアさん』くらいだろうか。
体のどこの部分を指すかはあえて言葉にしない事とする。
隣の女性が『脳量子波で考えている事全てわかっていますよ』と言わんばかりに光彩を放つ瞳で俺を見つめ続ける。
俺は思考を切り替えて彼女と対話を続けよう。
この異世界では女性とお知り合いになる事すら難しい日々を送っているのだ。
少しでもこの美人の情報を集める事にしよう。
これまでの対話で、どうやら彼女は、俺の事を少しは知っている。
情報収集の分野ではるかに彼女と比べて俺は劣っているのだ。
最低でも同程度の情報を彼女から収集しないとな。
「すでにご存じのようですが改めて自己紹介します。ユークリットと申します」
「確かに黒の月の気配を感じますが本当に神様とお会いしていないのですか?」
「はい。産まれてから先、神様とお会いした記憶はございません」
「前世の記憶とかはどうでしょうか?」
「残念ながら前世の記憶もありません」
「そうですか」
自己紹介しあう展開にならなかった。
俺が自ら名乗り、彼女は華麗にスルーしただけの情報交換だった。
新たな質問は聞かれたけどな。
それにしても【黒の月】か。
昼間はセーレにも言われたな。
二度と会いたくない人物の1人だが彼を思い出してしまった。
「出来損ないのあなたへ。2ヵ月の間生き残った事に敬意を表します」
「この斡旋屋のヒトを中心に周りのヒトビトが私を助けてくれたおかげです」
「ふふっ。良い考え方ですね。恵まれた体と共に謙虚な姿勢があなたを助けてきたのですね」
あなたまで「出来損ない」と。
もしかしたらセーレの関係者?
そうでなければ。
こんな美人が俺に興味を示すはずがない。
確かに俺は謙虚な【姿勢】だけは自信がある。
土下座は特技と言っても差し支えないレベルに達していると自負している。
幼馴染に「怒っている理由が分からないのに土下座されても誠意を感じない」との話だが。
床へ引き摺るほど漆黒の長い髪の奥で眼鏡を光らせた奴が記憶の扉から出てくる。
脳に直接『この女は誰?』と声が響く。
急いで辺りを見回すが奴の姿は見つからない。
常に俺の視線から180度反対方向で奴の気配だけは感じる。
辺りを見回した事で違和感を覚えた。
ベス達4人が楽しそうに食事をしているのは悔しいが百歩譲って仕方ない。
シーリンさんと楽しそうに話をしている客達も俺を気にする必要はない。
だが食卓を囲んで宴会を開いている酒の入った野郎どもは違う。
その証拠にホルスたんは酔っ払い達に絡まれて辟易している顔だ。
そんな彼らが、美人と俺のツーショットを、赦してくれるだろうか?
決して赦してはくれまい。
奴らが俺に絡んでこないなんて事がありえるだろうか?
決して放って置かれまい。
この状況は違和感があろうが俺にとってはビックチャンス。
この好機を逃すまい。
この出会いを俺の【異世界ハーレム計画】の第一歩とするのだ。
アルフィアさんごめんなさい。
あなたを迎え入れるのは2番目です。
だけど必ず迎えに行きますから。
まずは第1ターゲットを確実に落とす。
俺は『キリッ』っと顔を引き締めて彼女へ誘いの言葉を掛ける。
「食事は頼まないのですか。あなたにお逢いできた幸運に食事を奢りたいと……」
「あなたに逢えて良かったです。今夜は金の月の光が多い。朝まで気を付けてください」
彼女は最後までセリフを言わせてくれなかった。
席を立ちあがり、食事どころか名前すら教えてくれる事なく、斡旋屋を去っていく。
最初から最後まで絶世の美女と対話する俺へ干渉してくるヒトが1人もいなかった。
背後に未だ居座り続ける幼馴染の気配以外は。




