世界を制すモノ
ヒトには心が折れる瞬間ってありますよね?
こんにちは。
ユークリットです。
私の幸せはどこにあるのでしょう?
ベスとアンが大魔王と魔女に連れ去られた。
四つん這いのまま俺の心はテンカウントのゴングを聞いた。
今自室へ帰ればベスもアンもいない。
一人になれるなぁ。
いっそこのまま帰ろうかなぁ。
ブーツも手に入れたしなぁ。
訓練場と言う名の地獄へ付き合う必要はないよね?
何が『雲一つない青い空』だ。
考えてみたら『ブルー』の意味の中には『憂鬱』もあるよなぁ。
全てセーレが悪い。
今日はあいつに会ったせいで俺の気力が根こそぎ奪われた。
俺は後ろから男に抱きかかえられる趣味などない。
しかしあいつ良い匂いがしたなぁ。
それに意外と華奢だった。
女性アスリートのような感じか?
いやいや。
奴は男だ。
細マッチョで着やせするタイプなのか?
そうじゃない!
あいつは魔人だ。
全てセーレが悪い。
靴屋の床を見つめながら、まとまらない思考を無理矢理まとめ、全力でヒトのせいにする。
全てセーレが悪い。
そんな俺の肩へ背後から優しく手を添えてくれたヒトが居る。
振り返ると笑顔がとても眩しいシーリンさん。
この時のシーリンさんは女神様に見えた。
彼女は1人残り、俺が立ち直る事を、待っていてくれたのだ。
女神さまの祝福を受けて俺の折れた心へ添え木があてられる。
ありがとうシーリンさん。
俺はまだ行けそうです。
「館長達を追いかけますよ」
「私はこのまま自室へ帰ろうと思うのですが」
「駄目ですよ。予定を変えたら館長が魔人へ負けた事になるではないですか」
「私の予定を変えるだけですから」
「駄目ですよ。この後は訓練場です。丁度わたしも動く的が欲しかった所ですから」
再び心が折れる。
なんという楽し気な笑顔。
彼女は本気だ。
本気で俺を的にする気が満々だ。
早く帰りたい。
女神様はどこに行ってしまったのだ?
昔聞いた言葉を思い出す。
確か『神様は個人に手を貸したりしない。個人に手を貸すのは悪魔だ』と。
先程も悪魔が女神様のふりをして俺を騙したのだ。
実際に小悪魔的な笑顔を浮かべたシーリンさんが目の前にいる。
だが俺の視線は、かがんでもなお自己主張を続ける、2つの突起物に奪われた。
思わず手が伸びそうになる魅惑のLRアナログスティックは罠だ。
触れた途端に命を落とすぞ。
かがんでもなお……か。
本当にシーリンさんの特注貫頭衣は身体のラインに合わせて完璧に作られているのだな。
最終的に俺のやる気スイッチをオンにしたのは神様でも悪魔でもなく【エロ】だった。
やはり【エロ】は世界を制す。
シーリンさんが俺の手を引き、無理矢理立ち上がらせた後、そのまま2人一緒に店を出る。
それにしても「動く的が欲しい」とか。
本当に楽し気な顔で酷いセリフを吐きますよね?
今は、彼女の笑顔から怒りは感じ取れるが、直接俺に向いていない。
だが【動く的】が欲しい事は本音だと生存本能が告げている。
店を出る時に店員さんが「またのお越しをお待ちしております」と声を掛けてくれた。
俺は『再び来店できる事』を切に願う事しか出来なかった。
扉がしまる時のドアベルの音が死者を送り出す為の鈴の音に聞こえた。
新品のブーツは歩きづらい。
加えて処刑場へ連れて行かれる気分で足も重い。
歩きづらくて遅くなる俺の歩みをシーリンさんが両肩を後ろから押して進ませようとする。
こんなに長く彼女と接触している事はあっただろうか?
肩と手の平だが直接肌と肌が触れ合っている。
ちくしょう!
実に背嚢が邪魔だ!
どうせならばもっと見たい。
出来れば背中と胸を密着して欲しい!
彼女のLRジョイスティックで直接操作されたい!
叶わぬ俺の願いとは違い、彼女は訓練場で俺の事を、早く的にしたくて仕方が無いようだ。
一緒に旅をした事で感度が上がった俺の【シーリン怒りレーダー】が反応している。
なぜ港の男達はこのヒトの笑顔に隠された怒りを感知できないのだ。
彼女はこんなに怖ろしい気配を垂れ流していると言うのに。
だが怒りが俺を直接【ロック怨】しているようには思えない。
「シーリンさん。後ろから押さないでください。歩きづらいです」
「わたしが押さないと前へ進まないじゃないですか。館長達へ追いつきますよ」
「私は追いつかなくても構わないのですが」
彼女へ振り返りながら俺は一言抗議する。
本音の『どうせ押すなら胸で背中を押してください』を隠して。
背嚢越しにシーリンさんの姿が見えた。
彼女の貫頭衣は未だ彼女の肌へぴったりと張り付いている。
背嚢で見えにくいが、左右に1つずつある平城の本丸で、天守閣が未だそびえたっている。
本丸は小さくゆるやかな丘であり、それゆえに、天守閣が一層高くそびえて見えた。
見たい物をようやく見る事ができた達成感。
ぐいぐい俺を後ろから押してくるシーリンさん。
俺は本気で無理して追いつかなくても良いのだが……と言うより追いつきたくない。
再びベスとアンから無視されたら今度こそ立ち直れない。
シーリンさんが見せる絶景を独り占めしたい気持ちもある。
両腕を上げ俺の肩に手を置く彼女の姿を見て頭に『ピンッ』と閃いた。
これだと魅惑の突起物を現在俺しか見る事が出来ないではないか!
絶景を独占している喜びと気の緩みが俺の口を軽くする。
「あぁ。腕を上げて背嚢で乳ぐびぼばぐぃぇぅ……ヂーリンざん。ぞご腎臓………」
「それ以上要らない事を声に出したら次は右側を打ち抜きますよ」
天使に見えた笑顔と寸分も変わらぬ笑顔でシーリンさんがこたえる。
あなたは一対の天守閣がそびえ立っていた事を気付いてしまったのですね?
やはりあれは女神さまの笑顔なんかではなかった。
最初から悪魔の笑顔に騙されていたのだ。
弱った俺の心が見せた幻影だったのだ。
彼女は怒りを内包した笑顔で前方を歩く4人をロック怨していた。
痛む心と内臓へ活を入れて俺は歩き続ける。
いつ全ての怒りが俺に向くか分からない。
彼女と共に歩む一歩一歩が地雷原だ。
先程踏んだ地雷では致命傷を避ける事ができた。
シーリンさんは右利き。
最初の一撃は【警告の左】で済んだ。
警告の左でさえ背嚢のわずかな隙間を通して急所へ攻撃する精密さを持つ。
次は【退場の右】が待っている。
精密さと威力が格段に増した一撃となるだろう。
彼女からレッドカードはまだもらいたくない。
俺はまだ人生を退場したくない。
腎臓が破裂した時の為にもフィーナさんの傍にいる必要があるな。
俺は力を振り絞り足を動かす。
少しでも早くフィーナさん達へ追いつく為に。
平和に昼食を食べる体でいられる為に。
シーリンさんと二人きりでいる方が命の危険に晒される。
今日、セーレは俺から気力を奪い、シーリンさんは俺から体力を奪った。
真新しいブーツが、ガクブルで震えている、気力体力共に限界寸前な俺の足を支えている。
シーリンさんに後押しされながらフィーナさん達4人へようやく追いついた。
ほっと一息ついた俺を待っていたのは俺のお姫様達……いや娘達からの冷めきった視線。
2人共、俺と目が合うと、『プイッ』と顔をそらせ二度とこちらをむこうとしてくれない。
ベスとアンへ声を掛けても反応を返してくれるのはドカチーニさんとフィーナさんだ。
老カップル2人の思いやりが逆に俺の心へ刺さる。
重い槍とは良く言ったものだ。
ドカチーニさんとフィーナさんがフォローすればするだけベスとアンの態度が身に染みる。
俺の足を更に重くする重い槍が心に刺さる。
完全で完璧な絶対のアウトオブ眼中!
俺の【ラブ価】ストップ安で暴落中。
値幅制限が無いので1日で【ラブ価】零までありえる。
なぜこんなに【ラブ価】が下がったのだ?
俺の記憶を掘り起こすと渡し舟に乗った時が本日の【ラブ価】最高値だ。
2人共機嫌が良かった。
ベスは甘えるように俺の足を蹴っていた。
2人で水を掛け合う可愛らしい姿を見せてくれていた。
その後のベスによる俺に対する爆撃は記憶から排除しておこう。
あれから【ラブ価】が一気に下がり始めた気がする。
となると理由は1つしかないな。
魔人め。
俺の気力とドカチーニさんの右目ばかりか、ベスとアンの好感度まで奪っていったのだな。
セーレ。
俺はお前を絶対に赦さない!!
二度と会う気はないけどな!




