魔人の実力
こんにちは。
ユークリットです。
現在逃げ場のない舟の上で空気が凍り付いています。
誰か助けてください。
渡し舟が静かに水面を進む。
この場をセーレの作り出した沈黙が支配していた。
ここだけ時が止まったかのように静かだ。
船頭が櫂を漕ぐ音すら聞こえてこない。
俺の耳元でセーレが再びしゃべりだす。
俺は音の消えたわずかな時間がとても長く感じていた。
セーレの言葉と共に世界も時と音を取り戻す。
「ドカチーニ君。嘘吐きはキミだよ。そして子供達は正直者だね。ボクとおなじで」
「うぉおおおぉぉ」
俺の隣にいるセーレから何かを咀嚼している音が聞こえてくる。
同時に前の席へ座っていた女性2人が同時に動き出す。
一体何が起きたのだ?
この時に起こったほとんどの事を俺はすぐに理解出来なかった。
「館長!」
「ドカチーニ!」
シーリンさんは、かんざしでセーレの右目を突く残像を残し、目の前から突然姿を消した。
彼の右目は俺の左目の隣にあったため、自分の目が突かれたのではないか、と勘違いする。
頭は恐怖で混乱、心臓がバクバク脈打つ、そんな中でも俺は情報収集につとめる。
何が起こっているか分からないからこそ、1つでも情報が欲しい。
ベスとアンは……顔色が真っ青になっているが体は無事だ。
ドカチーニさんは船底へうずくまり右目を抑えている手のひらから血がこぼれ落ちている。
フィーナさんがドカチーニさんへ寄り添い、彼の右目へ、回復魔法を掛け始めていた。
何が起きたのかは分からないが、ドカチーニさんが攻撃され、シーリンさんが消えた。
危険を感じた一瞬の間にこれだけ頭が働いた。
少しだけ自分を誉めてあげたい。
誰も褒めてくれないから。
「危ない娘だね。躊躇なくボクの右目を突いてきたよ」
「嘘! 魔法陣!? 禁則魔法なの?」
「誓ったのだから彼の右目はボクのものさ。
ボクは団子が食べたかったから丁度良かったよ。
名前は【めだまんご】?
それとも【めだんご】?
キミ達はどっちの方が語呂が良いと思うかい?
そうだ【まんまるめだまんご】!
これに決まりだね。
キミ達も良い名前だと思わないかい?」
彼の醸し出す気配と言葉の異常さに俺の時が再び止まる。
後ろから水面へ何か大きな物の落ちる音が聞こえてきた。
確かめたくても、俺はセーレに抱きつかれて、全く身動きがとれない。
いや『根源的な恐怖が俺の心を凍らせて身動きできない』と言う方が正解か。
「ユークリット君。怖れる事は何も無いよ。キミは正直者なのだから。ボクは何もしない」
セーレの言葉に警戒感と安堵感がごちゃ混ぜになる。
彼へ敵対したい気持ちと味方したい気持ちが同時に湧き上がる。
だが俺は、脳と体の配線が切れたように、全く身動きできない。
行動できない俺に出来る事は、水面へ落ちた何かがシーリンさんであると、祈るだけだ。
「キミは本当に自分の事を何も知らないようだね? 子供達も気付いているのに」
突然起きた惨劇を意に介さずセーレが俺へ語りかけてくる。
同じく何事も無かったようにドカチーニさんがシーリンさんの座っていた席へ移動した。
俺の正面へ『ドカッ』と座った彼の右目からは血が滴り落ちて止まらない。
フィーナさんは回復魔法を掛け続けているが、彼の右目に魔法陣が浮かび、回復を拒む。
ドカチーニさんは残った左目で真っ直ぐセーレを捉えて口を開く。
「おまえさんも嘘吐きだな。今の俺ならおまえさんを倒せる? 冗談にしか聞こえないな」
「そんな事はないよ。ほんのわずかだけどキミはボクを倒せる可能性があるのだから」
「わずかにか……まあ良い。質問だ。どうやって事の真偽を確認したのだ?」
「ちょっとだけ心を覗かせてもらったよ。子供は正直者だね。ユークリット君は魔力を補給すると身体能力が上昇するそうだね。この世界の常識を遥かに超えて」
「おまえさんはここに居る全員の心を読んだという事か……」
「残念! 心を読める隙があったのはユークリット君と2人の子供達さ。だけどキミが嘘を吐いていた事実を変える事は出来ないよ。それとも3人が同時に同じ嘘を吐いたと言うのかい」
「やれやれ。一方的な判決だな。おまえさんも俺の左腕を治すと嘘を吐いていると思うが」
「やれやれ。キミは一方的な判決でボクを嘘吐きにしたいみたいだね? キミの腕を治すなんて簡単な事だよ。ボクに面倒な事をさせないでくれ」
ドカチーニさんの言い回しを真似したセーレの言葉と共にドカチーニさんの左腕が現れた。
突然現れた腕に驚きを隠せないドカチーニさん。
左手を握ったり開いたりと稼働の確認をしている。
フィーナさんも彼と同じように驚きを隠せていない。
それは俺も同じだ。
比べて良いか分からないがアルフィアさんは再生された腕と足のリハビリで頑張っている。
この異世界では再生された部位を動かす為には長いリハビリが必要だと俺は認識している。
ドカチーニさんとセーレへの驚愕はこれで終わらない。
「ボクはお忍びでこの街にいるのだよ? ボクの魔力を感知されたら面倒じゃないか」
「そいつは悪い事をしたな。誰かに追われているのか?」
「常に面倒な追跡者にね。人気者は辛いよ。それとその腕はキミのものではないよ」
「ああ。おまえさんの言う通りだ。この腕は俺のものではない。魔人は嘘を吐かないのだな」
「魔人が嘘を吐かないのではなくて、ボクが嘘を吐かないのだけどね」
「この腕はおまえさんへ返そう」
「へぇ! そうくるの? 驚きだよ! ボクはやっぱりキミの事を大好きになれそうだよ」
「俺はおまえさんへ絶対に気を許せないがな」
ドカチーニさんは左腕をセーレへ向けてまっすぐに伸ばす。
セーレは、何をどうしたのか俺には全く分からないが、ドカチーニさんの腕を切断した。
切断面から、正面に座る俺まで届く勢いで、血が噴き出す。
しかし見えない壁でもあるかのように空中で血飛沫が止まり舟底へ落ちていった。
ドカチーニさんは顔色一つ変えず、うめき声一つあげず、平然と失った腕をあげ続ける。
だが彼の顔に増えた汗は暑さによるものだけでは無いはずだ。
「ドカチーニ君。これはボクからちょっとした親愛の印だよ」
セーレがそういうとドカチーニさんの腕の切断面は一瞬で治療された。
驚きを隠しきれないフィーナさんへセーレが言葉を掛ける。
「ロリババア君にもボクと同じ事が出来るだけの魔力はあるよ。キミは魔法が下手なだけさ」
「……」
「あれ? 怒ったかな? 『ロリババア』に? それとも『魔法が下手』と言った事に?」
「……」
フィーナさんは一切セーレの問いには答えない。
それにしても『ロリババア』か……
セーレは平気でカタカナ言葉を使うが、神の言葉にも『ロリババア』があるのだろうか?
今の俺には確かめるすべがない。
フィーナさんへ『ロリババア』と言った瞬間に死にたくても死ねない拷問が待っている。
そんな予感がするのだ。
下らない事を考えている間に再び船内は沈黙が支配していた。
舟が対岸の船着き場へと接岸する。
セーレが俺の体から離れると同時に声を掛けてきた。
「そうだ。ユークリット君。キミのような黒の月の住人を【出来損ない】と言うのさ」
「出来損ないですか?」
「そうだよ。ここへキミはいつ来たのかな?」
「2ヶ月ほど前ですね」
「この青の月で出来損ないが2ヶ月も生き延びたのかい? キミにますます興味が湧いたよ」
「私は運が良かっただけです」
ネモの野郎は俺よりもっと運が良いけどな!
「運も出会いも実力さ。ユークリット君。キミの望みを聞かせてよ。ボクは約束を守るよ」
「では二度と私達へ近づかないで下さい」
「それは出来ないよ。キミとの約束は拒否権があるのだよね?」
「ええ。そういう約束でした。では今日のところは帰ってもらえますか?」
「そんな願いで良いのかい? 自慢じゃないけどボクは魔人。どんな願いでも叶えるよ?」
「私の願いは今日の平和で十分です」
本当は、平和な一生を願いたいところですが、セーレが一生付いてきそうなのでやめます。
「そうかい? キミは欲が無いね。じゃあまたね。今日は良い日だった。また会おうよ」
「悪いが俺はおまえさんに二度と会いたくないな」
「私も出来る事なら会いたくないです」
「あはっ。はっきり言うね! キミ達は本当に良いよ! 実にボク好みだ。団子より美味しそうなお土産ももらったし。約束通り今日は帰るよ。またね。ドカチーニ君。ユークリット君」
「……」
「無口なロリババア君もまたね。名前を教えてくれないとキミはずっとロリババア君だよ?」
「……」
セーレは舟を降り、ドカチーニさんの腕をかじりながら、人混みの中へ去って行く。
遠ざかる彼から「やはり肉は生にかぎるなぁ」と声が聞こえてくる。
舟へ同乗していたヒト達も含め、通行人は誰一人として、彼の異常な行動に気付かない。
まるで『そこにセーレなんて存在しない』ように周りのヒトビトは彼を無視している。
俺自身も、舟に乗って他の事へ気を取られた瞬間から、彼の事をすっかり忘れていた。
左腕はベスを抱え、右手はアンと手を繋ぎ、俺も舟を降りる。
あれ?
アンの先に俺の嫁がいない。
固い地面へ足が着いた時に俺は、忘れていた事を激しく後悔する、大切な事を思い出した。




