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長い一日の始まり

約一年ぶりの本編です。

お待たせさせた方は本当にお待たせしました。

前回までのあらすじを三行で。

・異世界初の旅から帰って来たユークリット。

・ベスとアンは「一生一緒にいる家族」と確認しあう。

・3人で生きていく事が金銭的にきついとユークリットは冒険者の道を歩き出す決意をした。

 朝一番、いつもの朝と変わらぬ手順で木戸を開け、爽やかな空気を部屋の中へ入れる。

 窓から東の空を見れば海のむこうが白くなってきている。

 鳥の声が少しずつ数を増し騒がしくなってきた。

 夜明けは近い。


 ベッドで眠る2人の娘達は俺が旅に出ている間もリハビリを頑張っていた成果なのか?

 ベルガーさんの食事が良いせいか?

 少しは肉がついてきた。

 出会った頃と違い、ベスとアンの寝顔は周りへ花を並べても、死体に見えたりしない。

 俺の目には【眠れるお花畑のお姫様達】としか映らない。

 2人共ちょっとばかり痩せ過ぎだけどな。



 俺は、まだ静かに寝息を立てている2人の顔を確認した後、毎朝恒例の準備運動へ入った。

 今日の俺はちょっと違う。

 何が違うのかって?

 意気込みってやつかな。


 無事に、新月の家賃を払い終えて、新しい月を迎えた。

 今月は何としても来月の家賃を稼がなくてはならない。

 大きな買い物をして金銭をほとんど使ってしまったからな。


 来月分の家賃は【シーリン銀行】に蓄えが存在しない。


 彼女の銀行に融資部門があるかは頭取シーリンへ聞いてみなければ分からない。

 だが奴隷や馬車馬のように働いても利息が膨らみ続ける日々になりそうな気がする。

 笑顔で「一日三割ひさんですよ」と言われかねない。

 シーリンさんに金銭を借りるのは最終手段だな。

 少し思い返してみても、この異世界に来てから2ヶ月、奴隷を見た事はないが。

 自分が『見ていない』事は『奴隷がいない』事の証明にはならない。


 月初めから借金だの奴隷だのと暗い話はやめて明るい話を考えよう。

 今日は所持した金銀のほぼ全てをつぎ込んで先月注文した長靴ブーツが完成予定日だ。

 そのうえ先日ベスとアンから「一生一緒にいて欲しい」と言われている。

 3人が一生一緒だ。

 これから俺は『3人が親娘おやこだ』と堂々と言える。

 その時の2人を思いだし自然と準備運動にも熱が入った。



 朝の準備運動をしている最中に愛娘まなむすめの2人が起きだす。

 旅に出る前と同じ朝が帰って来た。

 いや。

 それ以上だ。

 3人の絆は旅に出る前よりも確実に深まっている。


「おはよう。ユークリット」

「おはよう。ベス。アン」



 声が出せないアンは笑顔で『ぺこりっ』と頭を下げて俺へ挨拶をする。

 朝からいやされる笑顔だ。

 斡旋屋の銀行頭取も是非彼女の笑顔を見習ってほしい。


 2人の表情は本当に豊かになった。

 最初に逢った時の無表情から比べれば表情筋もしっかりと役目を果たしてくれている。

 何よりも2人に笑顔が増えた。

 怒られる事も増えたけど。

 それだけお互いが打ち解けてきたと思う事にしよう。

 何と言っても「一生一緒」なのだ。



 準備運動をしている俺を見て、ベスがアンに手伝ってもらいながらリハビリを始める。

 朝一番から親娘おやこ3人で運動をできるとは幸せだ。

 これで昼からはアニメを皆で視聴出来たら言う事はない。

 あぐらをかいた俺の膝の上に2人を乗せながら。

 テレビもブルーレイもこの異世界にはないから無理なのだけど。

 現実に戻ろう。

 妄想世界へ逃げなくても幸せな事はある。


 ベスのリハビリが順調な事はとても嬉しい。


 ベスの右腕は、大分動くようになってきたが、長時間動かし続ける事はまだ大変のようだ。

 重たい物を持ち上げる事もまだ出来ない。

 だが右腕だけでも動いた事実は素晴らしい成果だった。


 この異世界の住人は魔力が生命力と言っても過言ではない。

 魔力が無ければ指一本動かせないどころか死にいたる。

 平時であれば魔力が尽きるまでに、寝るなり腹が減るなりして、完全になくなる事はない。

 だが体からの警告を無視していれば、いずれ魔力が完全に尽きて死ぬ。

 地球人が過労死や餓死をするのと同じように。


 繰り返すがこの異世界の住人は動くだけでも魔力を必要とするとの話。

 ベスは魔力を使わず動いたこの異世界初のヒトである可能性もある。

 最初に右手が動いた。

 他の四肢も、右腕が動いた事で完全に【コツ】を掴んだのか、凄い勢いで回復をしている。


 この世界から見たら異世界人であるところの俺やネモは魔力を使わず動いている。

 それから考えると【魔力を使わず動く】方法が世に知られていないだけかもしれないが。


 理屈は全く分からないがベスは回復している。

 生まれつき魔力量の少ないベスは四肢へ魔力を使わなくなったからなのか?

 生きる為だけに魔力を使い始めてから、顔色が健康的になった気がする。

 今の彼女は、自分自身で自由に動けず、ベットの上の住人ではあるのだけれど。



 2人が一生懸命リハビリをしている様子を見て朝からほんわかな気持ちになってしまう。

 見ているだけでも十分幸せだが、3人一緒にやれたら至福の時となるだろう。

 自分の準備運動が終わった俺は、2人へ合流して、アンと共にリハビリを手伝う事にする。


 現在彼女の両足は、高い所へ座り膝をブラブラさせられるくらい、回復している。

 まだ重力に逆らって膝を曲げる事は出来ず、現在はそれに挑戦しているところだ。


 俺は、ベットの端へ座り、ベスの足へ手を伸ばす。

 だがベスは俺が足のリハビリを手伝う事を全力で拒否してきた。

 彼女の足は細くて軽いが、それでもリハビリで足を動かすには力を必要とするので大変だ。

 それでも彼女は俺が足へ触る事を全力全開で嫌がる。

 体が動かない分は彼女の目と口がよく動く。

 炎の矢を射る赤い瞳と毒を吐く口に俺は手の動きを止められた。


「ユークリットさん。

 そんなに私の太ももを触りたいのですか?

 大人の女性にそのような事をするのは一生の責任を問われる行為ですよ。

 それとも私が年齢的に子供だから問題は無いと言いたいのですか?

 一つ思い出しました。

 港の魔力売りの子供へ膝枕をしてあげていたそうですね。

 可愛らしい女の子だったと聞いております。

 女の子へ膝枕などしてどう責任を取る気ですか?

 それとも小さな女の子が好きで好きでたまらない特殊な考えをお持ちなのですか?

 小さな女の子でしたら誰でも良いのですか?

 あなたは、大人の女性と違い子供には責任を取る必要がないと、お考えのようですから。

 そういう事でしたら仕方ありません。

 どうぞ気が済むまで私の事もお触りください。

 私は、動きたくても動けないこの身を呪い、あなたの成す事を成すがまま受け入れます。

 心で密かに涙を流しながら」


 一切俺が口を挟む隙を与えないマシンガントーク。

 彼女の口撃こうげきは思い返すと心がくじけそうなので記憶の扉に封印しよう。

 お上品な口調だが【ロリコン】と口撃されているであろう事が余計に心へ刺さる。

 膝枕をした娘に覚えはあるが、男の責任を取る必要があるほどの事とは思わなかった。

 また機会があればモフモフしたかったが男の責任は取れない。

 俺は男の責任を取れるだけの金銭を稼げない。

 やはり異世界の常識は俺に取っては非常識だ。

 どうせならモフモフがゆるされる異世界へ転移したかった。



 その後必然的に俺は、静かに怒りの炎を燃やす、ベスの左手を動かす担当へ落ち着いた。

 アンは腕より重く動かす事が大変な足を担当して、ベスは右腕のリハビリを自力ではげむ。

 ベスの足を動かす為に思い切り力を入れる事はアン自身のリハビリとなっているのかもな。

 俺はふと2人がそんな事を考えているのではと思った。



 陽が昇り斡旋屋の業務が始まるまでのわずかな時間。

 他愛のない話をして3人で笑い合う。

 先程までの【大気が怒りに満ちておる】空間はいつの間にか霧散していた。

 現れたのは【いたわりと友愛に満ちた】空間。

 親娘おやこが心を開いて会話をしている。

 この異世界で最高に幸せな時間だ。

 俺は今日の予定を2人へ話す事にした。

 今度こそ親娘3人で街を散歩したい。


「新しい月を迎えたからな。今日は仕事を休んで、長靴ロングブーツを取りに行こうと思う。2人はどうする? 長靴を造る事を頼んだ時と同じ様に散歩を兼ねて街へ出るか?」


 だが俺の一言が、なごやかな空気から険悪な空気へと、一瞬で部屋の空気を変える。

 この空間から【いたわりと友愛】は消え失せた。

 大気が怒りに満ちておる。

 俺には何が起こったのかが理解出来ない。

 俺の瞳へ、ベスの瞳に炎の熱が宿り、アンの瞳は氷の冷たさが増した、ように映っている。

 俺の脳へ直接「ベスの怒りはアンの怒りじゃ」と老婆の声が響く。

 2人の視線は、俺を金縛りにして、気まずい沈黙の時が部屋に流れ始めた。



 実時間は10秒ほどでしかない、俺の体感では10分間にも相当する、時が流れた。

 2人が【手の平筆談】でうなずき合いお互いの意志を確認している。

 いつものようにベスが代表して口を開いた。


「新しい月を迎えてしまいましたね。先月がどんなに大切な月だったのか覚えていますか?」

「私達が出会ってから初めての大切な行事です」

「大切な行事?」

「初めての行事です」

「初めての行事か……一生忘れる事は無いよ」

「本当ですか? それならば……」

「初めての長旅だからな。刃物で刺されるなんて人生初の体験だったし痛かったな」

「何それ!? 聞いてない!!」


 口が滑った。

 ベスとアンには内緒にしておくはずだった。

 俺の持つ【報道しない自由】は失われた。

 知られた以上は、せめて嘘だけは付かないように、しっかりと報告をしよう。

 ひとつ嘘をくと嘘で塗り固める事になっていく。

 矛盾なく嘘を吐ける頭の良さは俺に備わっていない。

 黙っている事が一番良かったのに。


「ちょっと左腕を刺されてな。怪我は回復魔法で跡形もなく完治しているから心配ないぞ」

「アン。確認して」


 ベスの指示でアンが注意深く俺の左腕を調べる。

 彼女は、シーリンさんの髪の毛を抜糸した跡を見つけると、指を差してベスへと報告した。


「傷口は綺麗に消えていますが、抜糸の跡から見ても、結構な大怪我ですよね?」

「ベスさん。ベスさん。ちょっと怖いので敬語を止めませんか?」

「私は【他人】に対しては常に敬語ですよ? あなたと同じように」


 ベスは、にっこりと笑って答えるが、顔の表情筋が動くようになった分、真っ赤に燃えた瞳が笑っていない事は強調されている。

 シーリンさんの笑顔に鍛えられている俺には『どうと言う事はない』怖さしか感じない。

 シーリンさんが笑顔の裏に込められたものは【殺】なら、ベスは【怒】くらい違うからな。

 俺は床へと移り、土下座の姿勢を取りつつ、ベスの笑顔は【可愛い】ものだと思っていた。


「どうか敬語だけはめてください。私の心が折れます」

「あなたも私達へ敬語なのですから。私達があなたへ敬語でも問題は無いと思います」


 3人で居る時に使われたベスの敬語は、瞳が笑っていない笑顔よりも、圧倒的に怖かった。

 平伏している間、アンがベスの足を動かす時に出る、布が擦れる音だけが聞こえてきた。

 わずかに床から離れた位置へ頭を固定して相手のゆるしを待つ俺。




 現在この空間は、2人から声が掛かる事は二度とないと思える程の、静けさに満ちていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 待ってました! アンとベスって誰だっけってなってしまいました! そんな二人もいましたね! やっとユークリットの活躍が始まりますね! 楽しみです!
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