シーリン過去編14-4:巨大蛙討伐
彼が一人で魔物を倒す?
犬蜥蜴人?
それとも緑小鬼?
彼はわたしの何を見返したいのでしょうか?
装備の確認は終わりました。
なるべく戦闘は避けたいですが不測の事態へ備えます。
武器は小刀一本、棒手裏剣四本、一袋分の石礫を多数。
防具は相変わらず無し。
革製の腰帯が唯一の防具と言えば防具になりますね。
他は水袋と空の袋を一袋ずつ。
わたしは受付に置いてある【一番の護符】を握りしめて迷宮へと一人向かう決意をします。
お姉さん達は当然のようにわたしを止める事はしません。
一言「「シーリンちゃんまで無理をしないでね」」とだけ声を掛けてくれました。
わたしは「彼の為に命までは賭けません」と返事をして斡旋屋を出て行きます。
迷宮の入口で【四番の護符】が返ってきていない事を確認してから暗い階段をおります。
暗い階段はおりる途中で幅が広がり迷宮内と同じ明るさになります。
わたしは一人行動する普段の時と違い気配を消さずに水の暖簾をくぐりました。
迷宮の中にいた【もぐり】達がわたしを見つけたようで早速声を掛けてきました。
本来であれば、迷宮の通路を【もぐり】が大人数で行動する事は、問題とされています。
行き止まりの区画でだけ【もぐり】は集団行動する事をお目こぼししてもらえるのです。
わたしも冒険者。
大人数で行動する許可をもらう為の挨拶でしょう。
一人の時は、気配を消して出入りしていましたので、普段からお互い挨拶をしていません。
今回は、わたしの方にもぐり達へ用があり、わざと気配を消さず迷宮へと入りました。
「おっ【ぺちゃ】だ」
開口一番で親し気に無礼な仇名を呼ばれました。
彼らから【冒険者ともぐりとしての挨拶】は当然のようにありません。
わたしが冒険者と言うよりは一般人の恰好へ近いせいでしょうか?
年が彼らと近い事もあるのでしょうか?
どうも彼らはわたしの事を自分達の仲間くらいに思っているようです。
今日は彼らから得たい情報があります。
言いたい事は色々とありますが『ぐっ』とこらえて彼らへ挨拶と質問をしました。
「おはようございます。今朝あなた達は彼を見ていませんか?」
「彼って誰?」
「最近冒険者になった、あなた方の元お仲間です」
挨拶も返さず、この区画にいた【もぐり】達全員の、動きが一瞬止まった感じがしました。
区画にいる【もぐり】達が互いに目配せをしています。
わたしはこの【もぐり】達が作り出す空気へ違和感を覚えました。
彼らが何か彼の事を知っているかもしれないと。
ですがそれはわたしの杞憂でした。
ここの【もぐり】達はわたしが耳を疑うような事を口から出しました。
「なぁあいつが言っていたんだけどさぁ【ぺちゃ】って胸が無いように見えて、実は柔らかいって本当なのか?」
「自慢していたよな! 『あいつの胸は見た目無いけど柔らかいんだぜ』って」
「それに『おれの頼みなら何でも聞いてくれる』っていってたよな」
一体あの男は何をしゃべっているのでしょうか?
そもそもわたしが彼に胸を触らせるなんて事があるはず……ありましたね。
後ろから鷲掴みされていました。
一生の不覚です。
しかし話の内容がまるでわたしから彼に触らせたような事になっているではないですか!
理不尽だと思う事は色々とありますが再び『ぐっ』と湧き上がる怒りをこらえます。
わたしが最後に彼を直接確認したのは先日の午後遅く。
シーミズの港町へ帰る前です。
その後の事をもぐり達へ質問しましょう。
「彼と今朝会いましたか? 昨夜ですか? 夕方ですか? 最後に会ったのはいつですか?」
「今朝は見てないなぁ。昨日の夜はぶつぶつ文句言いながらここへ来たぜ」
「文句からいつの間にか『ぺちゃの胸が柔らかい』って話になってたよな!」
「なぁなぁ。おれ達にも触らせてくれよ?」
「ええ。良いですよ? 触れるものなら。但し相応の覚悟はしてくださいね?」
「ちぇっ! なんだよ! やっぱりあいつじゃないと触らせてもらえないのかよ」
どうやらもぐり達の間でわたしが【彼】にしか胸を触らせない事になっているようですね。
もの凄い誤解ですが、訂正するのも面倒なので、放置しましよう。
今は一刻も早く彼を救助して、彼の口から、この誤解を解かせる事にします。
わたしはこの事を心に秘めて、もぐり達と別れ、迷宮の奥へと進みました。
魔物から自分の気配を隠して、出来るだけ速度を上げ、区画を次々移動して彼を探します。
探索範囲は彼と共に行動した全ての区画。
有名な迷宮の不思議の一つですが、迷宮は一日で生物以外の何もかもを飲み込みます。
そして【死体】は生物としてみなされないようです。
一番良いのは彼が生きている事ではありますが、もし死亡しているならば、死体が飲み込まれる前に一通り迷宮を探索する必要があります。
今回の探索は、彼の生死をはっきりさせる事を主目的とした、強行軍です。
昼食の時間まで探索を続け、斡旋屋へ報告と休憩を兼ねて、一度帰還します。
「ただいま。お姉さん」
「おかえり。シーリンちゃん。どう? 彼は見つかった?」
「残念ながら痕跡すら見つかりません」
「そう。あなたまで無理しないでね。昼食は蛙で良いのかしら?」
「お願いします」
はっきりと言いませんでしたが『彼は見つかった?』とは『死体は見つかった?』ですね。
彼が生きていたのなら、わたしと一緒に帰還しているのですから。
昼食の蛙が届くまで午前中の探索を振り返ります。
コボルドの居る区画、ゴブリンが潜む区画、巨大蛙の横も通り抜けて彼を探しました。
蛙の腹が膨れていた事が少し気になりましたが巨大蛙と戦う無謀は最後の最後。
今回の探索で、行き違いが無ければ、彼と会う事はありませんでした。
そして幸いかどうか判断に迷いますが死体も確認していません。
焼きたての蛙が食卓へ届き食事を取りながら残り三つの可能性を考えます。
まずは彼が護符を持って街へ逃げた事。
これはもうわたしの手が出せる事ではありません。
やれる事からは除外しましょう。
次に未踏破の区画へ移動している事。
彼の実力から考えて不可能に近い事ですし、わたしが一日で探索を終える事は無理です。
まずは最後の最後にと考えている事からやるべきですね。
最後の最後は巨大蛙の討伐です。
わたしは彼が巨大蛙の腹に飲み込まれている可能性が一番高いと思っています。
彼が蛙の腹の中で生きているかは分かりませんが午後一番に討伐する事を決めました。
わたしが巨大蛙を一人で討伐できる保証はありません。
それでもやれるだけやってみようと思います。
お姉さん達にも、巨大蛙を討伐しに行く事を、報告しておきます。
「ごちそうさまでした。お姉さん。これから巨大蛙の討伐へ行きます」
「お粗末様。シーリンちゃん。彼はあなたがそこまでする必要のあるヒトなのかしら?」
「わずかの間ですが小隊を組んだ仲間ですから」
「それだけで?」
「それだけです」
「そう。私から姉さんにも伝えておくわ。あなたが無事に帰ってくる事を祈っているから」
「ありがとうございます。行ってきます」
「討伐が無理な時は帰ってきなさい。自分の命が一番大事よ」
「はい」
予想通りお姉さんはわたしを止めたりしませんでした。
彼女達は受付嬢として冒険者の選択を止める気が本当にないのです。
わたしが行方不明になっても、お姉さん達の言葉通り、探索してくれる事はないでしょう。
迷宮に飲み込まれて消えてなくなる事は絶対嫌ですね。
必ず生きて帰る決意を固めて、気配を魔法で隠して、迷宮へ侵入します。
まずは午前の強行軍で巨大蛙と遭遇した区画を中心に探索を開始しましょう。
巨大蛙の行動範囲は広いですが、一日で移動する距離は意外と狭いのです。
午後の探索を始めると大した苦労なく巨大蛙は発見出来ました。
午前中と同じ区画に居座っています。
こちらから攻撃さえしなければ、わたしが蛙から気配を消せる事は実験済みです。
区画の移動を駆使して、一手一手蛙を追い詰め、討伐します。
鉄さんから貰った棒手裏剣を両手に持ち蛙のいる隣の区画へ移動。
改めて蛙の状態をしっかりと確認します。
確証はありませんが腹が膨れています。
腹も膨れているので、餌を取る為に、移動する必要が無かったのでしょう。
ヒトくらい大きい物を食べている可能性が高いと判断しました。
彼が食べられている可能性が非常に高いですね。
わたしの身も危険ですが巨大蛙に挑むしかないようです。
巨大蛙から、投擲で絶対に命中させる自信がある、五間の距離を取ります。
どうやら【気配を消す魔法】は巨大蛙からわたしを完全に隠蔽しています。
落ち着いて、二本の棒手裏剣を蛙の右目へ狙い定めて、投擲。
狙い通り、完全な不意打ちとなり、棒手裏剣は上手く蛙の右目に刺さりました。
蛙が叫ぶように巨大な鳴き声を上げ辺りを確認し始めます。
わたしは潰した右目の死角を利用しながら隣の区画へ撤退。
隣の区画で魔法を使い気配を探っていると巨大蛙が暴れ回っている事が分かります。
蛙が落ち着くまで四半刻(約30分)近く待機する必要がありました。
長時間待機しても、比較的浅い区画なので、襲ってくる魔物が出現しにくい事が救いです。
蛙の動く気配がなくなりました。
隣の区画へ、自分の気配は魔法で隠して移動し、直接見て蛙の様子を伺います。
蛙は右目に刺さった棒手裏剣を抜こうともがいたのか、刺し口が裂けて大きく広がり、未だに大きな目玉から血が流れて止まっていません。
再びわたしは、両手に棒手裏剣を持ち、左目を狙える位置へ移動。
落ち着いて好機を伺い確実に投擲。
両手で投擲した棒手裏剣の命中を確認して、再び隣の区画へと撤退。
両目を潰した事で、蛙はわたしの事を、見えていないと思います。
ですが無作為で暴れ回る蛙に潰されたくありません。
ヒトの持たない能力で見えなくてもわたしを感知する可能性も否定出来ません。
万が一を考えて、蛙が落ち着くまで、再び隣の区画で待機します。
蛙が暴れ回らなくなり三度目の出撃。
館長から預かった小刀を構えて蛙の背後へ。
わたしは跳躍魔法を使って十間(約18メートル)先の天井へ向けて跳躍。
天井付近で体を反転し天井を足場にもう一度。
今度は蛙の頭へ向けて跳躍魔法で跳ぶ。
跳躍魔法へ落下する力を加えて蛙の頭へ小刀を腰にためて体当たりを決行。
小刀は巨大蛙の頭蓋骨を貫通して根元まで深々と刺さる。
だけど蛙に与えた衝撃はそのまま自分にも跳ね返ってきた。
全く考えていなかった自分自身への衝撃。
柄頭へ添えた左腕は衝突の衝撃で上腕部が折れた。
凄まじい勢いの体当たりは、自分のあばらも折ったのか、息をするだけで胸に激痛が走る。
小刀を深々と頭へ刺された巨大蛙が飛んで跳ねてのたうち回る。
わたしは全身の痛みをこらえて右手で小刀の柄を掴み手放さないようにするだけで精一杯。
その間もわたしの体は蛙の体に叩きつけられて左腕と胸を中心に激痛が走る。
蛙が飛び跳ねる度に小刀を刺した場所から血も勢いよく噴出していた。
捨て身となった攻撃は、代償を差し引いても、十分な成果を上げた。
痛みで意識が朦朧とし、痛みで意識が覚醒する事を繰り返す。
わたしは痛みに耐えて巨大蛙と我慢比べを続けた。
小刀から手だけは離せない。
落ちたら暴れ回る巨大蛙に踏みつけられる可能性が高すぎる。
わたしは必死の思いで柄を握り続けた。
どれほど時間が経ったのか分からないけど、蛙が動かなくなった。
深々と刺さった小刀を右腕一本で引き抜く。
なかなか抜けない。
抜けた時は勢い余って蛙から転げ落ちた。
床に叩きつけられて胸と左腕を中心に全身が激しく痛む。
激痛で息が止まる。
まだ。
ここで倒れては巨大蛙を討伐した意味が無くなる。
床に寝転がり、痛みをこらえて、最初に息を吸う。
息を整えるだけでしばらく時間が掛かった。
指を動かすだけで、腕を振るだけで、痛みが走る左腕をぶら下げて巨大蛙の解剖を始める。
皮がぬめっていて小刀の刃が上手く入っていかない。
力を入れる度に痛む体へ鞭打って小刀で蛙の腹を斬る。
痛みにくじけそうになりながら、ようやく胃を引き裂く。
返り血で髪の毛も服も真っ赤になっていたが、気にするだけの余裕は残っていなかった。
結論を言うと巨大蛙が食べていたのはコボルドだった。
全てが徒労に終わった。
これ以上の探索は無理だ。
この怪我では無事に迷宮の外まで行けるかもあやしい。
わたしは棒手裏剣を回収した。
重い石礫はここへ破棄する。
水も、口を漱ぎ必要な分だけ飲み、残りを捨てる。
最低限の荷物だけ持ち、痛む体を引きずって、迷宮の入口へ戻る。
数区画が遠かった。
もぐり達の姿を見て、こんなに安心したのは初めてだ。
わたしは巨大蛙の死骸がある区画をもぐり達へ教える。
もぐり達が歓声を上げて走りだす。
せっかくの大物だ。
放っておくより余程良い。
再び迷宮の斡旋屋を目指して歩き始める。
迷宮の入口にある階段が絶望的な長さだった。
斡旋屋の入口に居たお姉さんがわたしを見つけて走り寄って来る。
わたしは『斡旋屋へ着いた』と安心した瞬間に意識が飛んだ。
わたしが次に目を開けた時、ほっとした表情を浮かべた、館長の顔が目に映っていた。




