シーリン過去編12:暗殺
前話のあらすじを3行で。
・宝箱を初めて見つけたシーリン達。
・罠に掛かり元もぐりの大将が大怪我を負う。
・彼の治療費を稼ぐ為に1日で2度目の迷宮探索へ出発する。
拙作をお読み下さる全ての読者様へ感謝して一ヶ月ぶりの更新です。
2019/09/06 何遊亭万年
「ぺちゃ。まずは腹を満たそうぜ! それとも昼飯一人で食べちまったか?」
「残念な事にまだです」
「残念ってなんだよ? もしかしておれを待っていたのか?」
「それはありません。本当に目は大丈夫なのですか?」
「すげぇ痛ぇけどな。大丈夫だぜ。それに目玉はあと一つ残っているじゃねぇか」
礼拝所から食堂までの短く薄暗い廊下を彼と話ながら歩きます。
午後からの迷宮探索の為にも食事はしたいのですが今日のお姉さん達は役立たずです。
今回の宝箱の中身が余程気になるのですね。
いざとなったら食堂を借りて自分で食事を作る事にしましょう。
少しでも魔力を回復しておきたいです。
そんな事を考え歩いていると、質の高い肉を焼いた、香ばしい香りが厨房から廊下まで漂ってきます。
どうやら自分で自分の食事を作る心配だけは無くなったようです。
「すげぇ良い匂いだな! 腹が減っているからな。おれの食欲を余計にそそるぜ!」
「本当に美味しそうな香りですね。この香りは間違いなく蛙ではないですね」
わたしが食卓へと着席すると彼が正面に座りました。
午後から彼と共に迷宮へ潜りますし面倒なので今日は席を立たずにいましょう。
出来る事ならば食事のついでに探索の打ち合わせもしたいところです。
「匂いだけで分かるのかよ? ぺちゃは本当に蛙好きだよな! 蛙は確かに安くて美味いけどよぉ。冒険者なんだからさ。もっと良い肉食おうぜ!?」
「好きで食べているので放っておいてください」
「それじゃぁ今日くらいは一緒に良い肉食おうぜ? 宝箱を手に入れた祝いでさ」
「「それは丁度良かったわ。二人共。わたし達からの祝いだと思って沢山食べてね」」
お姉さん達は肉に野菜にと豪勢な食事をわたし達が座る食卓へ次々と並べていきます。
本当に様々な食材を使われた豪勢な品揃えですが、わたしはどこか嫌な感じがします。
一体何に対して?
ふと疑問が浮かびましたが、考え込む必要はなく、すぐに解決しました。
この豪勢な食事に使われている食材はわたしが迷宮から運んできた【生肉と生野菜】です。
無言でお姉さん達へ訴えると、お姉さん達から無言で『そうよ』と、返事がきました。
わたしにばれても二人は悪びれた感じが全くありません。
どうやらわたし達に、宝箱へ貯蔵さた食品の、試食をさせる気が満々ですね。
彼が真っ先に手を伸ばして食事を開始します。
わたしは、食卓へ載っている食材は豪勢ですが、流石に食べる気が起きません。
いつも通りに【蛙】を注文しようとした時にお姉さん達もわたしと同じ食卓へ座りました。
お姉さん達はわたし達だけに毒見をさせる気ではないようです。
お姉さん達も食べるのならば少し話が変わってきます。
少なくとも食材は食べられると判断している事をわたしは信じます。
食材がどれだけ迷宮の宝箱へ入っていたのかは知りません。
迷宮の秘密を探りたい。
これも迷宮の不思議の一つだと、わたし自身の好奇心が刺激されます。
腐っていないのか、どんな味がするのか、わたしも覚悟を決めて食べる事にしました。
「これ本気でうめぇぞ。ぺちゃも早く食べろよ! おれが全部食べちまうぞ」
わたしが迷っている間に彼が毒見を済ませてくれました。
どうやら食べても即死する事はなさそうです。
後で食中毒になる可能性は否定しきれませんが。
お姉さん達もほっとした表情を浮かべています。
わたしも食材の真相は黙っておきましょう。
彼が、とても美味しそうに、凄い勢いで、食べ散らかしていきます。
わたし達三人も、豪勢な食事が豪勢な残飯へと変わり果てる前に、食事を取り始めました。
最初の一口。
毒見は済んでいますが少しばかり不安もあります。
彼ならば毒でも腐乱していても平気で美味しく食べてしまう気がするじゃないですか。
わたしは恐る恐る自分の口へと最初の料理を運びます。
美味しい!!
最初の一口で評価が逆転しました。
宝箱から出てきた食材で作った料理は新鮮な食材を使った料理と全く遜色ありませんでした。
調味料をほとんど使わない、良く言えば、素材を生かした料理の味付けは絶品です。
それだけに素材の新鮮さも際立ちます。
もしかしたら宝箱の中は時が止まっているのでしょうか?
美味しく昼食をいただきながら、わたしはお姉さん達へ、宝箱の事を聞く事にします。
「お姉さん。迷宮の宝箱について色々と聞きたい事があるのですがよろしいですか?」
「「良いわよ。情報料は【松】が一両。【竹】で一分。【梅】は一朱ね」」
「情報料ですか?」
「「そうよ。斡旋屋から迷宮の情報を聞くためには情報料を払う必要があるのよ」」
お姉さん達から『情報料』と言われて記憶を思い返します。
わたしの記憶の限りでは、この迷宮へ来て以来、情報料を払った記憶がありません。
まずはその事をお姉さん達へ聞いてみる事にします。
「わたしはこの迷宮へ来て以来情報料を払った記憶がありません」
「「わたし達もシーリンちゃんから情報料をもらった記憶がないわね」」
「ではどうして突然【情報料】を要求してきたのでしょうか?」
珍しくお姉さん達二人の言葉に違いが出ました。
「シーリンちゃんは久し振りの冒険者だったからすっかり情報料を忘れていたの」
「シーリンちゃんは久し振りの冒険者だったからしっかり居ついて欲しかったの」
お姉さん達がお互いを睨み合います。
「姉さん。忘れていたってどう言う事?」
「それは……そうよ! あなたもシーリンちゃんだけ特別扱いするのは良い事だと思うの?」
「私はシーリンちゃんを特別扱いしたのではないわ。久しぶりの冒険者を特別扱いしたの」
「本当かしら?」
「本当よ!」
お姉さん達が、殺気をぶつけ合うように、お互いを睨み合います。
どうやら何気ないわたしの一言は鬼が寝ていた藪を突いたようです。
席を立ちあがり、お互いの顔を近づけ、威嚇しながら言い合いを続けます。
鬼と仇名が付くヒト達の喧嘩へ巻き込まれるのは嫌ですね。
わたしは中立を守り黙って残りの食事を美味しくいただきましょう。
わたしが食べ終わる頃には、お姉さん達の口喧嘩は終わり、食卓へ平和が戻ってきました。
外から見れば勝敗はついていませんが、お姉さん達はお互いがお互いで相手に対して、自分が勝利したと思っているようです。
顔を並べてわたしを覗き込む二人は鏡映しで勝ち誇った顔へなっている事が不思議です。
「「迷宮の情報はね。受付嬢と仲良くなるのが安く仕入れる事につながるの。だからシーリンちゃんはわたしと仲良くすると良いわ」」
再びお姉さん達は互いを睨み威嚇しあいます。
「あたしはシーリンちゃんの部屋に泊まった事があるわよ」
「それで何も進展がないのだから本当に仲が良いと言えるのかしら?」
「その時に二人だけの秘密を手にしたわ」
「それは姉さんが私へ話してくれたあの話かしら? その事なら私も知っているから無効ね」
「こんな事になるのなら話さなければ良かったわ」
「私はシーリンちゃんの胸の膨らみがどれほど成長したかを知っているわ」
「そんな事あたしも知っているから。全く成長していないじゃない」
お姉さん達は全く引きません。
その話は先程もしたばかりですよね?
何回この話題を繰り返す気ですか?
この話が出る度にわたしだけが、何度も恥ずかしい思いをして、損をしている気がします。
どちらのお姉さんにもこれ以上は口を開かせたくないです。
二人の口からわたしの暴露話が繰り返し続き、恥ずかしさが爆発しそうになった時です。
口へ食事を入れる事だけに全力の力を注いで沈黙していた男の口から声が出てきました。
何か悪い事を思いついた子供のように、にやにやした、嫌な顔です。
確実にわたしへの嫌がらせが来るでしょう。
子供の無邪気さが無い分、彼に対しては余計に、嫌悪感が増します。
「ぺちゃ。お前の胸は膨れてないみたいだけど、おれの腹は膨れたし早く迷宮行こうぜ」
予想通り聞捨てならない一言を耳にしましたが、彼の挑発的な発言は、あえて無視します。
こういう男は相手にしない事が一番です。
その事は【名前も思い出したくない幼馴染】の一派から幼少期に学び尽くしました。
「迷宮行きは少し待ってください。宝箱の情報を仕入れようと思うのですが……」
「珍しく歯切れが悪いな。どうしたんだよ?」
彼の挑発を無視したせいでしょうか?
彼のにやにやとした笑いが終わり、少し機嫌の悪い雰囲気が始まっています。
午後は二人で再び迷宮へ潜ります。
これ以上彼の機嫌を損ねるのも後々面倒なので素直に質問へ答えましょう。
「情報を買う為の銭を持ち合わせていないだけです」
「おれも持っていないからな!」
「それは既に聞きました」
「「一朱も払えないなら宝箱の情報はまた今度ね。迷宮へ行って稼いできなさい」」
「おう。すぐ稼いでくるからな。昼飯ご馳走さん」
「「どういたしまして」」
「ご馳走様でした。では行ってきます」
「「二人共気を付けて行ってらっしゃい」」
暗く狭い階段を抜けて、広く明るい階段の終点、水の暖簾をくぐると迷宮入口。
迷宮入口の部屋には、水が溜まり、多くの【もぐり】達が蛙を捕って生活をしています。
気配を感知する魔法で探れば今もきっちり十人のもぐり達が蛙を捕っているようですね。
異変は彼が水の暖簾をくぐる時に突然起きました。
見えない壁が彼の行く手を塞ぎます。
頭から壁へ突っ込み、彼はぶつけた頭ではなく、首の後ろを痛そうに手でおさえています。
「大丈夫ですか?」
「思いっきり首にきた。目に比べればどうって事はねぇけどな。痛ぇもんは痛ぇ」
「頭は大丈夫ですか?」
「ぺちゃ。おれが頭悪いのは認めるけどさ。今の会話のどこがおかしいってんだよ?」
「言葉数が足りませんでした。頭の痛みは大丈夫ですか?」
「ぶつけた所は痛くねぇな。それよりも突然無理矢理曲げられた首が痛ぇ」
迷宮の不思議の一つには『一区画には敵味方合わせて二十体までしか入れない』という制限があります。
ここフクロ城の迷宮入口は常にもぐり達が占拠して蛙を捕っています。
以前のもぐり達は、見張りを立て冒険者が来ると奥の区画へ移動したりして、冒険者の邪魔をしない不文律がありました。
この不文律は、冒険者が誰も居ない間ですら、絶える事無く続けられていた約束事でした。
この伝統ある不文律を、隣で首を痛めている彼が、いつの間にか完全に破壊していました。
現在フクロ城の冒険者はわたしと彼しか居ない事も事実ですが、もぐり達は冒険者の為に、区画を移動して道を譲る事などしなくなりました。
とは言え、もぐり達は常に蛙を捕っています。
区画内に敵味方合わせて二十体いる事は非常に稀な事態です。
確かに、わたしが迷宮へ潜り始めてから、何度か同じ事態は起きています。
ですが見えない壁に行く手を阻まれた瞬間を見たのは初めての出来事でした。
今までは区画内の気配を感知しながら自分の気配を消してこっそり入っていたからですが。
わたしは区画が満員の時に一度見えない壁を触っておくべきだったと後悔しました。
彼の様子を見て、見えない壁に触ろうとした時には、壁は無くなっていました。
わたしは『次回は見えない壁を必ず触ろう』と心に決めます。
彼がもぐり達の手を止めさせて話を始めます。
いつもの事ですが長くなりそうです。
「午前中と同じ道筋を探索しながら金銀を探してきます」
楽しそうに話をしている彼へわたしがやる事を告げて一人で先に出発しようとしました。
わたしが隣の区画へ歩き始めると彼は慌ててわたしの前へ出てきます。
「迷宮ではおれが先頭って決めただろう!」
「決めた覚えはありませんがお好きにどうぞ」
「ぺちゃはおれの後についてくれば良いんだよ!」
彼の言い方に思う事はあります。
ですが彼と言い争う事に何の得もありません。
そのまま反論する事なく、彼が先頭で迷宮探索の奥へ、出発します。
わたしは区画を一つ一つ丹念に捜索しながら進む予定でした。
しかしその計画は一つ目の区画で断念する事になります。
区画内の探索は非常に地味な作業です。
物影を覗いたり、動かせる構造物の下を調べたり、隅から隅まで金銀が落ちていないか。
目を凝らして見て、手で探って、区画の隅々までまわります。
わたしも普段はこれほど念入りに区画内を探索したりしません。
半日迷宮を彷徨っても、金銀の稼ぎはわずかで、収入が全く無い時もあります。
修行優先なのでさほど気にしてはいません。
金銀を探す時間を修行に回した方が良いです。
「ぺちゃ。本当にこんな所に金銀が落ちているのか?」
「ええ。時々ですが。最高に大きくて一分相当の銀が落ちていた時だってありましたよ」
「まじかよ!? 絶対見つけてやる!!」
「ええ。頑張ってください」
「任せとけ!」
彼も最初のうちは張り切って構造物をどかして下を調べたりしていましたが、成果が無いまま一区画終わると、途端にやる気をなくしたようです。
最初の一区画目で金銀を拾う事の方が奇跡です。
「飽きた。落ちてねぇじゃん。ぺちゃの嘘吐き。」
「そこら中に落ちているなら【もぐり】達が蛙を捕って生計を立てたりしませんよ」
「まぁそうだよなぁ。全然見つからないしおれは犬蜥蜴人を倒しに行く」
「確かにそちらの方が金銀を得る為には早そうです」
「だろぅ!? そうと決まれば早速奥へ行こうぜ!」
「あなたは怪我をしているのですから無理はしないでください」
「平気だって」
迷宮探索計画を変更します。
気配感知の魔法で隣の区画に単独行動している犬蜥蜴人を探します。
たった十間(約18メートル)先にある隣の区画の様子が目視ではほとんど分からない。
迷宮は本当に不思議な空間です。
午前中に巡っていた区画よりも更に奥へ。
ここからはコボルドなどのヒト型の魔物やヒトを捕食対象とする魔物が格段に増えます。
否が応でもわたしの緊張感は増しました。
前を歩く彼は槍をくるくる回して遊んでいます。
相変わらず気が抜けているようですね。
それとも槍を手に馴染ませる為の訓練でしょうか?
わたしに話し掛けてくる事だけは止めて欲しいですね。
隣の区画へ気配が伝わりにくいとは言え、全く伝わらない訳では無いのですから。
彼が一方的に話し掛けてくる中、それを無視して、魔物の気配を探りながら進みます。
わたしが答えを返す必要がない独り言のような自慢話。
先を歩く彼には、わたしが話を聞いていない事を、気付けないようです。
その為でしょうか?
いつまでも彼の自慢話が止まりません。
流石に煩わしいと思い始めた時に不測の事態が起きました。
物影に隠れていた体長二尺(約60センチ)ほどの四足歩行の蜥蜴が彼のふくらはぎへと噛みついてきたのです。
普段は余程腹を空かせているか、こちらから手を出さなければ攻撃してこない魔物。
油断をしていたのは彼ばかりではなかったようです。
わたしは蜥蜴の存在を感知しながらも彼への忠告を怠っていました。
「痛ぇな! この野郎!」
彼が槍の一突きで自らの足へと噛みついた蜥蜴を串刺しにします。
蜥蜴が彼の足から口を離します。
幸いな事に噛み跡は綺麗に並んで残っているものの肉が削げている様子はありません。
蜥蜴には毒を持っているものもいます。
そして残念ながらわたしはこの蜥蜴が毒を持っているのかどうかを知りません。
せめて傷口を水で洗い流すだけでも違うのですが、普段から迷宮入口付近を探索しているだけのわたしは、保存食も水筒も迷宮へ持ちこまないのです。
心の中で『仕方ないですね』と呟いてから彼のふくらはぎへ口をつけます。
傷口の血を吸い出せば毒が体中にまわる事を多少は防げるでしょう。
「ぺちゃ。おまえ……」
「大人しくしていてください。一応毒を持っている可能性がありますので血を吸い出します」
「恥ずかしいからやめろって!」
「あなた以外に見ているヒトはいませんから。黙っていれば誰にも知られませんよ」
「確かにそうだけどさ!」
うるさいので彼の言葉は無視します。
彼の血を口に含み、舌の痺れなどの違和感を感じないので、毒は無いと判断します。
素人判断なので後で助祭様に診てもらう必要はありますね。
「どうやら毒は無いようですが油断はしないでください」
「ぺちゃ。悪かったな。油断した」
「すみません。わたしも注意を怠りました。一度帰還しますか?」
「いや。痛ぇけど足は動く。問題ねぇよ。このまま行こう」
「本当に無理していませんね?」
「無理してねぇよ! ぺちゃは本当に心配症だな!」
「心配ついでに斡旋屋に戻ったら助祭様に診てもらってください」
「ぺちゃは本当に心配症だなぁ」
彼の顔が真っ赤な事が気になります。
熱が出ていないと良いのですが。
心配になりおでことおでこをくっつけて彼の熱を確かめようとします。
おでこを彼の顔へ近づけた瞬間に、彼が海老のように、後ろへ飛びました。
「いきなり何をするんだよ!? 接吻でもする気かよ!?」
彼が更に顔を赤くして興奮する分だけ、わたしの気持ちは冷めていきます。
わたしは彼から離れ、狩猟した肉を入れる為の袋へと、蜥蜴を納めながら答えます。
蜥蜴は袋に入りきらずに尻尾が半分飛び出した状態となりました。
「わたしがあなたに接吻ですか? 絶対に有り得ない事を想像しないでください」
「何だよそれ? 絶対に有り得ないって!」
「事実を口に出しただけですが」
「そうかよ? おれは認めねぇからな!」
「あなたに認めていただく必要がありません」
その後は彼がわたしへ話し掛けてくることが止まりました。
逆に彼へ危険を知らせる為に発するわたしの忠告だけが迷宮へと響きます。
彼が静かになってから数区画。
隣の区画からコボルドと思われる気配を感じました。
より詳しく気配を探ります。
探していた単独行動中のコボルドで間違いなさそうです。
彼は目と足に怪我をしています。
ここはわたし単独でコボルドを討伐するほうが良いでしょう。
気配を消す魔法がどれだけ成長したのかを試す為にも良い機会です。
「ここで百数えるまで待っていてください。隣の区画の様子をみてきます」
「何かあるのかよ?」
「たいした事ではありません。百数えてから区画を移動してください」
「何だ。小便かよ」
「はい。ですから絶対に百数えるまでは動かないでくださいね」
怒りは笑顔で隠して、気配は魔法で隠して、隣の区画へと一人移動します。
感じた気配通りにコボルドが一匹無警戒で立っています。
他の脅威も見当たりません。
気配を消す魔法を使ったままコボルドの背後へまわり、左腕を長いあごへと掛けます。
時を同じくして右手に持つ小刀でコボルドの首を切り裂きました。
コボルドの口から大きな悲鳴にも似た絶叫が飛び出します。
未熟にも一撃で絶命させる事が出来ませんでした。
コボルドが、喉から大量の血を周囲へまき散らし、慌てて辺りを確認しています。
背後からの攻撃であった為、どうやらコボルドはわたしの存在を感知していない様子です。
出血量から考えても致命傷ではあります。
気配を消す魔法はこのコボルドに対して完璧に効いているようです。
このまま無理せず放っておくだけでコボルドは絶命するでしょう。
「ぺちゃ。大丈夫か!? 何があった!?」
わずかな音も聞き逃さない気でいたのでしょう。
コボルドの悲鳴を聞きつけて彼が区画へと入ってきてしまいました。
コボルドは臆病な魔物です。
このままでは彼を敵と見たコボルドに逃げられてしまいます。
ところがコボルドは彼に向って走り出しました。
死期を悟り一矢報いたかったのか、彼ならば倒せると思ったのか、真相は分かりません。
とにかくコボルドは槍を構えて最後の突撃を彼へ仕掛けました。
呼応するように彼も槍を構えてコボルドへ突撃を開始します。
意地と意地のぶつかり合いはぶつかり合う事なく終わりました。
コボルドは数歩と歩めず倒れます。
倒れたコボルドへ彼が槍でめった刺しにして勝負がつきました。
コボルドの懐をまさぐりながら彼がわたしへ言います。
「小便の最中に犬蜥蜴人に襲われるなんて災難だな! お前小便漏らしてないだろうな?」
「ええ。ご心配なく」
「別にお前が漏らしていてもヒトには言わねぇから安心しろよな!」
怒りは笑顔で隠します。
彼がコボルドの懐から奪い取った銀を指ではじいて空中で取ろうとして失敗。
床に転がった銀を見ると一朱程度の大きさのようですね。
コボルドを倒して得る最低の収入ですが何も収入がないよりは良いです。
時には討伐しても銀の収入が無い事もあります。
再び新たなコボルドを探して迷宮の奥へ移動を再開します。
収入が入って機嫌を直したのか、彼の自慢話も復活してしまいました。
彼の話を聞き流してコボルドを一撃で葬る事が出来なかった一人反省会です。
切り裂く深さが足りなかったのか、それとも位置が悪かったのか。
正確な位置を探るのは時間が掛かりそうです。
次は位置を探るよりも深く切り裂く方に力を入れる方が現実的ですね。
今度は確実に骨へ当たるまで深く切り裂きましょう。
いつの間にか気配を感知する魔法を使いながら思考も出来るようになりました。
迷宮へ潜り始める前と比べ気配を感知する魔法の熟練の度合いが明らかに高まっています。
最初は気配を感知する魔法へ完全に集中しなければなりませんでした。
今は魔法を使いながら他の事をする事が出来ます。
わたしはそんな事を考えながら、隣の区画から、単独行動中のコボルドを感じ取りました。
「ここで百数えるまで待っていてください。隣の区画の様子をみてきます」
「何だ。また小便かよ?」
「はい。ですから絶対に百数えるまでは動かないでくださいね」
「しょうがねぇなぁ。待っててやるから早くしろよ」
彼と無駄な話をして隣の区画にいるコボルドがわたし達へ気付く事を懸念します。
本当の事を話せば彼はまたコボルドへ突撃するでしょう。
わたしの行動を誤解されたままの方が効率は良いです。
彼が無謀に突撃するより、わたしが密かに暗殺する方が、明らかに効率は良いのです。
怒りは笑顔で隠して、気配は魔法で隠して、再び隣の区画へと一人移動します。
わたしは前回と同様に後ろからコボルドの喉を切り裂きます。
今回は骨まで届いた感触が小刀を通して右手にしっかりと残りました。
気配を消す魔法は完璧のようです。
首から血を噴出させているコボルドはわたしを見つける事が出来ていません。
何が起こったのか分からないまま周囲をぐるぐると見渡しているだけです。
噴き出る血の量からも致命傷だと思いますが今回もコボルドはなかなか倒れません。
わたしはゆっくり十を数え、二十を数えようかと言う時にコボルドがようやく倒れました。
前回のコボルドも二十を数える程度は動けていたと思います。
この攻撃、一撃必殺ではありますが、一瞬で命を絶つ為にはまだ経験が足りないようです。
コボルドが完全に動かなくなり、周囲に脅威が無い事を確認して、彼を呼びに行きます。
区画を移動した彼が最初に出た言葉は再びわたしを怒らせる言葉でした。
「ぺちゃ。お前はすげぇ運が良いな! コボルドの死体に遭遇するなんてさ! それとも今度は大きな方をしたのか? それで【うん】がついたとかな!」
彼の悪気のない笑い顔が余計にわたしを腹立たせます。
わたしが討伐したという可能性を全く考えないのでしょうか?
彼はわたしの怒りを感じる事なくコボルドから二朱ほどの大きさの銀を手に入れました。
更に迷宮の奥へ進みます。
もう一段階危険度が増す区画の手前まで何事も無く進みました。
この先へ行くには、わたし一人ならば可能ですが、目と足を負傷した彼は足手まといです。
それに加えてわたしの時間が無くなりました。
帰宅して夕食の準備を手伝う為です。
目標金額には一朱近く足りないと思われますが今日はここまでですね。
帰路の途中倒したコボルドの装備を剥ぎながら迷宮の入口を目指しましょう。
運が良ければもう一匹くらいコボルドに遭遇するかもしれません。
運が悪い時の事は考えたくないですね。
「今日はここまでにしましょう」
「なんでだよ!? 今、滅茶苦茶運が良いぜ?」
「すみません。わたしが帰宅する時間になりました」
「今日は遅れて帰れば良いだろぉ?」
「仕事です。そういう訳にはいきません」
「ちぇっ! 仕方ねぇから今日は帰ってやるよ。代わりに明日も朝から一緒に潜れよな!」
「分かりました。明日で治療費を稼いでしまいましょう」
「じゃあ戻るか」
「ええ。戻りましょう」
運が良いのか悪いのか。
何事も無く迷宮の入口まで戻ってきましたが、いつもの彼ともぐりの会話が始まりました。
わたしは時間がない為、彼へ先に戻る事だけを告げて、お姉さん達の元へ戻ります。
お姉さん達へも護符の返却と帰宅の挨拶だけで急ぎドカチーニの斡旋屋へと帰ります。
無事日没前に、ドカチーニの斡旋屋へと戻り、自分の仕事が出来ました。
最近少しばかり騒がしくなった夕食時を出来る限りの笑顔で接客して過ごします。
その時は翌朝に考えられないような事態が再び待っているとは思いもしませんでした。




