シーリン過去編9:約束
久しぶりの更新です。
今までのあらすじを3行で。
・不本意ながら元【もぐりの大将】と迷宮へ潜る事になったシーリン。
・彼女は【ぺちゃ】と不本意な仇名を付けられながらも彼に同行する。
・犬蜥蜴人を倒した所で二人は進むか戻るかの口論となった。
離れず読み続けて頂ける読者様。
新たに読み始めて頂けた読者様。
拙作をお読み下さる読者様全てに感謝して一ヶ月ぶりの更新です。
現在更新速度の低下もあり圧倒的に後追いの読者様が増えました。
後追いの読者様にとって私の不必要に多い前書き後書きは読書の邪魔となります。
この更新以降不要となった前書き後書きを削除する事をお許しください。
2019/06/07 何遊亭万年
彼との口論は平行線でした。
迷宮の奥へ行こうとする彼。
迷宮の外へ戻りたいわたし。
「装備も手に入れたし犬蜥蜴人の次は緑小鬼だろう?」
「急ぎすぎです。今のあなたでは緑小鬼に殺されるだけです」
「はぁ? おれが緑小鬼如きにやられる訳ないだろ?」
ここは迷宮内だというのに、わたしを威嚇するため、彼が必要以上に大きな声を出します。
彼の自信は何を根拠にしているのでしょうか?
そもそも彼は緑小鬼に会った事など無いでしょう。
確か彼は犬蜥蜴人が出る区画まで潜った事も初めてだと言っていたはずです。
それとも金色の月が満月の夜の時にでもゴブリンと遭遇しているのでしょうか?
迷宮では隣の区画へ気配は伝わりにくい事は事実ですが、あくまで伝わりにくいだけの事。
こんな口論を迷宮内でする事は愚か者の所業です。
さすがに彼の愚かさには嫌気がさしてきます。
どうしたら彼との妥協点が生まれるでしょうか?
彼の【根拠が見えない自信】を説得する言葉は全く思い浮かびません。
渋い顔をしているであろうわたしへ、彼が大分声を小さくして、一つの提案をしてきました。
「じゃあ明日もおれと一緒に迷宮へ潜ってくれるか?」
「良いですよ。今日はこのまま斡旋屋と帰っていただけるのならば」
「よし! 約束だからな!!」
正直に言ってわたしに全く旨味が無い提案です。
金輪際彼とは関わりなく無いのがわたしの本音ですが妥協する必要があります。
このまま迷宮内で言い争っていてはわたしも命の危険に晒されます。
命の危険に晒され続ける事を考えれば彼の提案をのむ方がましです。
一度迷宮の外に出る為に彼の提案をのみましょう。
現時点では、迷宮の斡旋屋でお互いが納得行くまで言い争う方が、建設的です。
わたしは、彼の提案を受け入れ、迷宮の入口へと移動を開始しました。
わたしの運が徹底的に悪いのか。
彼の運が良いのか。
それとも迷宮内の口論が引き寄せたのか。
コボルドが三匹も帰り道の区画で待ち構えていました。
行きにはいなかったので、他の区画から流れてきたのでしょう。
えらい迷惑とは思いますが『迷宮は行きより帰りの方が大変』という言葉を思い出します。
この言葉も、わたしが幼い頃、冒険者が語ってくれた数少ない言葉の一つでしたね。
コボルド三匹のなかで一番後ろの一匹は明らかに一回り体が大きいようです。
体が大きいコボルドを一匹が護り、もう一匹が前に出ています。
コボルドが陣形?
この迷宮は冒険者の絶対数が不足しています。
実質この一年余り、専属の冒険者は、わたし一人の状態が続きました。
身体の大きいコボルドは、迷宮を長く生き延びてきた個体である可能性があり、難敵です。
今のわたし達が二人で相手をするのはかなり分が悪い相手ですね。
『接敵する前に隣の区画へ戻り迂回路を』
そんな事を考え始めたわたしの横から彼が前衛のコボルドへ奇声をあげ突撃を開始します。
小刀が槍に代わっているだけ突撃の効果は高くなっています。
ですが彼には【突撃】という選択肢しか攻撃方法は無いのでしょうか?
せめて彼が一対二の数的不利へとならないように。
わたしは後ろから前へ出ようとするコボルドの両目を石礫で潰します。
両目を石礫で潰されたコボルドは出鼻をくじかれてその場にとどまりました。
彼の突撃は成功したようです。
彼の突撃に驚いて背中を見せ仲間のもとへ逃げようとしたコボルドへと槍が刺さっています。
とは言え槍の刺さり具合が浅いです。
あれではとても致命傷にはなっていないでしょう。
不完全とはいえ彼の突撃成功を確認してわたしは大きなコボルドへと標的を変えます。
背中を刺されたコボルドはまだ生きています。
わたしの今すべき事は、彼を前衛のコボルドと、一対一の状況に保つ事。
わたしは石礫を投げ続ける事を決めたのですが、次に投げた瞬間に驚くべき事が起きます。
大きなコボルドは自分を護っていたコボルドを持ち上げて石礫から身を護る盾にしました。
体の大きさが違うとはいえ驚くべき力の持ち主です。
それよりもわたしが本当に驚いた事は、石礫が突然方向を変えて、攻撃が外れた事でした。
大きなコボルドがどこまで狙っていたのかは分かりせんが石礫の動きは完全に不自然でした。
後ろに隠れた大きなコボルドに当てるつもりで石礫をもう一度投げます。
石礫は盾にされているコボルドを避けるように飛んでいく方向を突然変えます。
試しに盾にされているコボルドへ当てるつもりで投げると石礫は見事に命中しました。
どういう事でしょうか?
交互に投げる相手を変えて様子を観察しましょう。
実験を行いながらも、後衛のコボルド達が前に出て来れないよう、石礫を投げ続けました。
彼の雄叫びが聞こえてきます。
時間は掛かりましたが前衛のコボルドを倒せたようですね。
その様子を見た大きなコボルドが盾にしていたコボルドを捨てて隣の区画へと移動します。
わたし達は何とか助かったようですね。
実験の成果も出ました。
どうやら二番の護符は『狙った相手以外は命中しない』効果を持っているようです。
彼が早速、コボルドの死体を探り、金銀を懐に入れています。
自分が倒したコボルドばかりか大きなコボルドの盾にされて瀕死のコボルドにも止めを刺して当然のように金銀を自分の懐へと入れました。
ここまでくると迷宮の斡旋屋へと帰ってから、じっくり戦利品を分けるのかも知れません。
もう少し黙って彼の行動を見守る事にしましょう。
「【ぺちゃ】お前も犬蜥蜴人から装備剥いで装備しろよ。おれが持ち切れない分はくれてやるからさ」
「あなたは仲間で分け合う気は無いのですか?」
「おれが止めを刺したんだから俺の物だろ?」
「そういう気持ちならばそういう気持ちで良いです」
今後を見守るまでも無いようです。
早めに彼とは【ペア】を解消しましょう。
迷宮の斡旋屋へ帰ったらすぐにでも。
わたしもコボルドの薄い革鎧を付けてみますが、やはり具合が悪いですね。
わたしにとっては、鎧を付けて防御力を上げる利点よりも、動きが阻害される事の不利益が大きく感じます。
特に肩回りの自由な動きの阻害が石を投擲する為には向いていません。
彼の残していく鎧一着と槍二本を、倒したコボルドから剥ぎ取り、持ち帰る事にしました。
それなりの荷物となりますが何とか持てます。
いざと言う時は両手に持つ槍は投げ捨てれば良いのです。
一つ問題があるとすれば、わたしは槍を投げた経験が無い事くらいですね。
敵に取っては槍の狙いが外れても石礫よりもはるかに脅威と認識してもらえると思います。
その後は魔物に襲われる事無く無事に迷宮の入口区画へ着きました。
【もぐり】達が蛙を取っている姿を見て安心します。
普段は彼らを『邪魔』だと思っているくらいです。
わたしも彼らを見て安心した自分に対して『いつも以上に気を張っていた』と感じました。
ここまで来れば『一安心』と思った矢先に彼はまた問題行動を起こします。
彼は【もぐり】達へ今回行った迷宮探索の自慢話を始めました。
わたしと交わした『もぐり達とは挨拶だけ』との約束はどこへ消えたのでしょうか?
しかも話が捻じ曲げられています。
「すげぇじゃん。槍と鎧格好良いぜ!」
「まぁな。ぺちゃは全く役立たずだったけどな。俺一人で犬蜥蜴人を三匹も殺してきてやったぜ! ぺちゃは俺の荷物持ちだな」
「すげぇ! かっけぇぇ!!」
「おれは緑小鬼も倒しに行く気だったんだけどよぉ。ぺちゃが怖がって仕方無く今回は帰って来たってところだな」
「いざって時の女はやっぱり駄目だな」
「まぁな。いざって時はおれが役立たずのぺちゃを護ってやるから心配いらないけどな!」
「すげぇ! かっけぇぇ!!」
男は良くて女は駄目ですか。
わたしが最近聞いた『冒険者は自由で対等』は誰から聞いたのでしょうか?
迷宮内で彼から聞いた記憶はどうやらわたしの聞き間違いだったようですね。
どのみち今後関わらない相手の事です。
この手のヒトの話は聞き流しておくに限ります。
わたしは子供の頃から【名前も思い出したくない幼馴染】とその一派のお陰で学んでいます。
どれだけ待っても彼と【もぐり】達は話をやめようとはしません。
下らない会話の中、敢えて成果をあげるならば、迷宮内で使う言葉を避けてきた事ですね。
彼の口から【迷宮でのみ使う言葉】が出てくる心配もなさそうです。
わたしには自分の悪口を黙って聞いている趣味がありません。
彼を置いて、先に迷宮の斡旋屋へと、戻る事にしました。
わたしにはお姉さん達へと今すぐ質問したい事があるのです。
わたしは受付近くの席へと座りました。
昼食はいつものように【蛙】を注文します。
蛙のもも肉を持ってきた【たぃ姉】にわたしは質問をしました。
「たぃ姉。二番の護符で気付いた事があるのですが」
「シーリンちゃん。多分その事は二番の護符を使う冒険者のほとんどが気付いているわ。だけどね『二番の護符の加護は【命中力】で仲間に攻撃が当たらない』事なの。神殿が神からそうお告げを聞いているのよ」
「分かりました」
聞きたい事を先に答えられてしまいました。
神殿が神の言葉を聞き間違えるはずがありません。
真実はわたしには分かりません。
そう言う建前になっている事が、迷宮へ潜るようになり一層理解した事だけは、事実です。
わたしが昼食を食べ終わり、午後からお姉さん達に稽古を付けてもらおうとした所で、彼が迷宮から帰還してきました。
彼が、軟骨すら残す事無く骨だけを残した、わたしの空皿をみるなり大きな声を出します。
「また蛙なんて食べてるのかよ? 今日はおれの稼ぎで奢ってやるぜ! 好きなもんをどんどん頼めよ」
「必要ありません。わたしはこれから午後の訓練に入りますので。どうぞご勝手に」
「ちぇ! 何だよ! おれの奢りが食べられないのかよ?」
彼はどこまで本気で『俺の奢り』だと言っているのでしょうか?
確かに冒険者の報酬の配分は隊をまとめる者の一任で決められます。
別に一人が全ての報酬を得ても罰則はありません。
迷宮で得た利益を独占するヒトの元へと残りたいという冒険者がどれほどいるかはわたしにも分かりませんが、少なくともわたしは残りたいとは思いませんね。
「わたしにはわたしのやる事がありますので」
一言残して、斡旋屋の外へ出ると、いつもの場所へと向かいます。
彼は大声で喚き散らしていますがわたしは無視します。
目に余ればたぃ姉が処理をしてくれるはずです。
いつもわたしが立っている場所へ既にちぃ姉が次の修行の準備をして待っていました。
わたしは『一体いつから?』と思いましたが、わたしの姿を見つけた時のちぃ姉の『にたぁ』と嬉しそうに口が裂けた瞬間の顔を見ると、聞いてはいけない気がしました。
「それじゃあシーリンちゃん。まずはいつも通り立ってね」
わたしはいつも通りの姿勢で立ちました。
以前は立っているだけで苦行でしたが、今は大分楽になっています。
それどころか、何か危険を感じた時は、自然とこの立ち方をするようになりました。
「本当に立ち姿が綺麗になったわね。安心して次へ進めるわ」
そう言うと彼女はわたしの頭の上に空のコップを置きました。
「前後左右、向きの回転、自由に動きなさい。ただし動いた後は今の姿勢へと必ず戻る事」
「頭の上のコップは何でしょうか?」
「本当はふちまで熱湯を注ぐのだけどね。最初だから。まずは落とさない様に動き回りなさい」
ちぃ姉は全くわたしの質問には答えてくれません。
それどころか『本来は熱湯入り』とか物騒な言葉を継ぎ足します。
わたしの次なる修行が、コップを頭の上に載せて、動き回る事だけは理解しました。
「良いかしら。大事な事は頭からコップを落とさない事。動いた後は必ず同じ姿勢へ戻る事。この二つよ。絶対に忘れないでね。後は自分で試しながら身に付けなさい」
「はい!」
それだけ言うと本当にちぃ姉は斡旋屋へと戻って行きました。
後に残されたわたしは、四半刻(約30分)もしないうちに、今度も修行の大変さが身に染みて分かりました。
体を移動させようとするとコップが頭から落ちます。
どんな方向へ移動しようとしてもです。
勿論コップを落とさない様に移動する事は出来ますが、お姉さん達はそんな事を求めているのでは無いとわたしは分かっています。
コップを落とさない様に移動するのではなく、移動をしてもコップを落とさない様にする。
これはその為の修行のはずです。
その後も身体を動かす度にコップを頭から落とし続けます。
わたしのやる事を莫迦にするヒトはこの訓練場にはどこにもいなくなりました。
やっている事は違っても『共に訓練をする仲間』の意識がお互いに生まれてきています。
ひたすら走り続ける衛兵さん達も『また何やら怪しげな事を始めたな』といった感じでわたしの様子を窺うだけです。
それどころか衛兵さん達の中には「頑張れよ」と声を掛けてくれるヒトまであらわれました。
新たな修行の初日は失敗をし続けながらも、集中して行え、気付けば夕方です。
わたしはお姉さん達へ挨拶をして帰宅しました。
今夜もドカチーニの斡旋屋の食堂に【たぃ姉】はいませんが【極上の笑顔】の注文と【仕事の愚痴】を聞く仕事が絶える事はありませんでした。
今日も自然発生した大宴会は閉店まで続きました。
毎夜の事ですが館長と一緒に夕食の後片付けをしている時です。
何気なく呟いたわたしの一言が彼の興味を誘いました。
「皮鎧を付けると投擲の邪魔になるのをどうしたら……」
「どうした? 悩みか?」
館長が迷宮の事で口を出してくるのは珍しい事です。
普段は『迷宮の事は自分で経験して覚えろ』とばかりに全く関わろうとしてくれません。
今回は迷宮ではなくて装備の事だからかも知れませんが。
「今日コボルドを退治して槍と革鎧を二つずつ手に入れたのですが使い道が無いのです」
「お前が迷宮から拾い物をしてくるのは珍しいな。犬蜥蜴人とは何かあったのか?」
わたしは館長からの返答で自分の失敗に気付きました。
ここは迷宮の外【コボルド】ではなく【犬蜥蜴人】と呼ぶべきでした。
館長はわたしを直接咎める事無く失敗を気付かせて下さいました。
わたしもさり気なく【コボルド】を【犬蜥蜴人】へ言い直して返事を返します。
「犬蜥蜴人は大した問題では無いのですが」
「そうか。迷宮の事は自分で解決するのが一番だ。深くは聞かん。で? 革鎧が何だって?」
「先程も言いましたが槍も革鎧もわたしに馴染まなくて」
「ふむ。そう言えば迷宮へ潜って一年以上経つのに未だに装備は俺が渡した小刀一本か?」
「最近は石礫を投擲武器に使っています」
「石礫か!? 幼い頃から毎日海へ投げていたな。懐かしい思い出だ」
館長の顔が緩んでいる事は確実です。
彼はそのままわたしへ提案をしてくれました。
「槍の穂先を投擲武器にでもしてみるか? もしくは槍なら需要が高いからすぐ売れるぞ?」
「明日にでも【鉄さん】にでも相談してみるか……シーリン。明日は時間が取れるか?」
「斡旋屋の仕事が終わったら迷宮へと行くだけです」
「それじゃあ明日は久し振りに俺と街へ出るか?」
「はい!」
「そうか。決まりだな。シーリンと街へ出るのも久し振りだな?」
「そうですね。久し振りです」
子供時代の懐かしい思い出話に花を咲かせながら皿洗いはいつの間にか終わりました。
今日もお客様が一杯注文をしてくれて洗っていないお皿が溜まりきっていたのですが。
食堂の掃除が終わると館長が「おやすみ」と自室へ帰ります。
わたしも明日を楽しみに早めに寝る事を決めました。
朝いつもの時間に起きると普段よりも気合を入れて髪の毛を編み込みます。
朝日が昇る前に洗濯を済ませ、海を見れば空が大分明るくなっています。
夜と朝の境界線。
わたしはこの時間が何とも言えず好きです。
普段と変わらないはずの景色が今日は輝いて見えます。
朝日が昇ると斡旋業開始の時間です。
日が昇るまでのわずかな時間を使い自室へわたしは戻ります。
母の形見の鏡を使い、目立つ後れ毛は小刀で整えて、館長と街へ出掛ける準備を整えました。
朝の斡旋業と食堂の片づけを終えると館長と共に街に出ます。
わたしも街へと出るのは久し振りです。
相変わらずの人混みには辟易しますが、今日はわたしの心がはずんでいます。
子供の頃のくせで、館長の左肩から下がる外套を、思わず摘まみました。
館長は「懐かしいな」と一言だけ言って、わたしの子供じみた行為を許してくれます。
子供の頃は迷子にならないように街へ出る時はいつも館長の外套を摘まんでいました。
成人して少しだけ恥ずかしい気持ちもありますが、今日はこの外套を手放す気はありません。
人混みの中を子供の頃に戻り二人ぴったりと寄り添って歩く事はとても幸せでした。
迷宮で得た荷物が邪魔で仕方ありません。
今日必要だから持っているので仕方の無い事だとは思います。
それでも荷物さえ無ければ『もっともっと館長へ寄り添う事が出来た』と考えてしまいした。
館長は一軒の武具屋に立ち寄りました。
子供の頃は彼と共に時々来た事があるお店です。
わたしが最後に来たのはいつだったでしょうか?
確か【鉄さん】と館長が呼んでいる馴染みの武具職人が居るお店。
館長は自分の家に入るようにお店へと入って行きます。
わたしも彼に続きましたが「ごめんください」と声は掛けてから入店します。
若い職人さん達が腕を競い合うように一心不乱に物を作っているところは昔と変わりません。
子供の頃はまるで魔法の様に物が出来ていく様子を飽きる事無く見ていたものです。
館長が【鉄さん】へと話を始めます。
「鉄さん。頼みがあるんだが」
「隻腕の。どうした? あらたまって」
「今まで全く武具に興味が無かったのだが、最近ようやく興味を持ったようでな。まだ未熟者だが出来たら鉄さんに面倒を見てもらいたいのだ」
「どんな奴だ?」
「シーリンだ」
「シーリン……確かあいつらの娘だったか……わしも何度か会った事があるな?」
「この店には子供の頃一緒に連れてきた事があるからな。今日は共に来ている」
館長が親指をわたしへ向けて【鉄さん】にわたしの紹介をしているようです。
わたしは【鉄さん】へと今出来る最高の笑顔で会釈を返しました。
「あの子か? 不愛想なおちびちゃんだと思ったが偉いべっぴんさんになったな!?」
「最近だ。最近。ようやく笑顔が出るようになったのは」
「それで腕の方は?」
「さっぱり分らん」
「どう言う事だ?」
「天性の魔法使いだ。あの二人の娘だ。素質は高いと思うのだが迷宮へ潜って一年。成果は全くと言って良いほど上げていない。昨日ようやく犬蜥蜴人の戦利品を持ち帰ってきた」
「一年掛かって犬蜥蜴人か……普通ならば冒険者の引退を勧めるのが優しさだな」
「普通ならな……」
「隻腕の。お前と話をしていても埒が明かない。彼女と直接わしが話す」
「鉄さん。頼む」
「嬢ちゃん。まずは普段から使っている武具を見せてくれるか?」
わたしは館長から頂いている小刀を【鉄さん】へと渡しながら言います。
「普段はこの小刀を腰に差し、石礫を投擲しています」
「この小刀は……まだ使っているのだな……物持ちが良い事だ。手の平も見せてくれるか?」
わたしは両手の平を【鉄さん】へと差し伸べます。
彼にがっちりと手首を握られて隅から隅まで余すところなくじっくりと見られました。
「嬢ちゃん。これから幾つか質問をするが正直に答えてくれ」
「はい」
「本当に使っているのは小刀一本なのか?」
「はい。あとは石礫です」
「ではどうして両手の平に小刀を使っている跡がこんなにしっかりと残っている?」
「片手が使えなくなった時の為に訓練しています」
「……即答か……二刀を同時に使う事は考えているのか?」
「いずれは」
「鉄さん。俺は他に行く所があるから後の事は任せて良いか?」
「お前は邪魔だ! 勝手に行け。わしは忙しい!」
館長が右手を上げて店を出て行ってしまいます。
わたしはすぐに彼を追いかけようとしました。
しかし【鉄さん】にがっちりと握られた手首はどう動いても少しも緩みません。
怖いくらいに、食い入るように手の平を見つめられて、矢継ぎ早で質問が飛んできます。
「右も左も両方とも同じように扱えるのか?」
「右利きなので右手の方が上手だと思いますが、左手も右手に負けぬように訓練しています」
「どちらの手でも攻撃も防御も出来るのだな?」
「同じ訓練はしています」
「最近の冒険者は攻撃役、防御役の手が決まっていて【二刀使い】という奴が多すぎる」
「そうですか。わたしも普段は右手を使っています」
「嬢ちゃんは右利きか……左手はいざと言う時の為か……」
【鉄さん】が呟いた通りです。
わたしは両手を使えるように訓練していますが左手はいざという時の為。
普段は右手で小刀を扱います。
わたしの言葉を聞いて、ますます【鉄さん】は興奮しているようですが、顔が近いです。
どんどん近づいてきます。
「石礫はどうだ? やはり左右両方投げられるのか?」
「はい」
「何間だ?」
「どう言う事ですか?」
「何間まで投げられる」
「自分が投げる為に用意した石礫でしたら五間(約9メートル)までなら間違いなく」
「間違いなくなんだ? 自分が用意した石礫とは、まさかその辺りから拾った石礫なのか?」
「はい。迷宮へ行く途中で拾います。その石礫でしたら動かぬ的なら必中させられます」
「五間必中なのか!?」
「標的が一寸(約3センチメートル)四方ならば」
それを聞いた【鉄さん】がわたしから手を放して離れました。
「お前ら。わしは衛兵訓練場へ行く。あらゆる小型武器と投擲武器を用意しろ! 全てだ!」
「「「「「へい!」」」」」
「嬢ちゃん。今日はわしが納得行くまで付き合ってもらうからな」
お店中から勢いのある返事が返ってきました。
【鉄さん】は『楽しいおもちゃ』を手に入れた子供のような瞳でわたしを見ます。
その後のわたしは実験動物でした。
訓練場では、あらゆる小型装備を両手に持って振るわされ、あらゆる投擲武器を様々な投げ方で的へと投げました。
今日は一日中館長と過ごす予定が完全に狂いました。
せめて彼がここに居てくれたなら。
わたしは「午後から迷宮へ行きます」と言い【鉄さん】の実験動物から抜け出そうとします。
しかし彼は全くわたしの言葉を聞かず、次の武器を黙って渡してきます。
夕方になるまで休むことなく、あらゆる武器を使わされました。
わたしが武器を振るう度に投げる度に【鉄さん】は羊皮紙に何かを書き留めていたようです。
実験動物から解放される時、彼はわたしへ言いました。
「正直ここまでとは思わなかった。若いのに素晴らしい修練だ。また来いよ」
わたしは『二度と来ませんから』と心の中で叫んで、会釈を返し、斡旋屋へと帰りました。
世の中には見た事も名前も聞いた事も無い武器がこんなに多くある事を知る事が出来ました。
その全てを試させてもらえたのです。
お姉さんの修行にも負けない貴重な経験は積めました。
もう動けないと思えるほど疲れるところも負けていません。
二度と行きたくありませんが行けば良い経験が出来ると思ってしまいました。
斡旋屋へと帰った後『荷物を忘れた』事に気が付きましたが連日の実験動物はきついです。
翌日は、先日の戦果を諦めて、フクロ城の迷宮へと向かいました。
この時は行った先で【新たな後悔】が待っているとも知らずに。




