シーリン過去編5:笑顔
変態のお姉さんが受付に入り、入れ替わるように、酔っ払いのお姉さんがあたしを伴い休憩へと入ります。
「姉さん。シーリンちゃんと休憩室で何をする気?」
「ちょっとした助言をね」
「そうなの?私も一年でどれだけシーリンちゃんが成長したか確認したいわ」
「残念でした。今日シーリンちゃんと楽しい午後の一時を過ごすのはあたしよ」
酔っ払いと変態の両お姉さんが睨み合います。
わたしは、どちらのお姉さんでも、二人きりになるのは少しだけ身の危険を感じます。
それでも社交辞令で答えましょう。
「お姉さん。次はよろしくお願いします」
「その時を楽しみにしているわ」
わたしは「変態の」と言う言葉を飲み込んで答えました。
背筋を下から上へと駆け上がる寒気を感じながら、変態のお姉さんと別れて、酔っ払いのお姉さんと共に休憩室へと入りました。
「お邪魔します」
「そんなに固くならないでね。笑顔笑顔。そうなのよね。あなたには笑顔が足りないの」
「先程も言いましたが、笑顔の必要性を感じません」
わたしにとって笑顔は弱みや嫌だと思う気持ちを相手に見せたくない時に使うものです。
弱気の自分を隠し、相手へ強がりを見せる時の表情です。
名前すら思い出したくない幼馴染みへ、何度も嫌味をたっぷり込めて笑って答えました。
お尻を触ったりとか、いたずらを止めて欲しいけど、止めてくれないお客様。
泣きたくなりそうな気持ちを隠し、そんなお客様に対して笑顔で「やめて下さいね」と言うと、うちの斡旋屋へ来る男のヒト達は喜び騒ぎ出します。
「シーリンちゃんが笑ったぞ!」
「おれだ!おれに対して笑ってくれたぞ!」
「おまえじゃない、おれ達にだ!勘違いすんじゃねぇぞ!?」
「ぎこちないけど一生懸命笑おうとしてくれている所が最高だよな!」
「明日は良い事ありそうだな!乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」
本当に男のヒト達の気持ちは分かりません。
どうしてわたしが嫌がる事をして喜ぶのでしょうか?
嫌な場面を色々と思い出してしまいました。
うちにお酒を飲みに来るお客様は、乾杯できる事があるのならば、何でも良いのです。
うちの斡旋屋では、箸が床に転げ落ちるだけで、乾杯が巻き起こります。
「シーリンちゃん。シーリンちゃん!大丈夫?」
「大丈夫です。少し考え事をしていました」
「そう?それなら良いけど。顔色が良く無かったから、心配したのよ。シーリンちゃんは自分の鏡は持っているかしら?」
「はい。母の形見ですが鏡付きの化粧台を持っています」
「ごめんなさい。嫌な事を聞いてしまったかしら?」
「両親はわたしが赤ん坊の頃に亡くなったとの事で何も覚えていませんから」
「尚更悪い事を聞いたわね」
「両親の事は覚えていませんが、養父が事ある毎に両親の事を話してくれたので、良く知っていますよ。悪い事なんて全く無いです」
わたしの話を聞き、少し暗い顔をしていたお姉さんが、再び明るさを取り戻して言います。
「それなら良いけど。鏡があるなら毎日朝晩鏡を覗いて笑いなさい」
「何度も同じ事を聞きますが、どうして必要無いのに笑わないといけないのですか?」
「もう!可愛く無いわね。とにかく笑えば良いのよ!」
「わたしが可愛くない事は、子供の頃から周りに言われ続けて、理解しているつもりです」
「はぁぁ。そういう意味じゃ無いのだけどね……笑わないなら無理矢理笑わせるからね!」
そう言うと酔っ払いのお姉さんまでが、わたしへ襲い掛かってきました。
その後は一年前の変態のお姉さんの時と同じでした。
「大丈夫大丈夫。痛くなんてしないから。あたしに身をゆだねなさい。」
「絶対嫌です!何で貫頭衣を脱がそうとしているのですか!」
「勿論。邪魔だからよ」
わたしが抵抗すればするほど、その力を利用されて、最終的には床へと転がされて股の間へと体を入れられました。
下から殴りつけるわたしの攻撃は全て流されてしまいます。
本当に一年前とまるで同じです。
お姉さんは途中で、くいっ、と酒まで飲む余裕を見せて私を挑発するのです。
宣言通り、お姉さんはわたしの貫頭衣の裾を掴みめくり上げました。
「ここまで絶望的に小さいとは思わなかったわ。そのくせ生意気に下着を履いているのね」
何が【絶望的に小さい】かすぐに分かる自分に腹が立ちます。
わたしは彼女から逃げ出す事とめくり上がった貫頭衣を下げる為に頭上へと両肘を使って仰向けで這います。
お姉さんは、足の指を立てた正座で、滑らかに移動してわたしを逃がしません。
壁と壁の角に追い詰められて、逃げる方向さえも、彼女に操られていたと自覚しました。
わたしの心は悔しさで一杯になります。
変態のお姉さんに襲われて一年。
自分なりに修行を積んできたつもりでしたが、本当につもりのようでした。
お姉さんは【にっこり】と笑って、勝利宣言のように、言葉を続けました。
「さぁ。シーリンちゃん。無理矢理にでも笑ってもらうわよ」
「では交換条件があります」
「なにかしら?今の状態で交換できるような条件があなたにあるの?」
「確かに交換条件では無いですね。お願いがあります」
「お願いなら聞きましょう。なにかしら?」
「わたしにも、二人の武術を教えてください」
「良いわよ。ただし、あなたがあたしの満足が行く笑顔を見せてくれたらね!」
その一言で、酔っ払いのお姉さんのくすぐり攻撃が始まりました。
貫頭衣をめくり上げて肌を直接くすぐってきます。
今度は胸まで出さないようにめくってくれています。
お姉さんなりの優しさでしょうか?
その優しさは逆にヒトを傷つけますよ。
お姉さんから、身をよじって逃れようとしますが、全く逃げられそうにありません。
「それにしても本当に余分な肉が付いていないわね。鍛え過ぎよ。皮膚がこんなに薄いなんて女の子らしさが全くないわよ」
わたしにはお姉さんが「だから胸もないのよ」と言葉を飲み込んだと感じました。
お姉さんのくすぐり攻撃が続きます。
わたしも抵抗を諦めた訳では無く、隙を見て反撃をしても、お姉さんには届かないのです。
最後の抵抗であった【笑わない事】が一度破られると、今度は止めたくても止まりません。
わたしが疲れ果てて、笑う事すら出来なくなるまで、お姉さんのくすぐりは続いきました。
力を振り絞り開けている目に、ほんのりと赤くなっている陽の光が、窓から差し込んでいる事が映ります。
精も根も尽き果てました。
指一本動かす気力も出ません。
瞳からは涙が一滴流れ落ちました。
「全然、表情が動かなかったわね。シーリンちゃん。あなたいつから笑っていないの?」
「……普段から笑っています……」
「そう。それなら、今日帰ったら鏡で自分の笑顔を確認して御覧なさい。それとあたし達の武術は教えるけど、手取り足取り教えるのは足さばきだけよ。後は自分で習得しなさい」
「分かりました。よろしくお願いします」
「今日はもう無理だろうから、教えるのは明日以降ね。それと明日必ず鏡で見た自分の笑顔の感想を言う事」
「分かりました。今はとても立てそうに無いのでしばらく休んでいても良いですか?」
「暗くなったら危ないから、あたしがおぶって行くわ。シーリンちゃんの斡旋屋にも興味があるしね。それとね。あたしがあなたに教えたい事は武術だけじゃないの」
これから暗くなるであろう沼地を背負われて家路を辿ります。
背負われて分かった事が二つあります。
お姉さんの方がわたしよりも背が大分低い事。
そして、彼女は体幹の軸が全くぶれない事です。
今日見た千鳥足は完全に計算してやっている事が分かりました。
あれも武道の足さばきの一つなのでしょうか?
明日からフクロ城へと来る楽しみが増えました。
斡旋屋へと着き、酔っ払いのお姉さんが館長と挨拶をします。
館長は自分の事を「斡旋屋の親父」、お姉さんは「迷宮の受付嬢」と名乗り合いました。
わたしは自分の名前を呼ばれる事が好きなのですが、仇名で呼ばれる事を好むヒトが多い事は、肝っ玉おかあさんの頃から、わたしが疑問に思う事の一つです。
何とか夕食の支度には間に合ったようです。
わたしはお姉さんの背中から降ろしてもらいましたが、自力で立てません。
泣きたくなるほど『悔しい』と思うわたしへ館長からも叱責が飛んできます。
「莫迦野郎。自力で家まで帰って来れない奴には冒険者となる資格は無い。今すぐ辞めろ!明日からは迷宮へ行く事を禁ずる」
「待って。今回はあたしがシーリンちゃんの腰を立てなくするまでしごいたの。迷宮からは自力で帰って来ているわ」
お姉さんは鬼のような形相の館長にもひるまずに反論をします。
「どう言う事だ?」
「そうね。これからしばらくシーリンちゃんの足腰が立たなくなるまで訓練しようと思うわ」
「一体何をしているのだ?」
「一応武術の稽古よ。殴り合いはしないけど実戦形式に近いわ。あたし達に組み敷かれてシーリンちゃんは体力を奪われるでしょうね」
「殴り合い?格闘術なのか?二対一の稽古なのか?」
わたしは二人に稽古を付けられるとは思っていませんでした。
変態のお姉さんには何をされるか分かったものではありません。
考えて見たら酔っ払いのお姉さんも十分酷かったですね。
どちらから教えを受けても変わらない気がしてきました。
「二人がそれぞれで稽古を付けるわ。そこで館長さん。お願いがあるのだけど良いかしら?」
「なんだ?」
「自力で立てなくなったシーリンちゃんを運んできた時、あたしをここで給仕として使ってくれないかしら?あたしは簡単な料理なら作れるわよ。お得だとおもわない?」
「おいおい。俺にとって嬉しい話しか無いじゃないか。それで給金は幾らだ?」
「そうねぇ。売り上げの一割でどうかしら?」
「売り上げだと?少し高いな。だがシーリンへと稽古を付けてくれている恩人だ。それで手を打とう」
「売り上げの一割では給金が安い事を見せつけてあげるわ」
「それは楽しみだ。早速今日から良いか?」
「勿論よ。シーリンちゃんはあたしの接客をよく見ていなさいね」
厨房から二人の楽し気な笑い声が聞こえてきます。
夕食の下準備をしている館長とお姉さんの笑い声。
嫌。
館長が女のヒトとこんな風に笑いあう声を聞きたくありません。
それでもわたしは聞き耳を立てる事を止められないのです。
良かった。
楽しそうに世間話をするだけで色っぽい話では無いようですね。
むしろ、話題の中心はわたしの事みたいです。
わたしはその事にほっとしました。
夕食のお客様が増えて、食堂の様子がいつもとまるで違う事は、はっきりと分かりました。
食べているヒト達の笑顔が違います。
一日働きづめで本当に疲れた顔をしたヒト達が、まるで魔力補給の魔法を受けたように、元気になって帰りません。
食事をしたお客様がみんな帰らないのです。
帰らないのは、仲間内で酒を飲みに来て騒いでいる、お客様だけではありません。
一人で食事に来ただけのお客様すらも帰ろうとしません。
わたしが給仕をしている時は、酒を飲みに来ているお客様達はともかく、一人で食事に来たお客様は食べ終えれば帰って行きます。
遂に満席となり、わたしの知る限り斡旋屋の食堂は初めての、満員御礼となりました。
少しは動ける程度に回復したわたしは、受付へと移り、新たなお客様をお断りしなければならなくなりました。
うちの食堂は値段が安い事以外に他のお店よりも優れているところはありません。
常連さんは最近、料理人が辞めてしまった事を知っています。
今は館長が片手で料理を作っている為、頼んだ品が出て来るまで時間も掛かります。
待たせた分だけ美味しいなんて事もありません。
お姉さんの事を知らないお客様はそのまま他のお店へと移って行きました。
お客様からみれば、並んで待ってまで、食べたいお店では無いのです。
受付で新たなお客様達を断りながら、お姉さんとわたしとの違いを観察しました。
違いは【色気で誘惑】とか女の武器を使ったような特別な事ではありませんでした。
注文が入り料理が出来るまでの間、お客様と他愛のない話を笑顔でしているだけです。
料理が出来上がるまでの時間、お客様と会話をして、間を持たせています。
複数のお客様が料理を待っている時は、話の区切りを狙い、次のヒトへと移ります。
準繰りと出来るだけ公平に、一ヶ所だけに留まる事無く、軽んじる事無く、お客様と会話をしていきます。
食べ終わったお客様が食事の【おかわり】の要求をしています。
うちの食堂では珍しい光景です。
お酒は普段から次々と【おかわり】が出るのですが。
迷宮の斡旋屋で見るお姉さんとはえらい違いです。
そこで見るお姉さんはいつも酔い潰れて受付でだらしない姿を晒しています。
今夜のお姉さんはまともな給仕に見えます。
本当に皆楽しそうです。
わたしも笑顔で給仕をしたら、お客様はあんな顔をしてくれるのでしょうか?
そんな事を思っている所へと、お客様のいやらしい手が、お姉さんのお尻へ伸びます。
わたしは、酔っ払いのお客様が、お姉さんに触る事なんて出来ないと思っていました。
しかし現実は違いました。
お姉さんはお尻を触られて「きゃっ!もうお客様、品を運んでいる時は駄目ですよ」などとお姉さんらしく無い言葉を使っています。
お客様も「悪い悪い。今度は何も運んでいない時に触るよ」と嬉しそうに返事をします。
お姉さんは「何も運んでいなくても駄目ですからね」と予想外の言葉を返しました。
わざとです。
わざとお姉さんはお客様に自分の体を触らせています。
証拠はあります。
同じヒトが手を伸ばすと事前に自然に手の届く範囲からぎりぎり届かない所へ移動します。
そんなお姉さんの達人的な動きを終始見せられてお店が終業しました。
魔力が回復したわたしも加わり、三人で夕食の片付けをする事になりました。
主に皿洗いですね。
館長が水汲みと大雑把な汚れ落とし、わたしが仕上げを担当しています。
今日は館長が水汲みに専念して、わたしとお姉さんで食器を綺麗にしていきます。
裏庭の井戸端で皿洗いをするわたし達の手元を三つの月が照らしていました。
「姉さん。悪かったな。どうやら本当に売り上げの一割では安すぎるようだ」
「どういたしまして」
「それでもうちは、薄利多売でな。あれだけ客が入っても大した儲けにはならんのだ」
「あたしにだって食事の内容と値段を見れば分かるわ。それでお幾らいただけるの?」
「賄い付きで、四百文。それで勘弁して欲しい」
「それは大奮発ね。今日の売り上げは良い所で二千文でしょう?」
館長の顔に一瞬驚きが入り、瞳が明らかに優しくなりました。
恋する瞳とは言いませんが、明らかにお姉さんへ好意を持った事だけは分かります。
「姉さんは計算も出来るのか?」
「一応出来るけど、今のはざっくりな計算よ。賄い宿代付きで二百文でどうかしら?」
「おいおい。安くなっているぞ?本当に良いのか?」
「良いわよ。あたしも楽しんだから。それで泊めて頂けるのかしら?」
「こんな夜遅くに女性を一人で帰す訳には行かないからな。シーリン。寝所を用意しろ」
「それは必要ないわ。シーリンちゃんの所に泊まらせてもらうから」
わたしは嫌な顔をしますが、二人には通じません。
もしくは黙殺されました。
「しごけるだけしごいてやってくれ。シーリンは若い。寝て起きれば魔力も回復するさ」
「そうね。しごくことはしごくのだけど、魔力はあまり使わないしごきをする予定よ」
「そうなのか?内容はなんでも良いさ。シーリンの為になるならどんどんしごいて欲しい」
「そこは任せて下さいな。今後の人生で一番大切と言っても良い事を叩きこむわ」
「そいつは良いな!修行後のシーリンが楽しみだ」
館長は正直に言うとヒト嫌いな方だと思います。
従業員を雇えば斡旋屋も楽になると言うのにあまり雇おうとしません。
勿論一時期ヒトを雇った時もありますが、いつの間にか館長が追い出してしまいます。
この間の料理人が居なくなったのは確か、夜遅くにわたしの部屋の前にヒトの気配がしたかと思うと、なにか重い物が廊下の端まで凄い勢いで跳ねて転がる音が聞こえた次の日でした。
館長に聞いても「奴は辞めた」と言うだけですが、なんとなく理由が分かります。
女性とこんなにも楽しそうに話す館長を見るのは肝っ玉おかあさん以来かも知れません。
彼女は病気などせずに元気にやっているでしょうか?
わたしは上の空でしたけど、体が仕事を覚えていました。
心は肝っ玉おかあさんとの思い出に浸っている内に食器洗いは終わりました。
最後に食卓を綺麗にすると、自分の部屋へと戻り、お姉さんに指示されるまま、鏡台の前へと座りました。
わたしの両肩に手を置き、鏡に映ったお姉さんが、これが笑顔の見本とばかりにわたしへと自分の顔を見せながら言います。
「にっこりと笑ってみなさい」
お姉さんの言われた通り、自分では『にっこり』と笑ったつもりでしたが、鏡に映ったわたしは【にっこり】というより【にたり】と言った感じです。
月明りの微妙な薄暗さが不気味な笑顔に手を貸します。
正直に言うと自分の笑顔がこんなに不快で薄気味悪いものとは思っていませんでした。
その後、わたしが笑う修行はお姉さんの精魂尽き果てるまで続き、わたしの笑顔が勝利を収めました。
わたしの笑顔は一夜でどうにかなるようなものでは無い【最悪の笑顔】でした。




