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シーリン過去編2:迷宮初探索

 水の暖簾のれんをくぐり抜けると、目の前に新しい景色が広がっていた。

 地上では全く見る事の出来ない景色。

 十間四方の空間に不思議な世界が詰め込まれていた。


 今、わたしが立っている入口からは、迷宮内へとどんどん水が流れ込んでいる。

 迷宮の区画の天井は神が創ったようで、水漏れがしている事は無かった。


 これだけ大量の水がどこへと消えているのだろう?

 水の流れは壁の向こうへと続いているように見えるけど、どこにも排水口のようなものが見当たらないわ。

 壁を触ってみると、今まで一度も触った事が無い、不思議な感じのする壁だった。

 その壁へと明らかに水が流れ込んでいると思う。



 わたしは水の流れを調べる為に、自分の髪の毛を一本抜き、水に浮かべた。

 予想通り髪の毛は壁へと向かい移動して行く。

 理屈は分からないけど凄い。

 わたしが『迷宮は不思議の塊だわ』と感心していると、迷宮の奥から邪魔者達が現れた。


 ヒトの子供に見えるけど、迷宮では素直に『ヒト』と考える方が、危険かも知れない。

 迷宮と地上は全く違う世界だわ。

 わたしは後ろ腰に差した小刀の柄の位置を右手で一度確認して、現れた子供達と相対した。

 本当に『ヒトの子供達』だった時、いきなり武器を使うような事にはしたくない。

 まずは話し合いから始めたいわ。


 だけど相手は温和に話をしようと言う雰囲気では無いわね。

 壁で背中に回られる心配は無いけど、大人数で半円状に囲んできたわ。

 数は十人。

 言葉が通じないようなら、逃げの一手ね。



 わたしには跳躍魔法がある。

 迷宮の入口方面へとヒトとヒトの間を跳べば、このくらいの囲みは突破できるはずよ。

 わたしは警戒しながら相手の出方を覗った。

 一番体が大きくて、態度も大きい男が、わたしへ声を掛けてきたわ。



「おい。お前は新人の『もぐり』か?規則を教えてやるからそれを聞いたら一度迷宮から出ろよな。みんな順番を待っているんだ」

「どういう事でしょうか?」

「迷宮の外で列に並んで出直してきな!」

「わたしには必要が無い事ですね」

「俺達は女だからって容赦はしねぇぞ」


 どうやら、彼らはわたしを同じ『もぐり』と勘違いしているようね。

 口論も面倒なので『冒険者の証』を見せよう。

 本来は通路、むしろここは迷宮の入口なのよ。

 こんな人通りの多そうな所へ『もぐり』が十人も居る事が問題になるわ。

 思った通り『冒険者の証』は一発で『もぐり』の男達を黙らせる事が出来たわね。



 わたしは、自分の優先権を主張し終えると、迷宮を観察する事から始めたわ。

 だって、迷宮の中は、わたしが今まで見た事も聞いた事も無いような事だらけなのよ。


 壁や床は何で出来ているの?

 水はどこに流れて行くの?

 どこからともなく現れる生き物たちは何?

 うちの斡旋屋にもあるけど、灯りが無いのになぜ部屋が明るいの?

 迷宮は本当に不思議で一杯よ。

 興味が尽きる事が無いわ。



 迷宮の構造物を調べているわたしに『もぐり』の体と態度がでかい男が話し掛けてくる。

 いちいち長いのでこれからは彼の事を心の中で『もぐりの大将』とでも呼ぶ事にするわ。

 わたしが、心の中で悪態を吐くために付けたのであって、実際に呼ぶ事は無いけどね。



 わたしが相手にしなければ、いつかは飽きるだろうと思っていたけど、『もぐりの大将』はなかなか話掛けるのをやめようとしないわ。

 その上、わたしには有益な情報が全く無い話なの。

 彼の質問はわたしへの事ばかりだったから。

 全ての質問に無視を決め込んだわ。


「名前はなんて言うんだ?」

「どこに住んでいるんだ?」

「何か好きな物はあるか?」

「おい!何かこたえろよ!」



「蛙は好きか?」


 そう言うと、彼は事もあろうか、わたしの頭の上に蛙を置いたのよ!

 蛙はわたしの頭に載りきらない位の大きさがあり、水が髪を濡らし、顔へと落ちてきたわ。

 叫び声を上げたりはしないけど、非常に不快よ!

 わたしは無言で蛙を掴むと『もぐりの大将』の顔へと向かって投げつけ、同時に隣の区画へと移動して物影へと気配を消す魔法も使いながら隠れたわ。



 彼の怒声が隣の区画から聞こえてくるわ。

 ヒトを集めてわたしを追おうとしているみたいね。

 他のヒト達はあまり乗り気では無いみたいだけどね。


 隣から聞こえてくる言葉は「生意気なくそ女」とか「不細工な洗濯板」とか「色黒痩せ女」とか、わたしの悪口ばかり。

 悪口の中に「二口女ふたくちおんな」が入っていなかった事だけがわたしの収穫ね。

 頭の傷口は髪の毛の編み込みでしっかりと隠せているみたい。



 わたしを探しに『もぐりの大将』が、五人の手下を連れて、この区画へとやってきたわ。

 きょろきょろと全員でわたしを探しているみたいだけど、気配を消す魔法は彼らに十分と通用するようね。


 気配を消す魔法は便利だけど、自分の行動や、相手の探知能力によっては見つかるの。

 そして相手に見つかっているかどうかが自分では分からない事が厄介なのよね。

 魔法に理屈は通用しないけど、相手の目の前に居ても気付かれない事があるのを知った時は、本当に驚いたわ。

 彼らにわたしの気配を消す魔法はどのくらい通用するかしら?

 まずは忍び足で移動する事から始めてみよう。



 彼らの目の前で色々な行動を取ったけど、最後までわたしに気付く事は無かったわ。

 あとわたしがやっていない事は彼らへと攻撃する事くらいだ。

 気配を消す魔法を使ったまま攻撃する事は、もっとも難しい行動の一つだとわたしは思う。



 この区画にわたしが居ないと結論付けたのか、彼らは次の区画へと移動して行ったわ。

 わたしはまだ二つの魔法を同時に発動出来ないので、気配を消す魔法をやめて、今度は気配を感知する魔法を使ったの。

 目をつぶり周りの気配を感じる事に集中する。

 目をつぶった方が気配を感じる精度が格段に上がるけど、この事はわたしが未熟である事の証明でもあるわ。

 本当は目を開けたまま、息をするように、気配を感じ取れるようになるのが理想よ。

 


 この区画に気配無し。

 入口方面の多分隣の区画からは四つ感じるわ。

 奥の方からは七つね。

 他は……特に感じないわね。

 わたしの気配感知では魔物は感知出来ないのかしら?


 目を開けて、この区画を確認すると蝙蝠こうもりが天井に三匹ぶら下がっている。

 やっぱり、私の気配感知の魔法では魔物を感知しきれないのね。

 あれ?

 待って。

 奥の区画の方から七つって何?

 奥に行った『もぐりの大将』達は六人だったわよね?



 わたしは少し悪い予感がして、隣の区画へと走った。



 そこに居たのは一匹の巨大な蛙と蛙に睨まれて動けなくなった『もぐり』達だった。

 蛙の巨大さはわたしの常識を遥かに超えているわ。

 自分の体よりも遥かに大きな蛙をわたしは見た事も聞いた事もない。



 目の前から『もぐり』が突然一人消えた。

 何が起きたの?

 まだ二間(約3.6メートル)離れた、蛙の口からもぐりの足が出ているわ。

 食べられたんだ!

 一体どうやって?

 巨大蛙は上を向きながら『もぐり』を丸呑みした。

 唖然あぜんとするわたしと巨大蛙の目が合った気がした。


 その瞬間にとてつもない速度でわたしへと何かが飛んできた。

 とっさに小刀をかざして顔を守ると、強い衝撃がわたしを襲う。

 蛙が苦しがっている、多分舌が飛んできたんだ。

 開いた口の中、血を流している舌が見えた。

 相手はまだまだ食欲があるようね。



 わたしは次の瞬間に大きな声を出して『もぐり』達へと指示を出したわ。



「あなた達は早く逃げなさい!蛙の食欲はまだ満たされていないわ」

「いつもならすぐに逃げるけどさ!仲間が食べられちまったんだよ!」

「なぜすぐに逃げなかったのですか?」

「お前が食べられちまっているかも知れないと思って確認していたんだ!」


 聞くんじゃ無かったわ。

 この巨大蛙を倒さないといけなくなっちゃったじゃないの。

 小刀一本でどうやって倒せって言うのよ?


「食べられた仲間は生きているの?」

「分からない。けど『すぐに助ければ生きている時もある』って聞いた事もあるんだ」

「じゃあ助けないとね!あなた達は邪魔。とにかく逃げなさい」

「男が女を置いて逃げられるかよ!」



 無駄な所で漢気おとこぎを発揮されても困るわね。

 良いわ。

 戦うと言うならおとりになってもらうわ。

 わたしの気配を消す魔法がこの巨大蛙に効くかどうかは分からないけど、効く確率を高くする事は出来るはずよ。



「戦う意志があるヒトだけ残って。他は逃げなさい。邪魔よ」



 残ったのは『もぐりの大将』だけね。

 他の三人は逃げ出したわ。

 と言う事は蛙のお腹の中にいる『もぐり』は二人か。

 逃げ出した三人は賢明な判断をしたわね。

 わたしだってこんな巨大な蛙と戦いたくないわ。



 わたしは『もぐりの大将』と巨大蛙を挟み込むように動いたわ。

 巨大蛙は彼の方を獲物として選んだみたいね。

 蛙の気がわたしからそれたと思った瞬間に気配を消す魔法を発動。

 すると考えもしなかった事態が起きたわ。



「くそ女。結局逃げてるじゃねぇか!あんな色黒不細工洗濯板女、信じなければ良かった!」


 わたしへの悪口はともかく、騒いで蛙の気を引いてくれている事には感謝するわ。

 わたしの持っている武器で、この巨大な蛙への有効な攻撃手段は、大きな目を刺すくらいしか思いつかないわ。

 彼の反応を見ると気配を消す魔法は有効に効いているみたいね。

 わたしが巨大蛙へと近づき、その大きな目を小刀で刺そうとした時、突然真っ暗になった。



 ぬるぬる、ねばねば、と粘度の高い生臭い液体で体中がべとべとになったのが分かったわ。

 その後すぐに天地が逆さになって、狭い中へと無理矢理、押し込められていく感じ。

 もしかしなくても、わたしは蛙に食べられたようね。

 今は締め付けられて腕が全く動かせないけど、諦めるのだけは、駄目だからね!



 飲み込まれて蛙の中に居る事が分かるわ。

 しっかりと固定された感じで今はとても動ける状態では無いわね。

 ぬるぬる、ねばねば、は気持ち悪いし、息をするだけで死にそうなくらい臭いけど、小刀だけは、唯一の武器だけは絶対に手放しては駄目だからね!

 自分自身に『最後まで諦めるな』と叱咤激励をして好機をうかがう。

 最後まで、死ぬまで、好機なんて無いかも知れない恐怖と戦う。

 実際息が苦しくて頭も『ぼーっと』してきた。



 ちょっとした落下感の後は、狭い所へと押し込められて、ぬるぬるねばねばの液体が臭さが増して、目が痛くて開けていられない刺激を与えてくるようになったわ。

 体中の皮膚もひりひりとするみたい。

 このまま、ここに長く居たら体に良くない事だけは分かるわ。

 少なくとも目にこの液体を入れては駄目だからね!


 絶望ばかりの状況だけど、わずかな希望も出来たわ。

 小刀を持った右腕が少しだけど動く。

 どんな状況になっているか全く分からないけど、とにかくどこでも良い、刺そう。

 りの少ない片刃の小刀が何かの肉に刺さっていくのが分かる。

 もし『もぐり』のどちらかだったとしたら、ごめんね。

 このままだとどうせ死ぬのだから別に間違っていても問題無いよね?



 結果はすぐに分かったわ。

 蛙が突然暴れ出したのが分かったの。

 とにかく小刀から手を離さない事だけに必死よ。

 蛙が暴れるおかげで勝手に小刀が肉を引き裂いていく事が手に伝わってくるわ。

 もしかしたら助かるかも知れない!



 蛙が暴れれば暴れる程、わたしの自由に動ける範囲が広がっていくわ。

 両手で小刀の柄が握れるようになって大分楽になった。

 あとは蛙が暴れるに任せて切り刻むだけね!

 このまま行ける!と思った瞬間にまたも信じられない事が起こった。



 今度は暗闇から突然明るい場所へと投げ出された感じになったの。

 巨大な蛙の口から赤い変な物が飛び出しているわ。

 大きな傷跡があるところを見ると今までわたしが入っていた胃袋なの?

 とにかくわたしを含めて三人のヒトを吐きだしたわ。

 飲み込まれていた二人は動けないみたいだけど今が好機よ。


「逃げるわよ。あなたも一人運んで。残りの一人はわたしが運ぶから」


 わたしは『もぐりの大将』へと指示を出しながら、小柄な方の一人を引きずって、巨大蛙から少しでも遠くへと移動した。

 目指すは迷宮の入口の区画だ。

 幸いな事に蛙は胃の怪我が気になるのか、そちらに気が取られているようで、わたし達を追って来ない。

 もう一人の『もぐり』も『もぐりの大将』が担いで逃げ出せたわね。



 わたし達は迷宮の入口まで戻って来ると、流れ落ちる水を使って、蛙に飲み込まれた三人の粘液を洗い落としたわ。

 どうやら蛙に飲み込まれた他の二人も生きているようね。

 ぬるぬるねばねばも嫌だったけど、わたしは皮膚がひりひりとする事が不安だったの。

 本当は嫌だけど、結った髪も解いて、粘液を丹念に洗い落としたわ。


 もしこれで『もぐり』達が『二口女』と言い出すようになったら、本気で『迷宮入りの事件にしてやるわ』と物騒な事も考えてしまう。


 粘液を洗い落とす事で、水が海水だと言う事が分かったわ。

 一時的に皮膚は余計にひりひりとしたけど蛙の粘液よりはましだと思う。

 銀色の月が満月の夜は巨大な魔物に街が襲われるという話だけど、あれがそうなのかしら?


 どちらにしても巨大蛙をわたし一人で倒す事は至難ね。

 一度地上へ戻って、迷宮の斡旋屋へと、報告に行くべきよね。

 わたしが体の粘液を落とし髪を結い、そのまま地上へ帰ろうとすると、『もぐりの大将』が声を掛けてくる。


「悪かったな……ありがとう……」

「二度とわたしに関わらないで下さいね」

「ああ……」



 実質的な収穫物は無かったけど、巨大蛙の情報と、彼らとのわずらわしい付き合いが無くなる。

 彼の口から『二口女』と言う言葉も今のところは出て来ない。

 今日はこれで十分と言う事にしておくわ。



 外に出るとまだ陽は落ちていなかった。

 銀色の月の満月の夜はまだ始まってもいない。

 わたしは迷宮の斡旋屋へと戻ると、今日も酔っぱらっているお姉さんへと、『もぐり』達の事と巨大蛙の報告をしたわ。


「迷宮の中に銀色の月の魔物と思われる巨大蛙と『もぐり』達が沢山居ました」

「沢山居たのは『巨大蛙』?『もぐり』の子供達?」

「沢山居たのは『もぐり』の子供達です」

「そう。それならば問題無いわ。いつもの事よ。それと『巨大蛙』の事だけど、銀色の月の魔物では無いわよ。この迷宮の名物みたいなものね」

「名物ですか?」


 お姉さんが、お酒をぐいぐいと飲み干して、言葉を続ける。


「そう。名物。冒険者が居ないから魔物が増えると魔物同士で争うらしいの。淘汰されて強い個体が現れる。大体巨大化するみたいね。そしてその強い魔物は迷宮の入口付近にも現れる」

「はい。とてもわたしには倒せそうにありませんでした」

「生きて帰って来ただけでもあなたは見込みがあるわ。つまり新人が突如として現れた強い魔物に初見で殺されちゃうの。だから余計に初心者の人気が無くなる」

「すると冒険者が魔物を駆逐しない為、強い魔物がどんどん現れると言う事ですね?」

「そう言う事。その上、もともとは弱い魔物が強くなっただけだから、熟練冒険者にも金銭的な旨味が全く無いの」

「それでは自主的に熟練冒険者が巨大化した魔物を倒す価値はありませんね」

「その通りよ。余計な危険が増すものだから熟練冒険者にもここは人気が無い訳」



 斡旋屋の中では昨日に引き続き、昼間からの宴会が繰り広げられている。


「冒険者が居ないから衛兵さん達が居るのですね。酔っ払いばかりでいざと言う時に役に立つのか分かりませんが」

「そんな風に言わないであげて。衛兵さん達のほとんどのヒトが、衛兵をやりたくてやっている訳では無いのよ。仕方なく衛兵をやっているの」

「確かにその通りですが、今夜は銀色の月が満月です。こんな状態で大丈夫なのですか?」

「そうねぇ。『もぐり』君達が元気で活動しているくらいなら大丈夫かしら?陽が落ちてみないと分からないけどね」


 その通りなのよ。

 まだ銀色の月の満月の夜は始まってすらいないのよ。

 本当にこんな感じで大丈夫なのかしら?

 少し疲れて休みたいのだけど、こんな酔っ払い達の中では、ゆっくりと休めないわ。

 二階にある個室を借りて休もう。

 迷宮の様子を少し見るだけのつもりが、余計な事に巻き込まれたわ。




 わたしは「少し休みたいので部屋を貸して欲しいです」と受付のお姉さんへと伝えた。

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