48.白き光の神~ヘルムートの3回目~
ヘルムートは朝起きてユリアーナの部屋に様子を見に行ったが、彼女はすっかり深く眠っており、起こすのが可哀相だと思えた。きっと、昨日は慣れない神殿で気も張っていただろうし、気が済むまで寝かせてやろう……そう思って声をかけなかった。
部屋に戻って、彼は気持ちを落ち着けてから「白き光の神よ、助けてください」と呟く。いつもの感覚。いつもの光景が周囲にぶわっと広がる。これが最後か、と思えば少しだけ感慨深く思えた。
『これが3回目だ。ヘルムート』
ヘルムートの前に、白い霧がふわりと現れた。
「はい。俺に与えられた機会はすべて使いました」
『何を問う?』
「世界を滅ぼすのは、ラーレン病なのでしょうか」
『そうだ』
「ラーレン病はヒューム族以外もかかるのでしょうか」
『これからラーレン病は形を変えて亜種になっていき、すべての一族がかかるようになる』
ああ、そうなのか。ヘルムートは唇を引き結んだ。
『そして、10年後には動物もかかるようになる。この世界は植物と虫だけが生き残り、2000年後には大地震が繰り返され、海にみな沈んでしまう。そして、海洋の生物たちもまた、原因不明の病で死ぬようだな』
2000年。突拍子もない話だ、とヘルムートは口を半開きにする。白い神が「ようだな」と言うということは、それは今彼が見た未来なのだ、となんとなく思う。
「ラーレン病を完治させる薬は出来ますか」
『出来る』
その言葉にヘルムートは、ハッとした表情になる。
「それは……」
『可能性はある』
「可能性……」
出来る可能性はある。ということは、出来ない可能性もあるということだ。
「それは……何を使えば……」
『それを告げることは出来ない』
いささか悲し気な声。それにヘルムートは明らかに落胆をしたが、すぐに次の質問に移る。
「聖女は世界を救うのですか」
『このままでは、世界の滅亡を遅らせるだけだ。人一人の力で、世界の滅亡を覆すことは出来ない。だが、あの聖女はよくやっている。ほかの大陸では、既に半数の国民が死んでしまった場所もある』
「そうなのですか!? どうしたら……」
仕方がない問いが口から出てしまう。どうしたら、助かりますか。それは、白い神の口からは決して語られないものだ。彼は具体的に「世界の干渉」を出来る限り起こさないようにと避けている。それはヘルムートもわかっていた。そんな彼から「大樹を探せ」と言われたことは、あまりに意外なことだった。
『これ以上のことを言えば、干渉しすぎということでわたしという存在が消えてしまうので言えないが』
「!」
『これで、お前との会話は最後になるので、わたしも、最後まで力を尽くそう』
「は、はい……」
『お前を大樹に導いたのは、根幹に抵触するギリギリのラインだった。お前はそれをよくやってくれて「いる」』
やってくれて「いる」……それは、今も、ということなのか。すべてがあの大樹に至るのか。となれば、リーチェが鍵になるというのか。それとも。
『お前は本当によくやってくれている。もう会うことはないが、お前の行く末をわたしは見守っているぞ』
「えっ……」
ヘルムートは、それが白い神からの別れの言葉なのだと理解をした。彼は、騎士の礼を見せて
「ありがとうございました……」
と告げた。すると、白い霧はそれまで見せたことがなかったほど、明確に形を変えた。ヘルムートの前には、輪郭はふんわりとしてはいるものの、明らかな人間型、そして力強い男性の「ような」生き物が現れる。
『つらかっただろうが、報われると良い。お前が報われる未来が来れば、世界が救われたことになるからな』
そう言って、その生物はにやりと笑った――ようにヘルムートには見えた。お前が報われる未来が来れば? 自分は、テレージア様を助けた時点ですでに報われているのだ。これ以上のことなどない……そうヘルムートは思ったが、わからないなりに彼は頷いた。
ヘルムートが離れに行くと、ぎゃあぎゃあとリーチェがうるさくがなりたてる声が聞こえた。クライヴがヘルムートに気付いて目を丸くする。
「あれっ、ヘルムート」
「おはようございます。お久しぶりです」
「本当だよ。君、戻って来ていたんだね。ああ、もしかして……」
ユリアーナと。そう言おうとして、そういえば彼がユリアーナの翼を切ったのだ……とクライヴは言葉を止める。そこへ、リーチェが割り込んできた。
「おい! ヘルムート! この頭が固いやつらをどうにかしろ! こんなんじゃ、ラーレン病に効く薬なんぞ出来ないぞ!」
キーンと耳をつんざくリーチェの声。体が子供と変わらない分、声のトーンも強い。うわっ、とヘルムートが顔をしかめると「なんだ、その顔は!」と怒られる。
「どうしたんですか」
「昨日持ち込んだ薬の検査がまだ半分もいってないとか何とか言って。半分も出来りゃ残りの半分も大丈夫ってことじゃないのか? 成分は違うが同じ効能だ。もうさっさと患者に飲ませちまえ!」
朝からリーチェは元気だな……とヘルムートが呟くと、他の医師が「朝からじゃないですよ。夜通しです」と文句を言った。夜通し。ここにいる医師がみな徹夜をしているのか、とヘルムートは驚く。
「僕は交代で寝るよ……ヘルムート、後はよろしく」
何をよろしくなのかわからないが、クライヴはそう言って、ふらふらと部屋を出た。リーチェは「ふん!」と鼻息を荒くして「おい、ヘルムート。そういうわけで、半分の薬だけはなんとかオッケーが出た。これを配ってくれ」と大量の薬を渡す。
「えっと……わ、わかりました」
「水で飲ませろ。一人一日三粒だ。同時には飲んじゃいかん。一日を三分割して飲むようにしてくれ。まあ夜は仕方がない。それから、水を多く飲ませろ」
「はい」
「おい、僕が作った薬の成分については大体わかっただろう? 次はそっちが作っている成分について、もう一回おさらいだ!」
どうやらリーチェは案外とやる気になったらしい。後でクライヴに話を聞くと、リーチェが知らない薬草などをこちら側の医師が使っていたので、俄然彼は興味が湧いたようであれこれと質問をして、中には高価なものについてはすぐさま「これがそれの代わりになる」と代替品の提示をしたのだと言う。
彼らの情報交換は有益で、知らない薬草やら知らない成分が互いにあり、リーチェが作った薬の成分についても「これが不足しているのでは」という提案もあった。おかげで、彼はまあまあその気になり、あっという間に馴染んだ。口汚さには人々も多少苛立ってはいたが、彼がラーレン病について誰よりもよくわかっていること、そしてそれを裏付けるほどの薬を調合してきたのだということ。それらが、むしろ彼を「新しい優秀な戦力」として迎え入れる、良い方向になったようだった。
(あれだけ口汚いが……)
リーチェが優秀であることは、当然ヘルムートもわかっている。その上、彼は治療術師でもある。そうなれば、更に説得力が増す。魔法の力、それこそテレージアが使っている神聖力なども含めて、それらの力だけではやはりどうにもならないのだということを、リーチェが身をもって知っている。たとえ、テレージアの力が規格外であろうとも、それは免れないことだ。そして、その上で薬の調合に何十年も費やしてきたのだと言うリーチェが、彼らにとってリスペクト対象となってもおかしくはないわけだ。再三いうが、口は汚いけれども。
ヘルムートはリーチェから受け取った薬をもって、神官たちのところに行って説明をした。説明にはラファエルもテレージアも立ち会ってくれて、念のために貴族に飲ませるのは、一日様子を見てからにしようということになった。残念ながら、貴族への治療についてはマイナス要素を出来るだけ排除した上で行うことになっている。調べたとはいえ、なんだかんだで未知の薬であることは変わりがない。なので、一日だけであっても、患者の容態が急変しないのか、本当に大丈夫なのかを見極めてから、という話だ。
ヘルムートは心の中では「これだから貴族というやつは」と思っていたが、私生児であっても一応彼も貴族の末端に籍を置いてはいる存在だ。当然私生児ゆえ、親からは何も継承されるものもないとは思っているが。
ひとまず、薬があるからということで、今日のテレージアの治療は一般で外に並んでいる人々だけとなった。「だけ」と言っても、毎日夕方まで一人ずつに術を施しても、その列の途中までしかすることが出来ない。だが、午前中だけは、彼女に体を休めてほしいとヘルムートは願った。
「寝坊した……」
昼前にようやくユリアーナは起きた。正直な話、朝から起きたとしても彼女は何の役にも立たなかったので、誰に迷惑をかけることもなかったのだが、それでもなんとなく後ろめたい。
「あれっ、服……」
椅子の上にはなぜか、神官服のようなものが用意されている。確かに着替えは持ってきていなかったが、だからといってこれは……と思う。
(あ、でもあれなのか。神殿の中にいるならそれ相応の格好しなきゃいけないのかな)
ユリアーナは仕方なくそれを着替えて、鏡をのぞいて髪を整える。まだ、翼がない自分に見慣れない。だが、体を包む服が背中も包むことは、慣れた。慣れたというよりも「思い出して来た」感覚が強い。それはきっと転生前の自分が持っていた意識なのだろうと思う。
部屋を出て、隣のヘルムートの部屋をノックしたが、彼は不在だった。そりゃそうだよな、と思いながら、一階に降りると護衛騎士たちが何人かいた。ぺこりと頭を下げて渡り廊下へ向かうと、後ろで彼らが「何だ、今の子」「あんな神官がどうしてこの棟にいるんだ?」とざわざわする。神官じゃないけど……と思いながら、きょろきょろとあたりを探すと、ちょうどテレージアとラファエルが歩いてくるところに出くわした。
(うわ!)
ついに。ついに、本物のテレージアが「動いている」ところを見られるんだ。ユリアーナは自分の鼓動が早くなるのを感じつつ、落ち着け、落ち着け、と息を整えた。
「ユリアーナ」
「あの、ヘルムートを知りませんか」
「ああ、ヘルムートは今、聖堂で患者に薬を飲ませるのを手伝っている」
「あっ、ありがとう、ございます」
頭を下げる。テレージアがじっと見ているので、挨拶をすべきかどうかユリアーナが困惑していると、ラファエルが「行くといいよ」と声をかけ、互いの接触を避けてくれた。ユリアーナは「失礼します」と頭を下げて、その場を離れた。
「ラファエル」
「はい」
「どうして、さっきの女性とわたしを、話させなかったの?」
どきりとするラファエル。自然にしたつもりだったが、バレていたのか、と思う。
「いえ、そういうわけでは……」
「神官服を着ているようだったけれど、神殿でわたしのことを知らない人はいないわ。ヘルムートを呼んでいたということは、ヘルムートと一緒に来た人なのでしょう? どうして、わたしに名乗らず、どうしてわたしに名乗りをさせなかったの?」
柔らかい声音だが、言葉は的確だ。
「申し訳ありません」
「謝って欲しいわけじゃないのに」
テレージアが続けて彼に何かを言おうとした時、神官が「テレージア様!」と向かい側から走って来た。少しだけ休んだものの、彼女は今日も夕方までずっと一人一人に術を施さなければいけない。それを思うと、テレージアは小さくため息をついた。
(まーーーじーーーーでーーーーーーー)
可愛かった。驚いた。なんだあれは。ユリアーナは聖堂に向かいながら、テレージアのことを思い出して「はあ」とため息をつく。白い肌に、波打つ金髪に、聡明そうな紫の瞳。華奢な体つきは抱きしめれば折れてしまいそうだ。それにとにかく、顔が整っている。あれこそ「人形のよう」と言える顔だ、と思う。
「そりゃあ……」
(ヘルムートだって、守りたくなるよね)
当たり前だ。あんな可愛い少女がずっと病に臥せて寝込んでいたら。
(だけど……)
ヘルムートは、テレージアを選んだ。選んで、ユリアーナの翼を切った。それから、一度は斬り捨てた彼女のところに戻って来て、助けてくれた。
――君の翼を切ったあの瞬間、俺は、テレージア様を選んだんだ。だから、それ以降は……君を選んでも――
あまり体調がよくない時に聞いた言葉ではあったが、憶えている。その後、ヘルムートはガートンに殴られて、酷い有様だった。ユリアーナは一日で目覚めている時間が短かったので、あっという間にヘルムートが回復したように思えたが、実際は結構時間がかかっていたのだと思う。
(でも、彼は一度もわたしにガートンの愚痴を言ったりしなかった。むしろ、良くしてもらって、ありがたいって)
彼は、自分への非難も受け止めることにしたのだろうか。いや、そうだ。彼は一度も自分への非難を否定したことはない。それに、ユリアーナが彼に「許していない」と言っても何も……
――俺を許すな――
雨の音と彼の言葉がふわりとユリアーナの脳内に再現をされた。ああ、そうだ。彼は許すなと言っていた。許されないことをしている自覚は当然あって、そして許されないことが彼にとって……。
(ああ、わたしって馬鹿だ。こんな、人がたくさん死にそうになっているところで、こんなことばかり考えているなんて)
そう思って、ユリアーナは唇を引き結んで歩いた。聖堂に着くまでには、ちゃんと気を引き締めよう、と思いながら。




