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41.ガートンの怒り

 リーチェの家――彼の家という呼び名が正しいのかは置いても――の浴槽は、扉を隔てた隣室側から薪を下に差し込んで温める方式だ。仕方なくヘルムートが薪を入れて燃やしている。


 ありがたいことに、脱衣所も浴室も手すりがついている。後からガートンに尋ねれば、翼を切られたラーレンが歩けなくなることはよくあることらしく、そのために手すりも作ってあるのだと言う。なので、ユリアーナはよろけながらも手すりを使って、どうにか浴槽に浸かって、体や髪を洗うことが出来た。


 背中の傷はふさがったらしいが、湯船に浸かった時に「いたっ」と声をあげた。太ももの傷は大丈夫のようだったが、背の傷はまだ当分痛むらしい。


 ガートンに用意してもらったユリアーナの着替えは、かぶって着る服だった。翼があった頃には彼女はそんな服を着たことがない。腕をあげると傷口が痛むらしく、何度も「いててて」と声をあげながら服を着て、脱衣所から出たユリアーナは疲れのため、その場でしゃがみ込んだ。


「駄目だ……もう立てない……」


 びしゃびしゃに濡れた長い髪にタオルを頭からかぶって、ぐったりするユリアーナ。ヘルムートはそんな彼女を抱き上げて、再びベッドに連れて行こうとした。


「背が痛くないか」


「ちょっと痛いけど……だいじょぶ……」


 それへ、ガートンがやって来て声をかける。


「髪を乾かすのに、あのソファに座るといい。そのままベッドに連れてはいけない」


 言われるまま、共用部――初日にヘルムートが待たされていた場所だ――のソファに横たえ、腕置きに顔を置く。ガートンは「髪を拭いてやるといい」とヘルムートに言って、それからユリアーナと目線を合わせるようにしゃがんだ。


「俺はガートンと言う。お前と同じラーレンで、片翼だ」


「ガートン……? ああ、本当だ。翼が……」


「もうしばらくは、お前にはここで治療を続けてもらわなければいけない。何か不自由があれば、俺に言ってくれ」


「はい。お世話になります。ありがとうございます」


 力なくそう返すユリアーナの髪を、ヘルムートはタオルで拭いた。しばらくユリアーナはおとなしくしていたが、おずおずとヘルムートに尋ねた。


「ヘルムート……テレージア様は……?」


 それへぶっきらぼうに答えるヘルムート。


「わからん。が、きっと大丈夫だろう」


「わからないの……? ねえ、わたしの翼使ったんだから、絶対、大丈夫だって言ってよ……」


「あれからずっと、俺はお前と一緒にここに厄介になっている。だから、あの後のことはわからないんだ」


「そうなの……? 別にわたしのことなんて……」


 そう言ってユリアーナは顔を動かしてヘルムートを見上げた。ヘルムートは困ったように


「俺もそう思う。もう、ここに来られなくてもいいから、ここから出て……今すぐテレージア様の容態を確認しに行きたい」


「だったら」


「俺は、テレージア様を選んだ」


「……」


「その上で勝手だとはわかっている。君の翼を切ったあの瞬間、俺は、テレージア様を選んだんだ。だから、それ以降は……君を選んでも許さ……いや……」


 ヘルムートの言葉はそこで止まった。そんなおこがましいことを口にすることは許されない。なんと馬鹿げたことを言ってしまったのかと後悔をした。


 すると、それにはユリアーナではなくガートンが反応をする。


「どういうことだ。お前が、彼女の翼を切ったのか」


「そうだ」


「何故……何故だ……!」


「ラーレン病の薬が欲しかったからだ」


「この野郎……!」


 次の瞬間、ガートンの拳がヘルムートの頬に入った。ヘルムートは避けられるはずなのに、それをそのままくらって椅子から転げ落ちた。


「自分でこの子の翼を切って、それで、ここに連れて来た!? どういうことだ! ここに来て、彼女の命が助かればそれで自分も助かると思ったのか!?」


 ヘルムートはそれに答えない。ガートンは床に転がり落ちたヘルムートを蹴った。ガートンの表情は鬼気迫るもので、どんどん息が荒くなっていく。どうやら、彼は自分の翼を切ったヒューム族を心底憎んでいるようで、興奮してヘルムートをそのヒューム族の代わりとばかりに暴行をした。


「ガートン、やめて……」


 か細い声でユリアーナは言うが、ガートンの耳にそれは入らない。そして、ヘルムートもそれに抵抗をせず、ガートンになされるがままになっていた。


「ガートン、もういいから、いいから、やめて!」


 力を振り絞ってユリアーナは叫ぶ。だが、彼女の声は、彼女が思っているほど大きくは出なかった。それどころか、久しぶりに話をしているせいか、喉が詰まって咳が出る。咳き込むと、背が痛む。結果、彼女は泣きながら咳き込んだ。


 けほけほと咳き込むユリアーナを見て、床に座り込んでいたヘルムートが立ち上がった。ガートンは未だに興奮をしていて、彼を殴ろうとする。が、ヘルムートはガートンの拳をよけて、ユリアーナに「大丈夫か」と尋ねた。


 勢いのままガートンはその場で転び、ガシャン、と大きな音を立てて辺りの物を巻き込んで倒れる。


 ヘルムートがその隙に水を持ってこようとすると、起き上がったガートンが後ろからヘルムートの背を蹴った。よろけたヘルムートは、床に積みあがった書物の山に突っ込み、バサバサと書物が崩れる。

 

 その2人のやりとりがどうにもうるさかったらしく、またもリーチェの部屋のドアが開いた。遠くで「ばたん」と音が聞こえた瞬間、あ、やばい、と二人は動きを止めた。


 リーチェは心底怒っているようで、どかん、どかん、と音が響く。廊下の壁を蹴っているようだ。ユリアーナは、また咳き込んだ。それを聞いたのか、廊下を歩いて近づきながら、どこからかリーチェは水が入ったピッチャーを手にして――残念ながらグラスは持ってこなかったのだが――やってくる。口をへの字に曲げての登場だ。


「うるせーーーーーーーー!!! ガートン、お前いい加減にしろ! 僕が寝ている時に問題を起こすなつっただろうが! この大間抜け野郎が! ほら、お前はこれでも飲んでろ!」


 まるで、ヘルムートとガートンのやりとりを聞いたかのように叫ぶリーチェ。彼はソファで横たわっているユリアーナに、乱暴にピッチャーを渡した。注ぐグラスはないのか、と思ったが、仕方なくピッチャーの口に唇をつけてごくごくと水を飲むユリアーナ。その間に、ガートンがリーチェに言い訳をする。


「だって、だって、リーチェ様、この男が、ユリアーナの翼を……!」


「そうだ。ユリアーナの翼だよ。お前の翼じゃねえの。そうなったいきさつもよくわからんで喧嘩してんだろ? 僕も知らねぇけど、理由があんだろ、きっと! ほら!」


 そう言ってリーチェは、背伸びをしながらガートンの目の前で、パン、と両手を叩いた。


「あ……」


「正気に戻ったか。だったら、お前が早くヘルムートの手当てしてやれよ。仲直りは別にしなくていい。いいか、僕は! 寝るからな! 次に起こしたらどうなるかわかってんだろうな! 言っとくが、お前らもだ。ヘルムート、ユリアーナ、いいな!? 次は本当に許さない!」


 そうリーチェは叫ぶと、本当に癇癪を起した子供のように、ダン、とドアを蹴って、それから、バン、バン、と何故か廊下の壁を蹴って、部屋に戻っていった。これは、本当に次に起こしたら「どうなるかわからない」なのだろうとヘルムートとユリアーナはぞっとした。とんでもない暴漢だ。


 ユリアーナの手から、水のピッチャーを受け取るヘルムート。


「あ……ヘルムート、口、血……?」


 ヘルムートの顔は片頬が腫れあがっていて、口の中が切れたのか、口の端には血がついていた。


「大丈夫だ」


 と彼はそう言って、ぐいと自分の袖口でそれをぬぐってから「髪を乾かしている途中だったな」とタオルを持ってユリアーナの髪を包む。ガートンも我には返ったが、ヘルムートに謝りはしない。だが「ユリアーナの髪を乾かしたら、手当してやる」と言った。それへ、ヘルムートは「ああ、頼んだ」とだけ言葉を返す。


 ユリアーナは髪を拭かれながら、黙り込んで瞳を閉じた。まだ彼女が回復をするには時間が必要だ。


「ごめん……こんな状況なのに……寝ちゃう……」


「ああ、眠っていい。良く寝ろ」


「ん……」


 やがて、腕がだらりとソファから落ちる。彼女の髪をタオルで拭いているヘルムートは、ガートンに「もう一枚、乾いたタオルを持ってくる」と言われ、素直に「ありがとう」と答えた。



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